名無しの龍は愛されたい。−鱗の記憶が眠る海−

だいきち

文字の大きさ
上 下
3 / 53

いざ行かん

しおりを挟む
「んだあ、俺だってサボってたわけじゃねえよ?でもよ、腹が空いては戦はできねえとか言うじゃん。つまりはそう言うこったなあ。」
 
 なんの悪びれもなく、エルマーは堂々と宣った。
 あれから、痺れを切らしたレイガンがエルマーを探しに行って、一刻。ニアは相変わらず見当たらないが、小憎たらしい赤毛頭はすぐに見つかった。
 
「ほう、それでこんな状況とは恐れいる。それで、成果は無論挙げられたのだろうな。」
「せっかちさんめ。俺は今腹を満たしたばっかだぜ。」
「お前が受けた仕事だろうが!!!」
 
 スパァン!と、なかなかにキレのいい音を立ててレイガンがエルマーの頭を叩く。レイガンの怒りはもっともである。くそあっちいから着替えてくると言ったエルマーは、確かに有言実行で着替えを終えていた。しかしそれはレイガンのように、依頼を受けるという身なりではなく、まさしく観光客もかくやと言わんばかりの、なんともラフな格好であった。
 エルマーが陣取っていた、バルの外のカウンター周りには、大量の酒瓶と酔い潰れた赤ら顔の若者が数人。道端に寝転がるかのようにして倒れている。
 当の本人は、酒瓶を片手に持ったまま、割れた男らしい腹筋を惜しげもなく晒し、ハーフパンツにシャツを羽織っただけという、いかにもチンピラのような風体であった。
 足元なんてサンダルである。そんな軽装備で本当に討伐なんてできるのかと、小一時間は説教を込めて問いたいくらいには、浮かれた姿である。
 
「すーぐ手ぇ出んのは嫁さん譲りかぁ?イッテェなちくしょー。ちゃんと仕事したっつの。おら、出すもんだしな。」
 
 不貞腐れるように叩かれた後頭部をさすりながら、エルマーが手に持った酒瓶をゴトリと置く。いかにもな悪人面で手をひらつかせると、バルの店主でもある渋い顔をした赤ら顔の親父は、豊かな口髭に隠れる口元を不満そうに歪め、渋々口を開いた。
 
「おい銀髪のにいちゃん。さっさと赤毛のにいちゃん回収してっておくれよ。こっちゃ店の酒ぜーーーんぶ飲まれっちまって、商売あがったりだってぇの。」
「あいにく俺は状況がまだ飲み込めてない。が、店の酒はすまん。」
 
 エルマーの頭上で、保護者のように振る舞うレイガンに不服そうにしながらも、エルマーは店の親父が渋々出した一本の鍵をぶんどるように奪った。
 
「おっしゃ、これだよこれ!ったく、最初っから素直に出せってんだ。」
「あんた本当に討伐依頼受けにきたんだよな?カツアゲしにきたわけじゃねえよな?」
「だから、説明をしろ説明を……。」
 
 稲穂のような眉を下げる親父曰く、どうやらエルマーが飲み比べの戦利品として勝ち取ったのは、親父が使っている小型の船を収めている倉庫の鍵らしい。なんでそんなものを、とレイガンが訝しげに見遣ると、エルマーはご機嫌にその鍵をインベントリに仕舞い込んだ。
 
「じゃ、おやっさん。この船は着手金ってことで。」
「着手金……、おいエルマー。まさかこの親父、依頼者か?」
「ほーよ、漁師会の組合長。」

 顎で差し示された親父は、浅黒く焼けた顔を拭うかのように両手で顔を擦ると、溜め息一つ、口髭を整えるようにいじり、口を開く。
 
「ったく、ただでさえあいつのせいで商売あがったりだってのによう。酒の仕入れも安かねえんだぞう、兄ちゃん。」
 
 煽るようにグビリと酒瓶を傾けるエルマーに、頭の痛そうな顔をすると、親父はようやっと本題に入ることにしたらしい。レイガンが路上で倒れ伏している男どもを足で端に避けるようにしてカウンターに座る。
 親父は胸ポケットから煙草を取り出して、皮の分厚い働き者の太い指で、器用にライターに火を灯した。
 
「なんだかなあ、魚ってぇわけじゃあなさそうなんだがよう……。」
「んだよ、煮え切らねえなあ。」
 
 漁師でもある親父が、副業にしていたバルを主体にせざるを得ない。その理由の一つが、沖に現れた大型の魚の魔物だという。
 
「ありゃあ、クラーケンも真っ青なくらいでっけえ化け物でなあ。」
「ガニメデよりでけえのか?」
「がにめで?」
 
 レイガンがエールを手元に引き寄せると、親父は栓抜きを手渡しながら首を傾げる。普通の人間なら栓抜きを使うのだ。エルマーは歯で開けたが。
 
「がにめでだかなにめでだかは知らねえがよ、俺らが漁場にしてるとこ陣取って暴れてるんだあ。」
 
 店の壁に貼られている地図を剥がすと、親父がカウンターに広げた。端をならすかのようにエルマーが空瓶で抑えると、その水滴がじんわりと紙に滲む。
 
「奴さんが何かわっかんねえのに対策のしようもなくね?」
「よくいう。大体三枚おろしにするんだから、対策したところで変わらないだろう。」
「確かにい。」
「なあ、続き話してもいいかい?」
 
