71 / 111
13
しおりを挟む
「いつまでしょげてる」
「……しょげて、ない」
「随分とバレる嘘をつくんだな、お前は」
呆れたような、少しだけ笑いまじりのヘルグの声がした。病室の、白い床を見つめていたハニの手が、きゅうっと縮こまる。
まろい頰に無骨な手が触れると、観念するように顔を上げた。
「泣きそうだ」
「お、俺」
「辞めるとか言うなよ、ハニ」
ヘルグの灰色の瞳が、真っ直ぐにハニを映していた。
辞めたい、という言葉を遮られて、ハニは出かけた本音が喉に使えて、喘ぐように酸素を取り込んだ。
ひっく、と喉が震えた。ヘルグの瞳に閉じ込められたハニが、ぼたりと涙を流した。
あれだけ見られたくなかった、情けない顔を晒している。大人なのに、気を抜いてしまえば泣き声も漏れてしまいそうだった。
嫌だ、見られたくない。手で顔を隠そうとして、出来なかった。ヘルグの大きな手のひらがハニの手を引いたのだ。強引な強さではない、ハニの意思を窺うような優しい力加減だ。
ハニは流されるままに、立ち上がったヘルグに抱き締められた。
厚みのある鍛えられた体は今、ハニを守った傷を覆うように包帯が巻かれている。
「頑張った」
「う、ぅう……っ、く」
「お前は、立派に向き合った。それは、俺がきちんと見ていたぞ」
「ぅ、ン゙……っ……」
ひどい声だ。それでも、ヘルグは笑わずに抱きしめてくれる。
ハニの涙が、じわじわと白い包帯に染み込んでいく。胸板に手を添えて体を離そうとすれば、大きな手のひらがそっとハニの髪を撫でた。
(離れなきゃ、だめなのに)
「もうすこし、このままでいい」
「見られたら、め、迷惑かかる」
「だれにだ」
「へ、ヘルグに」
暖かい体温も、安らげる手のひらも。今のハニにとっては何者にも代えがたいほど、心が欲している。それでも、口さがない噂にヘルグが巻き込まれる事を天秤にかけてしまえば、もっとを求めることも躊躇われる。
「っ、はな、はなせ」
「だれに、言われた」
「うぇ、っ」
背中に回された腕に力が入る。ヘルグの声は、少しだけ低かった。恐る恐る、ハニは顔色を窺うように見上げた。
灰色の、澄んだ瞳に閉じ込められていたのは、だらしのない顔をした己自身だ。
「……おれ、……あんたといると、きっと泣く」
「……」
「じ、自分が、っ……なんにも、できないやつだって、自覚するから……っ、まもりたい、やつも……おれ、ま、守れなかっ、た」
ハニが、もっとちゃんと強かったら。ヨギを気にかけていれば。なによりも己の村のことを考えていれば。
沢山の後悔が、滾々と胸の内側に湧き上がる。兎だから、弱いから何も守れない。誰かのために尽くしたくても、うまくいかない。
努力を受け入れられない。独りよがりの好意でヨギを苦しめ、助けられなかったことが、己の力不足を示す何よりの証明だ。
ハニの頬を滑る涙を、ヘルグの指先が受け止めた。
「お前は……、少し欲張りがすぎる」
ヘルグの言葉に、オアシスの瞳が揺れた。灰色の瞳は、静かにハニを見つめ返す。
「全てお前が守っていたら、誰がお前を助けるんだ」
「っだ、だって」
「己の力量を理解するのも、強さの一つだ。それに、お前は自身の本当の強さを理解していない」
「本当の、つよさ……?」
無骨な手のひらが、ハニの手を取った。薄い手のひらを覆う、白い肌に似合わぬ皮の手袋。
差し込まれたヘルグの指が、ゆっくりとハニの手に重ねるようにそれを取り去った。
現れた素肌は、氷結魔法の練度を上げてきたハニの、努力の痕が散らばっていた。
「諦めない、執念深く一つのことを貫く。この手はお前よりも雄弁だな」
「それは、ナメられないためで……」
「その努力を、普通と取っている。それができるものが限られていることは、俺が一番理解している」
薄い手のひらに指が絡まる。節ばったヘルグの手は大きくて、細かな傷が目立った。ハニの手と同じ、マメを潰して育てたものだ。
まだ、ハニの手はヘルグのように皮に厚みはない。剣を握るよりも、術を操る方が多いからだ。
