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「さ、サディンくん!」
やかましい台車の音を追いかけるように、ミハエルの声が飛んでくる。サディンは何度目かわからぬため息を吐くと、とりあえずは首だけ動かして肩越しに振り向く。
ミハエルは邪魔そうな裾広がりのボトムスを捌きながら駆け寄ると、なんだか不思議な顔色をして宣った。
「父に伝言があるなら僕が伝えますから、だから一人で帰ります!」
「お前さあ、一応騎士団長だぞ。細っこい奴放ったらかして見過ごしてたら、部下になんて言われるか。」
「あ、で、でも、」
「でもじゃねえ、」
もう話は終わりだと言わんばかりの態度であった。若干このやり取りに面倒臭さも感じているようだ。聡いミハエルはそんなサディンの様子にしおしおと大人しくなると、沢山話せて嬉しいという感情と、怒らせてしまったかもしれないといった色の違う感情を混ぜたような複雑な心境で、とぼとぼと後ろをついていく。
サディンは自身の背後でわかりやすく落ち込むミハエルには気づいていたが、特に気に掛ける様子もない。がろがろと音を響かせながら渡る回廊で、歩く音が一つになったことに気がつくと、漸くサディンは眉間のしわを一つ増やしながら振り向いた。
「ミハエル。」
見慣れた小柄な青年が、子供の頃と同じ落ち込み顔で下を向いていた。なにか言いたいことがあるときに、少しだけ下唇が出る癖はまだ直らないらしい。
なにが医術局の白百合だ。見てくれは確かに在りし日のルキーノ似ているが、やはりサディンにとってミハエルは、聞き分けができない小さな子供のままだった。
「僕のこと、嫌いですか…」
「お前それ一番面倒くさい質問だぞ。」
「すみません…」
やべ、とサディンは渋い顔をした。なんの気無しに言い過ぎた。父譲りの赤髪をボリボリとかくと、胸に溜まったもやもやを薄めるように、ゆっくりと深呼吸をした。
「嫌いじゃない、だけど付き合うのは無理だ。」
「まだ何も言ってません…」
「一月前と気持ちは変わんないよ、ミハエル。おれはお前をそういう対象には見れない。」
ミハエルが口にしなくても、顔に書いてある。毎度思うが、なんで俺なのだろうとサディンは思っていた。
ミハエルの父親と共に、サディンはよく遊んでやったし、なんならオムツだって変えてやったこともある。小さなときから惜しげもなく、ありとあらゆるミハエルの姿を見てきたサディンにとって、ミハエルはどちらかと言うと親族のような目でしか見れない。
「お前の下の世話だってしてたんだぞ。むしろ俺にとってはお前は二人目の弟みたいなものだ。」
「………。」
「3回断った。4回目はいい加減怒るぞ。」
「ぼ、」
僕が処女だからだめですか。と言おうとして口を噤んだ。そんなはしたない言葉、口にしてサディンに幻滅されたくはなかったのだ。
ミハエルがなにか言いかけたのを待ってくれるサディンは、やっぱり優しい。その薄緑の瞳をサディンに向けると、ミハエルは眉を下げて笑った。
「怒られるのは本意ではありません、怖いのは嫌だから、しばらくは大人しくしています。」
「ああ、そうしてくれ。それにしばらく惚れた腫れたはいらないよ、お前ももっとまともなやつを選べ。」
「…そこはサディンくんに勧められたくはないです。」
下唇を突き出してむくれる。ミハエルはサディンが大好きなのに、そんな好きな人から違う人を好きになれとは言われたくなかった。
少しだけソールの高い靴をかつかつと鳴らしながら、サディンに近づく。その勢いになにか腹に隠しているのかと、頭一つ分は背の高いサディンが後退りをすると、ミハエルはその台車の取手を握りしめた。
「やっぱり、僕一人で持っていきます。サディン君に意地悪を言われたので、僕も意地悪をします。用があるなら僕がいない時にどうぞ。お疲れ様でした、さようなら。」
「…おまえ、やっぱダラスに似てるわ。」
ニコリと笑って言い返したミハエルの言葉に、サディンは引きつった笑みを浮かべた。やはり白百合なんかではない。見た目は確かに天使だが、一筋縄では行かない性格である。
サディンの騎士としての務めを無理くり放棄させたミハエルは、その重い台車をえいやと押して、その足音を響かせてサディンに背を向けた。
後ろで面倒臭さそうな顔をしているサディンの顔は、想像に容易い。なら、サディンは今、ミハエルがどんな顔をしているかわかるのだろうか。
「っ、」
わかられてたまるか!ミハエルは唇を引き結んで、目に涙を溜めた今にも泣き出しそうな顔で、取り繕うように颯爽と歩いていた。
ああ、サディンに触れられた幼い頃の自分が羨ましい。大きくなれば、もっとそばに行けると思ったのに。体はともかく、ミハエルがいくら手を伸ばしても、サディンの心に触れることはできそうにない。同じ場所に立ててすらいない、だから相手にされないんだ。
ぼたぼたとついに溢れた涙を、乱暴に袖で拭う。きっと恋愛小説なら、今ここで王子様がミハエルの手首を握って、引き寄せながら抱きしめてくれるに違いないのに。
それでも、そんなことをするサディンは想像ができなくて、そして似合わなさすぎて小さく吹き出した。泣いて笑って、情緒が忙しい。
それでも、この胸の痛みがサディンによって引き起こされたものだということを考えると、ミハエルはやっぱり、サディンが好きだなあと思うのであった。
