名無しの龍は愛されたい。−鱗の記憶が眠る海−

だいきち

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非日常のきっかけ

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 にゃあにゃあと鳴く海鳥の声が聞こえる。波に攫われては、押し戻される石英混じりの白い砂粒が、キラキラと反射した。
 抜けるような青さを誇る空と、エメラルドを溶かしたかのような美しい海が自慢のリゾート地、カストール。
 
 潮騒の音がなんとも耳心地良い、快晴の空の下。先日結婚式を挙げたばかりのレイガンは、清々しさとは程遠い死んだ目をして日差しを睨みつけていた。
 
「……エルマーの奴め。」
 
 絵に描いたような楽園的な風景に、似つかわしくない重々しい響きを持ったレイガンの言葉は、静かな波の音に溶けずに残る。
 レイガンが、なぜこんなところで悪態をついているか。ことの発端は数時間前に遡る。
 
 
 
 
 
 
「軍資金が心もとない?お前、結構貯め込んでいたろう。子供も生まれるのに、一体いつ散財した。」
「散財したわけじゃねえよ。金だってまだある。けど家買うってなったら貯蓄が減るだろう。」
 
 レイガンの新妻でもあり、エルマーの幼馴染であるユミルの家に押しかけたエルマーは、開口一番に金が無いと宣った。
 曰く、ナナシとの新居を構えるにあたり、安心して出産に臨めるように誰からも侵されない環境作りをしたいのだそう。
 
「アロンダートに言って、家の防御にオート機能つけてもらうんだあ。手持ちの素材全部渡したし、したら換金できんものひなびた草くらいしか残んなくてよお。」
「全部……、というか、要塞にでも住むつもりかお前は……」
「雌に安心して産んでもらうんだ、こんくらいは普通だろう。」
 
 エルマーの背後で、ナナシがユミルから読み書きを教わっていた。生まれてくる子供に、教えてあげられるようになりたいらしい。
 
「える、まー。んと、」
「エルマー、んで、この文字が、意思表示に使われる単語。教えたやつ。」
「い、い、……いいか、……かげんにしろ!」
「そうそうあってる!」
「待てユミル、なんかすげえ不穏な単語教えてねえ!?」

 不穏なやりとりに、ギョッとした顔でエルマーが振り向く。おっとりとしたナナシからは到底出てこないような語彙に、さすがのエルマーも聞き捨てならなかったらしい。
 
「おいエルマー、」
「何言ってんのエルマー。ナナシがイエスマンだからって、何しても許されると思うなよ。僕はナナシにノーと言える大人になってもらいたいんだから。」
「いえすまんってなあに?」
「ナナシがイエスって言ってんだから、いやじゃねえってこったろう!新婚夫婦の性生活に口挟むんじゃねえ!」
「せいせいかつってなあに?」
「……ナナシ、後でまとめて説明してやるから、とりあえずこちらの話に戻るように言ってくれ。」
「はあい。」
 
 頭が痛そうに、眉間を揉む。毎度のことながら、幼馴染二人が揃うとナナシの教育方針で一悶着するのはセオリーらしい。ナナシは、ちょこちょことエルマーの元に向かうと、なんとものんびりとした口調で、いいかげんにしろと宣った。
 
 そこから、妙な悲鳴を上げて崩れ落ちたエルマーに再起動してもらうのに数十分を要し、ことの顛末はナナシが辿々しく説明する羽目になった。
 
「ナナシ、頑張れ!できるママのお話の仕方は教えたよね、まずは結果から言って、後からその過程、だよ!」
「わかた、がんばう!」
 
 ユミルに励まされ、ふんす!と意気込んでいるナナシのお膝の上で、エルマーが顔を埋めて打ちひしがれている。レイガンは呆れたような目でその光景を眺めると、ナナシが逡巡するように少しだけ黙った後、こくりと頷いて、口を開いた。
 
「じゅ、じゅ、じゅちゅ、するした!」

 大きなお耳をまっすぐにたて、頬を染めながらナナシが意気込みを語るかのように言う。小書文字が少しでも着くと、余計に辿々しくなるのはご愛嬌である。

「じゅ?」
「えると。レイガン、ふたりでわーーってする!える、もうぎるどでじゅちゅおわた、だから、ユミルはナナシとおるすらんするしてだって、えるがいってたよう!」
「ギルドでじゅちゅするした?」
「ギルドで授乳とか言ったか。」
「うるっさいエルマー。そんなことナナシは言ってない!」
「イッテェ!!殴んなチビ!!!」
 
 ぱこん。ユミルが水を差すなと言って、エルマーを殴った。エルマーはというと、殴られた頭を労わるように撫でながら、むくりとナナシのお膝から顔を上げる。
 耳が呪われているのかと心配になる程、曲解することのあるこの男は、頑張って説明をしたナナシの頭を撫でると、渋い顔をするレイガンに向けて言ったのだ。
 
