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思い出したくない過去
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番いの卵だという、美しい宝石のようなそれを抱き締めたシューロは、その金色の瞳でゆっくりとエルマー達を見上げると、声を震わせて言った。
「本当は、嫌だ。離したくない。」
「聞くが、お前の番いは沖の羅頭蛇と同じ種族ということか。」
「そう。」
「待て待て待て。それはどういうことだ。ネレイスは他種族、ましてやあんなでかいのと番っても、子を成せぬだろう。」
戸惑ったように、サジが口を挟む。エルマーとナナシのように、偶発的に孕むということもないだろう。静かにサジの言葉を聞いていたシューロは、そっと目を伏せた。
「羅頭蛇ってぇのは、あのでけえので百年は生きてるんだろう。だとしたら、お前の番いは随分なショタコンじゃねえか。」
「エルマー。お前がそれを言うのか。」
「うっ」
レイガンが静かにエルマーにツッコミを入れた。
エルマーがナナシに対して、幼い時からいやらしい悪戯をしていたと、レイガンはサジからしっかりと聞き及んでいた。
「しょ、蛸?」
「違う、年の離れた男子に愛情を示す、そう言った者をショタコンという。」
「そんな、蛸がいるのか。」
「そんな蛸はいない。」
シューロは苦笑いをするアロンダートに首を傾げたが、どうやら難しい話らしい。ナナシを見てもキョトンとしていたので、おそらくわかるものにしかわからないのだろうと、そう判断をした。
ナナシはというと、あまりよくない頭でうんうんと考えた。そして、シューロとその番いだった羅頭蛇が互いを思い合っていたのだと想像すると、それはなんだかエルマーと自分のようだなあと思った。
「おとなとこども、ラトとシューロのとし、いっぱいちがうけど、えるはすきすきってするの、いいねっていってるんだよう。」
「それだそれ。」
「ナナシ、あんまりエルマーに妙なフィルターをかけるんじゃない。」
レイガンがすかさずエルマーの後頭部を叩いた。ナナシはフィルターの意味を知らず、大きなお耳をへたらせながら首を傾げたが、それでも、隣のシューロの顔が少しだけ切なそうな表情になった事には気がついた。
「シューロ、おはなしするして、ナナシ、ラトとシューロ、おはなしききたい。」
ナナシの言葉に、シューロは一瞬だけ逡巡した後、ゆるゆると頷いた。
狭い小屋の中、二人が出会ったきっかけを遡るには、己の生い立ちから話さねばならないだろう。己の、他のネレイスとは違う部分を語ったら、また、昔のようにシューロの周りには誰もいなくなってしまうんじゃないか。
そんな一抹の不安は拭いきれはしなかったが、力を借りる為には、誠実にならねばいけない。
シューロはゆっくりと目を瞑った。過去の記憶を振り返ろうとする度に、手が震える。
大丈夫だからというように、隣にいたナナシがシューロのその手を握ってくれる。
耳の奥に、海の漣の音が聞こえた。深くまで入りこむ、深海の、暗い黒にも似た藍が辺りを包む。底から迎えにくるように、ごぼりと浮かび上がってきた泡がシューロの記憶をつれてくる。
ああ、ああ、そうだ。ボクは。
何かを呟いた筈なのに、シューロの声は口から出た泡に包まれて、記憶の海に溶けていった。
「どうして殺した……!!」
悲痛な声で叫んだ女のネレイスは、重力の利かぬ水中で尚、激しい怒りを表すかのように、見事な金色の髪を広げて慟哭した。
その黒い瞳に深い悲しみと怒りを宿し、真っ直ぐにシューロを視線で射抜く。その腕には、動かなくなった己の子である、ニライを抱きしめていた。
もうすぐだった。
間も無く大きく潮が変わる時期が来る。それを迎えれば、腕の中の子は分化できる筈であった。
ネレイスは、生まれたときに性別の縛りを持たない。最初は雌として分化をしても、いずれ群れの世代交代が行われれば、立派な雄になる筈であった。
心優しく、ネレイスとして立派な体躯に育ったニライは、皆と違う見た目から群れに遠巻きにされているシューロにも、分け隔てなく接してくれる数少ない存在だった。
きっと、ニライも父親のように次代のネレイスの群れの長になる筈だった。
