名無しの龍は愛されたい。−鱗の記憶が眠る海−

だいきち

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ガニメデの忠告

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「まあ、この流れは予想していたが、やはり雌扱いされると言うのはあまり気分がいいものではないな。」
 
 アロンダートはガニメデの触手を腰に巻きつけ、宙に浮いたままそんなことを宣った。
 眼下ではトングを片手にサジが喚いている。アロンダートは長い黒髪を潮風に遊ばせながら、宥めるかのようにガニメデの触腕にそっと触れた。
 
「まだ僕は事態が飲み込めていないんだ。ガニメデ、とりあえずエルマー達の話を聞いてくれないか。」
 
 耳触りのいいアロンダートの甘い声色は、傲慢な海の神にも響くようであった。ガニメデは横長の瞳をキュウ、と細め、突き出した口をしゅこりと動かす。久しぶりの気に入りとの邂逅に、どうやら高揚しているらしい。時折、その膨らんだ風船状の頭を赤らめては、海を叩くようにして波を作る。
 
「ふん、このガニメデの優美なる六本目の腕に抱かれても、その余裕をかますとは見上げた根性である!!気に入った、やはり我の雌に、」
「だあああぁぁあからならんと言っておろうがあ!!!こっちには御使いもいるのだぞ!!身の程を弁えろガニメデ!!!アロンダートはサジの嫁だあ!!」
「嫁は僕ではないな。」
 
 何を言っているのだ。と言わんばかりに冷静に返すアロンダートは、囚われているというのに気にもしていない。ナナシはというと、ガニメデを前に中指を立てて抗議しているサジを見て、はわぁ……と呆気に取られていた。
 
「サジ、ぷんぷんなのぅ……」
「だってあれサジのアロンダートだぞ!?くっそ、致し方あるまい……!」
 
 エルマーによって甘やかなひと時を中断されたのも承服しかねていたらしい。早い段階で限界を迎えていたサジはというと、着ていたエプロンを地べたに叩きつけ、手に持っていたトングを風魔法で浮かせ、勢い良くガニメデへと投げつけた。しかし、ボヨンと当たって跳ね返った様子を見る限り、対してダメージも負っていないようである。海鳥でもぶつかってきたのかと嫌味ったらしく振る舞うガニメデに、サジは最終手段と言わんばかりに、蚊帳の外で成り行きを見つめていたナナシを引き寄せた。
 
「ひゃ、」
「こちとら御使いがいると言っておろうが馬鹿め!!いいぞナナシ、サジが許す!この糞蛸に一発お見舞いしてやれ!!」
「おみまい?」
「お見舞いはしなくていいから、とりあえずこちらの質問に答えるように頼んでくれないか。」
 
 疲れた顔のレイガンが、のそりと横に並んで会話に混じる。ナナシは、ふむ……、と神妙な顔をして頷くと、相変わらずの眠たげなゆったりとした口調で言う。
 
「んと、ま、み、……ま、またま……。またまのはなし、するのう……?」
「またま、じゃなくて、御霊だな。あり?魔物の話のが先じゃねえっけ。」
「魔物の話が先だな。どうせ広いぐらいで海は一つしかないしな。海の神なら、己の縄張りのことくらい手に取るようにわかるだろう。」
 
 じとりと見やるレイガンの視線には、一向に話を進ませてくれないガニメデに対する嫌味も含まっている。どうやら怒り狂うサジを揶揄うのに忙しいらしい。繰り出される鋭い鎌鼬を器用に避けるものだから、おかげで触手を巻かれたままのアロンダートもぶんぶんと振り回されていた。
 
「サジぃ!おま、ちょっとそれやめろお!話進まねえから!」
「後にしろエルマー!!今サジは忙しい!!」
「いや後にすんのはお前の方なあ~~~!!!」
 
 小気味いい音を立て、エルマーがサジの後頭部を叩く。そんな二人を見下ろすアロンダートは、サジとガニメデによってもたらされた、重力を無視した暴挙のおかげで顔を青くしていた。まあ、表情だけは穏やかであったが。
 
 エルマーがナナシの横に並ぶと、大きなお耳を巻き込むようにして頭を撫でた。朝食の時に話したことの顛末をガニメデに説明するように言えば、ナナシは指折り数えるようにして、頭の中で言葉を組み立てる。とは言っても、エルマーに甘やかされるまま、頭はゆるふわに育っている為か、うまく説明ができるかと言えば推して知るべしなのだが。
 
「ガニメデ、あのね。」
「む……」
 
 いつになく真剣な顔つきをしたナナシに、レイガンもエルマーも、おや?という顔をした。流石に御使いを前にして、ガニメデも何か悟ったらしい。居住まいを正す。まるで、何かお告げをされるのでは、と言った雰囲気に、ガニメデの内心に緊張が走る。
 ぷよりとした、柔らかな頭部に移動させられたアロンダートはというと、なかなかに悪くない乗り心地を堪能しながら、こちらもいつもとは違うナナシの様子を興味深そうに見つめていた。
 大きなお耳をお行儀良くピンと立て、珍しく少しだけ難しそうな顔をする。何かを決めたように、ムンっと唇を噤んだナナシが、白銀色の尾で地面を撫でた。はなすときは、わかりやすく、たんてきに。
 ふんす!とやる気をみせるようにグッと胸の前で拳を握ると、ナナシは頬を染めながら、元気に宣った。
 
