名無しの龍は愛されたい。−鱗の記憶が眠る海−

だいきち

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羅頭蛇

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 てっきり、食われるのかと思った。そう言ったシューロに対して、羅頭蛇はあっけらかんと言ってのけた。曰く、自分は美食家なのだと。
 食われなくてよかったが、その羅頭蛇の言葉に対する返事を、シューロは持っていなかった。困ったように口を噤むシューロを見て、羅頭蛇は数秒黙りこくった後、冗談だよ。と淡々と返した。
 シューロは困惑した。全然冗談に聞こえるような声色ではなかったし、冗談で無かったとしたら、やはり己は羅頭蛇にとっての捕食対象なのかと、怯えと緊張感がその身の内を支配した。
 口を真一文字に引き結んで、身構えたまま動かなくなったシューロを見て、羅頭蛇は呆れた。そして、呆れはしたが、しじみひとつ分くらいの申し訳なさも感じた。

「……本当に、そういうんじゃあない。難しいな、私は君を揶揄ったんだけど、ネレイスは冗談が通じないのか。」
「ご、ごめん、」
「構わない、ああ、私も大概不器用だからなあ。そんなことよりも、足をどうにかしたほうがいい。」
「あ、」

 羅頭蛇の言葉に、シューロは己の足を見た。貫通してしまった足は、随分と酷い見た目だ。
 普通だったら、治癒術で治すだろう。でも、シューロはそんなものを教えてもらったことはない。目の前の羅頭蛇は静かにこちらを見つめている。きっとシューロが治すのを待っているのだろう。
 疑いもない眼差しが居た堪れなくて、シューロは少しだけ後ずさった。

「治さないのか。」
「治さないんじゃなくて、治せないんだ。」
「なぜ。」
「……ち、治癒術、は、知らないんだ……」

 シューロの言葉に、羅頭蛇はその大きな口をわずかに開いた。多分、呆れているのだろう。シューロは馬鹿にされるのが嫌で、俯いた。
 どんな言葉が降ってくるのかはわからないけれど、きっと良くないものであろう想像は実に容易い。

「……大変だ。私も治癒は使えないんだ。」
「え、あ、」
「というか、君は不思議なやつだな。色味もそうだが、なんというか肝が据わっている。」
「どういう意味?」
「助けたからと言って、私を前に逃げ出さない奴は初めて見た。」

 羅頭蛇の言葉に、今度はシューロが首を傾げる番だった。目の前の魔物は確かに怖いが、命の恩人であることには違いない。お礼を言わずに逃げ出すなんてことはしたくないし、そもそも一度食われかけた身としては、もう何が怖いかだの、そういった線引きが曖昧になっている。
 シューロはよろついた体を支えてくれる羅頭蛇の長い尾に、髪の一部を寄り添わせた。直に体が触れないように、配慮したのだ。

「きちんと話したの、久しぶりだから名残惜しいのかもしれない。だから、その、……怖くはない。」
「そうか。君は変わっている。」
「それは、羅頭蛇もだと思うけど……」

 もしかしたら、この大きな魔物はマイペースなのかもしれない。シューロが構えるような言葉を投げかけてくるでもなく、ただ己の興味が満たされるのを優先している。
 シューロは体を支えてくれていた羅頭蛇の尾から身を離すと、ゆっくりと辺りを見回した。

「治癒は使えないから、自然に任せる他はない。」
「つまり、どういうことだ。」
「傷口に効く海藻とか、後は食べれそうなものでも食べて休むよ。魔力回復さえすれば、自然と良くなっていくだろうし。」
「君はその足で狩にでも出るつもりか。」
「うん、この状況を乗り越えられたら、今後大きな怪我をしても生活できるって思うことにする。」

 羅頭蛇が、今度は分かりやすく呆れたような雰囲気を出した。こんな短いひと時で、シューロは彼にさまざまな感情があるのだということを知った。虚ろな瞳は光を宿してはいないし、威圧感がダダ漏れてはいるが性格は好ましい。
 シューロは名残惜しそうに羅頭蛇を見ると、その鼻先にそっと触れた。