やかましい台車の音を追いかけるように、ミハエルの声が飛んでくる。サディンは何度目かわからぬため息を吐くと、とりあえずは首だけ動かして肩越しに振り向く。
ミハエルは邪魔そうな裾広がりのボトムスを捌きながら駆け寄ると、なんだか不思議な顔色をして宣った。
「父に伝言があるなら僕が伝えますから、だから一人で帰ります!」
「お前さあ、一応騎士団長だぞ。細っこい奴放ったらかして見過ごしてたら、部下になんて言われるか。」
「あ、で、でも、」
「でもじゃねえ、」
もう話は終わりだと言わんばかりの態度であった。若干このやり取りに面倒臭さも感じているようだ。聡いミハエルはそんなサディンの様子にしおしおと大人しくなると、沢山話せて嬉しいという感情と、怒らせてしまったかもしれないといった色の違う感情を混ぜたような複雑な心境で、とぼとぼと後ろをついていく。
サディンは自身の背後でわかりやすく落ち込むミハエルには気づいていたが、特に気に掛ける様子もない。がろがろと音を響かせながら渡る回廊で、歩く音が一つになったことに気がつくと、漸くサディンは眉間のしわを一つ増やしながら振り向いた。
「ミハエル。」
見慣れた小柄な青年が、子供の頃と同じ落ち込み顔で下を向いていた。なにか言いたいことがあるときに、少しだけ下唇が出る癖はまだ直らないらしい。
なにが医術局の白百合だ。見てくれは確かに在りし日のルキーノ似ているが、やはりサディンにとってミハエルは、聞き分けができない小さな子供のままだった。
「僕のこと、嫌いですか…」
「お前それ一番面倒くさい質問だぞ。」
「すみません…」
やべ、とサディンは渋い顔をした。なんの気無しに言い過ぎた。父譲りの赤髪をボリボリとかくと、胸に溜まったもやもやを薄めるように、ゆっくりと深呼吸をした。
「嫌いじゃない、だけど付き合うのは無理だ。」
「まだ何も言ってません…」
「一月前と気持ちは変わんないよ、ミハエル。おれはお前をそういう対象には見れない。」
ミハエルが口にしなくても、顔に書いてある。毎度思うが、なんで俺なのだろうとサディンは思っていた。
ミハエルの父親と共に、サディンはよく遊んでやったし、なんならオムツだって変えてやったこともある。小さなときから惜しげもなく、ありとあらゆるミハエルの姿を見てきたサディンにとって、ミハエルはどちらかと言うと親族のような目でしか見れない。
「お前の下の世話だってしてたんだぞ。むしろ俺にとってはお前は二人目の弟みたいなものだ。」
「………。」
「3回断った。4回目はいい加減怒るぞ。」
「ぼ、」
僕が処女だからだめですか。と言おうとして口を噤んだ。そんなはしたない言葉、口にしてサディンに幻滅されたくはなかったのだ。
ミハエルがなにか言いかけたのを待ってくれるサディンは、やっぱり優しい。その薄緑の瞳をサディンに向けると、ミハエルは眉を下げて笑った。
「怒られるのは本意ではありません、怖いのは嫌だから、しばらくは大人しくしています。」
「ああ、そうしてくれ。それにしばらく惚れた腫れたはいらないよ、お前ももっとまともなやつを選べ。」
「…そこはサディンくんに勧められたくはないです。」
下唇を突き出してむくれる。ミハエルはサディンが大好きなのに、そんな好きな人から違う人を好きになれとは言われたくなかった。
少しだけソールの高い靴をかつかつと鳴らしながら、サディンに近づく。その勢いになにか腹に隠しているのかと、頭一つ分は背の高いサディンが後退りをすると、ミハエルはその台車の取手を握りしめた。
「やっぱり、僕一人で持っていきます。サディン君に意地悪を言われたので、僕も意地悪をします。用があるなら僕がいない時にどうぞ。お疲れ様でした、さようなら。」
「…おまえ、やっぱダラスに似てるわ。」
ニコリと笑って言い返したミハエルの言葉に、サディンは引きつった笑みを浮かべた。やはり白百合なんかではない。見た目は確かに天使だが、一筋縄では行かない性格である。
サディンの騎士としての務めを無理くり放棄させたミハエルは、その重い台車をえいやと押して、その足音を響かせてサディンに背を向けた。
後ろで面倒臭さそうな顔をしているサディンの顔は、想像に容易い。なら、サディンは今、ミハエルがどんな顔をしているかわかるのだろうか。
「っ、」
わかられてたまるか!ミハエルは唇を引き結んで、目に涙を溜めた今にも泣き出しそうな顔で、取り繕うように颯爽と歩いていた。
ああ、サディンに触れられた幼い頃の自分が羨ましい。大きくなれば、もっとそばに行けると思ったのに。体はともかく、ミハエルがいくら手を伸ばしても、サディンの心に触れることはできそうにない。同じ場所に立ててすらいない、だから相手にされないんだ。
ぼたぼたとついに溢れた涙を、乱暴に袖で拭う。きっと恋愛小説なら、今ここで王子様がミハエルの手首を握って、引き寄せながら抱きしめてくれるに違いないのに。
それでも、そんなことをするサディンは想像ができなくて、そして似合わなさすぎて小さく吹き出した。泣いて笑って、情緒が忙しい。
それでも、この胸の痛みがサディンによって引き起こされたものだということを考えると、ミハエルはやっぱり、サディンが好きだなあと思うのであった。
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