狼王の贄神子様

だいきち

文字の大きさ
上 下
54 / 111

9

しおりを挟む
 演習試合と銘打っての大捕物から、一週間。怪我をしたフリヤは、ヘルグによって療養を言い渡されていた。
 
 治癒術で穴を塞いだ肩には、いまだ痛々しい包帯が巻かれている。負傷した利き手と反対側の手に花を握りしめたフリヤは、城下から離れた小高い丘に来ていた。

「気づいてやれなくてごめんなあ」

 そこには、若くして命を落とした兵の名が刻まれる慰霊碑があった。
 ルーシーの体は、森の中に埋められていた。東門の警備で犯罪者の護送を行った時に、ヴィヌスの信徒を手引した一部の兵によって殺されたのだ。
 フリヤを刺した兵士と、カエレスを貫こうとした偽物の獣人。東門にいた兵士は全員話を聞かれるらしいので、きっとハニもとばっちりを喰らうのだろう。
 それが、少しだけかわいそうに思えた。

「ここに来る時期しくじったかね」
「ニル……」

 吹き上がる風がざわりと木々を揺らして、釣られるように振り向いた。いつも面倒くさそうな顔をしているニルが、酒瓶片手に歩いてくる姿を目にすると、フリヤは目を見張った。

「んだよ、俺は呼んでねえって?」
「いや、だって来ると思わなかったから……」
「来る気なかったよ、知り合いでもねえしな」
「じゃあ、なんで」

 フリヤの言葉に、ニルは琥珀の瞳で見つめ返すだけであった。二人の間を風が抜けていく。ニルの重そうな靴は緑を踏みしめるようにして、フリヤとの距離を詰めた。
 大きな手のひらが、左肩に添えられる。ぽかんとしているフリヤを追い詰めるように、ニルは慰霊碑に体を押し付けた。

「いって、え!? いってぇってなに急に!!」
「お前、兵士向いてねえから辞めろ」
「は!?」

 近い距離で、絆すには程遠い声色の言葉を向けられた。その理由がわからないまま思わずニルを見上げれば、琥珀の瞳の中に捉えられた。
 食われそうだ。フリヤは、そんなことを思った。
 ニルと向かい合わせで、慰霊碑を前に随分と失礼をかましている。右手を上げるように胸板に手を置いた。近い体を押し返そうと思ったのだ。

「知り合いですらねえ。そんな仲間とも言えねえ野郎を哀れんでも、なんもなんねえだろ」
「……それで?」
「お前はやさしすぎる。鈍臭えし、自己犠牲精神が目に余る。だからお前は向いてねえ、さっさと辞めちまえ」
「はは、もう少し優しく言ってくれよ」

 そんなこと、言われなくたってわかっている。フリヤの弱い部分を、まだ出会って一ヶ月も満たないやつに指摘されているのだ。

「言ったって」
「え?」
「言ったって、お前には伝わんねえだろ。だから直球にしてやったんだよ」

 眉を寄せて、フリヤを見つめる。そんなニルの言葉に、思わず震えそうになる唇を引き結んだ。
 なんだよそれ、そんな似合わない優しさみせるなよ。
 真っ直ぐに言葉を向けるのは、勇気のいることだろう。フリヤだって口にできなかった後ろめたさを、ニルは乱暴な言葉で代弁したのだ。
 頭の裏側から、熱がジワリと侵食する。ざわりと木々を揺らすほどの風が吹き去ったというのに、涙は乾いてくれなかった。

「……っんだよ、お……、おま、こ、後輩、だろっ」
「おま、な、泣い……」
「なんで、っ……俺の嫌だって、おもうとこわかんだ……っ、バカぁあ!!」
「いっでぇ!!」

 振り上げた右腕、怪我の痛みも忘れて、ニルの逞しい胸板をドシンと殴った。持っていた酒瓶を庇うように、ニルが転がる。
 フリヤはズルズルと座り込むと、胡座をかくようにして涙を拭った。

「気が済んだかよ……」

 こめかみに青筋を浮かばせる。ニルが髪に木端を飾ったまま起き上がれば、右腕を押えるフリヤを前に、わかりやすく眉を寄せた。

「お前、もうすこし労れよ」
「ニル」
「……あんだよ」
「あんがと」

 にかりと笑みを向けた。フリヤを前に、ニルは片眉を上げるように反応を示す。
 誰かに、お前は兵士に向いてないと言われるのを待って、フリヤは随分と心を疲弊させてきたのだろう。鬼族だからといって、そもそもが穏やかなフリヤが周りの期待に応えられるわけもなかった。

「俺、嫌なんだ痛いの。大きい声も怖いし、剣だって、本当は持ちたくない」
「なんで兵士になったんだ」
「望まれてだよ。まあ、なんも武功は挙げられなかったけど」

 苦笑いを浮かべる。同じ国から来たロクは、カエレスに見初められて任務に出ている。鬼族としての武芸もそうだが、なによりも冷静に視野を広げてみることができる。その才能を買われたのだ。

