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小さな嫉妬

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 ラトとシューロが、名実ともに番いとして暮らすようになってからしばらくのことだった。ラトが面白いものを見せてやると言って、海底洞窟へと連れて行ってくれたのだ。
 岩場の隙間から差し込む光が洞窟内を青く照らしていて、とても幻想的な場所であった。
 細かな泡がぷくりと浮かび、それが光に反射してキラキラと輝く。シューロには丁度よい広さだったが、ラトには狭い。なんで自分が入れないような場所を知っているのだと聞けば、以前狩りをしている途中に見つけたそうだ。

「シューロが喜ぶかと思ってな。」
「ボクの為に?」

 聞き返したシューロに、ラトは口を閉じたかと思えば、ゆっくりとえらを動かして黙りこくってしまった。どうやら、自分で言ったくせに照れたらしい。そんな様子がなんだか面白くて、シューロはラトの鼻先にちょんと触れる。少しだけ身じろぐように動いたラトは、たまたまだ。と言った。
 たまたま見つけたとしたら、わざわざ言わないんじゃないかとシューロが指摘すると、鼻先でシューロを優しく突いて、意地悪はよしなさい。などと落ち着いた声で宣う。

「そういうことにしておいてあげる。」
「やけにご機嫌だ。」
「ラトのおかげでね。」

 小さく笑ったシューロが、寄り添った。この間は、船の墓場にも連れて行ってくれた。あの時も似たようなやりとりをしたことを、ラトは覚えているのだろうか。
 シューロに対する好意の表れを、照れ臭そうに隠すラトが面白い。そんなことを思って、小さく吹き出すと、キュウ、と、どこからか可愛らしい声が聞こえた。

「ラト?」
「なんだ。」
「ラトも可愛い声とか出せるんだね?」
「……私の声は、可愛いのか?」

 互いに目を合わせると、シューロは首を傾げた。ラトの反応を見る限り自覚はないらしい。
 幼いものが親に甘えるような声が聞こえたのだ。ラトの体躯からでは確かに想像しづらい。しかし、この辺りは静かで、他の生き物の気配もしないしと視線を巡らせようとした時だった。

「……ああ、いるな。」
「え?」

 ラトが顔を上げたかと思うと、淡々とした口調で呟いた。シューロがラトに促されるようにして目線を向けると、岩礁の陰から随分と小さなイルカがひょこりと顔を出していた。
 まだ成長しきれていない様子から見て、おそらく子供だろう。シューロがその姿に気がつくと、イルカは恐る恐ると言った様子で姿を現した。親からはぐれてしまったのだろうか。シューロはその円らな瞳がもの言いたげなことに気がつくと、ラトに振り向く。

「ねえ、逸れちゃったのかも。ラト、聞けない?」
「ああ、聞けなくもないが……」

 シューロの言葉に、今度はラトの瞳がイルカへと向けられた。しかし、ラトが意思の疎通を図るべく、そのひれを動かし体を向けた途端、目にも留まらぬ速さで岩礁の裏へと戻ってしまった。
 呆気に取られたシューロが、数度瞬きをしてラトを見る。どうやらラトも予想はしなかったらしい。何が起きたのかと言わんばかりに見つめ返された。
 もしかしたら迷子ではなかったのかもしれない。シューロがそう思ったのも束の間で、再びこちらを覗き込むようにしてイルカが様子を窺ってきたのだ。そこでようやくシューロは気がついた。ああ、きっとこの子はラトを怖がっているのだと。
 不思議そうにしているラトをそのままに、今度はシューロがゆっくりと歩み寄った。次は逃げる様子もなく、シューロの差し出した手のひらに向けて鼻先を擦り寄せる。
 余程ラトが怖いらしい。イルカはシューロの側から離れようとしないまま、ラトとの意思疎通を拒否するかのように、シューロの陰に隠れた。

