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八つ足の優しさ
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結論から言うとやはり羅頭蛇の言うとおり、傷口の治癒は魔力補充で回復をしていった。
シューロの今まで生きた中で、出会ったこともないような忌諱する見た目のものや、口に入れたら自分の中で何かが終わってしまうような、そんな普通なら避けて通りたい生き物まで、羅頭蛇はことごとくシューロの元へと運んできた。
てっきり餌付けなのかと思い問いただしてみたところ、餌付けをするのならこんな気持ちの悪いものを選んで持ってこない。と淡々とした口調で言われたものだから、そこで初めてシューロは羅頭蛇に揶揄われていると理解したのだ。
「私は何も嘘はついていないさ。現に傷口は良くなっただろう。」
「それでも、自分でも食べたことのないものばかり、ボクに食べさせるのは違うと思う。」
羅頭蛇の心地の良い声が、水を通してシューロの頭の中に響いてくる。こぽりと泡が浮かんできたから、きっと今は笑っているのだ。
シューロは、羅頭蛇の甲斐甲斐しい世話、というか、もはや面白半分と言っても過言ではないが、ともかく足は回復した。普通なら、これでおしまい。そう思っていたのに、今も二人は一緒にいる。
「羅頭蛇は優しいけど、でも愚かだ。」
「随分なことを言う。私の給餌をそこまで根に持っているだなんて。」
「違うよ、もう。」
シューロはその金色の瞳に分かりやすく不服の色を宿すと、羅頭蛇の大きな体の側面に触れた。最初はこの掌も、羅頭蛇には熱すぎて驚かれたのだ。ずっと深い海の底で気ままに暮らしていたから、こちら側の海の者たちの温度は体に馴染まないと言っていた。それも、数日のことであったが。
羅頭蛇の大きな鱗を撫でるように触れていたシューロの手が、一箇所で止まる。その部分は、鱗に皹が入ったかのように傷がついており、そこから少しだけ羅頭蛇の肉の色が見えていた。
今は、その傷口の部分を薄い皮膜が覆い、目立たなくなっている。
「……痛い?」
「君が傷口を突くなら、きっと痛いだろうね。」
「突かないよ、……」
さり、と優しく傷ついた鱗を撫でる。この傷は、シューロの掌程の大きさだった。羅頭蛇は大したことはないと言っていたが、大したことだったから、今こうして動かずに大人しくしているのだ。
ムンクス・デビルの毒の一撃を、羅頭蛇は喰らっていた。
シューロは、毒が効かない体質である。だからこうして足の傷が治れば元通りだったのだが、羅頭蛇は違う。
大きな体だ、致死量ではなくても毒は毒である。シューロが元気になり始めると、羅頭蛇はその逆に向かうように、少しずつ動きが鈍くなっていったのだ。
「毒が効かないのは、君のせいじゃないだろう。それは神からの贈り物だ、誇っていい。」
「でも、羅頭蛇は、」
「私が君よりも小さかったら、存分に心配してくれて構わない。」
そんなことを言って、シューロに責任を感じさせないようにする。
羅頭蛇は優しい。優しいけど、シューロにはその優しさが痛かった。己の忌々しい能力を、神からの贈り物だなんて思ったことはない。シューロはそれで仲間の命を奪ったのだから。
黙りこくるシューロの浮かない表情を、羅頭蛇は見つめていた。どうやら他人には言いづらい古傷を、シューロが抱えていることを覚ったようだった。
「……傷は重いよね、だって、羅頭蛇はこんなに大きいのに、動けないんだから。」
「気を負うことはない。まあ、その様子だと難しいか。」
俯いているシューロに、羅頭蛇が溜め息をつく気配がする。しばらく逡巡をすると、口をパカりと開いた。
シューロがその様子にキョトンとすると、羅頭蛇は再び口を閉じる。
