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 なんだか少しだけ肌寒い。ミハエルはツンと尖った小鼻の先をほのかに赤らめ、細い体を自身で抱きしめるかのようにして腕をさする。夜になって冷えてきた気温は、その肌を一層白くする。ちろりと目配せをした空き家の窓辺。サディンが見ているのだから、しっかりしなくては。薄くオレンジに染められた唇から白い呼気を細く吐いたとき、ゆっくりと足音が近付いてきた。

 確か、シスさんから教えてもらったのは商人のような身なりの、40代の男性だ。それと、騎士が一人。
 ミハエルは緊張で体が強張った。それを誤魔化すように伸ばした背筋が、奇しくも凛とした雰囲気に拍車をかける。金属の擦れ合う音がして、そっと真横に影が差す。

「こんばんは、いい夜ですね。」
「…今晩は。」

 体格がいい。にこやかに微笑まれたので、それに返すように微笑んだ。おそらくだが、ミハエルに気づかせるために気配は消さなかったのだろう。男らしい腕に付いた微かな痕は、きっと騎士服で付ける篭手でできた擦過傷を治癒した痕だろう。
 
「今宵のお客の質はあまり宜しくない。近くで出た魔獣討伐のせいで粗野なものが多いんだ。」
「お詳しいんですね。あなたもギルドに登録されてるのですか?」

 ミハエルの横に並ぶ。善意を差し出すかのようにそう語ると、ミハエルはさり気なくそっと男の手を取った。

「この手は剣を握る方の手ですよね。」
「…君は敏いな、そんなことを覚えてしまうくらい経験があるのかい?」

 嫋やかなミハエルの手のひらに掬われた無骨な手を包むかのように手を添える。
 剣で固くなった手指はささくれだっている。その指先をそっと撫でて治癒をしてやれば、男は小さく息を呑んだ。

「好きな人が剣を握る人なのです。まあ、私は男娼なので報われぬ恋ですが。」
「…好きな男がいても、他の男と寝られるんだ?」

 どうやら男のツボを突くことに成功したらしい。固くなった指の腹がそっと頬に触れた。ミハエルの緑の瞳がそっと男を視界に捉える。整った顔立ちに喉仏が上下するのを視界に入れると、その手に頬を擦り寄せた。

「端ないと笑いますか?報われぬなら、想い人を重ねて一夜限りを楽しむ、自慰のような行為に耽るほかはありません。」
「…いいね、それならぴったりな場所があるよ。君に向いている。」
 
 きた。男のお眼鏡に叶ったらしい。ミハエルは嫣然とする微笑むと、男の腕が腰を抱くのを好きにさせる。ここからが本番なのだ。踵の高い靴をあえて選ぶのも、全ては慣れていると見せる為。ミハエルはわざと躓くようにもたれ掛かると、男の胸元に寄り添う形を取った。

「あなたについていきます、だから、連れて行って。」
「ああ、…素敵な靴だけど、君の足を痛めてしまうのはいけないな。」

 その言葉を了承と捉えると、細い腕を首に回す。ジキルにされたときよりも、首にしっかりと抱きつく。軽々と抱き上げた男は緩く微笑むと、まるでおのが獲物を見せびらかすかのようにそっとミハエルの頬に顔を寄せた。

  


ーおやまあ、随分とお上手にはいること。

 サリエルが楽しそうに語りかけてくる。脳内に直接囁きかけられるそれに未だなれぬまま、ミハエルは連れてこられた古い建物の中に通された。中は、エントランスの両脇を固めるように曲線を描くような階段が出迎え、二階へと続く。大きなシャンデリアが吊るされ、ここを娼館として使ってもいいほどだった。家が連なる市民街の一角にあるその館には、娼館のような看板はない。

「君より少し前に、ユリという名の半魔を迎え入れたんだ。花の名を冠するだなんて、不思議なめぐり合わせだよね。」
「そうなのですか?」
「うん、ここは高級男娼館だからね。ヒュキントスの花売り、聞いたことないかな?」
「花売り、」

 エントランスに備え付けられたソファに降ろされ、靴を脱がされる。ミハエルの細い足を暖かな湯で優しくマッサージしてくれる男は、ヨナハンといった。
 ミハエルは、まだ名を告げていない。潜入にあたり、花売りは名をつけられると聞いたからだ。

「でも、不思議だよね。ここには半魔の者しか入らないことになってるんだけど、君は見たところ魔力の多い人に見える。それとも、ダンピール?」
「私をお選びになった方はなんて?」
「聞かないほうがいい、彼は変わり者だから。多分きっと気まぐれさ。」

 ミハエルは、恐らく魔力視で見つめられたであろうジキルとの褥の際に、サリエルの魔力を混じらせたことが要因だと思っていた。教えてくれないことがわかると、少しだけむくれた顔をした。

「道中、名をお与えくださるとお伺いしました。私はなんの花の名を冠するのでしょう。」
「それは館の主が決めることだな。君はどうやら特例らしいし、後で案内するよ。」

 人好きのする笑みを浮かべたヨナハンが、そっとミハエルの手のひらを握りしめる。床に膝をついたまま、まるで許しを乞うかのように見上げる。

「いいかい、ヒュキントスの花売りには、ルールがある。一つは、主が示した男の世話をすること。ニつ目は、ここの男娼だとひけらかさないこと。そして、最後は、20歳になったら館を出ること。花売りは、19歳までだ。」

 ヨナハンはミハエルの手を励ますように握りしめる。年齢制限については聞き及んでいたが、まさかそこまで念を押されるほどだとは。ミハエルは小さく頷くと、ヨナハンは聞き分けがいい子を褒めるかのように微笑んだ。

 館の中は、妙に静かだ。さきにシスがユリとして入っているのを聞いていた為、ミハエルは人影を探すように目をうろつかせた。

「君は治癒が使えたよね、治癒の程度はどのくらい?」
「…そうですね、両親が医師だったので医術の心得はあります。以外と重宝がられるのですよ。従軍男娼としても随行していった経験もありますし。」
「そりゃあいい、…なら具合の悪い子がいたら見てもらおうかな。」

 ヨナハンの言葉に、ミハエルは綻ぶように笑う。内心は大汗をかいていたが。このヨナハンの言葉を汲み取る限り、すでに薬の影響で体を壊しているものがいそうであった。変に言葉を使えるのも違和感が残る。ミハエルはヨナハンの頬を両手で包むと、ゆっくりと唇を開く。

「それをして、僕にメリットがあるのなら喜んで。」
「いいね。強かな君も素敵だ。」

 小さく笑いながら顔を寄せてきたヨナハンに、小さく息を詰める。キスをするように鼻先を当ててきたからだ。ミハエルはフルリと瞼を震わすと、ゆっくりと目を開く。

「貴方が私のお客様になるのなら、唇は許しましょう。」
「おやまあ、君はどうやら頭も良さそうだ。」
 
 お相手願いたいけど、俺が君の客になることはなさそうだ。そう言うと、そっとミハエルの頬に口付せた。目をつむりそれを許したミハエルが、ゆっくりとヨナハンを抱きしめる。

ーミハエル、落とすのはこの男かな?うまく立ち回れるように、俺がお祈りしてやろうか。

「…、」

 楽しげに笑うサリエルの声に、ヨナハンの肩に顎を載せたミハエルの整った眉が寄せられた。心のなかで、黙りなさいとつぶやく。そんなこと、されなくたってきっと上手くやって見せる。
 ざわりと波打つミハエルの魔力に、サリエルはキャハッと笑うと、おお怖いと囁いた。
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