「助けてくれてありがとう。優しくされたのが久しぶりで、ちょっとだけ離れ難い。……だから、本当に申し訳ないけれど、羅頭蛇から去ってくれないか。」
「……そうか。君はどうする。」
「ボクは、そうだな。傷が癒えるまではここを棲家にしようと思う。この隙間に藻がたくさん生えてるんだ。それで腹は満たされるし、元気になったら、その後のことはまた考える。」
「そうか。」

 羅頭蛇は短く言葉を区切ると、シューロの側から尾を離した。大きな体が、シューロにぶつからないようにゆっくりと旋回する。時間をかけてシューロから背を向けると、羅頭蛇は何も言わずに泳いで去っていってしまった。
 シューロは、大きな体が見えなくなるまで見送った後、海底の砂を引きずるようにして岩場の隙間に潜り込んだ。
 ムンクス・デビルたちはもういない。今度こそ空っぽの寝床である。岩場の壁に生えている藻は無味ではあるが、食べることで魔力枯渇はマシになるだろう。シューロはよろよろと横たわると、ムンクス・デビルが開けた大穴を見上げた。
 ここから、少しだけ光が漏れている。朝になればきっと、陽の光で煌めく水が見えることだろう。

「つかれたな、」

 小さく呟いて、己の唇にそっと触れた。こんなに沢山話したのが久しぶりすぎて、少しだけ声が枯れている。羅頭蛇とのわずかな会話は、相手が敵意無しで接してくれるとわかってからは、また違った意味の緊張で声が震えてしまった。
 羅頭蛇は、最後までシューロの名前を聞くことはなかった。期待していた訳じゃないけれど、それでも少しだけ寂しく感じた己がいる。
 立派な体だった。彼は、一体どうやってムンクス・デビルたちを倒したのだろう。少しだけ見たかったと思ったが、もし見れたとしたらシューロは今ここにはいない。
 そんなことを思って、やっぱり、話せただけでもよかったと思い直すことにした。今日のことは忘れられそうにない。この広い海で、また会うことはあるのだろうか。
 羅頭蛇は、シューロを見てネレイスだとわかってくれた。色味は違うとは言われたが、それ以上は詰められることもなく、本当に久しぶりのたわいもない会話をすることができた。
 指先に触れた藻をちぎって、ゆるゆると口に運ぶ。こんな微々たるものじゃ全然足りないけれど、それでも今はこれでいい。
 シューロは疲弊していた。体が休息を欲していたのだ。足が痛くて体を丸めることはできないけれど、自分を守るように抱き締めると、ゆっくりと瞼を閉じた。

 それから、体感時間にしてはほんの数十分ほど経った頃だった。ふわりとした何かが己の手に当たった気がして、シューロは小さく反応した。

「……何、」

 ゆるゆると瞼を開ける。心なしか、先程よりも辺りが暗い気がした。微睡でぼやける視界に移ったのは、見覚えのない海藻であった。
 シューロは数度瞬きをしてそれを見つめると、緩慢な動作で起き上がる。一体なんでこんなものがあるのだろうと辺りを見回したが、己が寝ている周辺に目立った変化はない。
 もしかして、潮の流れに乗って、ここまできたのだろうか。そんなことを思って、心当たりのある頭上の大穴をゆっくりと見上げた時、シューロは小さく息を呑んだ。

「起こしたか。」
「っ……っ、……!」
「なんだ、声が小さくて聞き取れない。」

 悲鳴を上げるかと思った。

 シューロの頭上に空いている大穴から、真っ黒な目玉がぐるりと回るのが見えた。どうやら先程の羅頭蛇が、こちらの様子を窺うように覗き込んでいたらしい。彼の声がしなければ、自分は真っ先に死を覚悟したことだろう。
 絶句するシューロを前に、羅頭蛇はゆっくりと瞬きをする。まるで無言のシューロを不思議がるようなそぶりであった。

「それを傷口に巻くといい。少なくとも、その藻よりかは治癒の効果は高いだろう。」
「な、なんでここに、」
「なんで?ここはムンクス・デビルから奪った私のナワバリだからな。君が心配だから戻ってきたわけではないよ。」
「……そ、そう……なの……?」

 もしかしたら、気にかけてくれているのかもしれない。
 羅頭蛇の言葉と行動はあべこべだ。心配をしていないというのなら、こんな海藻なんて寄越さないだろう。依然、穴から覗き込むようにして見つめてくる。
 それを見上げ続けるシューロの首も痛くなってきた。