一体何がしたかったのだろうと、様子を窺うシューロを見つめて、羅頭蛇は少しだけ気恥ずかしそうな声色で宣った。
「慰めに、君の名前を呼んでやろうと思ったんだが、しまった。聞くのを忘れていた。」
「え、名前、聞いてくれるの。」
「だって、君ははぐれものなのだろう。ネレイスは群れで行動するし。だとしたら、君は久しく名前を呼ばれてはいないだろう。」
「……うん、」
私は君の頭を撫でてやることもできないからな。そう言って笑うように、こぽりと泡を零す羅頭蛇に、シューロも小さく笑う。
「シューロだよ、羅頭蛇。」
「シューロか。百年前の私なら、きっと発音できなかっただろう。この時分に出会えたことは君にとっての僥倖だな。」
「うん、そうかも。」
シューロはそっと羅頭蛇の鼻先に触れると、唇を噤んだ。シューロの心のわずかな揺らぎのようなものを感じ取った羅頭蛇が、その表情の変化を黙って見つめる。
シューロは、少しだけ緊張をしているようだった。掌をそっと広げ、そしてまたゆっくりと握りしめる。
まるで、何かを言いあぐねているような、そんな具合だ。きっと、今シューロは己のことを話そうとしているのだろう。羅頭蛇はその掌にそっと鼻先を寄せると、ゴポリとひとつ泡を立てた。
「シューロ。何か私に滋養のあるものを持ってきてくれないか。」
「あ、うん。」
「生憎話はできるけれど、体は動かないんでね。そうだな、何か歯ごたえがあるものがいいかな。」
「この間持ってきた、シャコ貝みたいなの?」
「それよりも柔らかくて構わない。この間のは美味かったけど、貝殻は食べれないからな。」
「ああ、確かに殻は残してたもんね。」
シューロが小さく頷くと、羅頭蛇はその瞳に呆れの色を宿す。
「流石に殻までは食べないよ。飲み込めても消化できないだろうしね。」
「次は、ボクが中身を剥いてあげるよ。すぐ戻ってくるから、時間をちょうだい。」
「ああ、今の私にはシューロが必要だ。」
緩く微笑んだシューロに、羅頭蛇も少しだけ笑っているような、そんな声色で返す。
シューロは、じんわりと頬を染めた。羅頭蛇の言葉が、シューロの心の水面に波紋を広げる。
たとえこの状況が己のせいだったとしても、初めて存在を必要だと言ってもらえた、その言葉が嬉しかったのだ。
だから、羅頭蛇が完全に回復するまでは、恩返しをしよう。シューロはそんな思いのもと、羅頭蛇よりも小回りの効く体を活かして、たくさんの滋養のあるものをとってくるのだ。
羅頭蛇は優しい。その優しさを当たり前と思ってしまったら、きっとまた離れた時に寂しくなる。そんなこと、頭ではわかっているつもりなのに、気持ちが追いつかない。
日にちを重ねるごとに、一人になるのが怖いと思ってしまうのだ。また一人でこの海を彷徨う日々に戻るのが嫌だった。
「名前、聞いてくれたな……」
いっそ、何も聞かないでいてくれた方が割り切れたかもしれない。
寝床を離れて少し経つ。岩の隙間に挟まっている大きな貝を持ち上げると、それを抱きしめた。こうして、羅頭蛇が食べるのに手間がかかりそうなものばかりを選んでしまうのは、ずるいだろうか。
貝殻の隙間からはみ出た身の一部を小さく千切ると、それをイソギンチャクの上に乗せる。口盤がうねりと動いて、中心部の口がグパリと開いた。
ちぎった貝の身が飲み込まれていくと、シューロは注意深くその様子を見つめる。異変は特にないことから、この貝は毒がないらしい。シューロは、こうして慎重に食べられるのかどうかを確認しながら、羅頭蛇の食べ物を選んでいた。
「あとは、あ。」
シューロの視線は、岩場のわずかな隙間で蠢く生き物を捉える。以前群れにいた頃に栄養があると教えられたことのあるそれは、確か魔力の回復にも適していた。
