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拙い告白
しおりを挟むラトの言葉に、シューロは目を丸くして驚いた。そんなことってあるのだろうか。海に暮らす、ラトと似た形状の魚たちは全て卵から生まれる。だから、魚型の魔物のラトも同じだと思ったのだ。
シューロの前で、項垂れているラトを見る限り、どうやら嘘はついていない。シューロは己の物差しで物事を測ってしまったことを少しだけ恥じた。あれだけ色々な話をしたのに、シューロはラトが断った理由を知ることを怖がって、聞かずに逃げたのだ。
「じゃあ、あの時の質問は、」
「困ったことに、繁殖相手への好きという気持ちは経験したことがないせいで、これっぽっちもわからなくてな。てっきり私は、シューロは稚魚が欲しいのかと思ったんだ。」
「………。」
あの流れが純粋な質問だったとは、誰が思うだろうか。シューロはラトに伝わるように、直接的な表現を使ってまで口にしたのに、全く己の気持ちが通じていなかったことに唖然とした。
「だから、それでいくと私はシューロに相応しくないだろう。そう言った行為を試すこともできないのだから。」
それに……、ラトは、小さく呟くようにして言い淀んだ。シューロを見つめ、そしてまた視線をゆるりと逸らす。逡巡しているような素振りをしているが、実際はもう己の考えを纏めているに違いない。ただそれを言い出すのを迷うかのような、そんな様子だ。
きっと、ラトはまた己の言葉が足りなかったらと考えて、口に出来ないだけなのだ。そんなラトの優しさを、今度はしっかりと理解できた。
シューロの方こそ体の作りを理解せずに、勝手に推測ってラトの前から飛び出したのだ。
先走ってしまったのはシューロの方なのに、ラトは変わらずに考えてくれている。こんなに優しいラトを、悩ませてしまったのを申し訳なく思う。シューロは己の省みない行動を恥じた。
ボクは大丈夫だから、ラトが思っていることを言って。そう口にしようとしたところで、ようやく腹を決めたらしいラトが、その虚ろの瞳でシューロを見つめる。
口を開いたラトの声色は、先程よりも少しだけ低い。普段は大雑把なところがある癖に、大きな体で諭すように淡々と語り始めるその姿は、少しだけ何かを堪えるかのような雰囲気を纏っていた。
「海は広い。いつか、シューロは他のネレイスの群れとも出会えるかもしれない。シューロは私ではなく、そこで幸せになれる未来だって、あるかもしれないんだ。」
嫌だと思った。ラトが放った言葉を聞いて、シューロは、そんな未来なんていらないと、そう思った。
これが、ラトの優しさだということは充分にわかっている。まだ若い自分への、視野を広げるための一つの提案だということも。不確定な可能性を持つ未来への選択肢を、先を見越して掲示する。
しかしそれは、まるでラトが己自身にも言い聞かせているように聞こえる。あの時のラトの発言は、全てシューロを思ってのことだったのだ。
言葉が足りてないせいで、シューロはラトの前から飛び出してしまうくらい悲しい気持ちになったけれど、その真意を確かめれば、こんなにも優しい。でも、ラトの言う未来の可能性に、シューロが恋心を差し出したラト自身がいないのだ。
シューロはラトの言葉の本当の意味にホッとしたが、それと同時に少しだけ泣きそうになった。
「……ラトの話を、最後まで聞けなくてごめん、会話の途中で、飛び出したりして。」
「気にしなくていい……君よりも長く生きていると言うのに、未熟な発言をした私も悪い。」
シューロが、ラトの顔を見上げる。大きな体でシューロの正面を陣取っているというのに、己を覗き込むようにして顔色を伺うラトが、少しだけ落ち込んでいるようにも見えた。
ぽこりと泡が一つ浮かぶ。ラトが口を開いたのだ。
「本題に移ろう、……ああ、私は君のことを考えて、気持ちには応えられないと言ったのになあ。」
苦笑いを浮かべているかのような声色だ。シューロは、その言葉にトクンと胸の奥を跳ねさせる。その目は未だ揺らいではいたが、それでも真っ直ぐに見つめ返すことはできた。シューロは小さく唇を噤んだ。わずかな緊張と、そして仄かな期待。しかし、心模様を窘めるように、そんな都合のいいことあるわけないと口にする自分がいて、そういった感情がシューロの小さな体の内側でせめぎ合っている。
忙しない感情に苛まれていることなんて、ラトは知る由もない。シューロを見つめると、ゆっくりと口を開いた。
「私を、選んでほしい。君と稚魚を作ることができない私だが、もしネレイスの群れが現れたとしても、シューロには、私を選んで欲しいんだ。」
少しだけ、懇願が混じるその言葉が、じんわりとシューロの身の内側に浸透する。共に居たいと、最初に希ったのはシューロの方だった。そして、今はラトがシューロに向けて、あの時の気持ちを返してくれている。
ラトはずるい。シューロが諦めようとした時に、後出しのようにそんなことを言うのだから。