 話の腰を折る二人に、親父がむすりとした顔をする。レイガンは片手で続きを促すように指し示すと、グビリと冷えたエールを飲む。エルマーによって飲み比べに負けた若者の側にあったのだ。樽に氷水を入れた中に刺さっていたそのエールの支払いが、誰に行くのかは知らないが。
 
「ずっとそこに留まってるってんなら、産卵期とかじゃねえのか。」
「去年の今頃にはいなかったんだ。だからそういうわけでもないだろう。」
 
 突然現れたその化け物のおかげで、仕事で使う船が何そうも駄目になったらしい。おかげでこの辺の漁師たちは商売あがったりである。今回依頼を出したのも、報奨金はみんなで金を出し合ったとのことだ。おかげで結構な額になったのだが、正体不明の超大型魔物相手に挑む馬鹿はなかなかにいない。しかも足場の不安定な海上だ。高額の割にいつまでも依頼書が受理されぬままに残っていたのは、そう言った意味合いがある。
 
「でっけえ海の化け物かあ、ガニメデかシーサーペントとかじゃねえの?」
「凶暴化した鯨とかじゃないのか。」
「鯨って凶暴化するんか?」
「そんなものは知らん。」
 
 気のないやりとりと、まだ若者と言った風体の二人を見て、親父は親父で不安そうな視線を送る。お前ら本当に強いのか。と言わんばかりの目線である。隣の銀髪の男はともかく、このチャラくれた赤毛なんぞ、依頼を受けにきたんだけどお。とかで店にきた時は、思わず身分を確認してしまったくらい不審者であった。
 
「というか、お前さんランクがFだろう。そんなん、駆け出しも駆け出しじゃねえか。」
「エルマー。信用に繋がるんだからいい加減ランクを適正位置に戻せと言っているだろう。」
「いいんだよお、無駄金使いたくねえし。」
「ほんと、そういうところ直した方がいいと思うがな、俺は。」
「あんたら、喧嘩しにきたのかい?」
 
 話を続けさせてもらうからね。そう言って、親父は咥え煙草にすると、地図の一点を指し示した。ここから数百メートルほどの海岸沿いから、真っ直ぐに沖に向かって指を滑らしたその場所は、小島の一つも浮かんでいない海域である。
 
「……船が必要だな。」
「もう用意してあんよ。」
「俺からカツアゲした船だろうがって。ったく、」
 
 エルマーが腕を伸ばして追加のエールを手に取る。まだ飲むのかと引き攣り笑みを浮かべている親父の目の前で、エールの王冠の蓋を歯で開けると、スポンといい音がした。
 
「波で行けねえってとこからはニアに乗せてってもらおうや。」
「ああ、そういえばニアが見当たらないんだ。」
 
 胸元に手を添えながら、レイガンが思い出したかのように口を開く。
 
「ニアがいねえって、どうやって沖まで行くんだよ。」
「依頼は受けるが、ニアを探すとこからだな……。」
「なあ、沖に出る手段があるなら船を返してくれたりは」
「いやあれ俺んだから無理。」
 
 親父のわずかな願いを切り捨てたエルマーは、ゴトリと瓶をカウンターに乗せると、バサリとシャツを脱いでレイガンに押し付けた。
 
「……何してんだ……。」
「脱いだらくるかなって思ったんだけどなあ。」
 
 どうやら目論見は外れたようである。レイガンは残りのエールを飲み干すと、がたりと椅子を鳴らして立ち上がった。とにかく、場所の確認をしながらニアを探そうと思ったのだ。

「行くぞエルマー。お前のせいで随分と時間を食ったからな。」
「ん。じゃあな親父。酒代は伸びてるこいつらに請求よろしくう。」
「柄悪いなこんちくしょー、頼むぜ全く……」
 
 エルマーが、道端で伸びている若者の穿いていたハーフパンツを脱がせると、レイガンにぶん投げた。どうやら長ズボンが見ていて暑苦しかったらしい。にんまりと笑う様子を無言で見つめ返す。エルマーの本日の軽装備も、こうして追い剥ぎをしたものらしい。相変わらずの治安の悪さである。
 
「……着替えてくる。」

 しかし炎天下の中で、レイガンも思考が鈍っていたらしい。普段なら窘めの一つでもするが、エルマーに酒の飲み比べを仕掛ける方が悪いかと思い至ると、ちょっと待ってろと言って、店の影に消えていく。一部始終を見ていた親父はというと、依頼する相手を間違えたかも知れないと内心思うのであった。
 
 
 
 
 
 
 
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

ポンコツアルファを拾いました。

おもちDX
BL
オメガのほうが優秀な世界。会社を立ち上げたばかりの渚は、しくしく泣いているアルファを拾った。すぐにラットを起こす梨杜は、社員に馬鹿にされながらも渚のそばで一生懸命働く。渚はそんな梨杜が可愛くなってきて…… ポンコツアルファをエリートオメガがヨシヨシする話です。 オメガバースのアルファが『優秀』という部分を、オメガにあげたい!と思いついた世界観。 ※特殊設定の現代オメガバースです

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

処理中です...