大きさは、今抱いているシャコ貝よりもありそうだ。シューロは一度貝を岩場に置くと、その細い体で器用に隙間を抜けて黒髪を広げる。
水を裂くかのようなスピードで、帯状にした黒髪が獲物を捕らえた。生きたまま食べればその効果は十分に得られる。滅多にお目にかかれないのは、岩に擬態しているからなのだろう。
シューロが見つけたそれは、脱皮したての色味の違う体のままだったので、運よく見つけることができた。
嬉しそうに口元を緩ませると、黒髪にそれを巻きつけたまま、再びシャコ貝を両手で抱き抱えて、もと来た道を戻る。
羅頭蛇の怪我が、これで少しは良くなるかもしれない。そんなはやる気持ちを抑えきれないように、泳ぐスピードを早めた。
「羅頭蛇!」
「ああ、随分と早かった……な。」
ここ数日で聞き慣れたシューロの声が降ってくる。どうやら随分と高い岩場の辺りまで泳いで行っていたらしい。羅頭蛇は上から降りてくるシューロに気がつくと、その姿を視界に収めて言葉を詰まらせた。
「聞いて、タディグレイドを見つけたんだ。これに毒はないから安心して!」
「……タディ、なんだその生き物は。」
「群れにいた頃は万能薬扱いされていた小型の魔物だよ。体内に孕んでいる魔力は無属性だから、きっと羅頭蛇の体にも馴染むと思う。」
シューロが降り立つと、ふわりと海底の砂が舞う。羅頭蛇の前に大きなシャコ貝を置くと、髪に絡めていたタディグレイドという灰色の脂肪の塊に、ワームの口をつけたような八足の醜悪な魔物を腕に抱きかかえる。
羅頭蛇が見つけてきたペニスフィッシュよりも数倍気味の悪いそれは、緩慢な動きで八足をバラバラに動かしている。
「私が持ってきたペニスフィッシュよりもグロテスクじゃないか。」
「そうかな、丸っこくてシーブロブみたいでかわいいけど。」
「そうか、少し価値観が違うかもしれないな……。」
羅頭蛇の声色が慎重なものになる。シューロがタディグレイドを平気で抱き抱えている姿を見て、これが平気ならなんでペニスフィッシュがダメなんだと、純粋な疑問が生まれた。
足元に置かれたシャコ貝だけでも充分だと伝えるべきか。タディグレイドの円形の口の形をなぞるかのように、生え揃った細かなギザ歯が収縮する様子を見て、少しだけゾッとした。
「羅頭蛇、口を開けて。淡白だけど、中はとろみがあって美味しいと思う。可愛いから少しだけ可哀想な気もするけど、」
「……かわいいなら生かしておけばいい。私はほら、シューロが剥いてくれるシャコ貝だけでも充分だからね。」
「……その鱗の傷はボクの責任だから、羅頭蛇がしてくれたことを、ボクも返したい。それに、本当によく効くんだ。」
「……ああ、そうか。」
シューロの真剣な眼差しには、己のような揶揄いは、一切含まれてはいなかった。真面目なシューロは、本当に純粋な善意だけを向けている。
しばらく黙りこくった羅頭蛇も、これ以上は断り辛い。己が揶揄い半分で看病をしたとはいえ、まさか自分の身にもそれが返ってくるとは思わなかった。
シューロの甲斐甲斐しさはここ数日で理解していたので、おそらく腕に抱いている醜悪なタディグレイドなる魔物も、悪気はないのだろう。
コバンザメくらいの大きさのそれは、なおも腕の中で緩慢に動き続けている。
羅頭蛇はいいあぐねるかのように、ゆっくりと口を開ける。シューロに対して、そのタディグレイドは食べれないと恥を捨てて伝えようと思ったのだ。しかし、シューロは口を開けた羅頭蛇を見ると、目元を嬉しそうに緩め、その口の隙間からタディグレイドをずぼりと突っ込んだのだ。
「う。」
羅頭蛇は、自分がこんなに渋い声が出せるだなんて思わなかった。そして、羅頭蛇は口の中にタディグレイドを突っ込まれる経験をしたことで、もう二度と毒なんぞ食らってたまるかと、今までの己の戦い方を振り返るきっかけにはなった。
