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「動揺を禁じ得ないんですけど。」
 
 快晴の空に、廃墟のようになった己の寝床の対比が素晴らしい。シスは引き攣り笑みを浮かべながら、変わり果てた姿になった兵舎を見上げ、そうごちた。
 なんて日だ。サディンによって部屋を叩き出されてから、自室に戻り、朝練をして、そんでもっていい汗かいたと演習場へと戻ってきたらこれである。
 
「色々あってな、まあ、危ないから中には入らないでくれ。」
「色々あって兵舎に風穴あきますか!?空きませんよねえ!?てかサディンの部屋の下は僕の部屋なんだよ!?明日からどこで寝ろっていうのさ!!」
「その辺の男の家にでも転がればいいだろ。」
「あんたまじでミハエルせんせー以外には雑だなあ!?」
 
 シスのキレ気味のツッコミに、思わずサディンの言葉が詰まった。いつもなら、やかましいわの一言くらいは帰ってくるのだ。シスだってそのつもりで構えていたので、なんだか妙な間が空いてしまった。なんだ、なんか変だぞ。恐る恐る言葉を待ってみたが、一向に返事が返ってこない。一体何があったというのだと顔を覗き込んでみれば、胃を抑えたままひどい顔色をしていた。
 
「…え…ええ!?何それ一体どういう表情!!てか今更だけど顔どうしたんだよ!」
「うるさい、悪いが俺は一旦帰る…父さんによろしく。」
「エルマーさんならそろそろ出勤する頃じゃね…、自分で言えよ…。」
 
 なんだかいつもよりも背負っているものが大きい気がするぞ。顔だって今見たら殴られたような跡がある。シスは心なしかサディンの背中にまとわりつくような、そんなどどめ色をした重々しい空気感にドン引きである。一体何があったというのだ。まずは勝手に落ち込む前にぜひそこの部分を説明して欲しいものである。
 それにしてもなんだか兵舎周辺が騒がしい。そのざわつきはサディンの耳にも届いたらしい。その整った顔でざわめきが起こっている方向を見やると、それはズンズンとこちらに向かって近づいてきているようだった。
 
「…あ?」
「何な、…だれあの美人…あ、ウィル?」
「母さんだ…。」
「へえ。おか、…はああ!?」
 
 素っ頓狂な声が上がった。無理もない、サディンを産んだとは思ぬ若さである。というかエルマーも若いので、このサディンの両親は歳を重ねるということを知らないらしい。真実は神聖的存在であるからして、エルマーもナナシも歳を重ねずに体は若いまま止まっているということなのだが、そんなもん言っていないからわかるわけもない。お前の母ちゃん神様なの?は冗談で言われたことがあるが、真顔で頷いて返しても信じてもらえないまま今に至る。
 
「なんか、なんか迫力のある美人だね…」
「やばい。」
「え、うわ顔色わっる」
「母さん、めちゃくちゃキレてる。」
「え、あれで怒ってんの!?」
 
 ムン。と擬音がつきそうな顔をして、サディンの母でもあるナナシが、ズンズンとこちらに向かって歩いてくる。周りの隊のものは、頬を染めながらナナシのことを目で追っては、後から駆け足でついてきたエルマーの眼力によって我に帰る。なんだ、一体何が怒っている。シスは訳がわからないまま、とりあえずびしりと敬礼をして待つ。エルマーにすら普段は敬礼をしないが、なんだかナナシにはしたほうがいいと思った次第である。
 
「こんにちは、いつも息子がお世話になています。こちらは、夫のエルマー。」
「夫のエルマーですう。」
「ぞ、存じ上げております…。」
 
 ひくっ、と口端が震える。サディンの母だというその白磁の麗人は、なんというかもう、まるで宗教画にでもなりそうなくらいの神々しい美人であった。
 辿々しい口調で挨拶をし、既知であるエルマーまで夫ですとご丁寧にシスに挨拶をしてくれた。サディンは顔色悪くナナシから顔を背けるも、ナナシはというと、気にしないままくるりと背後を振り返り、こちらを伺っていた騎士団の野郎どもにもペコリとお辞儀をする。
 
「ナナシです、サディンのままです、えーと、お母さんです。こちらは、夫のエルマー。いつも二人がお世話になています。」
「俺の嫁。色目使ったやつはあとでかくれんぼ演習するからなあ。覚えておけよ。」
 
 ギン、と鋭い睨みと共に威圧を振りまくエルマーが、相変わらずに大人気ない。ナナシはふんすとむくれると、える、よしてください。と嗜める。ああ、あの横暴で不遜で暴虐武人な鬼教官を嗜められるとは、やっぱり奥さんなのだなあ。と、シスも含めて満場一致でそんなことを思う。
 相変わらずの両親に、サディンは疲れたようなため息を吐くと、ナナシはくるりと振り向いて、べちんと可愛らしい音を立ててサディンの顔を叩いた。
 
「へえええええ!?」
「ああ!?」
 
 突然のナナシからの一発に驚愕をしたのは、シスとエルマーだ。まさかナナシがサディンに平手を喰らわせるだなんて、今まで見たこともないから余計に驚いた。しかし、それ以上に驚愕したのはサディンである。前述した通り、ナナシから叩かれたことや、怒られたことなど一度もない。嗜められたことくらいはある…、というか、まあナナシが怒っても、迫力がなさすぎて気がつかなかったというのが多いのだが、ともかく叩かれたことなんて一度もないのである。
 サディンはポカンとした顔をしてナナシを見下ろすと、ヒリヒリとする頬を手で触れて、絶句した。
 
「な、なな、ナナシ、なん、おま、そ、そんっ」
「える、いいこだからお静かに。ナナシは今サディンにオセッキョー?するします。」
「お説教!?!?」
「える、うるさい!あっち行ってて!」
「行かねえし!?」
 
 サディンの目の前で、エルマーとナナシがああだこうだとやり取りをする。サディンは、びっくりした顔をそのままに、ゆるゆるとシスを見ると、一室設けるようにと指示を出す。思考はまとまらないままでも、やはりこのままではまずいとは思ったらしい。シスはこの訳のわからない状況から抜け出せるならと、今までにないくらい快諾をすると、あっという間に姿を消した。
 
「母さん、」
「サディン、ナナシは言いました。サディンはミハエルに応えるべき。違いますか。」
「…言いました。」
「だのに、サディンは今一人。ダラスがぷんぷん。サディンは何を間違えましたか。」
「俺は、」
 
 ナナシの金色の目が、真っ直ぐにサディンを見つめる。訳のわかっていないエルマーは大人しく口をつぐんでいるが、ナナシのめずらしく怒っている様子に吐きそうな顔をしている。どうやら自分も怒られている気になっているらしい。
 
 言いあぐねているサディンを諭すように、ナナシがそのたおやかな手で頬に触れた。
 
「サディン、男なら、ただ前を向きなさい。あなたの愛は、今どこにあるのですか。」
「……。」
 
 口にするのは簡単だ。だからこそ体で示せというのが難しい。サディンは小さく吐息を震わすと、悔しそうな顔をして俯いた。
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