「ラトは怖くないよ、」
「……迷子のようだな。この辺に群れがいるのか?」
「ああ、ダメだ。ラト、怯えるから優しく言ってあげて。」
「優しく……?」

 怖い雰囲気を出しているつもりなんて微塵もないんだが。ラトは困った様子でそんなことを言う。
 シューロからしてみたら、ラトに威圧感なんてない。体格が大きいラトを前に萎縮している様子から、イルカがラトに対して怯えているのは明確だ。
 己の腰回りに纏わりつくようにして離れない。結局、ラトにはぐれた場所を聞いてもらうのにも、シューロが体に触れて撫でてやらないとダメだった。

「まともな会話にはならなかったが、まあ大体の場所はわかった。」

 なんだかラトが少しだけ疲れているような気がする。シューロはそんな様子に困ったように微笑んだ。
 ラトが言うには、イルカの親はまだこの辺にいるという。大人たちが狩りをするのを眺め、それを真似るように遊んでいるうちに逸れてしまったようだ。
 シューロからしてみれば、他の種族の子供とはいえ、甘えられるのは少しだけむず痒い。まだこの辺にいるというのなら、連れて行ってあげるのもいいかもしれない。
 シューロは身を寄せるイルカを宥めながら振り向けば、ラトはどことなくむすくれているような気配がした。

「この子、親のとこに連れてってあげたいんだけど。」
「すぐに行こう。親と逸れたままでは哀れだからな。」
「あ、うん、」

 ラトが食い気味に賛成してきたことに、シューロは少しだけ驚いた。断ることはないとは思っていたが、驚いたというのはその勢いだ。ラトのいつもの穏やかな口調を忘れてきたかのような、そんな話し方であった。
 やはり海は広い。このまま逸れて帰れないというのは可哀想だとでも思ったのかもしれない。ラトは怯えるイルカを真っ直ぐに見つめると、大きな鰭を翻すかのようにして体の向きを変えた。
 シューロも寄り添うように泳ぎ出すと、意図を理解したらしい。イルカも後に続いた。

「ラトはどうやって意思の疎通をしているの。」

 道中、シューロはイルカの親を探し始めたラトを見て不思議そうに尋ねた。同じ言語を解さないで意図を汲み取る能力があるラトの姿に、少しだけ憧憬の視線を向ける。

「できているのなら、彼はとっくにシューロから離れていると思うが。」
「ごめん、ボクが何?ちょっと聞こえなかった。」

 鰭が水を切る音に遮られ、シューロは申し訳なさそうに聞き返した。しかし、ラトはしばらく黙りこくったかと思うと、感覚はそのうち掴めるようになるさと誤魔化した。
 もやもやする気持ちを前に、ラトは戸惑っていたのだ。今だって聞こえていなかったから良かったが、口にするつもりもなかった事がぽろりと出てしまったのだ。
 イルカは、シューロが優しいことを知っていて甘えているのだ。己の目の前で戯れる姿に、見せつけられているような気持ちなってくる。
 いくら友好的な生き物だからといって、番い持ちのシューロに、ましてや番いである己の目の前でしていいことでは。とまで考えて、はたと気がついた。

「ラト!ラト通り過ぎてる!」
「……これは警戒心を抱かせないためのあえてだ。」

 どうやら思ったよりも泳ぐスピードが出ていたらしい。ラトが思考している間に、シューロがイルカの群れを見つけてくれていた。振り向けば己の背後の方で、一塊ひとかたまりとなって海上付近にたむろしている。
 どうやら様子から見て迷子探しのようだ。間違いなく、あの中に親はいるだろう。
 
「よかったね、もうすぐお前の親に会えるよ。」

 シューロが柔らかく微笑みかけているが、その微笑みはこちらに向けるものではないのかと、そんなことを思ってしまう。
 他種族の幼子に対して甘いのはわからなくもないが、それでもラトは納得はしていない。そして、この感情にどういう名前をつけていいのかも、見当もつかなかった。

