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「やめなさい、目が痛む」
「っ……」
大きな手が、掴むようにしてハニの手を制す。涙の滲む左目を確認するように頬に手を添えられて、つい息を詰めた。
ヘルグの、灰色の瞳が真っ直ぐにハニを見つめていた。滲む涙を拭われる。欲を孕んでいない労りの指先に戸惑うように、ハニの体は硬直した。
「……目にゴミが入ったかもしれない。馬に乗るなら不便だろう、来なさい。こっちにテントがある。目を洗ったほうがいい」
「だ、大丈夫です……すぐに取れますから」
「その目で馬に乗り、君の愛馬に気をつかわせるきか。彼にも休んでもらった方がいい、ここまでの距離を走らせたなら、労ってやらないと」
スレイヤに向けられた言葉に、ハニはぎこちなく頷いた。薄い背中を、スレイヤの鼻先が押す。ヘルグの提案を聞けと言われているようであった。
手綱は、ヘルグが握った。肉食の気配に怯えるように後退りをしたが、ハニが胴に触れて宥める。そのまま、スレイヤを連れて向かった先は、野営用のテントであった。
「あっつ……」
「すまない、氷結属性がいなくてね。テントは熱がこもりやすい。直射日光はさけられるんだが、まあ厚着はしていられないかな」
「……冷していいならやりますけど、スレイヤのお礼に」
噎せ返るような暑さのテントに入るなり、ヘルグは着ていた装備を緩めようとした。脱ぎたくなる気持ちがわかる室温ではあったが、いざというときにはあまりにも心もとない。砂漠で軽装で過ごせるのは、一部の獣人だけだ。
ヘルグは、ハニの言葉に目を僅かに見開いた。豊かな尾っぽが分かりやすく揺れたのに気がつくと、ハニは笑いそうになるのをこらえた。
「……すまない、頼めるか」
「冷気よ」
薄い手のひらが、テントの真上に向けられた。骨組みに沿って侵食する氷の根が、少しずつあたりの空気を冴えたものにしていく。
熱気が冷気とぶつかり合うことで出来た水は、ハニの手のひらへと集まってくる。
なんの気無しに行なった。ハニの見事な魔力操作を、ヘルグは真面目な顔で見つめていた。
「溶けた水が再び氷に戻るようにしておきました。多分、これで三日はしのげるはずです」
「ありがとう。それと、待たせて済まない。そこにかけて待っていてくれ」
「あ、はい」
そこってどこだ。ハニは開きづらい左目を閉じたまま、床に胡座をかくように腰掛ける。
ヘルグの窘める声が聞こえて顔を上げれば、入り口から顔を出すようにスレイヤが待っていた。
「君の主の目にゴミが入ってしまったんだ。大丈夫、悪いようにはしないから」
「スレイヤ、外で待ってて。あとで人参分けてあげるから」
仕方がないと言わんばかりに、鼻息で返事を返す。大人しく引き下がったスレイヤにヘルグが笑うと、目薬を片手に戻ってきた。
「彼はいい馬だ」
「彼女です、隊長」
「そうか、なら君の恋人かな」
小さく笑うヘルグは、ハニの頬に手を添えた。左目の目元を優しく撫でられ、ゆっくりと目を開いた。
オアシスと同じ、透き通るような青が涙でとろめく。ヘルグはハニの下瞼を下げるようにして目薬を差した。
冷たさに、細い体はびくんと跳ねる。溢れた涙を拭うように、無骨な指が目元を拭う。頬に添えられた手が熱くて、ハニはかすかに身動いだ。薬を染み込ませるように数度瞬きをすれば、真っ直ぐにこちらを見つめるヘルグと目があった。
「あ」
「へ?」
「……動かないで、そう。そのまま」
「っ、へ、るぐ、たい……っ」
真剣な顔を向けられた。灰の瞳は、角度によってほのかに色が変わるのだと知るほど、近い距離で見下される。
息を詰める。口を開けば妙なことを口走ってしまいそうだった。両手のひらで顔を固定されて、肩をすくめる。どうしたらいい、近づく顔に拒み方もわからぬまま、ハニがヘルグの腕に手を添えたときだった。
「う」
「ん、とれた。……随分長いまつ毛がでてきたな。ほら、見てみろ」
「ま、まつげ……?」
