狼王の贄神子様

だいきち

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 ヘルグのインベントリにもらったものを突っ込んだハニは、村長の家の扉の前で少しだけ複雑そうな顔をしていた。

「どうした?」
「……村を売ろうとしたのは、村長だったから」
「ああ、それで」

 村の中でも、ひときわ大きな建物だ。ユキト村村長宅、と分かりやすく書かれた木の板が、自己主張の強さをさらけ出していた。
  相談って、なんだ。村長であるヨデルは、そもそもの村の価値を下げようとした筆頭であった。雪兎族の暮らす村でありながら、ヨデルは猫獣人だ。ウェンベ村と統合する話が出た時に、友好の証として村長同士を変えたのだ。結局、その話が流れた後も、本来のユキト村村長であるヨギは帰ってこなかったが。
 乗り気ではない。顔にそう貼り付けたハニの横で、ヘルグがあっという間に扉を開けた。戸惑いもなにも感じられないほど、実になめらかな動きであった。

「すみません、ハニの連れですが」
「なんっ、そ、はあ!?」
「ああ! 待ちくたびれたよハニ!! で、この殿方は誰だ。部外者なら外で待っていてくれないか」

 ヘルグが開け放った扉の向こうには、村長で灰色猫獣人であるヨデルが待っていた。
 両腕を広げるようにして、待ち構えていたままの体勢で動きを止める。薄緑色の丸目を見開くようにヘルグを見つめれば、腰の得物に顔をしかめた。

「おや、なにやら随分な歓迎具合ですね」
「不躾な……、帯剣してるということは護衛の方でしょう? 来なさいハニ、お前に伝えねばならない話がある」
「ちが、この人は護衛なんかじゃ」
「なら、雨が降りそうなので中に入っても? 勿論、込み入った話なら俺は部屋の外で待ちますから」

 構いませんよ。そう言って、慇懃に頷いたヨデルに連れられて、ハニはヘルグを残して執務室へと入った。
 中はヨギが使っていた頃とは違う。仰々しい絵画やら調度品が部屋で幅を利かせていた。
 どこぞの行商から買ったのだろう、香の香りが気に食わない。ハニは僅かに息を止めると、顔に影を落とすようにヨデルを見た。

「ここへは?」
「……ウェンベ村に用がある」
「まあそうだろうな。ここを通らなくては行けないしな。……ハニ、お前をユキト村の誉れとして話さねばならないことがある」
「土地を売る以外の話にしてくれ。俺は、まだあんたのこと信じてないし」

 ハニの言葉に、ヨデルは渋い顔をした。太い指で椅子を引くと、柔らかそうな椅子に腰掛ける。ハニに席を進めることない。ヨデルは顔の前で指を絡めると、ひどく重々しい口調で宣った。

「今、ユキト村とウェンベ村は対立関係にある。アリアドネの幼生の貴重な住処を、ヨギが漏らしたのだ。この村が窮地に立たされたのは、あやつの」
「っヨギがそんなことするわけないだろ!?」
「落ち着け、しかしユキト村から追い出された商人が、ウェンベ村へと戻っていく姿を見たものがいる。ダイアウルフの一族と内通して、この村を窮地に陥れようってことだろう」
「そんなのでまかせだ! ヨギが、っ……どんな思いでこの村を、っ」
「ならば、お前の目で納得する答えをみつけろ」

 ヨルグの、ハニの大嫌いな侮蔑を含む言葉が投げられた。
 ハニたち雪兎族にはない鋭い牙を見せつけるように威圧する。それも、兵士になった今はハニにとっては取るに足りないものである。
 しかし、ずっとその牙に怯えてきたのは、紛れもなくハニ達だ。

「あんたが最初に売ろうとしたくせに!! あんたが、一番早く村に見切りをつけようとしたくせに……!!」
「枯れた地に値はつかん! 貧しい土地に生まれた恩恵を活用しようとして何がいけない!? カエレス様の御考えに振り回されたのはこちらだぞう!? お前、一体王都で何を学んで帰ってきた!?」

 たとえ実力が認められようとも、お前の背後の村にまで光は届かない。
 ヨルグの吠えるような言葉に、ハニは拳を握りしめた。ハニの手が、ヨルグの胸ぐらへと伸ばされる。掴んだ服を力任せに引き寄せようとして、それはできなかった。

「人の捉え方というのは、言葉遣いで左右されるものですよ、村長」

 大きな手のひらが、ハニの手首をしっかりと掴んでいた。強い力で制止されてるわけではない。振り払えば解けるくらいの力だ。
 身構えたヨルグが、唾を散らすように怒鳴る。じわりとした嫌な汗が、ハニの額に滲んだ。

「お前、裏で待つと言っておったろう!」
「すみません、耳が良いもんで。部下が貴方に失礼をする前に止めるのが上司の役目でしょう」
「上司……? 護衛ではないのか?」
「護衛も兵士も、一般の方からしたら大差はないでしょう。守ることが役目ですしねえ」

 腕を取られるままに下げられる。ハニが踏みつけていたヘルグの影が、足音とともに前へ動いた。迂闊な行動で、ヨルグに弱みを握らせてしまった。これはハニの落ち度である。
 ヨルグに怒鳴られるまま、ヘルグは平然と頭を下げた。大きな手に肩を引き寄せられると、そのまま流されるように家を後にした。
 嫌な耳鳴りが聞こえる。追い詰められた時になるやつだ。ハニは震える手で耳を押さえると、強い力で肩を抱かれた。

「今倒れるな、踏ん張れ。ここで弱みを見せたら負けだ」
「…………」
「話は後で聴く。泊まれる場所を探すぞ、ほら、もたれていいから」

 ヘルグに引きずられるままに、足を動かした。体重を預けてもびくともしない、ハニが求めても得られない、強い雄としての体が、道を示すように歩く。

(なんでこんな思いしなきゃいけないんだ……なんで……っ)

 信じたくない。ハニにとってのヨギは、血のつながりのない兄のような存在であった。地は枯れ、作物も実らない。知識のなさからくる飢えに耐えて、ヨギは村のために土地を耕した。肥沃な地とまでは行かなかったが、土まみれになって食える土地にしたのはヨギだ。だから、ハニはこの土地を守るために兵士になった。ヨギがあきらめなかったこの土地を、存続させるためにだ。

 黙りこくり、歯を食いしばるようになにかを耐えるハニの表情を、ヘルグは静かに見つめていた。
 日は徐々に沈み始めていた。夕焼けが土地を赤く染めてなお、ハニの肌は青褪めたままであった。


 
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