狼王の贄神子様

だいきち

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 しくじった。フリヤは己の間抜けさにつくづく辟易とした。もしかしたら、自分には兵士は向いていないのかもしれないとさえ、おもった。
 刃の先、フリヤの記憶の通りの位置に傷をつけた槍が、鋭く伸ばされた。

「とらえろ、とらえろぉお!!」
「おのれ貴様魔が差したかァ!!」
「っ、ちが、そいつが」

 フリヤに槍を払われた男は、歯並びを見せつけるかのように口端を吊り上げて笑った。
 あの槍は、東門から刑地へ輸送される者がもっていたものだ。そうした武器は、すべからく処分するのが通常だ。だから、この場にはあっていけないものであった。

「なんで、その槍はここにあっていいはずが、っ」
「このことをカエレス様に報告しにいけ。この場は俺が収めておく」
「っ、だめだ、行かせちゃ……‼」

 頭の中できが良くないフリヤでも、理解できた。これは、きっと刺客だ。狙われているのはカエレスの命だと。
 フリヤの瞳が、じわりと黒くなる。鬼族としての本当の姿が嫌で、ずっと抑えてきた本性。今、この状況をどうにかするには、力を使うしかなかった。

「何だ、お前のその眼……」
「痛いよ、ごめん」
「は、」

 腕を横に一閃させた。それだけで、木製の柄でできた槍は軽い音を立てて地べたに転がった。真っ二つに折れたのだ。先端のなくなった槍を前に、状況を理解するまで時間がかかったらしい。兵士はみるみるうちに顔を赤くして怒りを露わにした。
 早くこの場をいなさなくては。フリヤは、右腕を庇うように起き上がった。
 隙を狙うかのように振り下ろされた柄が、鋭く空をきる。槍を避けたフリヤは、大きな地響きに気を取られるかのようにたたらを踏んだ。

(っ、ニル……!)

 ウラドを拘束されているニルが、不利な状況に陥っていることは理解できた。気を取られて、集中ができない。ああ、だから俺は兵士に向いていないんだ。
 フリヤの眉が、ぐっと寄せられる。狭い足場でこれ以上やり合うのは、不利であった。

「まさか、お前。あの狐男と共謀をしたんじゃないだろうな⁉︎」
「っ、ニルはそんなことしない!」
「わからねえよ。目立つやつは、何かしら腹に抱えてるもんだ。落ちこぼれにそれがわかるか」
「っ、わかったような口を聞くんじゃねえ‼︎」

 フリヤは、思わず吠えた。己が文句を言われるのなら、構わない。戦いや、痛いことが怖くて西門に移動したくらいだ。だから、馬鹿にされてもいいと思っている。
 だけど、ニルはダメだ。なにより、フリヤはあの手のひらの優しさを知っている。
 村を追い出され、居場所がないからここにきた。存在を認めてもらうために、ニルはこの戦いにかけてここにきたのだ。それを、何も知らないで文句を言う奴が許せなかった。

「居場所が欲しいって、思っちゃダメなのかよ……っ‼︎」
「お前、誰に拳を向けている」
「っ、ぃあ、っ」

 拳を取られた瞬間、体に鋭い衝撃が走った。ぶつりと鈍い音がして、乾いた地面に血が染み込む。体の熱が体外へ滲み出すように溢れると、肉を摩擦するように、ずるりと引き抜かれる。
 
「せいぜい這いつくばっていろ。馬鹿な鬼族め」

 吐き捨てるように笑う。フリヤの体を蹴るように床に転がした男の手には、真っ赤に染まった槍の柄が握りしめられていた。





 何かが変だ。ニルは、その違和感に気がついてから、相手の出方を伺うことしかできなくなっていた。
 相手が一向に仕掛けてこないのだ。ウラドを現し、一気に終わらせようとした。それをやめて妨害を受けたのは、まるでその時を待っていたかのように、敵が笑ったからだ。
 ニルの目の前には。魔力の宿った鎖が蛇のように蠢いていた。締め上げる様子はない、攻撃をさせないように牽制にも見えるそれが、何らかの意図を持っているのだけは確かだった。