しかし、もう優しく微笑みかけてくれることはない。
己に優しく接してくれたニライの、幼さの残るあどけない顔から表情を奪ったのは、紛れもなくシューロであった。
「こ、ころし、て、ない」
声が震えた。だって、シューロは本当に、殺すつもりなんて微塵もなかった。
ただ、周りのネレイスと同じことをした。生活をしただけだ。
シューロがいつも食していた、赤と黒の格子模様が美しい貝。見た目も、そして味も好みだった。だから、いつも優しくしてくれるニライにあげた。
もっと仲良くなりたくて、好意を示す為に、シューロは純粋な気持ちで、ありがとうを差し出したつもりだった。
そして、同じものを食べたニライだけが死んだのだ。
シューロは、まるで己の体の内側を巡る血液が、凍ってしまったのではないかと思った。
なんとか絞り出した言葉も、彼女を擁護する大人達の口さがない意見によって、否定をされる。
いつだって、狭い世界の中での異端は爪弾きにされる。シューロは、幾つもの大人の視線に一人で晒されていた。
「生まれた時に、殺しておけばよかったのよ。」
子の亡骸を抱く彼女の後ろで、女のネレイスが言った。
「害がないと放っておいたけど……、こんなことになるなんて。仲間を殺してしまうだなんて、やっぱり何か欠陥があるに違いないわ。」
シューロの目の前には、皆一様に同じ色を持つ大人達がいた。シューロがどれだけ願っても手に入れられない、群れの普通がそこにある。
己の体が強張る。緊張と、戸惑いと、悲しみと。そんな感情がないまぜになって、シューロの動きを鈍くさせる。シューロが認識するよりも早く、反応した体の防御行動。
己の黒髪が、周りの大人の剣呑な視線から身を守るかのように広がった。
その色は、ネレイスの特徴である、波打つ金髪などではない。
シューロの髪は、深淵にも似た黒さに緑の光沢が輪郭を作る。癖など一つもない、夜の色を宿す黒髪であった。瞳は金色で、これも生まれた時からであった。
シューロは、あべこべな色を持つ群れの異端だった。母親が卵ではなく、腹に宿したシューロを産んでくれたおかげで、群れの仲間としてかろうじて受け入れられていた。
これで、もし卵として孵っていたら、仲間と認められずに、早々に海の泡の一つになっていたに違いない。
ネレイスの群れは一雄多雌で構成されるが、シューロが生まれる前に父親は死んでいた。
まだ卵だったシューロは、普通なら群れの長である雄に守られて孵化する筈だった。しかし、新しく長になったばかりのシェスは、シューロの父親ではない。
母親は、まだ長に成り立てであったシェスに配慮をして、その腹の中でシューロのことを守り育てたのである。
そんな母親も、狩りで負った怪我が元で死んでいた。シューロが六歳の年頃で、すでに三年が経っていた。
だから、シューロは一人であった。今この場で、シューロを庇ってくれる大人は誰一人としていない。
唐突に、背後から水圧を感じた。
瞬きの間も与えられず、シューロの髪が水流の一つに巻き込まれるかのように引っ張られ、それと同時に体の自由を奪われた。
手慣れた素早い動作であった。シューロの薄い肩は無遠慮に鷲掴まれ、片腕を背中側に捻り上げられる。
こぽりと口から泡を吐き出したその時には、もうシューロの体は一際輝く金色の髪によって、全身を縛り上げられていた。
「静まれ。」
落ち着きを払った声だった。見なくてもわかる。シューロが命を奪ってしまった子供の父親、シューロの群れのリーダーであり、唯一の雄であるシェスだ。
「っ、……!」
身動きは取れなかった。長い髪を器用に操り、シェスが群れの仲間達を視線だけで黙らせる。
責め立てられていた先程は、聞きたくはないと願っていた口さがない言葉も、潮流の音が聞こえる程の静寂にその場の空気が変われば、今度は射抜くような冷徹な視線に晒されているのだと、強く感じる、
どちらにしろ、シューロにとっての耐え難い状況であるのは何も変わらないようだ。
どう、言葉を紡げばいいかわからない。シューロが戸惑いと怯えの色を表情に宿すのを見て、亡骸となったネレイスの母親であるタルカが叫んだ。
「そいつが、ニライを殺したのよ……!」
シェスは、ニライの亡骸を見ても冷静であった。