「俺は泣くよニル。色々才能はたりてねえんだけど、他の人が落ち込めないなら代わりに落ち込むし、泣ける。それが才能だって思うことにしたし」
「そうかよ」

 二人して向かい合わせで、フリヤは口にできなかった己の事をポツポツと話す。ニルの前だと、周りの知るフリヤを演じなくていいのが楽だった。
 淡白に返事を返すニルの、無意識だろう気遣いが嬉しかった。

「俺は、……そういうのが抜けちまってる、とおもう。マ、血族柄っつか。人を陥れたり尋問するっつうのが飯の種だった」
「ニルの、仕事ってこと?」
「だった、んだよ。もうそっから抜けて、こっちにきた。俺の力だって、褒められたものじゃねえしな」

 慰霊碑を背もたれに、ニルは胡座をかいた。
 フリヤとは真逆だ。育ってきた環境が、まるで違う。ニルの言葉に、憂いは見当たらない。

「なにか、変わりたいのか?」

 フリヤの言葉に、ニルは何も応えなかった。それでも、僅かに伏せた目を、フリヤが見逃すことはなかった。
 きっと、これ以上は触れてはいけない場所なのだろう。大人しく視線を前に向けようとしたとき、ニルの大きな手によって顔を引き寄せられた。

「……変われるとおもうか」

 ニルの呼気が唇を撫でる。少しでも口を開けば、触れ合ってしまう距離だった。
 心臓が跳ねて、呼吸が苦しくなる。なんて答えればいいかと逡巡をしているうちに、一度だけ啄むように口付けをされた。

「な、……なんで」
「しらね」
「だっておま、お、おれにっ」
「おまえが、して欲しそうな面してっからだろ」
「えぇ!?」

 熱が顔に集まる。風が涼やかに吹いているというのに、熱は引きそうになかった。
 そんな顔を、していただろうか。思わず口元を覆って俯けば、噴き出すような声が頭上から聞こえた。

「な、なんっ」
「ああ、いいな」
「なにがですかね!?」

 フリヤの眼の前で、ニルは肩を揺らして笑う。まさか不機嫌面が常じゃないのかと目を丸くしていれば、大きな手のひらにわしりと頭を撫でられた。

「お前の前だと、気が抜ける。きっと、こういうのを楽っていうんだろうな」
「……に、ニルは肩肘貼り過ぎだ。周りが皆敵だと思うからつかれるんだよ。……いい奴なんだから、もったいねえよ」
「そうかい、ならそういうのはお前だけにしとく」

 そう言って、ニルは酒瓶片手に立ち上がった。コルクを引抜いて、慰霊碑の頭からバシャバシャとかける。
 呆気にとられるようにそれを見つめていたフリヤの頭の中に、じわじわとニルの言葉が染み込む。
 
(それって、なんだかすごく)

 唇を吸い込むように黙りこくる。真っ赤な顔を晒すようにニルを見上げれば、ニルは意地悪く口端を吊り上げて笑ったのだ。

「顔、鬼見てえに真っ赤だぞ」

しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・不定期

【完結】元騎士は相棒の元剣闘士となんでも屋さん営業中

きよひ
BL
 ここはドラゴンや魔獣が住み、冒険者や魔術師が職業として存在する世界。  カズユキはある国のある領のある街で「なんでも屋」を営んでいた。  家庭教師に家業の手伝い、貴族の護衛に魔獣退治もなんでもござれ。  そんなある日、相棒のコウが気絶したオッドアイの少年、ミナトを連れて帰ってくる。  この話は、お互い想い合いながらも10年間硬直状態だったふたりが、純真な少年との関わりや事件によって動き出す物語。 ※コウ(黒髪長髪/褐色肌/青目/超高身長/無口美形)×カズユキ(金髪短髪/色白/赤目/高身長/美形)←ミナト(赤髪ベリーショート/金と黒のオッドアイ/細身で元気な15歳) ※受けのカズユキは性に奔放な設定のため、攻めのコウ以外との体の関係を仄めかす表現があります。 ※同性婚が認められている世界観です。

オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜

トマトふぁ之助
BL
 某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。  そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。  聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。

離縁してくださいと言ったら、大騒ぎになったのですが?

ネコ
恋愛
子爵令嬢レイラは北の領主グレアムと政略結婚をするも、彼が愛しているのは幼い頃から世話してきた従姉妹らしい。夫婦生活らしい交流すらなく、仕事と家事を押し付けられるばかり。ある日、従姉妹とグレアムの微妙な関係を目撃し、全てを諦める。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

愛し愛され。また愛す。

おかもと
BL
ゆっくり推敲中 無愛想年下攻め×元タチ&チャラめ受け

暗殺者は愛される

うー吉
BL
暗殺者として育った少年が 国を抜け隣国で愛されることを知って 愛する事を知る話です R18は※を付けます 作者の好きなように書きたいように書いてます

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

処理中です...