己のしたことは、自然と返ってくる。ここまで身に沁みて感じることができたのは、ひとえに純粋な善意で羅頭蛇に寄り添ったシューロのおかげに他ならない。
シューロの今まで生きた中で、出会ったこともないような忌諱する見た目のものや、口に入れたら自分の中で何かが終わってしまうような、そんな普通なら避けて通りたい生き物まで、羅頭蛇はことごとくシューロの元へと運んできた。
てっきり餌付けなのかと思い問いただしてみたところ、餌付けをするのならこんな気持ちの悪いものを選んで持ってこない。と淡々とした口調で言われたものだから、そこで初めてシューロは羅頭蛇に揶揄われていると理解したのだ。
「私は何も嘘はついていないさ。現に傷口は良くなっただろう。」
「それでも、自分でも食べたことのないものばかり、ボクに食べさせるのは違うと思う。」
羅頭蛇の心地の良い声が、水を通してシューロの頭の中に響いてくる。こぽりと泡が浮かんできたから、きっと今は笑っているのだ。
シューロは、羅頭蛇の甲斐甲斐しい世話、というか、もはや面白半分と言っても過言ではないが、ともかく足は回復した。普通なら、これでおしまい。そう思っていたのに、今も二人は一緒にいる。
「羅頭蛇は優しいけど、でも愚かだ。」
「随分なことを言う。私の給餌をそこまで根に持っているだなんて。」
「違うよ、もう。」
シューロはその金色の瞳に分かりやすく不服の色を宿すと、羅頭蛇の大きな体の側面に触れた。最初はこの掌も、羅頭蛇には熱すぎて驚かれたのだ。ずっと深い海の底で気ままに暮らしていたから、こちら側の海の者たちの温度は体に馴染まないと言っていた。それも、数日のことであったが。
羅頭蛇の大きな鱗を撫でるように触れていたシューロの手が、一箇所で止まる。その部分は、鱗に皹が入ったかのように傷がついており、そこから少しだけ羅頭蛇の肉の色が見えていた。
今は、その傷口の部分を薄い皮膜が覆い、目立たなくなっている。
「……痛い?」
「君が傷口を突くなら、きっと痛いだろうね。」
「突かないよ、……」
さり、と優しく傷ついた鱗を撫でる。この傷は、シューロの掌程の大きさだった。羅頭蛇は大したことはないと言っていたが、大したことだったから、今こうして動かずに大人しくしているのだ。
ムンクス・デビルの毒の一撃を、羅頭蛇は喰らっていた。
シューロは、毒が効かない体質である。だからこうして足の傷が治れば元通りだったのだが、羅頭蛇は違う。
大きな体だ、致死量ではなくても毒は毒である。シューロが元気になり始めると、羅頭蛇はその逆に向かうように、少しずつ動きが鈍くなっていったのだ。
「毒が効かないのは、君のせいじゃないだろう。それは神からの贈り物だ、誇っていい。」
「でも、羅頭蛇は、」
「私が君よりも小さかったら、存分に心配してくれて構わない。」
そんなことを言って、シューロに責任を感じさせないようにする。
羅頭蛇は優しい。優しいけど、シューロにはその優しさが痛かった。己の忌々しい能力を、神からの贈り物だなんて思ったことはない。シューロはそれで仲間の命を奪ったのだから。
黙りこくるシューロの浮かない表情を、羅頭蛇は見つめていた。どうやら他人には言いづらい古傷を、シューロが抱えていることを覚ったようだった。
「……傷は重いよね、だって、羅頭蛇はこんなに大きいのに、動けないんだから。」
「気を負うことはない。まあ、その様子だと難しいか。」
俯いているシューロに、羅頭蛇が溜め息をつく気配がする。しばらく逡巡をすると、口をパカりと開いた。
シューロがその様子にキョトンとすると、羅頭蛇は再び口を閉じる。
一体何がしたかったのだろうと、様子を窺うシューロを見つめて、羅頭蛇は少しだけ気恥ずかしそうな声色で宣った。
「慰めに、君の名前を呼んでやろうと思ったんだが、しまった。聞くのを忘れていた。」