「タルカ。それはどういうことだ。」
群れのリーダーとしての威厳を保ち、動揺を見せない。感情的に振る舞い判断をしてしまえば、この海の中では群れを危険に晒すことになるからだ。
シェスが、子の亡骸を見つめる。細まった瞳、その目に映るニライの亡骸には、傷がひとつもなかった。
シェスが問いただすようにタルカに聞いた言葉の意味。それは、果たしてシューロが外傷を与えずに、ニライを殺すことができるのか。その答えを求めるものだった。
「毒よ。」
「毒?」
シェスの言葉の意味を、タルカは悲しみの最中でも、正しく受け取っていた。
忌まわしげにシューロを一瞥し、そう吐き捨てたタルカに対し、シェスは不可解なことを聞いた時のような面持ちを見せた。
ネレイスは、賢い生き物である。気高き海の使者とも呼ばれている彼らは、潮の流れを読み、硬度の誇る髪を自在に操る。そして、海洋に住まう者達の中では決して体の大きくない彼等が種として繁栄を誇るのは、その知識の深さによるものだ。
陸の賢者がエルフなら、海はネレイス。
そう呼ばれる、外敵から物理的に身を守ることにも長けた彼らの唯一の弱点。
それは、対処法のない毒によって、命を落とすことであった。
故に、シェスは群れの、特に未熟な子供達には、不用意に他の生き物に近づいたり、見慣れないものを口にするなということは須らく禁じていた。
「ニライは分別をわきまえぬ子供ではなかった筈だ。」
「そいつが持っていた貝よ!二人して同じものを食べていたのに、ニライだけが苦しみ出して、それで……っ」
タルカは、シェスに己が見た状況を説明した。途中途中で喉を詰まらせ、声を震わす。
苦しむ我が子の姿を思い出して、怒りよりも悲しみが勝った。その様子は、母親として当然の反応であった。
シューロは、押さえつけられたままそれを聞いていた。唇を真一文字に引き結び、先程まで怒り狂っていたタルカの泣き崩れる様子を前にしながら、息を詰まらせるようにして堪えていた。
ニライが死んで悲しいのは、シューロも同じだ。
ただ、この場で己が泣くことは許されないのだという、大人の無言の圧力がその小さな体に振り注ぐ。シューロは唇を噛みながら、必死で涙を堪えていた。
「シューロ。それは本当か。」
シェスの抑揚のない声が、まるで鋭利な槍のようにシューロの心に突き立てられる。
シューロは、震えそうになる声を堪え、必死で頭を振った。自分はニライを殺してなんかいない。その事実を、認めたくないと己の心が叫ぶのだ。ゴポリと吐き出した吐息が泡となって水に溶ける。それなのに、胸を締め付けられるような感覚からは逃げられず、シューロは唇を戦慄かせる。
「落ち着け。殺意を確かめたいわけじゃない。タルカの言葉に嘘偽りがないのかを、お前にも確認しているだけだ。」
矢面に立たされている、シューロの耳に入ってきたシェスの言葉は、少しだけシューロの顔を上げさせる。表情を悲しみと絶望の色に染めたまま、金色に輝く瞳でシェスを見上げた。
今、シェスに試されているのだ。きっと、シューロが少しでも言い淀むことは許されないだろう。シューロは、小さく息を詰まらせる。そんなシューロの決意の瞳を感じ取ったのか、シェスはニライが命を落としたであろう、食べかけの赤と黒の模様の貝の一つを、その髪で拾い上げた。
「はい、いいえのどちらかで答えろ。お前がこの貝を採ってきたのか。」
「はい、」
「お前が、先にこれを食べた。」
「はい、」
淡々としたシェスの口調を、追いかけるようにシューロが答える。シェスの慎重な眼差しが、原因を突き止めようとしている。起こるべくして起こったものなのか、長として見極めようとしているのだ。
しばらくして、シェスが質問を取りやめた。しばしの沈黙がその場を支配する。そして、近くにいたネレイスの一人に向けて、命令を放った。
「悪いが、一匹捕まえてこい。」
シェスの言葉に突き動かされたネレイスが、岩場の影にその身を潜りこませる。その様子を見ながら、シェスの意図を図るかのように戸惑った目でシューロが見つめる。
そんな震えるシューロの唇に、シェスは残っていた貝を押し当てた。
「食え。」
こくりとシューロの喉が鳴る。己にとっては気に入りのそれを口元に運ばれたというのに、二人を見るネレイス達は固唾を呑むようにして大人しくなった。