「んと、レイガンのおはなし、きくするしてくらさいっ!」
「でかしたナナシ。それが一番手っ取り早い。」
 
 結局小難しいことは言えないので、ナナシは意気込みだけをガニメデにアピールした形になった。後の説明はレイガンに丸投げをするのはやはり必然である。
 ナナシのなんとも言えない真剣で、それでいてお間抜けな様子が余程ツボに刺さったらしい、背後では吹き出したエルマーが、蹲って震えながら笑いを堪えていた。他人に説明を丸投げしておいて、己が職務を全うした気になっている。なんともやり切った感溢れるナナシの様子がおかしい。まあ、レイガンからしてみればよくやった以外の何ものでもないわけだが。
 
「ガニメデの縄張りで、暴れている魔物がいる。何か知らないか。」
「我の縄張りで?そんなもの数多おるわ!クラーケンもまた挑んでくるわ、雌に振られた鯨がわんわんと泣くわ、この間なんぞ人魚の群れがシーサーペント狩りなどしよるから!気の弱いあやつが我が寝床に駆け込んできおって全く迷惑もはなはだ」
「違う、違うそういうんじゃない。」
「シーサーペントって気弱なんだあ……」

 頭の痛そうなレイガンの後ろで、エルマーが呆れた声を漏らす。

「ふん、ニアの愛し子よ。もっと明確に申せ、端的にだ。御使い殿のようにな。」
「何だこの敗北感。くそ、……あれだ。人間が漁をする海域があるだろう。そこに居座っている魔物について話を聞きたい。」
「……漁師町のほうか。」

 蛸のツルリとした眉間は、ぐっと持ち上がり皺が寄る。しゅるりと伸ばした三本目の触手でアロンダートの顎をくすぐろうとしたので、それは鷲掴んで阻止をした。

「あれの何が聞きたい。よもや一介の人間風情が我の配下である羅頭蛇の理を侵すなど、このガニメデが許さぬ。」
「まて、羅頭蛇?あの魔物は羅頭蛇というのか。」
「視野が狭いのう。陸の魔物ばかりにかまけておるから浅い知識で満足をする。もっと見聞を深めよ小僧。広いのは陸だけではない。」

 先程のレイガンの嫌味を正しく汲み取り、馬鹿にするようにガニメデは宣う。レイガンの首で疲れたように大人しくしているニアをちろりと見ると、ふん、と鼻で笑うかのように見下ろした。

「良い格好だなニアよ。水の神ごときが我の縄張りに首を突っ込むからだ。」


 横長の瞳孔を細めるように、ニアを見る。びくりと鞭のようにしなやかな尾を波打たせると、唐突に鎌首をもたげて叫ぶように口を開けた。


「……あーー!!やだぁ!!なんだこれ、に、ニアの中で悲しむなー!!」
「ニア、なんだどうした!」

 ニアの紫の瞳が光を放ったかと思うと、ぼたぼたと涙を零す。今まで目にしたことのないニアの動転した様子に、レイガンは目を見開いた。

「うあ、やめろよー!!わかった、わかったから!!」
「小僧、これだけは告げよう。魔物の中にも道理というものはある。それは長く生きるものこそ侵されてはならぬ不可侵領域だ。頭が固いのではないぞ、そういうものと理解せよ。」


 白くすべやかな鱗で、レイガンの首を擦るかのようにして暴れる姿は異常だ。

「まて、ガニメデ!お前は何が言いたい!」
「も、もういやだ!レイガン、変だ、泣きたくないのに涙が出てくる……!!」
「くそ、どうしたらいい!」
「静まれ、お前は間借りをしている一回の霊魂と理解せよ。落ち着かねば話が進まん。」

 呆れた声で、ガニメデがしゅこりと口を動かす。レイガンもだが、その場にいた全員が固唾かたずを呑む。経験したこともない事態に、動けなかったというのが正しい。やがてレイガンの肩を滑るかのようにしてニアが地べたにぽてりと落ちると、よろよろとその身をもたげる。

「あの子って……、もしかしてこっちにいるのか……?」
「おい、ニア」
「ニアよ、お前なら順番は間違わぬだろう。羅頭蛇は理由なく暴れたりはしない。」
「…………ああ、そこに繋がっちゃうんだなあ。」

 ガニメデの言葉に、ニアがゆっくりと俯く。独り言のように淡々と喋るニアは、疲れてはいるものの先程のように気が動転した様子はない。
 アロンダートがガニメデによって再び持ち上げられると、そっと地上に降ろされる。駆け寄ったサジがしがみつくかのようにその腕に抱きつくと、渋い顔をしてニアを見る。

「なんだか至極面倒くさいことが起こってる気がする。」
「ふん、セフィラストスの秘蔵っ子よ。今しばらくアロンダートは預けておく。まあ気が向けば我も触手一本位は貸してやろう。」
「八本あるんだからもっと貸せよ。てか、羅頭蛇ってなんだって聞いてんだよおさっきからあ!」

 威嚇をするサジの前に、エルマーがでる。ナナシは心配そうにニアの頭を撫でていた。ガニメデは眉にあたる部分をくにりと引き上げ、横長の瞳孔を細める。

「あれは百年は生きておる、己等の培った眼を正しい物事へと向けろよ人間。」
「ぶわっ!」

 ブシュッと吸い込んだらしい海水をビシャリとエルマー達に吹きかける。アロンダートとナナシに配慮しているあたり意図的である。海水を赤い髪から滴らせ、ひくりと笑顔を引き攣らせたエルマーが、ふっざけんな!!と叫ぶ声を聞きながら、ガニメデは満足げに再び深海へとその身を沈めていくのであった。



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