狼王の贄神子様

だいきち

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 ミツのところへ行くための理由を、ロクが見つけた頃合いとほぼ同時刻。裁縫屋でもあり、仕立て屋でもあるきのみの山の店主、ミツはというと。
 
「バカじゃん! 本当にバカじゃんミツのちび‼︎」
「ぅわああぁ自分が一番自覚してるから、これ以上僕をいじめないでええ‼︎」
 
 まるで、酒で管を撒くようにミツが叫んだ。手には、きのみから抽出される酒精の強い酒が入った器。またたび酒を嗜むマチの隣で、横長のテーブルに突っ伏すようにしてひんひんと泣いている。
 蜂蜜と麦という名の飲み屋で、二人の反省会は二日目に入っていた。きのみの山は、ロクが帰ってからは店主の都合上でお休みにしたのだ。幸い、滅多に人が来ることはない店だ。需要が少ない店の、唯一の顧客であるロクのために開いているようなものである。
 飲み口の広いコップを見下ろすように萎れている。涙で何度水面を揺らしたことか。ヒックとしゃっくりを上げるマチの横で、ミツは酒精でゆるふわになった頭のまま、後悔を噛み締めるように宣う。
 
「なんでえ……なんで僕あんなこといっちゃったんだろおぉお……」
「本当はロクさんに今食べてもらいたいんです! どうか僕から目をそらさないでお願いします! でしょ。その下りは億万回聞いたわよ」
「うぁあマチルダさんん……っぼ、僕振られちゃったかなあぁ……」
「振られたかどうかなんて知らないわ。ほらあんたたちいつまで飲んだくれてんの。良い加減店じまいすんだから出てってちょうだいな」
「酷ぃい……っ」
 
 マチ行きつけの飲み屋の主人である、牛獣人のマチルダは、この辺りの飲み屋を仕切っている。髭を嗜む淑女を自称する通り、無骨な指先からは想像もつかない繊細さで長い髪を耳にかけると、ミツを見下ろすようにカウンターに頬杖をつく。
 
「惚れ薬に頼るほど野暮な恋愛はないわ。それで? あんたが射止めたいと思ってるお相手はどこのどいつよ」
「鬼族のロクさん……、僕が馬車に轢かれそうになったところを助けてくれたんだ……」
「なんの仕事してるのかはわかんないけどね、俺も見たことあるけどすんごいおっきい人! 多分マチルダよりも背が高いよ!」
「あらやだ私に紹介しなさいよ。あんたたちみたいなちび相手にするのも飽きたのよ」
 
 ヤダァ‼︎ ミツの情けない声に、マチルダはどうしようもないと言わんばかりに肩をすくめた。薄茶の髪から覗く、小さな丸耳がヘニョリと下がっている。一般的に愛らしいと言われる部類の小動物系獣人の中でも、リス獣人は特に小柄だ。
 今までミツが恋心を寄せてきた相手を知っているが、特に今回は難しそうだ。友人の猫獣人であるマチもまた、同意見らしい。
 実らない可能性の方が大きかったのだ。今回はもう諦めて、小型獣人の中から恋人を探す方が無難な気もする。マチは小さな背中を丸めるミツの背に手を添えると、慰めるように優しく叩く。
 
「なんで今回はそんなに諦めが悪いんだよ。確かに応援はしたけどさ、あの人ちょっと見た目も怖いし、もしかしたらやばそうな仕事してるかもしれないじゃん。今回はもう諦めて、次に期待しようよ」
「ロクさんのこと何にも知らないくせに、なんて事いうんだマチのばか! 今までの人と全然違うよっ! ロクさんは……ロクさんは……」
 
 ミツの翡翠の瞳に、じわりと涙が滲む。
 思い出すのは、ミツが前の恋人に別れを告げられたあの日であった。
 
 体が小さいから、ミツとは恋人らしいことできないじゃん。そう言われて、恋人だった犬獣人の男は、ミツを捨てて別の恋人を作った。
 低身長を気にするミツにとっては、それはとんでもない裏切りであった。仕事も手につかないほど落ち込んで、枕を濡らす日々。それでも、締切のある仕事はミツの心の傷が癒えるのを待ってはくれない。バルで使いたいからと言われて注文を受けた、店の看板代わりの旗の刺繍。作業を終えたミツが、それを箱に入れて持っていこうとしたところで事件は起きたのだ。
 
——危ない‼︎ 小さな子がいるぞ‼︎
 
 大きな声で叫ばれた言葉に、ミツは何事かと思った。ついで、けたたましい馬のいななきと、木の箱をはねるような音がして、市井は悲鳴に包まれた。
 弾け飛ぶ砂利、砂煙があっという間に視界を遮り、ミツだけを置いて時が動き出す。何が何だかわからないまま、引き寄せられるように視線を向ければ、ミツの目の前で大きな馬車が浮いていた。
 
「え?」
 
 緩やかな階段を、馬を失った馬車は弾むように降りてきたというのか。木目を隠すように、黒く艶やかに塗られた車体が、ゆっくりと回転しながら頭上を通り過ぎようとする。思わず頭を抱えてしゃがみ思うとして、できなかった。持っていた箱を思い出して、ミツの動きが遅れたその時。外れた車輪がミツの顔へと飛んできた。
 
(あ、死ぬ)
 
 納品用の箱で、防ぐという手も浮かばなかった。小柄な体のおかげで、もしかしたら避けられると思ったのに。弾かれた砂利が、ミツの頬に赤い筋を残したその時。服の襟を掴まれるようにして、小柄な体は引き寄せられた。
 ミツの服の袖を破くようにして、車輪が勢いよく過ぎ去っていく。積み重ねられた樽を破壊する音がして、ミツは何かに包み込まれるようにして転がった。
 
「きゃいんっ」
「っ……、」
 
 頭上から木片が降ってきて、そのうちのひとつがミツの頭にぶつかった。木箱を抱きしめたまま、片手で思わず己の頭に触れようとすれば、ぺちりと滑らかな何かに触れた。
 
「……無事か、少年」
「うぇ……?」
「ああ、無事だな」
 
 上から降ってくる声に、ようやくミツは状況を理解した。太く、男らしい腕に腹を抱えられて、己は見知らぬ人の体を下敷きにしている。吹き出した冷や汗に慌てて顔を挙げれば、目の前には神話にでも出てきそうなほど、上等な顔をした男がミツを見下ろしていた。
 
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