その静けさに、シューロは怯えた。まるで、これを口にしたら己の異端を認めるようで、只管に怖かった。
「本当は、嫌だ。離したくない。」
「聞くが、お前の番いは沖の羅頭蛇と同じ種族ということか。」
「そう。」
「待て待て待て。それはどういうことだ。ネレイスは他種族、ましてやあんなでかいのと番っても、子を成せぬだろう。」
戸惑ったように、サジが口を挟む。エルマーとナナシのように、偶発的に孕むということもないだろう。静かにサジの言葉を聞いていたシューロは、そっと目を伏せた。
「羅頭蛇ってぇのは、あのでけえので百年は生きてるんだろう。だとしたら、お前の番いは随分なショタコンじゃねえか。」
「エルマー。お前がそれを言うのか。」
「うっ」
レイガンが静かにエルマーにツッコミを入れた。
エルマーがナナシに対して、幼い時からいやらしい悪戯をしていたと、レイガンはサジからしっかりと聞き及んでいた。
「しょ、蛸?」
「違う、年の離れた男子に愛情を示す、そう言った者をショタコンという。」
「そんな、蛸がいるのか。」
「そんな蛸はいない。」
シューロは苦笑いをするアロンダートに首を傾げたが、どうやら難しい話らしい。ナナシを見てもキョトンとしていたので、おそらくわかるものにしかわからないのだろうと、そう判断をした。
ナナシはというと、あまりよくない頭でうんうんと考えた。そして、シューロとその番いだった羅頭蛇が互いを思い合っていたのだと想像すると、それはなんだかエルマーと自分のようだなあと思った。
「おとなとこども、ラトとシューロのとし、いっぱいちがうけど、えるはすきすきってするの、いいねっていってるんだよう。」
「それだそれ。」
「ナナシ、あんまりエルマーに妙なフィルターをかけるんじゃない。」
レイガンがすかさずエルマーの後頭部を叩いた。ナナシはフィルターの意味を知らず、大きなお耳をへたらせながら首を傾げたが、それでも、隣のシューロの顔が少しだけ切なそうな表情になった事には気がついた。
「シューロ、おはなしするして、ナナシ、ラトとシューロ、おはなしききたい。」
ナナシの言葉に、シューロは一瞬だけ逡巡した後、ゆるゆると頷いた。
狭い小屋の中、二人が出会ったきっかけを遡るには、己の生い立ちから話さねばならないだろう。己の、他のネレイスとは違う部分を語ったら、また、昔のようにシューロの周りには誰もいなくなってしまうんじゃないか。
そんな一抹の不安は拭いきれはしなかったが、力を借りる為には、誠実にならねばいけない。
シューロはゆっくりと目を瞑った。過去の記憶を振り返ろうとする度に、手が震える。
大丈夫だからというように、隣にいたナナシがシューロのその手を握ってくれる。
耳の奥に、海の漣の音が聞こえた。深くまで入りこむ、深海の、暗い黒にも似た藍が辺りを包む。底から迎えにくるように、ごぼりと浮かび上がってきた泡がシューロの記憶をつれてくる。
ああ、ああ、そうだ。ボクは。
何かを呟いた筈なのに、シューロの声は口から出た泡に包まれて、記憶の海に溶けていった。
「どうして殺した……!!」
悲痛な声で叫んだ女のネレイスは、重力の利かぬ水中で尚、激しい怒りを表すかのように、見事な金色の髪を広げて慟哭した。
その黒い瞳に深い悲しみと怒りを宿し、真っ直ぐにシューロを視線で射抜く。その腕には、動かなくなった己の子である、ニライを抱きしめていた。
もうすぐだった。
間も無く大きく潮が変わる時期が来る。それを迎えれば、腕の中の子は分化できる筈であった。
ネレイスは、生まれたときに性別の縛りを持たない。最初は雌として分化をしても、いずれ群れの世代交代が行われれば、立派な雄になる筈であった。
心優しく、ネレイスとして立派な体躯に育ったニライは、皆と違う見た目から群れに遠巻きにされているシューロにも、分け隔てなく接してくれる数少ない存在だった。
きっと、ニライも父親のように次代のネレイスの群れの長になる筈だった。
しかし、もう優しく微笑みかけてくれることはない。
己に優しく接してくれたニライの、幼さの残るあどけない顔から表情を奪ったのは、紛れもなくシューロであった。
「こ、ころし、て、ない」