 シューロがイルカと共に、群れの方へと泳いでいく。
 ラトはその背後からゆったりとひれを動かしてついて行ったが、群れの大人たちもラトの姿を見るなり、狼狽えてしまった。
 にわかに騒がしくなった群れの中の一頭が、幼い仲間に気がついて近づいてくる。シューロはチラリとラトに助けを求めるような視線を向けると、少しだけ機嫌を直したラトがゆっくりとシューロの隣に並んだ。

「彼女が親だな。」
「ああ、よかった。お前も行きな。今度は離れるなよ。」

 シューロよりも体躯としては大きいだろう。親であるイルカがその円らな瞳でラトを見つめる。きっと、また意思の疎通をしているのだろう。静かなやりとりが続いた後、ラトはふふん、と小さく笑った。

「何?」
「私たちは有名らしい。」
「有名?何で。」
「ちぐはぐ同士で番いだから。今、彼女からそう言われたんだ。」

 まさかこんなきっかけで会えるだなんて、と、友好的に話しかけてくれたらしい。シューロに意思の疎通ができないことも理解しているようだ。ラトの通訳で照れ臭そうにしているシューロを、親のイルカは穏やかな目で見つめている。
 親に出会えたことで、ようやくイルカがシューロから身を離した。ラトは溜飲が下がったといわんばかりに、ゴポリと泡をひとつ零す。
 キュウ、と甘えた声で鳴くイルカへと、そっと手を伸ばす。その丸みを帯びた頭を優しく撫でてやれば、イルカはその丸く突き出た口で、シューロの手を押し返すようにして戯れる。そのうちの一つが頬を掠めると、ラトの長い尾が自分の意思に反してビョンと伸びた。

「うわっ、……な、何。びっくりした……」
「私も驚いている。一体何が起きたんだ。」
「ええ、自分のことなのに…?」

 腑に落ちていないラトをそのままに、イルカの親子は優雅に泳いで群れの中へと戻っていった。その様子を手をふり見送っていたシューロに尾を巻き付けると、ラトは未だ己の体に起きた異変を不思議がるかのように、思索に耽る。
 シューロはというと、ラトの長い尾に巻かれたまま、こちらも不思議そうにしていた。ラトに引っ張ってもらわなくても、自分で泳げるのにな。そう思いながら、ラトがしたいのならまあいいかと、その長い尾に身を任せる。
 いつまで経ってもシューロが並走してこない。疑問に思ったラトが振り向くまでは、シューロを抱き込んだまま泳いでいることに気が付かなかった。
 
「本当に困った。私の尾鰭がいうことを聞かない。これは前代未聞だ。」
「ええ?」

 ねぐらに戻っても、ラトはシューロを囲ったままだった。心底困ったといわんばかりに途方に暮れている、シューロの腰に巻き付く尾鰭を撫でながら、なんとなく考える。もしかしたらという一つのまさかが思い浮かんだのだが、ラトには言わないほうがいいのかもしれない。
 シューロはじんわりと頬を染めながら、引き寄せられるままにラトの顔の横にぴたりと体をくっつける。どうせラトのことだから、これも自分がやっているだなんて思いもしないのだろう。

「どうしたシューロ。やけに懐くな。」
「そういうことにしといてあげる。」

 やはりラトは無自覚だ。多分、ラトのこれは嫉妬だ。先程のイルカに対する大人気ない嫉妬。しかも、シューロも嬉しく思ってしまったから、特に始末に負えない面倒臭いやつだ。
 ずっと側にいれたらいいな、ラトは長生きだから、シューロが死ぬその時まで一緒にいてくれるだろうか。
 そんなことを思って、でも、口にしたら怒られる気がしたから言わなかった。
 そんな日がくるのはいつかはわからない。だけど、この広い海で寄り添うことができる幸せを、シューロは忘れたくないなと思った。






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