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 空気が重い。ジキルはベッドの上で縮こまって膝を抱えるミハエルを心配そうに見る。華奢な体を小さくした姿は幼子のようにいとけない。
 肩を震わすミハエルを見下ろすサディンの纏う空気感が、ジキルにはなんとも鋭く感じてしまっていけなかった。

 小さな体は、まるで自分を抱きしめるかのようであった。ジキルは具合が悪いのかと心配をしたが、サディンの無骨な手のひらがミハエルの細い首筋に触れるのをみて、どうやら自分が率先して気にかけなくても良さそうだと、そっと様子を伺った。

「熱いな。泣いているからか。」
「べつに、大丈夫です…」

 明らかに強がりだとわかる言葉だった。サディンは目元を赤くしたミハエルの頬にその手を滑らせると、そっと擦るように親指で涙を拭う。
 これで、思いが通じ合っていないほうがおかしいだろう。ちらりと目配せをしたカルマとシスも、若干呆れたような顔をして頷く。
 わかりやすく不機嫌なのに、過保護なのは変わらないらしい。ミハエルはサディンの大きな手のひらに触れられることが恥ずかしいようで、うろ…、と視線を泳がせる。
 
「あ、あの」
「カルマの諜報で、お前も箱庭の一員に指名されることがわかった。」
「え、…」

 そっと手を離したサディンがミハエルに背を向ける。触れられたところが熱い。サディンは、ミハエルから背を向けるとシスを見た。

「いつ出れる。」
「すぐにでも。もう準備はできてるよ。」
「なら先にシスを潜入させる。まあ、妥当だろう。それと、ミハエルと共有はしなくていい。変な先入観など持たれても困るからな。」

 まるで突き離すようにそんなことを言う。仕方ないとわかっている。ミハエルは口を真一文字に引き結ぶと、じわりと涙を浮かべる。

「どうやら先方もミハエルのウブさを買っているようだ。そうだろうカルマ。」
「うん、まあ言い方ってもんはあると思うけどね。」

 水を向けられたカルマは、心配そうにミハエルを見る。大人しくしているミハエルの手は拳になってシーツを握りしめている。その背後で背もたれに甘んじている獣化したサリエルは、優雅に組んだ前足に顎を乗せたまま、大人しくサディンを見つめていた。

「ミハエル、お前は程々でいい。経験が少ないのは最初から判っている。だから、別に断っても」
「やります。」
「…潜入したら、ふりを続けることも出来んかもしれないが。それでもやるのか。」
「やります。僕の決意をあなたが否定しないで下さい。」

 サディンは真意を図るかのように、黙ってミハエルを見つめていた。やがて疲れたかのように溜息を吐くと、シスを見た。

「シス、わかっていると思うが、」
「うん、」

 ニコリと笑ってコクリと頷いた。ミハエルの目の前での二人のやり取りに、その心の内がざわりと波打つ。まるで、ミハエルには期待していないと言われているような気がした。その緑の瞳が揺らめく。ぼろりと一粒涙をこぼしたミハエルは、サディンの目の前にいたシスだけが見ていた。

「サディン、」
「なんだ、仕事の話は、ーーーーっ、」

 シスが声をかけたかと思えば、立ち上がったミハエルがふらふらと近づいて、その襟首を掴んでグイッと強く引っ張った。がくんと崩れた体制を慌てて直す。身体をひねって向き直ることで後ろに転がることを防いだサディンは、こめかみに血管を浮かせると、その悪意を持ったミハエルの腕を強く掴んだ。

「っなんだ!!」
「あな、あなたは!!っ…あな、たは…っ、ひぅ、うー…」
「ああ!?」

 なんで泣く!サディンの通る声の語気が強まる。握りしめたミハエルの細腕には、サディンの魔力で負わせてしまった火傷の痕が残る。まるでそこを覆うように掴んでしまってから気づいた。己が思うよりも、ずっとミハエルは華奢だということ。

「僕は、っ…!」

 ミハエルは、呼気を震わしながらしおしおと俯いてしまった。こうして今更になって、ミハエルは己の下心で任務に参加してしまったことを思い至った。悔しい、ミハエルは自分が途端に恥ずかしくなった。ミハエルは、この任務がうまく行けば、サディンが大人だと認めてくれて、そして沢山褒めてくれるかもしれないと思っていた。
 蓋を開けてみれば、ミハエルは自分の思っていた以上にそういったことに耐性がなく、しかも粗相までしてジキルにも迷惑をかけてしまった。こんなので、自分の思っていたのと違うからって、サディンに八つ当たりをするのは違う。
 ミハエルは、ゆっくりと顔をあげる。たくさんの思いを涙に変えたその瞳では、ぼやけて大好きな人の顔が不明瞭だった。でも、それでいいのかもしれない。自分のせいで怒ってる顔は、怖くて見れない。

「何が不満だ。言わないとわからない、」
「っ…あ、し、シス、シスさんの次は、僕が…」
「そんなにメンタルガタガタでよく言えるな。無理だと思うならやめてもいい。」
「っや、やだ!」

 苛立ったような顔でミハエルを見るサディンには、きっと真意はわからない。まるで駄々をこねるかのようなミハエルの背後で獅子が立ち上がるようにして人型になると、まるでサディンから引き剥がすようにしてミハエルを背後から抱きしめた。

「面倒くさいなあ人間は。お前は一つを見れば百を知れるほどの有識者か?地頭はよろしいようですが、やはりお前は視野が狭い。」
「サリエル…!僕はあなたを呼んでない!」
「心をここまで軋ませてよく言う。ふふ、息子様よ、悪いがミハエルの好きにさせてもらうぞ。お前がこの子の行動を止める枷になんかなれるものか。」

 だってお前は、この子の何でもないだろう?サリエルは黒い眼球に真っ赤な瞳孔でサディンを見つめると、抱き込んだまま足元から漆黒の炎を現した。

「っ、まて!」
「オイトマ?させて頂く。」

 まって!というミハエルの声が炎によってかき消された。突然の火元のない出火に、サディンを除いた三人が狼狽えたのもつかの間。伸ばした手で触れるまもなく二人の姿は炎に飲み込まれて消えた。

「な、んだいまの…」

 わけのわからないまま、ジキルが口にした言葉は、その場の総意だった。サディンは伸ばした手を握りしめると、ゆるゆると体の横に下ろす。

「ミハエルはあいつの愛し子になったからな。あの、人外の神の。」
「え、」

 サディンの言葉にシスが絶句する。人外の神が愛し子を定めるのは知っている。しかしそれは、並大抵のことではない。余程なにか惹かれるものがない限り、そして、魔力が多くなくてはいけない。
 ジキルははたと気づく。そう言えば左胸のあたりにグロリオサの花紋があったのだ。燃えるような花弁を持つそれは入れ墨だと思っていたが、もしかしたらあれがミハエルの愛し子の証かと納得する。

「左胸に主張のつええ紋があったけど、あれか。たしかに先生には似合わねえなあと思ったけど…なるほど。」
「ばか、ジキルばか!」
「ああ!?誰がばかっ、おうっふ…」

 サディンの刺々しい雰囲気が強くなる。そんな痣など、サディンは知らない。小さなときからミハエルを見てきたサディンの知らない部分を、任務とは言えジキルが知っているのが癪に障る。無駄吠えをするつもりなどないが、オーラには出てしまう。
 サディンのあからさまな空気の変化に、シスは面倒くさいと言わんばかりに顔を顰めた。


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