声が震えた。だって、シューロは本当に、殺すつもりなんて微塵もなかった。
ただ、周りのネレイスと同じことをした。生活をしただけだ。
シューロがいつも食していた、赤と黒の格子模様が美しい貝。見た目も、そして味も好みだった。だから、いつも優しくしてくれるニライにあげた。
もっと仲良くなりたくて、好意を示す為に、シューロは純粋な気持ちで、ありがとうを差し出したつもりだった。
そして、同じものを食べたニライだけが死んだのだ。
シューロは、まるで己の体の内側を巡る血液が、凍ってしまったのではないかと思った。
なんとか絞り出した言葉も、彼女を擁護する大人達の口さがない意見によって、否定をされる。
いつだって、狭い世界の中での異端は爪弾きにされる。シューロは、幾つもの大人の視線に一人で晒されていた。
「生まれた時に、殺しておけばよかったのよ。」
子の亡骸を抱く彼女の後ろで、女のネレイスが言った。
「害がないと放っておいたけど……、こんなことになるなんて。仲間を殺してしまうだなんて、やっぱり何か欠陥があるに違いないわ。」
シューロの目の前には、皆一様に同じ色を持つ大人達がいた。シューロがどれだけ願っても手に入れられない、群れの普通がそこにある。
己の体が強張る。緊張と、戸惑いと、悲しみと。そんな感情がないまぜになって、シューロの動きを鈍くさせる。シューロが認識するよりも早く、反応した体の防御行動。
己の黒髪が、周りの大人の剣呑な視線から身を守るかのように広がった。
その色は、ネレイスの特徴である、波打つ金髪などではない。
シューロの髪は、深淵にも似た黒さに緑の光沢が輪郭を作る。癖など一つもない、夜の色を宿す黒髪であった。瞳は金色で、これも生まれた時からであった。
シューロは、あべこべな色を持つ群れの異端だった。母親が卵ではなく、腹に宿したシューロを産んでくれたおかげで、群れの仲間としてかろうじて受け入れられていた。
これで、もし卵として孵っていたら、仲間と認められずに、早々に海の泡の一つになっていたに違いない。
ネレイスの群れは一雄多雌で構成されるが、シューロが生まれる前に父親は死んでいた。
まだ卵だったシューロは、普通なら群れの長である雄に守られて孵化する筈だった。しかし、新しく長になったばかりのシェスは、シューロの父親ではない。
母親は、まだ長に成り立てであったシェスに配慮をして、その腹の中でシューロのことを守り育てたのである。
そんな母親も、狩りで負った怪我が元で死んでいた。シューロが六歳の年頃で、すでに三年が経っていた。
だから、シューロは一人であった。今この場で、シューロを庇ってくれる大人は誰一人としていない。
唐突に、背後から水圧を感じた。
瞬きの間も与えられず、シューロの髪が水流の一つに巻き込まれるかのように引っ張られ、それと同時に体の自由を奪われた。
手慣れた素早い動作であった。シューロの薄い肩は無遠慮に鷲掴まれ、片腕を背中側に捻り上げられる。
こぽりと口から泡を吐き出したその時には、もうシューロの体は一際輝く金色の髪によって、全身を縛り上げられていた。
「静まれ。」
落ち着きを払った声だった。見なくてもわかる。シューロが命を奪ってしまった子供の父親、シューロの群れのリーダーであり、唯一の雄であるシェスだ。
「っ、……!」
身動きは取れなかった。長い髪を器用に操り、シェスが群れの仲間達を視線だけで黙らせる。
責め立てられていた先程は、聞きたくはないと願っていた口さがない言葉も、潮流の音が聞こえる程の静寂にその場の空気が変われば、今度は射抜くような冷徹な視線に晒されているのだと、強く感じる、
どちらにしろ、シューロにとっての耐え難い状況であるのは何も変わらないようだ。
どう、言葉を紡げばいいかわからない。シューロが戸惑いと怯えの色を表情に宿すのを見て、亡骸となったネレイスの母親であるタルカが叫んだ。
「そいつが、ニライを殺したのよ……!」
シェスは、ニライの亡骸を見ても冷静であった。
「タルカ。それはどういうことだ。」
群れのリーダーとしての威厳を保ち、動揺を見せない。感情的に振る舞い判断をしてしまえば、この海の中では群れを危険に晒すことになるからだ。
シェスが、子の亡骸を見つめる。細まった瞳、その目に映るニライの亡骸には、傷がひとつもなかった。