「え、名前、聞いてくれるの。」
「だって、君ははぐれものなのだろう。ネレイスは群れで行動するし。だとしたら、君は久しく名前を呼ばれてはいないだろう。」
「……うん、」
私は君の頭を撫でてやることもできないからな。そう言って笑うように、こぽりと泡を零す羅頭蛇に、シューロも小さく笑う。
「シューロだよ、羅頭蛇。」
「シューロか。百年前の私なら、きっと発音できなかっただろう。この時分に出会えたことは君にとっての僥倖だな。」
「うん、そうかも。」
シューロはそっと羅頭蛇の鼻先に触れると、唇を噤んだ。シューロの心のわずかな揺らぎのようなものを感じ取った羅頭蛇が、その表情の変化を黙って見つめる。
シューロは、少しだけ緊張をしているようだった。掌をそっと広げ、そしてまたゆっくりと握りしめる。
まるで、何かを言いあぐねているような、そんな具合だ。きっと、今シューロは己のことを話そうとしているのだろう。羅頭蛇はその掌にそっと鼻先を寄せると、ゴポリとひとつ泡を立てた。
「シューロ。何か私に滋養のあるものを持ってきてくれないか。」
「あ、うん。」
「生憎話はできるけれど、体は動かないんでね。そうだな、何か歯ごたえがあるものがいいかな。」
「この間持ってきた、シャコ貝みたいなの?」
「それよりも柔らかくて構わない。この間のは美味かったけど、貝殻は食べれないからな。」
「ああ、確かに殻は残してたもんね。」
シューロが小さく頷くと、羅頭蛇はその瞳に呆れの色を宿す。
「流石に殻までは食べないよ。飲み込めても消化できないだろうしね。」
「次は、ボクが中身を剥いてあげるよ。すぐ戻ってくるから、時間をちょうだい。」
「ああ、今の私にはシューロが必要だ。」
緩く微笑んだシューロに、羅頭蛇も少しだけ笑っているような、そんな声色で返す。
シューロは、じんわりと頬を染めた。羅頭蛇の言葉が、シューロの心の水面に波紋を広げる。
たとえこの状況が己のせいだったとしても、初めて存在を必要だと言ってもらえた、その言葉が嬉しかったのだ。
だから、羅頭蛇が完全に回復するまでは、恩返しをしよう。シューロはそんな思いのもと、羅頭蛇よりも小回りの効く体を活かして、たくさんの滋養のあるものをとってくるのだ。
羅頭蛇は優しい。その優しさを当たり前と思ってしまったら、きっとまた離れた時に寂しくなる。そんなこと、頭ではわかっているつもりなのに、気持ちが追いつかない。
日にちを重ねるごとに、一人になるのが怖いと思ってしまうのだ。また一人でこの海を彷徨う日々に戻るのが嫌だった。
「名前、聞いてくれたな……」
いっそ、何も聞かないでいてくれた方が割り切れたかもしれない。
寝床を離れて少し経つ。岩の隙間に挟まっている大きな貝を持ち上げると、それを抱きしめた。こうして、羅頭蛇が食べるのに手間がかかりそうなものばかりを選んでしまうのは、ずるいだろうか。
貝殻の隙間からはみ出た身の一部を小さく千切ると、それをイソギンチャクの上に乗せる。口盤がうねりと動いて、中心部の口がグパリと開いた。
ちぎった貝の身が飲み込まれていくと、シューロは注意深くその様子を見つめる。異変は特にないことから、この貝は毒がないらしい。シューロは、こうして慎重に食べられるのかどうかを確認しながら、羅頭蛇の食べ物を選んでいた。
「あとは、あ。」
シューロの視線は、岩場のわずかな隙間で蠢く生き物を捉える。以前群れにいた頃に栄養があると教えられたことのあるそれは、確か魔力の回復にも適していた。
大きさは、今抱いているシャコ貝よりもありそうだ。シューロは一度貝を岩場に置くと、その細い体で器用に隙間を抜けて黒髪を広げる。
水を裂くかのようなスピードで、帯状にした黒髪が獲物を捕らえた。生きたまま食べればその効果は十分に得られる。滅多にお目にかかれないのは、岩に擬態しているからなのだろう。
