名無しの龍は愛されたい。−鱗の記憶が眠る海−

だいきち

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シューロのきらい

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 知らない香りがする。体が重い。ボクの体はなんだか柔らかい何かの上に横たえられているようだった。
 ああ、眠るならラトの背中の上がいいな。そんなことを思って、あの冷たくてつるりとした感触はもう味わえないんだと思い出して、また涙が出てきた。
 
「……ないてるのう、」
 
 眠たそうな、それでいて間の抜けた声色で言葉を紡がれる。誰に言っているんだろう。薄ぼんやりとした思考のまま、聞き返そうと思ったけれど、体が休みを欲していた。ここは不思議だ、潮の匂いがしないし、何かに囲われているかのように静かだ。
 
「はわ……、」

 だから、なんだというのだ。声の主が気になって、徐々に微睡から覚醒をしていく。甘い香りがして、手にサラリとしたものが触れた。何の気なしにそれを握り返すと、また、ぁわ……と声がした。
 
「……、」
「おきる、する?」
「ーーーーーっ!!」
 
 パチリと目を開いた。なんだここ、見たこともない白い壁に、船のスクリュープロペラがくっついた訳のわからない空。見知らぬ景色に一気に血の気が引く。間抜けな声は隣からで、慌てて起きあがろうとしたボクと、覗き込んできたヤツの頭がごちんとぶつかり、目から火花が散った。
 
「ぎ、っ」
「ひゃいん……っ!!」
 
 目の奥がツンとして、頭を押さえてうずくまる。痛い!一体どんな石頭が先制攻撃を仕掛けてきたのだと思えば、そいつはぼすんとボクの膝に顔を埋め、イルカの鳴き声のようにキュウキュウと泣く。布越しでもわかる、そいつの体温の高さにギョッとした。
 
「お前、」
「ひ、ひぅ、……あー……っ!!」
「な、」
 
 一体、なんだというのだ!
 目の前の白いそいつは、額を抑えると泣き出した。ボクだって痛かったけど、泣く程ではなかった。それなのに、こいつは敵意はおろか、この状況に至った説明もなしに、情けなく顔を真っ赤にして、わんわんと泣くのだ。
 その頭についているとんがりはなんなのだ。訳がわからなくて身構えたまま呆然としていると、手に滑らかなものを感じて目を配る。
 ボクが握り締めている銀色の毛の束は、そいつの腰に繋がっていた。もしかしたら、これが陸の尾鰭なのかもしれない。感触が不思議で、何も言われないのをいいことに、緩く握り返した時だった。
 
「ナナシ!」
「っ、」
 
 けたたましい音と共に、目の前で木の板が弾け飛んだ。突然のことに、攻守一体の武器である髪を広げれば、カサゴのような髪色をしたあいつが、血相を変えてこちらに向かってくる。感じる、明確な敵意。最悪だ、きっとここはこいつのねぐらなのだろう。

「てめ、」
「ひん……っ、あたまごちん、したぁ、ぅあー……!」
「どわ、ちょっとまっ、」

 カサゴ頭は、肩を怒らせるようにこちらまで来た。それなのに、ボクの膝に突っ伏していたそいつが立ち上がって進行を阻んだのだ。全くもって理解しがたいが、仲間割れならありがたいと、へばりついていたもこつく布を引き剥がす。
 距離を取ろうと立ち上がったのに、まるで、大きな烏賊でも踏んだかのような見知らぬ感触のせいでバランスが崩れた。足場が不安定なそこから落ちると、木の板の上にどしゃりと転がる。

「てめ、助けてやったのに!」
「える、おこるする、やだぁー!」
「まて、わかった、わかったから!」

 こいつは何を言ったのだ。反対側にいるであろうカサゴ頭の言葉に、動きを止めた。助ける?助けるって、助けるという意味か?人とボクの世界の意味合いが同じだとは思わないが、ゆっくりと後ずさって壁に背をつける。
 眼の前の、ボクが寝ていた白い四角が襲いかかってくる気配は無い。挙げ句、一番敵意を感じるカサゴ頭が攻撃を放つ様子もみられない。それでも油断することはできなくて、じわじわと髪に魔力を広め、念の為にシールドを展開する。目線の先に、ぴょこりと大きなとんがりが見えたかと思うと、泣き止んだらしいそいつが、ぐすぐすと鼻を啜りながら顔を出した。

「お前……、」
「ごちん、いたいない?」
「……痛かった。」

 くすん、とまた鼻を鳴らす。白いそいつはぐしぐしと目元を擦ると、ふらふらと立ち上がる。カサゴ頭は渋い顔をしてこちらを睨みつけているが、先程のように攻撃をしてくる気配はない。
 ふるりと動いたそいつの尾鰭が気になって、つい目で追ってしまった。それがバレたらしい。そいつは自分の尾鰭を捕まえると、なぜだかボクに差し出してきたのだ。

「ナナシのしっぽ、すき?」
「……しっぽ?」
「しっぽ。」

 くてりと首を傾げる。白だと思っていたそいつの髪は銀色だったようで、光に反射したそれが太刀魚のように見えた。そいつは、よたよたと重そうな腹を抱えて近づいてくる。
 背後ではカサゴ頭が睨みを利かせる牽制をしてくるあたり、この太刀魚のような奴がこの群のボスなのだろう。