シェスが問いただすようにタルカに聞いた言葉の意味。それは、果たしてシューロが外傷を与えずに、ニライを殺すことができるのか。その答えを求めるものだった。
「毒よ。」
「毒?」
シェスの言葉の意味を、タルカは悲しみの最中でも、正しく受け取っていた。
忌まわしげにシューロを一瞥し、そう吐き捨てたタルカに対し、シェスは不可解なことを聞いた時のような面持ちを見せた。
ネレイスは、賢い生き物である。気高き海の使者とも呼ばれている彼らは、潮の流れを読み、硬度の誇る髪を自在に操る。そして、海洋に住まう者達の中では決して体の大きくない彼等が種として繁栄を誇るのは、その知識の深さによるものだ。
陸の賢者がエルフなら、海はネレイス。
そう呼ばれる、外敵から物理的に身を守ることにも長けた彼らの唯一の弱点。
それは、対処法のない毒によって、命を落とすことであった。
故に、シェスは群れの、特に未熟な子供達には、不用意に他の生き物に近づいたり、見慣れないものを口にするなということは須らく禁じていた。
「ニライは分別をわきまえぬ子供ではなかった筈だ。」
「そいつが持っていた貝よ!二人して同じものを食べていたのに、ニライだけが苦しみ出して、それで……っ」
タルカは、シェスに己が見た状況を説明した。途中途中で喉を詰まらせ、声を震わす。
苦しむ我が子の姿を思い出して、怒りよりも悲しみが勝った。その様子は、母親として当然の反応であった。
シューロは、押さえつけられたままそれを聞いていた。唇を真一文字に引き結び、先程まで怒り狂っていたタルカの泣き崩れる様子を前にしながら、息を詰まらせるようにして堪えていた。
ニライが死んで悲しいのは、シューロも同じだ。
ただ、この場で己が泣くことは許されないのだという、大人の無言の圧力がその小さな体に振り注ぐ。シューロは唇を噛みながら、必死で涙を堪えていた。
「シューロ。それは本当か。」
シェスの抑揚のない声が、まるで鋭利な槍のようにシューロの心に突き立てられる。
シューロは、震えそうになる声を堪え、必死で頭を振った。自分はニライを殺してなんかいない。その事実を、認めたくないと己の心が叫ぶのだ。ゴポリと吐き出した吐息が泡となって水に溶ける。それなのに、胸を締め付けられるような感覚からは逃げられず、シューロは唇を戦慄かせる。
「落ち着け。殺意を確かめたいわけじゃない。タルカの言葉に嘘偽りがないのかを、お前にも確認しているだけだ。」
矢面に立たされている、シューロの耳に入ってきたシェスの言葉は、少しだけシューロの顔を上げさせる。表情を悲しみと絶望の色に染めたまま、金色に輝く瞳でシェスを見上げた。
今、シェスに試されているのだ。きっと、シューロが少しでも言い淀むことは許されないだろう。シューロは、小さく息を詰まらせる。そんなシューロの決意の瞳を感じ取ったのか、シェスはニライが命を落としたであろう、食べかけの赤と黒の模様の貝の一つを、その髪で拾い上げた。
「はい、いいえのどちらかで答えろ。お前がこの貝を採ってきたのか。」
「はい、」
「お前が、先にこれを食べた。」
「はい、」
淡々としたシェスの口調を、追いかけるようにシューロが答える。シェスの慎重な眼差しが、原因を突き止めようとしている。起こるべくして起こったものなのか、長として見極めようとしているのだ。
しばらくして、シェスが質問を取りやめた。しばしの沈黙がその場を支配する。そして、近くにいたネレイスの一人に向けて、命令を放った。
「悪いが、一匹捕まえてこい。」
シェスの言葉に突き動かされたネレイスが、岩場の影にその身を潜りこませる。その様子を見ながら、シェスの意図を図るかのように戸惑った目でシューロが見つめる。
そんな震えるシューロの唇に、シェスは残っていた貝を押し当てた。
「食え。」
こくりとシューロの喉が鳴る。己にとっては気に入りのそれを口元に運ばれたというのに、二人を見るネレイス達は固唾を呑むようにして大人しくなった。
その静けさに、シューロは怯えた。まるで、これを口にしたら己の異端を認めるようで、只管に怖かった。
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