「別に振り上げたところでお前が怪我をするわけじゃねえよ。その砂の魔人が崩れるだけ。やれよ、いつまで出方を伺っているつもりだ」
「みくびってんじゃねえよ。ただなんとなくこれが気持ち悪いってことはわかる」
「おやさすが狐族。やっぱり妙な勘は備わってるんだねえ」

 トカゲ族の男は、ルーシーと呼ばれていた。ベロリと舌なめずりをして、嫌味に笑う様子に、ニルは静かに目を細めた。
 ウラドの頭に手を添える。魔力を流すことで、その姿を自在に操る魔人だ。ニルの意思を受け取るように、ウラドは少しずつ大気中に砂を混じらせる。

「こんな魔術を知ってるか」
「なんだよ」
「幻影術の一つ、これができるのは、限られたやつだけなんだ」

 稲穂の長い髪をかき上げたルーシーが、切れ長の瞳を歪ませ手のひらを前に突き出した。四本の指を折りたたみ、人差し指をまっすぐに立てる。ルーシーの不審な動きに魔力を体に行き渡らせれば、ニルの背後で声がした。

「まずは一体め」
「っ、」

 ちり、と焼ける音がして、慌ててウラドから飛び降りる。ニルは体を捻るように、体勢を立て直そうとした。しかし、地面へと着地する寸前、再びルーシーの声がニルの耳元に響いた。

「二体目」
「ぅ、が……っ」

 予測もしていなかった真横からの衝撃に、ニルは壁際へと吹き飛ばされた。砂煙を撒き散らす。闘技場の整備されていない地べたで削がれた皮膚から、滲んだ血が線をかくようにニルを追いかけた。

「こういうの、東の国ではカゲブンシンっていうんだっけ?」
「てめえ、なんでそれができる……」

 ルーシーが行った魔術は、ニルのいた国でしか伝わっていない特殊な術だ。体の一部を使って、分身を作る。
 魔力が多ければ多いほどその数を増やせる術であるが、目の前のルーシーが操れるのは二体までだったようだ。己と同じ顔を侍らせるように、腕を組んで笑みを浮かべている。

「自分が好きだからね、こうして自分と恋愛をする方が効率がいいだろう?」
「クソナルシストかよ、吐き気がするな」
「褒めてくれてありがとうよ」

 にかりと笑った。影分身の一つが、甘えるように二股の舌でルーシーの頬を舐める。なるほどこれは随分とややこしい敵だと、ニルはため息をついた。
 土を払うように立ち上がる。手のひらについた己の血に気がつくと、小さく舌打ちをした。
 きっと、これを見てればフリヤが喚くだろう。琥珀の瞳を会場に滑らせたが、ニルの予測に反してその姿は見えなかった。

「ねえ、随分余裕だけど大丈夫? 傷が痛むなら降参してくれてもいいんだよ」
「ならお前がいなくなってくれよ、不戦勝の方が楽なんだけど」
「いやだよ。いつか俺が玉座に座るんだから」
「あんまし滅多なこというもんじゃねえぜナルシスト」

 ニルの背後で、ウラドが砂に還る。虚空に浮かぶだけになった黒い鎖を見上げると、ニルは己の予測が当たったことに小さく笑みを浮かべた。
 血で濡れた手のひらが、ウラドだった砂の山に沈む。腕の半ばまで埋めたニルは、ゆっくりとルーシーへ目を向けた。

「なあ、面白いもん見せてやんよ」
「なあに」
「俺が、村を追い出された本当の理由」

 琥珀の瞳が、怪しく輝く。纏う魔力がじわじわと体外へと滲み出す。ニルは、己の腕をゆっくりと砂の山から引き摺り出した。その手を握り返すのは、砂から現れた黄土色の何かであった。
 それは、ニルによく似た人型であった。背格好は、ニルよりも小さい。それでも、顔があるはずの部分がポカリと空洞になっている。大きな耳と、ニルにはない二股の長い尾を引きずりながら、ニルと手をつないで立っている。

「……それ、なに」
「当ててみな」
 
 にい、と狡猾な笑みを浮かべた。その瞬間、ルーシーは足元から這い上がってくる悪寒に苛まれた。
 ニルの手から離れた人型が、ゆっくりとした歩みで近づく。ポカリとあいた顔の空洞が、存在の悍ましさを強調させていた。
 
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