同じ数だけの努力を、手のひらに重ねている。ヘルグの言葉の意味がわかったとき、ハニは胸の内側が熱くなった。
「泣いていい、お前の悲しみも全部、俺が一番近くで受けとめてやる」
「それは、……」
「何のために背中に傷を作ったと思う。お前はその責任を、俺の側で一生背負っていけ」
ハニの手の甲へと、唇を寄せる。横暴にも聞こえるヘルグの言葉に、ハニは白い肌をじわじわと染めていった。
「なんで……」
「なんではいらない。いるのは、お前の素直だけだ」
ヘルグの触れたところが熱い。振り払うこともできるはずなのに、安心できる手のひらを知ってしまった今、それに抗うことはできなかった。ずっと、強くならなくてはと思い、背筋を伸ばして生きてきた。もう、いいのだろうか。
ヘルグの鼻先が、そっとハニの髪に寄せられた。思わず竦ませた身を宥めるように背中を撫でられて、ゆっくりと体の力を抜く。柔らかい唇が額に触れて、微かに肩が跳ねた。
「……目を瞑れ、すぐに終わる」
「や、わ、わかんない」
「大丈夫だ、委ねろ」
この声は、駄目だ。従いたくなってしまう。ヘルグの唇が、額から頬へ、柔らかく啄むように降ってくる。気がつけばハニは、ヘルグの手に縋るように指を絡めていた。
まつげが触れ合うような距離で視線が重なり、唇に呼気が触れた。思わず絡めた手に力が入ると、大きな手のひらが後頭部を支えるようにして唇が重なった。
「……しょげて、ない」
「随分とバレる嘘をつくんだな、お前は」
呆れたような、少しだけ笑いまじりのヘルグの声がした。病室の、白い床を見つめていたハニの手が、きゅうっと縮こまる。
まろい頰に無骨な手が触れると、観念するように顔を上げた。
「泣きそうだ」
「お、俺」
「辞めるとか言うなよ、ハニ」
ヘルグの灰色の瞳が、真っ直ぐにハニを映していた。
辞めたい、という言葉を遮られて、ハニは出かけた本音が喉に使えて、喘ぐように酸素を取り込んだ。
ひっく、と喉が震えた。ヘルグの瞳に閉じ込められたハニが、ぼたりと涙を流した。
あれだけ見られたくなかった、情けない顔を晒している。大人なのに、気を抜いてしまえば泣き声も漏れてしまいそうだった。
嫌だ、見られたくない。手で顔を隠そうとして、出来なかった。ヘルグの大きな手のひらがハニの手を引いたのだ。強引な強さではない、ハニの意思を窺うような優しい力加減だ。
ハニは流されるままに、立ち上がったヘルグに抱き締められた。
厚みのある鍛えられた体は今、ハニを守った傷を覆うように包帯が巻かれている。
「頑張った」
「う、ぅう……っ、く」
「お前は、立派に向き合った。それは、俺がきちんと見ていたぞ」
「ぅ、ン゙……っ……」
ひどい声だ。それでも、ヘルグは笑わずに抱きしめてくれる。
ハニの涙が、じわじわと白い包帯に染み込んでいく。胸板に手を添えて体を離そうとすれば、大きな手のひらがそっとハニの髪を撫でた。
(離れなきゃ、だめなのに)
「もうすこし、このままでいい」
「見られたら、め、迷惑かかる」
「だれにだ」
「へ、ヘルグに」
暖かい体温も、安らげる手のひらも。今のハニにとっては何者にも代えがたいほど、心が欲している。それでも、口さがない噂にヘルグが巻き込まれる事を天秤にかけてしまえば、もっとを求めることも躊躇われる。
「っ、はな、はなせ」
「だれに、言われた」
「うぇ、っ」
背中に回された腕に力が入る。ヘルグの声は、少しだけ低かった。恐る恐る、ハニは顔色を窺うように見上げた。
灰色の、澄んだ瞳に閉じ込められていたのは、だらしのない顔をした己自身だ。
「……おれ、……あんたといると、きっと泣く」
「……」
「じ、自分が、っ……なんにも、できないやつだって、自覚するから……っ、まもりたい、やつも……おれ、ま、守れなかっ、た」
ハニが、もっとちゃんと強かったら。ヨギを気にかけていれば。なによりも己の村のことを考えていれば。
沢山の後悔が、滾々と胸の内側に湧き上がる。兎だから、弱いから何も守れない。誰かのために尽くしたくても、うまくいかない。