シューロが見つけたそれは、脱皮したての色味の違う体のままだったので、運よく見つけることができた。
嬉しそうに口元を緩ませると、黒髪にそれを巻きつけたまま、再びシャコ貝を両手で抱き抱えて、もと来た道を戻る。
羅頭蛇の怪我が、これで少しは良くなるかもしれない。そんなはやる気持ちを抑えきれないように、泳ぐスピードを早めた。
「羅頭蛇!」
「ああ、随分と早かった……な。」
ここ数日で聞き慣れたシューロの声が降ってくる。どうやら随分と高い岩場の辺りまで泳いで行っていたらしい。羅頭蛇は上から降りてくるシューロに気がつくと、その姿を視界に収めて言葉を詰まらせた。
「聞いて、タディグレイドを見つけたんだ。これに毒はないから安心して!」
「……タディ、なんだその生き物は。」
「群れにいた頃は万能薬扱いされていた小型の魔物だよ。体内に孕んでいる魔力は無属性だから、きっと羅頭蛇の体にも馴染むと思う。」
シューロが降り立つと、ふわりと海底の砂が舞う。羅頭蛇の前に大きなシャコ貝を置くと、髪に絡めていたタディグレイドという灰色の脂肪の塊に、ワームの口をつけたような八足の醜悪な魔物を腕に抱きかかえる。
羅頭蛇が見つけてきたペニスフィッシュよりも数倍気味の悪いそれは、緩慢な動きで八足をバラバラに動かしている。
「私が持ってきたペニスフィッシュよりもグロテスクじゃないか。」
「そうかな、丸っこくてシーブロブみたいでかわいいけど。」
「そうか、少し価値観が違うかもしれないな……。」
羅頭蛇の声色が慎重なものになる。シューロがタディグレイドを平気で抱き抱えている姿を見て、これが平気ならなんでペニスフィッシュがダメなんだと、純粋な疑問が生まれた。
足元に置かれたシャコ貝だけでも充分だと伝えるべきか。タディグレイドの円形の口の形をなぞるかのように、生え揃った細かなギザ歯が収縮する様子を見て、少しだけゾッとした。
「羅頭蛇、口を開けて。淡白だけど、中はとろみがあって美味しいと思う。可愛いから少しだけ可哀想な気もするけど、」
「……かわいいなら生かしておけばいい。私はほら、シューロが剥いてくれるシャコ貝だけでも充分だからね。」
「……その鱗の傷はボクの責任だから、羅頭蛇がしてくれたことを、ボクも返したい。それに、本当によく効くんだ。」
「……ああ、そうか。」
シューロの真剣な眼差しには、己のような揶揄いは、一切含まれてはいなかった。真面目なシューロは、本当に純粋な善意だけを向けている。
しばらく黙りこくった羅頭蛇も、これ以上は断り辛い。己が揶揄い半分で看病をしたとはいえ、まさか自分の身にもそれが返ってくるとは思わなかった。
シューロの甲斐甲斐しさはここ数日で理解していたので、おそらく腕に抱いている醜悪なタディグレイドなる魔物も、悪気はないのだろう。
コバンザメくらいの大きさのそれは、なおも腕の中で緩慢に動き続けている。
羅頭蛇はいいあぐねるかのように、ゆっくりと口を開ける。シューロに対して、そのタディグレイドは食べれないと恥を捨てて伝えようと思ったのだ。しかし、シューロは口を開けた羅頭蛇を見ると、目元を嬉しそうに緩め、その口の隙間からタディグレイドをずぼりと突っ込んだのだ。
「う。」
羅頭蛇は、自分がこんなに渋い声が出せるだなんて思わなかった。そして、羅頭蛇は口の中にタディグレイドを突っ込まれる経験をしたことで、もう二度と毒なんぞ食らってたまるかと、今までの己の戦い方を振り返るきっかけにはなった。
己のしたことは、自然と返ってくる。ここまで身に沁みて感じることができたのは、ひとえに純粋な善意で羅頭蛇に寄り添ったシューロのおかげに他ならない。
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