「海上での魔物の討伐、お前も巻き添えで。」
「やっぱりかクソが!!」
 
 ナナシよりもわかりやすく、かつ端的に宣ったエルマーは、まるでさも当たり前かのように堂々と言う。そうだ、ヒュドラの時だってそうだったのだ。いや、あれはこちらも金が必要だったから違ったんだっけか。そんなことを思いながら、どこかで致し方がないと思っている時点で負けも負けである。
 結婚して、家庭に入ったからといって、元来の気質は変わらないのだ。レイガンだって、戦いは嫌いじゃない。むしろ好きである。服の中に仕込んである袋の中に、いまだにニアをしまい込んでるくらいだ。まあ、家の中にいる時は好きなようにさせてはいるが。
 
「はああ!?僕の旦那勝手に参加させんのお!?こちとら新婚なんですけどぉ!!」
「ユミル、ナナシとおるすらん、するのやだなのう?」
「ウッ」
「おい、簡単に懐柔されるな。そこまでがエルマーの策略だぞ。」

 ユミルがナナシに甘いことなんて、とっくにバレている。自分より背が低い相手が少なすぎて、ついユミルはお兄ちゃん風を吹かせて可愛がってしまうのだ。そこをエルマーに利用されているとも気づかずに。

「まあ兎にも角にもだ。しばらく新婚生活はお預けだあ。俺ら旦那は出稼ぎしてくっからよろしくぅ。」
「おい、事後報告だけはやめろとあれほど!!!」
 
 
 回想終了。それがことの発端であった。
 エルマーからは、カストールの漁師町のようなところまで行くからと言われて、その後すぐに支度をする羽目になった。体のいい託児所扱いをされている気がすると宣っていたユミルも、ナナシと共にお留守番をするのに特に文句はないらしい。本人も行きたがってはいたが、ナナシがユミルとおべんきょするしたい。などとペン片手におねだりをされたらイチコロであった。
 
「実際に聴き込みに行くとは言っても、こんな真っ昼間に漁師なんかいるのか。」
 
 太陽がレイガンを照らす。とんでもなく猛暑である。今日突然戦闘が始まるでもないだろうと、暑さに負けて着ていた装備は腰の青龍刀を除いてしまい込んだ。カストールに来てからのレイガンは袖のない詰襟の服を着て、鍛えられた腕を晒している。ガントレットを装備していた部分は生傷が絶えないせいで見栄えは良くないが、戦うものの体つきであることは誰から見ても一目瞭然であった。
 
「ニア、悪いが外気を遮断してくれないか。暑くてかなわない。」
 
 あまりにも無理。そんなことを思ってしまうくらい暑いのだ。つい馴染みの水の神であるニアにお願いをする。これでも我慢した方である。少なくとも、エルマーがクソあっちいから着替えてくると言ったっきり、戻ってこない一時間ほどは耐えたつもりだ。マジで、あいつは一体どこに行ったのか。また一つ、レイガンのこめかみに青筋が立った。
 
「……ニア、寝てるのか?」
 
 いつもなら、間延びした声で了承してくれる、レイガンの相棒が反応を返さない。胸元に手を添えて、服の中の存在を確かめる。いつもそこにいる筈の感触がないとわかると、レイガンは口をつぐんだ。
 顔を上げる。白い砂浜に、楽園感を醸し出すのには適している大きな椰子と、色とりどりの南国の花。蒸し暑い気候、肌を撫でる潮風。そして、なによりビーチには、きっとバカンスに来たであろう男どもの水着姿、しかもここら一帯は漁師町だというから、屈強な男が揃っているに違いない。レイガンの頭の中で、まさかが浮かんだ。
 
「……あいつまで男を漁りに行ったわけじゃないだろうな。」
 
 ワナワナと震えるレイガンの拳が全てを物語る。水の神であるニアの変態的な男好きは今に始まったことではないのだ。頭の中で、よりどりみどりだあ、と呑気にはしゃいでいる声が、容易に脳内で再生された。
 ふざけるな。なんで俺がこんな目に遭わなくてはいけない。レイガンは、静かに苛立ちを見せると、全ての元凶である一向に帰ってこないエルマーに怒りの矛先が向いた。
 
「いい加減にしろよエルマーーーーーー!!!!!!」
 
 青い空の下、熱い砂浜の上で待ちぼうけを食らっていたレイガンの怒りの咆哮が空に響く。羽休めをしていた海鳥たちは、よほど驚いたらしい。にゃあにゃあと抗議をするかのように、鳴きながら飛びたっていった。
 
 

 
 
 
 
 
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