「ああ、逆さまつげなのかもしれないな。これは痛かっただろ、ほら」
手のひらを取られて、ヘルグの指がまつげを乗せる。見れば、たしかに随分と長い白のまつげがそこにあった。
砂ではなかったようだ、よかったな。などと笑みを向けるヘルグを思わず見つめ返す。
もしかしたら、と身構えた己が急に恥ずかしくなり、ハニは慌てて顔をそらした。
「すんません、ありがとうございます」
「……なにか気に触ったか?」
「いや、身構えた俺が悪いので、すみません。種の件、よろしくお願いします」
頬の赤みを隠すように、外套のフードを深く被る。ぱたぱたと体重の軽い足取りでヘルグの横を過ぎ去ると、外で待つスレイヤへと駆け寄った。
手綱をつけるハニの頭を、スレイヤが悪戯に口吻で撫でる。まるで、照れるなよと言われているようで少しだけ気まずい。
「お前のこと、彼女だってさ。俺を彼氏にしてくれんのか?」
ハニの言葉に、長い尾を揺らす。スレイヤの頭がハニの胸元に押し付けられると、頭を抱くようにして鬣を撫でる。
インベントリから取り出した人参を与えれば、スレイヤは遠くを見るように顔を上げた。
「スレイヤ?」
静かな眼差しは、真っ直ぐに連なる石群の一つを見つめていた。空を見上げれば、もう夕暮れだ。まもなく冷え込む夜が来るだろう、兵士の数人が入れ替わるように帰り支度をしていた。
「俺たちも帰ろうスレイヤ、……どうした、まだなにかあるのか?」
手綱を引いても、スレイヤは立ち竦んだまま動かなかった。見れば、長い尾の根本を持ち上げて警戒しているようにも見えた。
魔物の血を引くスレイヤは、滅多なことでは動じない。小さな違和感に、ハニの思考はすぐに切り替わった。
「……ちょっとみてくる。ここにいろ」
スレイヤの首を撫でるようになだめると、ハニは飛び上がった。高さを稼ぐために、石柱の側面を足で弾くようにして上まで登る。ヘルグが一帯を警戒していたてっぺんまで到達すると、ハニはその目を細めるように砂の海を睨みつけた。
「っ……」
大きな手が、掴むようにしてハニの手を制す。涙の滲む左目を確認するように頬に手を添えられて、つい息を詰めた。
ヘルグの、灰色の瞳が真っ直ぐにハニを見つめていた。滲む涙を拭われる。欲を孕んでいない労りの指先に戸惑うように、ハニの体は硬直した。
「……目にゴミが入ったかもしれない。馬に乗るなら不便だろう、来なさい。こっちにテントがある。目を洗ったほうがいい」
「だ、大丈夫です……すぐに取れますから」
「その目で馬に乗り、君の愛馬に気をつかわせるきか。彼にも休んでもらった方がいい、ここまでの距離を走らせたなら、労ってやらないと」
スレイヤに向けられた言葉に、ハニはぎこちなく頷いた。薄い背中を、スレイヤの鼻先が押す。ヘルグの提案を聞けと言われているようであった。
手綱は、ヘルグが握った。肉食の気配に怯えるように後退りをしたが、ハニが胴に触れて宥める。そのまま、スレイヤを連れて向かった先は、野営用のテントであった。
「あっつ……」
「すまない、氷結属性がいなくてね。テントは熱がこもりやすい。直射日光はさけられるんだが、まあ厚着はしていられないかな」
「……冷していいならやりますけど、スレイヤのお礼に」
噎せ返るような暑さのテントに入るなり、ヘルグは着ていた装備を緩めようとした。脱ぎたくなる気持ちがわかる室温ではあったが、いざというときにはあまりにも心もとない。砂漠で軽装で過ごせるのは、一部の獣人だけだ。
ヘルグは、ハニの言葉に目を僅かに見開いた。豊かな尾っぽが分かりやすく揺れたのに気がつくと、ハニは笑いそうになるのをこらえた。
「……すまない、頼めるか」
「冷気よ」
薄い手のひらが、テントの真上に向けられた。骨組みに沿って侵食する氷の根が、少しずつあたりの空気を冴えたものにしていく。
熱気が冷気とぶつかり合うことで出来た水は、ハニの手のひらへと集まってくる。
なんの気無しに行なった。ハニの見事な魔力操作を、ヘルグは真面目な顔で見つめていた。