「ちょっと待って、今、そっちに行くから。」
「君はこんな狭いところで寝ていて、平気なのか。体を悪くしてしまうぞ。」

 羅頭蛇ならそうかもしれない。シューロは、のんびりとそんなことまで気にかける様子に少しだけ笑う。
 受け取った海藻を片手に、岩場づたいに開けたところまで出てきた。
 羅頭蛇はその巨躯からか、体を傾ける程度で距離を縮めた。ゆっくりと海底の砂の近くまで降りてくると、シューロの体を鼻先で優しく押して、突き出た岩場に腰掛けさせる。

「まずはそれを巻きなさい。話はそれからだ。」
「あ、うん。」

 促されるままに、シューロが海藻を足に巻く。深い黒緑色でしなやかな平たい葉をもつ海藻だ。群れにいた頃に、軽い怪我をしたネレイスが腕に巻いていたのを見たことがある。
 シューロは、それを見よう見真似で足に巻き付ける。止血の効果と、菌の繁殖を防ぐ粘液が滲むそれは、食べるととてつもなく不味い。これを食べろと言われなくて、シューロは少しだけホッとした。

「そこらを見回りしていたんだ。それで、これを見つけた。」
「……何、この肌色のブヨブヨ……」

 羅頭蛇が、口に咥えていた海藻を砂地に置いたかと思うと、その中からは三匹の肌色の細長い生き物が現れた。シューロは見慣れぬその生き物を前に、少しだけ物怖じした。
 羅頭蛇曰く、これはペニスフィッシュという生き物らしい。シューロの傷口には効果的な生き物らしく、確かに滋養はありそうな見た目だ。
 肌色の気味の悪い生き物が転がるようにこちらに近づいてくると、シューロはびくりと体を跳ねさせてしまった。

「食べなさい。効くから。」
「……食べ、食べる、の……これ、」
「効くから。」

 足元に、ウネウネと動くそれがいる。金色の瞳に焦りを滲ませたシューロは、半ば縋るような瞳で羅頭蛇を見上げた。
 虚ろな瞳はそのままに、すすめるように鼻先でペニスフィッシュをシューロの側まで転がしてくる。
 羅頭蛇でさえこれを試行錯誤して海藻に包み咥えて持ってきたのだ。その時点で推して知るべしではあるのだが、シューロはいかんせん他者の好意には飢えていた。

「……本、当に?」
「本当に。」

 ごくりとシューロの目立たない喉仏が上下した。羅頭蛇は黙ってその姿を見つめてはいたが、実のところ揶揄い混じりもあったのだ。
 実際は栄養価が高い。しかし、その見た目から忌諱するものがいるのも事実である。羅頭蛇は食べたことはなかった。こんな小さな生き物で己の体躯が賄えるわけがないと思っていたというのもあるが。
 シューロの白魚のような手が、震えながらペニスフィッシュをつつく。ぶにりとした感触はシューロの体に勢いよく嫌悪感を走らせる。しかし、羅頭蛇がシューロの為にわざわざ見つけてきてくれたのだと思うと、無下にもしづらい。
 最初は指一本で突き、それが二本に変わる。数度触れて、少しばかし慣れてきたところで、ようやく恐る恐るではあるが両手で持ち上げた。

「ど、どっちが、頭……」
「頭からいくつもりか。」
「……やっぱり、教えなくていい。」

 心なしか、羅頭蛇も息を殺すようにしてこちらを見つめている気がする。シューロは、なんでも一人でやってきた。だから、こうして自分のことを思ってくれての行動には弱かった。
 うにうにと動くそれを、口元まで近づける。海は広いとは言えど、こんなものがいるとは思わなかった。目が無い筈なのに、ペニスフィッシュと目が合っている気がする。
 じんわりと嫌悪感に身震いをすると、数度深呼吸をしたのち、シューロはぎゅっと目を瞑った。

「~~~~~~っ!!!!!」
「あ。」

 それからのことは、ご想像にお任せをしたいと思う。しかし、これがシューロと羅頭蛇との距離を縮めるきっかけになったのは、確かであった。


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