「君に、私の側にいてほしいと思う。これは、繁殖をしたい相手への好きだと言うことと、同じなのだろうか。」
もしそうだとしたら、この間の返事は間違っていた。取り消してくれ。
そんな、少しだけ格好悪い事を言いながら、縋るような目を向けてきたラトに、シューロは数度瞬きをした。ラトの言葉に、ちょっとだけ驚いたのだ。あの言葉の後が、まさかそんな質問に繋がるだなんて思っても見なかった。
「自分の気持ちなのに、ボクに聞くの?」
困ったような雰囲気を出すラトに、シューロは少しだけ不貞腐れるような口調になってしまった。
ラトは、いつもマイペースでシューロを驚かせるのが得意だ。そんなラトが、行き場のない思いを抱えているかのような、そんな不安げな声で宣った。
「……自信がない、シューロの言う好きと、私の考えた好きが同じなのかを、答え合わせがしたいんだ。」
先程とは変わって、ラトは至って真剣にそんなことを宣った。声色は慎重さをに滲ませるのに、最高に締まらない。もしこれが、好意を抱く相手に愛を告げる言葉なのだとしたら、普通に考えて失格である。自分の気持ちを相手に確かめてどうすると言うのだ。
いつものラトなら、冗談をひとつ言うのに言葉が揺れたことはないし、真面目腐ったことを誂い混じりにも言ったりする。
大雑把で、穏やかで、優しいラトが、初めて己の考えに自信がないと言わんばかりに問いかける。それも、きちんと考えて、きちんと悩んで、それでも不安だからとシューロに聞くのだ。
もう、それが答えなんじゃないかと、シューロは思った。そして、そんなラトを可愛く思ったし、やっぱりそんなところも、ラトだなあと思ってしまった。
シューロは双眸をくしゃりと歪めた。嬉しくて、でも泣いたら負けな気がするから、グッと堪えたのだ。
「馬鹿」
「……もしかして、ダメなのか。私とシューロでは釣り合わないと言うことか?」
ラトはシューロの表情を見て、また何かをしくじったのだと思ったらしい。自分のことなのに、自分が一番理解していない。そんな鈍い魚の魔物であるラトだからこそ、好きになったのかもしれない。そう考えてみれば、シューロもなかなかに見る目がない。
それでも、個で生きることを当たり前としているラトが、自分の当たり前を捨てて共にいたいと言ってくれたのだ。側に居て欲しいと、同じ思いを返してくれたのだ。その行動こそが、愛情の深さを言葉以上に物語っている。それは、シューロだけが知っていればいい。
ラトの鼻先に、そっと触れる。それだけで少し、気分が浮上したらしい。ラトはゆっくりと鰭を揺らめかせると、細かな泡をぽこりと浮かべる。
「ボクがいなくて、寂しかったの。」
「ああ」
「ボクと、触れ合うの、好き?」
「もちろんだとも。」
穏やかな声で言葉を返す。釣り合わないというラトの質問に対する答えを、シューロがまだ返してくれる気配はない。そんな様子に、ラトは、鰭を動かして焦りを滲ませる。
シューロは、そんなラトが可愛い。自分よりもはるかに長大なラトの情けない姿を見ても、この気持ちは変わらないだろう。ゆっくりと手を伸ばした。その細い両腕で、ラトの鼻先を抱き込むと、そっと頬を寄せる。
冷たくて大きな鱗に、自分の体温がじんわりと移っていく。そして、ラトも大人しくシューロの抱擁を受け入れていた。
お互いが好きだと言うことを理解しあっても、最後の言葉は緊張で微かに震えていた。なぜなら、ラトがシューロに行った求愛は、生きてきた百年の中で初めてのことだったのだ。
シューロはラトよりもはるかに小さい、口の中に入れて泳げる程だ。それなのに、シューロの方がしっかりとしているのだ。その小さな体が寄り添ってくれる、欲していた感覚を、ようやくラトは取り戻すことができた。
ここ数日で埋められなかった隙間を、シューロが埋めてくれたのだ。やはり、こうでなくては。という感覚が、ラトには嬉しかった。
「大丈夫、ラトとボクの好きの気持ちは同じだよ。ボクも、ラトの隣がいい。」
「ずっとか。」
「ずっと、それはこれからも。」
シューロの言葉に、ラトが長い胴をほんの少しだけ縦にうねらせる。シューロが知っている、ラトが嬉しい時にする仕草。
これから、ではなく、これからも。シューロの口にした言葉は、ラトとの今までの思い出も大切にしてくれる。そして、この先も同じ思いを返してくれるのだろう。
言葉の端に滲んだラトへの慈しみの言葉に、初めて体の内側から焼かれてしまうような熱い気持ちが広がっていく。苦手な熱ではあれど、この感覚は少しだけ、癖になってしまいそうだった。
体格が随分と違う相手同士だ。そこには確かに体の繋がりを持たぬ愛がある。足りてないものを補うように寄り添う姿は、周りから見たら異端そのものだろう。しかし、互いの癖を理解しているからこそ、その歪さがかちりとはまるのだ。
海はこんなにも広い。だからこそ、風変わりな愛の形があってもいい。当事者同士が幸せであれば、そこに水を差すような野暮を宣う者も、いないのだから。
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