「溶けた水が再び氷に戻るようにしておきました。多分、これで三日はしのげるはずです」
「ありがとう。それと、待たせて済まない。そこにかけて待っていてくれ」
「あ、はい」
そこってどこだ。ハニは開きづらい左目を閉じたまま、床に胡座をかくように腰掛ける。
ヘルグの窘める声が聞こえて顔を上げれば、入り口から顔を出すようにスレイヤが待っていた。
「君の主の目にゴミが入ってしまったんだ。大丈夫、悪いようにはしないから」
「スレイヤ、外で待ってて。あとで人参分けてあげるから」
仕方がないと言わんばかりに、鼻息で返事を返す。大人しく引き下がったスレイヤにヘルグが笑うと、目薬を片手に戻ってきた。
「彼はいい馬だ」
「彼女です、隊長」
「そうか、なら君の恋人かな」
小さく笑うヘルグは、ハニの頬に手を添えた。左目の目元を優しく撫でられ、ゆっくりと目を開いた。
オアシスと同じ、透き通るような青が涙でとろめく。ヘルグはハニの下瞼を下げるようにして目薬を差した。
冷たさに、細い体はびくんと跳ねる。溢れた涙を拭うように、無骨な指が目元を拭う。頬に添えられた手が熱くて、ハニはかすかに身動いだ。薬を染み込ませるように数度瞬きをすれば、真っ直ぐにこちらを見つめるヘルグと目があった。
「あ」
「へ?」
「……動かないで、そう。そのまま」
「っ、へ、るぐ、たい……っ」
真剣な顔を向けられた。灰の瞳は、角度によってほのかに色が変わるのだと知るほど、近い距離で見下される。
息を詰める。口を開けば妙なことを口走ってしまいそうだった。両手のひらで顔を固定されて、肩をすくめる。どうしたらいい、近づく顔に拒み方もわからぬまま、ハニがヘルグの腕に手を添えたときだった。
「う」
「ん、とれた。……随分長いまつ毛がでてきたな。ほら、見てみろ」
「ま、まつげ……?」
「ああ、逆さまつげなのかもしれないな。これは痛かっただろ、ほら」
手のひらを取られて、ヘルグの指がまつげを乗せる。見れば、たしかに随分と長い白のまつげがそこにあった。
砂ではなかったようだ、よかったな。などと笑みを向けるヘルグを思わず見つめ返す。
もしかしたら、と身構えた己が急に恥ずかしくなり、ハニは慌てて顔をそらした。
「すんません、ありがとうございます」
「……なにか気に触ったか?」
「いや、身構えた俺が悪いので、すみません。種の件、よろしくお願いします」
頬の赤みを隠すように、外套のフードを深く被る。ぱたぱたと体重の軽い足取りでヘルグの横を過ぎ去ると、外で待つスレイヤへと駆け寄った。
手綱をつけるハニの頭を、スレイヤが悪戯に口吻で撫でる。まるで、照れるなよと言われているようで少しだけ気まずい。
「お前のこと、彼女だってさ。俺を彼氏にしてくれんのか?」
ハニの言葉に、長い尾を揺らす。スレイヤの頭がハニの胸元に押し付けられると、頭を抱くようにして鬣を撫でる。
インベントリから取り出した人参を与えれば、スレイヤは遠くを見るように顔を上げた。
「スレイヤ?」
静かな眼差しは、真っ直ぐに連なる石群の一つを見つめていた。空を見上げれば、もう夕暮れだ。まもなく冷え込む夜が来るだろう、兵士の数人が入れ替わるように帰り支度をしていた。
「俺たちも帰ろうスレイヤ、……どうした、まだなにかあるのか?」
手綱を引いても、スレイヤは立ち竦んだまま動かなかった。見れば、長い尾の根本を持ち上げて警戒しているようにも見えた。
魔物の血を引くスレイヤは、滅多なことでは動じない。小さな違和感に、ハニの思考はすぐに切り替わった。
「……ちょっとみてくる。ここにいろ」
スレイヤの首を撫でるようになだめると、ハニは飛び上がった。高さを稼ぐために、石柱の側面を足で弾くようにして上まで登る。ヘルグが一帯を警戒していたてっぺんまで到達すると、ハニはその目を細めるように砂の海を睨みつけた。
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