狼王の贄神子様

だいきち

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 牙に貫かれたモラリアの核は、深く穿たれていた。魔力を練り直そうとしているのだろう。しかし、モラリアの体は原型を失うように崩れていくせいで、魔力は霧散していった。
 
「持ってて、よかった。本当は使いたくなかったんだけど」
「ぅ、お、お前……っどうじ、で……っ」
「わかんないかな、モラリア。同じ魔力を持つものは引き合うんだよ」
 
 ウメノの冷たい瞳が、真っ直ぐにモラリアを射抜いていた。すぐには死ねない体だ。だからこそ、モラリアは意識を持ったまま体が溶けていくという、気が狂うような現象に苛まれている。
 
「楽になりたいか。だけどな、俺もきっちりと落とし前をつけたいんだよ」
「くそへび男……‼︎」
「ルスフス、いいよ」
「承知」
 
 大蛇の喉が広がって、返しのついた牙を無理やり引き抜くようにモラリアを放り投げた。平原の、ミカヅキ草がゆっくりと花開いていく。結界の外は、まもなく太陽が沈もうとしている。ようやく魔素が充満しようとしているのに、それを利用することも叶わなかった。
 
「胃袋で悔いな。死鬼モラリア」
 
 体の核から、黒い炎が噴き上げる。大蛇であるルスフスはそれすらも厭わずに大きな口で飲み込むと、長い肢体を絡ませるように鱗の隙間に光を走らせる。ルスフスの持つ、全ての毒が胃袋の中でモラリアを溶かすと、その巨躯はゆっくりと影に溶けるようにして人の体に戻った。
 
「っ、ルスフス」
 
 手にしていた、モラリアの魔石が地べたに落ちる。ルスフスはぐらりとよろめくと、そのまま花を散らすようにして倒れ込んだ。
 ルスフスは、ウメノに喚ばれる形で再び姿を現した。わずかに残った魔力を使い切った転化は、体に大きな負担をかけていた。
 死を免れぬ局面を感じた時、ルスフスは一度だけ本性からくる防衛本能が働く。己の意思を無視した変わり身は、魔力のほとんどを使う防衛膜。蛇が脱皮をするように魔力の盾が体を覆うのだ。その場からの転移は、召喚という形で体の一部を持っているものによって成されるものだった。
 
「小僧、なんでお前は生きておった」
「……だてに魔族やってねえよ。俺はあんなかで脱皮した」
「だ、っぴ?」
「あーあ……バレたくなかったなあ……ウメノちゃんにだけは……」
 
 小さな手のひらが、ルスフスの頭を膝に乗せる。見上げれば結界がとけ、美しく燃える空が広がっていた。
 
「お前がそうでありたいなら、知らんぷりしてあげててもよかったんだけどね
「ウメノはお前が最初から魔族だというのを気がついておったぞ」
「ああそう、本当に叶わないなあ……俺の好きな子は」
 
 黒い鱗の浮いた手を、そっと額に添える。ルスフスの左目は縦に割れたままだ。本性である毒龍ヒュドラ、それがルスフスの正体であった。
 ルスフスは異質だ。名前持ちとして生まれ、人型も取れる。一度きりの生を好奇心に捧げるために訪れたアキレイアス国で、周りに馴染んで生きてきた。
 でも、獣人にとって魔物は敵だ。魔族もまた同じであった。だからルスフスはずっとひた隠しにして生きてきたのだ。
 
「でもねルスフス、人のために自分を犠牲にしようとする魔族を、誰が嫌いになるっていうのさ」
「そうだぞ。お前、ヒュドラ討伐の時にウメノを守って仲間を殺したろう。我はそこからお前をすいておるよ」
「おじさんから好かれても、これっぽっちも嬉しくねえんだよなあ」
 
 力が抜けていく体に、ウメノが手を添える。暖かな手のひらを、ルスフスは覚えていたいなと思った。
 無理な転化を繰り返した体は磨耗して、もう指先一本動かせはしない。かすみゆく視界の中で、ウメノをぼんやりと見上げていた。
 
「泣いてくれないの、ウメノちゃん」
「泣かないよ。未練がある方がいいだろ」
「ああいいねえ……そんな、クセのある性格も……きだ……」
 
 ルスフスの言葉は、最後までは聞き取れなかった。それでも、瞼を閉じた白い顔に滲む鱗にそっと触れる。ウメノは、優しい目をしていた。
 囁くような声で何かを呟く。ウメノは身を屈めるようにして、動かなくなったルスフスの冷たい唇に口付けを送った。
 
 
 
 
 
 
 サワサワと風が吹いている。あの戦いから、もう一月が経った。ウメノは相変わらず、頭頂部の一本をご機嫌に揺らしながら歩いている。
 珍しいのは、それが中庭の外ということだ。手にはユドから礼としてもらった、ザントマンの砂。ユドの仲間の魔石は奪われたが、代わりにモラリアの魔石はユドがもらった。
 魔族らしく、魔石を取り込んだのだ。土属性だけではなく、氷結属性も身に宿したユドは見た目も変わった。
 身を満たした魔力が濃く、体が適応するために若返ったのだ。今は、その体であちこちを旅することにしたらしい。
 一応、ユドを呼び出すためのベルは受け取った。契約はできないと断わったから、友好の証として。
 戦いの舞台となった平野は、ユドが土魔法を使って元通りにしてくれた。花はいくつか散ってしまったが、あれだけ魔素の濃い空間だ。そのうちすぐに元に戻るだろう。
 ウメノの肩に、アモンが留まった。鳥らしくないネメスが違和感を残しているが、見えない表情の向こうではしっかりと呆れを宿している。
 
「ああ、これから面倒くさいことになるぞ。童は本当に、面倒ごとが好きだなあ」
「何言ってんのさ。ようやく申請が降りたんだ、今から何ができるかって考えたら、ワクワクが止まらないでしょ」
「ああ、まあお前が満足ならそれで良いよ。だがしかし、カエレス様も酔狂なことをする」
 
 城の中で、一番広い場所は謁見の間である。カエレスはウメノのとある提案を受けて、面白そうだから構わない。と二つ返事で了承してしまったのだ。
 大きな両開きの扉を、アモンが開ける。広い空間のその先に用意された、二つの玉座。そこにはすでに話を聞きつけたティティアがいた。しかし、腰掛けているのはカエレスの膝の上である。もはや玉座は一つでいいのではと提案した過去があったが、体裁とは大事なのだ。と言われてから、口を挟むのもやめた。
 
「ウメノ! 待ってた!」
「ティティアー! かっこいいとこ見せるからね! ちゃんと最後まで見といてよ!」
「やれやれ、大丈夫だとは思うけど、年のため結界は貼らせてもらうよ。アモン、頼めるかな」
「よしきた」
 
 大きく羽ばたいて、アモンが玉座の前まで飛んでいく。広間を見下ろす位置だ。眼下には巨大な陣が敷かれており、見れば召喚魔法のようだった。
 まさか謁見の間に陣を刻むなど前代未聞である。しかし、ことを内密に行うのには実に適した場所だった。
 ウメノが、人の手前まで足を進める。大掛かりな術を使うのだから、正装をすればいいのに。そんなことを思うアモンの目に映るウメノの姿は、相変わらず着丈が体にあっていないチュニックだ。
 だらしのない袖を見せつけるように、ウメノがゆっくりと手をかざす。アモンはそれを合図と取るように、大きな羽を広げて結界を展開した。
 
 
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