「ナナシ、ナナシっていうの、」
「……おまえ、」
「おまえじゃなくて、ナナシだよう。」

 金色の、キラキラとした目で見つめられる。そのままボクの目の前で足を畳むと、そのしっぽとやらを差し出してくる。海にはない感触のそれが気になって、そろそろと手を伸ばす。
 きっと、こいつに敵意があったらこんなことはしない。さらりとした髪とも違う肌触り。ゆるゆると握ると、その先がぱたりと揺れる。

「……レイガンたち呼んでくる。てめ、ナナシに変なことしたらぶっ殺す。」
「しないよう、びっくししただけ、ね?」
「びっくし?」

 何を言っているのかは解らなかったけれど、一番敵意を向けてくるカサゴ頭は文句を言いながらも出ていった。どうやら、本当に助ける、という意味合いらしい。
 なにがどうして助けるという話になったのかわからない。ナナシはふんふんと鼻を鳴らすと、ボクの手をきゅうっと握り締めた。

「あつ、っ」
「ひゃ、っ!」

 じんわりと広がった慣れない熱に、思わずその手を払い除けた。びっくりした、やっぱり陸の温度はボクには合わない。火傷はしなかったが、じんじんと痺れる掌を守るように身を縮ませると、あわあわとしたナナシが、再びしっぽを差し出した。

「いたい、いたい?」
「……びっくし、だけ。」
「ふわぁ……しっぽ、しっぽつかむ?ごあいさつ、これする?」

 びっくし、はびっくりという意味合いだと理解した。言葉尻は違うが、あまりこちらの認識とは相違ないようだ。ナナシはまた情けない顔で、頭のとんがりをへたらせる。陸の挨拶はしっぽを交えるらしい。無い者はきっと髪なのだろう。

「……おなまえ、なあに?」
「シューロ……」
「シューロ!ナナシ、ともだちする?」
「とも、?」

 友達って、陸のか。その意図がわからなくて首を振る。ナナシはあまり頭が良くないようで、むん、と口を噤むと分かりやすく落ち込んだ。しっぽと頭のとんがりをへたらせて、しょもしょもしている。そのとんがりもしっぽと同じ触り心地なのだろうか、そっと手を伸ばしてちょんと触れて見る。
 ほんの好奇心を満たしただけ、それなのに、途端に頬を染めて顔を上げる。忙しなくしっぽをぶんぶんと振り回すものだから、舞い上がった埃にけほけほとむせた。

「……たまご、」
「たまご、すき!」
「ちがう、」
「う?」
 
 お前の腹のそれだ。そう言いたくても、なかなか言葉が出てこない。膨らんだ腹を見る限り、ナナシは雌なのだろう。そっと手を伸ばして、その膨らんだ腹を指差す。ようやく意味を理解したのか、腹部に触れるて、ふにゃふにゃと笑う。
 
「えるの、あかちゃんだよう」
「える?」
 
 また知らない名前が出てきた。ナナシが首を傾げるから、思わずボクも首を傾げた。多分、これが理解が追いつかない時の動作なのだろう。
 そんなことをしていれば、幾つも足音が聞こえてきた。そのうちカサゴ頭が壊した入り口から顔を出すようにして、三人と一匹まで入ってくる。ナナシがボクの前にいるから、きっと大丈夫だとは思うけど、敵意はないのに異端なものを見るような、その目が嫌でつい威嚇した。
 
「わは、お前が探し物か。」
「サジ、彼は怯えている。あまり強く出るなよ。」
 
 大きな、クジラみたいな色をした雄が、クラゲみたいにヒラヒラした服を着た雄に話しかけている。カジキみたいな色をしたもう一人の雄は、紫の瞳で困ったようにボクを見ている。そいつは話が通じそうだった。
 あのカサゴ頭はどこだろう。そんなことを思っていれば、そいつはひょこりと姿を現して、無言で近づいてきた。そして、さも当たり前かのようにナナシをひょいと抱き上げる。
 
「ナナシ、言葉は通じるんだよな。」
「シューロっていうの、げんき!」
「そりゃあ見たらわかる。ったく、大人しくしてねえと縛るからな。」

 カジキ男が歩み出る。首に巻きついた白蛇がするりと床に落ちると、鎌首をもたげて見上げてくる。
 カジキ男と同じ目の色だ。ボクをカサゴ頭から守った、多分、神的存在。
 
「シューロ、少し話をしたい。俺はレイガンだ。警戒はしなくていい、エルマーはナナシが押さえているからな。」
「オイ。」
 
 不本意そうに、カサゴ頭が渋い顔をする。カサゴ頭はエルマーというらしい。ナナシがさっき言っていた、える。というのがこいつなようで、その事実に驚いた。だって、こいつ。ナナシの腹に卵を守らせて、自分は自由にしているのだ。普通は雄が守る。あまりにもそれは無責任なんじゃないかと思ったのだ。
 
「エルマ、嫌い。」
「ああ!?」
「待て待て待て!」
 
 レイガンが間に入り、言葉を遮る。
 苛立った顔で見下ろしてくるエルマーの、どこがいいというのだろう。レイガンは、群れの仲裁役なのだろうか。ボクに背中を向けるようにしてエルマーとの間に入るのだ。
 
「まだ話し合いもしていないうちから、お前らは喧嘩をするんじゃない。」
「チッ、」
「んで俺がてめえみてえなクソガキに馬鹿にされなきゃ、」
「ガキ、違う!」
「ああ!?」
 
 やっぱり、嫌いだ。
 体が大きいからと言って、威張り散らしていいものじゃない。振り向いたレイガンも、どうやら真偽を確かめているようだった。大きな人間、四人分の視線が体に降り注ぐ。舐められてたまるか。ボクを守れるのは、ボクしかいないのだから。
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