努力を受け入れられない。独りよがりの好意でヨギを苦しめ、助けられなかったことが、己の力不足を示す何よりの証明だ。
ハニの頬を滑る涙を、ヘルグの指先が受け止めた。
「お前は……、少し欲張りがすぎる」
ヘルグの言葉に、オアシスの瞳が揺れた。灰色の瞳は、静かにハニを見つめ返す。
「全てお前が守っていたら、誰がお前を助けるんだ」
「っだ、だって」
「己の力量を理解するのも、強さの一つだ。それに、お前は自身の本当の強さを理解していない」
「本当の、つよさ……?」
無骨な手のひらが、ハニの手を取った。薄い手のひらを覆う、白い肌に似合わぬ皮の手袋。
差し込まれたヘルグの指が、ゆっくりとハニの手に重ねるようにそれを取り去った。
現れた素肌は、氷結魔法の練度を上げてきたハニの、努力の痕が散らばっていた。
「諦めない、執念深く一つのことを貫く。この手はお前よりも雄弁だな」
「それは、ナメられないためで……」
「その努力を、普通と取っている。それができるものが限られていることは、俺が一番理解している」
薄い手のひらに指が絡まる。節ばったヘルグの手は大きくて、細かな傷が目立った。ハニの手と同じ、マメを潰して育てたものだ。
まだ、ハニの手はヘルグのように皮に厚みはない。剣を握るよりも、術を操る方が多いからだ。
同じ数だけの努力を、手のひらに重ねている。ヘルグの言葉の意味がわかったとき、ハニは胸の内側が熱くなった。
「泣いていい、お前の悲しみも全部、俺が一番近くで受けとめてやる」
「それは、……」
「何のために背中に傷を作ったと思う。お前はその責任を、俺の側で一生背負っていけ」
ハニの手の甲へと、唇を寄せる。横暴にも聞こえるヘルグの言葉に、ハニは白い肌をじわじわと染めていった。
「なんで……」
「なんではいらない。いるのは、お前の素直だけだ」
ヘルグの触れたところが熱い。振り払うこともできるはずなのに、安心できる手のひらを知ってしまった今、それに抗うことはできなかった。ずっと、強くならなくてはと思い、背筋を伸ばして生きてきた。もう、いいのだろうか。
ヘルグの鼻先が、そっとハニの髪に寄せられた。思わず竦ませた身を宥めるように背中を撫でられて、ゆっくりと体の力を抜く。柔らかい唇が額に触れて、微かに肩が跳ねた。
「……目を瞑れ、すぐに終わる」
「や、わ、わかんない」
「大丈夫だ、委ねろ」
この声は、駄目だ。従いたくなってしまう。ヘルグの唇が、額から頬へ、柔らかく啄むように降ってくる。気がつけばハニは、ヘルグの手に縋るように指を絡めていた。
まつげが触れ合うような距離で視線が重なり、唇に呼気が触れた。思わず絡めた手に力が入ると、大きな手のひらが後頭部を支えるようにして唇が重なった。
5
お気に入りに追加
408
あなたにおすすめの小説
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿

オメガ転生。
桜
BL
残業三昧でヘトヘトになりながらの帰宅途中。乗り合わせたバスがまさかのトンネル内の火災事故に遭ってしまう。
そして…………
気がつけば、男児の姿に…
双子の妹は、まさかの悪役令嬢?それって一家破滅フラグだよね!
破滅回避の奮闘劇の幕開けだ!!
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる
彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。
国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。
王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。
(誤字脱字報告は不要)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる