狼王の贄神子様

だいきち

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行き場のない想い

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 なんでこんなことになってしまったんだろう。ティティアは、己の不甲斐なさに身を焼かれるように悔いていた。処置を終え、寝かされた寝台の上。冷たいところを探すように、ティティアの細い腕が寝具を撫でる。
 あの後、合流したウメノによって、簡易的な処置を施された。幸い苦しかった呼吸は落ち着いて、朦朧とした意識も戻ってきた。それでも、己の迂闊さが周りに迷惑をかけたことは何も変わらない。
 白くて広いティティアの部屋で、押し殺して泣く声が静かに聞こえている。

(俺、何にもできない、何にも……)

 楽しかった一日が台無しだ。マルカやヴィヌスはどうなってしまうのだろうか。
 ティティアには、番いとしての役目がある。もっと、自覚を持てばよかった。ヴィヌスの言っていた言葉が、熱でぼやける頭の中でこだまする。
 子供を産まなければ、カエレスは死んでしまう。その事実を、教えてもらえなかったのも悲しかった。

「……入るよ、お嫁様」
「っ……ぅ、うめ、の」
「うん、ほら顔みせて。少しお話をしよう」

 カラコロと水に浮かぶ氷の音がした。ウメノの手には水差しと、いつもよりも小さなカップ。獣人用だと飲みづらいと相談したのを覚えてくれていたのだろう。
 どこからか出した、ウメノ専用の椅子にちょこんと座る姿は子供のようなのに、今は随分と大人に見えた。

「カエレス様、守ってくれてありがとうね」
「怪我、してない?」
「お嫁様の百倍は頑丈だよ?」
「そうだよな……」

 頭の上の髪の一束が、意思を持ったようにヒョコンと揺れる。それがおかしくて、少しだけ笑えた。
 冷たくて気持ちがいい小さな手が、汗で張り付いたティティアの前髪を横に流す。思わず吐息を漏らすと、その手はそっとティティアの腕を持ち上げた。
 噛まれた場所はウメノの手で処置が施され、包帯で覆われている。城に戻るなり毒抜きをされたその腕は、いつもより腫れていた。

「あの、」
「ン?」
「ヴィ、ヴィヌスと、マルカは……?」

 ティティアの言葉に、ウメノは少しだけ困ったような顔をした。言い辛そうな表情に、悪い予感がじわじわと襲い来る。
 息を詰めるように黙りこくるティティアを前に、ウメノは漸く口を開いた。

「生きてるよ。それだけは言っておく」
「っ、ほんとに!?」
「でも殺す。ティティア、いいかい。喜んではいけないことなんだ。理解しろとはいわないけど、あいつらはそれ程のことをしたんだ」
「あ……」

 ウメノはティティアの名を呼んで窘めた。いつもの温厚さの見えない言葉の強さに、分かりやすく顔を青褪めさせる。
 厳しい口調は、必要だからだ。そう、頭で理解をしても心が追いつかない。
 とくに、マルカはティティアとともに過ごす時間が多かった。もっと早く気がついていれば。立場を自覚して行動を起こせれば。今更浮かび上がるいくつもの後悔に追い詰められるように、肺が苦しくなる。
 カエレスの番いとしての自覚が、足りなかった。唇を噛むように引き結ぶ。そうしなければ、今にも幼児のように声を上げて醜態を晒していただろう。
 寝具の上掛けを握りしめる。その手がかすかに震えているのを、ウメノは静かに見つめていた。

「今は、ニルが二人から話を聞いてる。一つだけ言うけど、お嫁様の味覚異常はマルカのせいだ」
「……うそ」
「王の番いは完璧でなくてはいけない。そう言葉で追い詰めて、お嫁様の心が逃げることを望んでいたんだよ」
「で、でも」
「穏便なやり方だね、人の血も流さない。嫌気が差して城を出れば、ヴィヌスの信徒として引き込むつもりだったんだと」

 出会わなければ。血が繋がらなければ、生かしてもいい。そうヴィヌスに言ったのはマルカだという。
 それでも、毒を盛ったのなら話は別でしょ。ウメノの言葉はひどく冷たかった。侍医として、人の命に向き合ってきたからこそ淡々とティティアへ言い聞かせる。

「俺がいるから、俺がここに来なければ。そんなこと、絶対に思わないで。生きていいんだよ、生きるためにここにきたんでしょ」
「おれ、で、でもし、しんでほしくない……」
「それは、優しさじゃないよ。博愛を履き違えてはいけない。ティティア。君が許せば、今まで番いに出会えなかった王は、無駄に死んできたオメガたちの魂は、一体どうやって報われるというの」

 色の違う瞳は、真っ直ぐにティティアを見つめていた。わかっている、ティティアが死ねば、カエレスも死ぬ。また三度同じことを許せば、今度はそれが仕方ないという諦めに変わるだろう。
 だからこそ、けじめをつけなければいけない。カエレスとティティアが出会った以上、どちらかに悪意を振り翳せばどうなるかは理解していたはずだ。
 あってはいけないことが起こってしまった以上、見過ごすことはできない。
 あの時、市場でヘルグの口にしていた言葉が思い返される。

『守られる側の知識は、貴方とその周りの為になる』

 あの時の言葉を、ティティアは本当の意味で理解した。迂闊さが、自覚のなさが二人を殺す。ウメノは言葉を濁したが、おそらく手を汚すのはニルだ。そして、その判断を下したのは、番いであるカエレス。
 言葉では表せない、膨れ上がる後悔と意味のなさない懺悔がぐわりと膨らんで、ティティアは今にも叫び出しそうだった。
 子どもの駄々のようだ。きっと、ウメノにはそう見えるだろう。これはティティアが招いた結果だ。泣いてはいけないのに、受け止めきれなくて涙が溢れ出る。
 顔を手で隠すように、嗚咽を堪える。そんな情けない姿を前に、ウメノは静かに口を開いた。 

「こんな話、したくて来たわけじゃないんだ」
「ご、ごめ」
「顔を上げなさい。問題は今の、ティティアの体だよ」

 侍医としてのウメノの真剣な瞳が、ティティアを射抜く。今、この場にカエレスがいない。そばにいて欲しいのに、いないのだ。
 ティティアは、ゆっくりとウメノに視線を向けた。本当は、安心してと微笑んで欲しかったのかも知れない。しかし、求める希望とは反対に、ウメノは眉を寄せ、重い唇を開いた。

「蛇毒は抜いた。ヴィヌスは、発情を促してカエレス様の手で子に危害を加えさせるつもりだった。この意味、わかるよね」
「俺、今発情期なの……?」
「強制的に、誘引された。が正しいかな。あいつはティティアが妊娠してるって、勘違いしたんだ。妊娠していなかったのは、本当に不幸中の幸いだよ」

 カエレスの血を、繋げたい。その言葉が、ヴィヌスを思い込ませたのだ。
 もしウメノの言葉が本当なら、カエレスの手で子供に危害が加わっていたかも知れないのだ。選択肢を一つ間違えればあり得た未来に、ティティアの体温は下がる。
 カエレスの手で、傷跡を残す。それを、ヴィヌスは強く望んでいたということだ。

「そ、こまでして……」
「ヴィヌスの信徒は、神から見放されたと思っている。追放したオメガを楽園に戻すことで、許されたがっているんだ」

 ウメノの手が、水差しを傾ける。細かな氷が踊るように泳ぐ水をカップに注げば、そっと差し出された。
 身を起こし、水を受け取れば、冷たさがじんわりとティティアの手のひらの熱を奪った。


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