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ティティアの願い
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「何やってんだお前ぇええええ‼︎」
「っ、ぃぎ……‼︎」
鋭いハニの声とともに、ティティアの上に乗っていたヴィヌスの体は勢いよく吹き飛ばされた。
澄んだ金属の音が聞こえて、それは床を滑るようにして手から離れる。
重い鉄の扉は、開け放たれていた。震える呼吸を堪えようと口を引き結ぶと、ティティアの鼻腔をくすぐったのは慣れ親しんだ安心する香りだった。
(きたんだ……ここまで、きてくれた……!!)
確かな存在を感じた時、ティティアは悲鳴混じりにその名を叫んだ。
「ぇれ、す……っ、カエ、レス……‼︎」
「いるよ、私はここにいる!」
「カエレ、ス、ぅあ、あーーっ……‼︎」
狼のネメスをつけた、黒髪の美丈夫がティティアへ駆け寄った。姿は変わっても、それが誰であるかなんて分かりきったことだった。
カエレスによって自由を与えられた手は、足の拘束が外されるのを待たずして縋り付いた。
大きな手のひらは、足を繋ぐ錠を後回しにするように薄い背中を温める。輪郭を確かめるようにキツく抱きしめられて、少しばかし息が苦しい。
それでも、今はこの高い体温がひたすらに恋しかったのだ。
「なんだよそれ……マルカはしくじったってのか!!」
カエレスの腕の中で、わあわあと声をあげて泣くティティアを見つめていたのはヴィヌスだった。その瞳は暗く、奥底に嫉妬にも似た炎を燃やしているかのような、そんな視線であった。
「っ……、いいよな、ぁ……お前は、好きな方を選べる……」
「お前、自分が何したか分かってんのかよ!」
「黙れ‼︎ お前達に俺たちの苦しみがわかってたまるか‼︎」
「てんめ、っ」
「ハニ」
名を呼んだカエレスに反応を示すように、ハニは振り上げた拳をキツく握ったまま降ろす。
その薄い背中の背後では、カエレスが鈍い音を立てて地べたから鎖を引き抜いていた。両足に繋がる鎖を握りしめるその拳は、いつもの獣の手ではない。ティティアと同じ人間の手だ。
腕に浮かび上がる血管が、カエレスの静かな苛立ちを如実に表している。
その無骨な手で労わるように触れたのは、枷によって擦り切れたティティアの細い足首だ。
獣頭の時よりもわかりやすい表情で顔を上げると、カエレスは金糸水晶の瞳にヴィヌスを写した。
見たこともない若い男だ。もしかしたら、ティティアと同じ年嵩くらいかもしれない。
あと少し遅れて到着していれば、腕に抱く温もりは奪われていただろう。押し殺した怒気が、僅かに口端に滲む。
「お前たちが何を望んで、こんなことをしたのかは大体にわかる」
「ああそうかい、なら話は早いじゃないか」
「ああ、だからお前には一緒にきてもらう。私の考えとお前たちの思考が同じかどうか、確かめなければいけないからね」
「やってみな畜生王」
カエレスの温度のない言葉を前に、ヴィヌスは馬鹿ににするように宣った。ハニによって、後ろ手に拘束されるように立たされる。それでもなお、ヴィヌスの鋭い視線はティティアへと向けられたままだった。
「ヴィ、ヌス」
掠れたティティアの声が、ポツリと溢れた。
泣き腫らした目元には、いつもの強さが戻っていた。覚束ないまま、カエレスに支えられるように立ち上がる。
ティティアは泣いたことを恥じるように袖で涙を拭うと、くっと眉を寄せて宣った。
「選べないよ」
「は?」
「ティティア、お前は下がりなさい」
「嫌だ」
ヴィヌスに向けて、一歩踏み出した。これは勇気ではない。己へと刃を向けた相手に恐怖を感じるのは、何も変わらないまである。
それでも、ティティアにはどうしても言わなければいけないことがあった。
「選べないよ、だって。もし選べるのなら、俺は普通に生きたかった」
それは、擦り切れるまで願った有りもしない未来だ。男の体で、子宮がある。中途半端な体の、生贄としてのみ存在が許される価値。
ティティアはこの体のせいで、たくさんのことを諦めてきた。だからこそ、決めつけるようなヴィヌスの言葉には納得できなかった。
「俺、人間の国でも疎まれて、殺される運命だった。だから獣人の国に亡命したの。だって、ふ、普通にいきたかったから」
「お前は神に愛されて生まれてきた。そんな奴が普通を選べるとでも思ってんのかよ」
「でもそれは俺が選んだことじゃない……っ、神様が作ったから、全部言うこと聞かなきゃいけないの……‼︎」
悲鳴混じりのティティアの言葉に、ヴィヌスが黙りこくる。その顔は、飲み込みづらいものを口に含んだかのようであった。
きっと、理解はしあえない。ヴィヌスの刹那的な生き方を、ティティアが理解できないように。
手のひらで口元を塞ぐと、力が抜けたようにヘナヘナと座り込んだ。極度の緊張から解放された上に、気力だけでヴィヌスへと啖呵を切ったのだ。ティティアは忙しない鼓動を落ち着ける為に、浅い呼吸を繰り返した。
薄い背中を温めるように、手を添えられた。
そっと抱き上げられたカエレスの腕の中。獣人の時とは違う人の体温を確かめるように、ティティアの腕がカエレスの首に縋り付いた時だった。
「ああそうだ、一個忘れてた」
ポツリと呟いたヴィヌスの嘲笑気味の言葉に、反応を示す。
ハニに無理やり立たされるように体を起こしたヴィヌスの、愉悦じみた笑みに違和感を感じた。
(まって、蛇……)
夕焼け色の瞳がゆっくりと目を見開く、ティティアの耳が、小さな音を拾った。
「っ、カエレス……‼︎」
「なん、っ」
湾曲した牙が、獲物に狙いを定めるかのように飛びかかってきた。いつの間にかヴィヌスの首から離れていた蛇が、天井から様子を窺うように潜んでいたのだ。
細い腕が、カエレスのネメスを払うように頭を抱き込む。ティティアの急な行動に、二人はもつれあうように床に倒れ込んだ。
「くそ、っ」
長い耳を揺らすように素早く動いたハニが、短剣を投擲した。蛇は刃に弾かれるように赤い血を散らすと、その体を壁に貼り付けた。
ハニの瞳は、腕から血を流すティティアを映していた。カエレスの頭を抱くように、地べたに身を投げ出す。その細い腕はみるみるうちに赤黒い痣を広げていた。
カエレスの大きな手のひらが、それ以上の広がりを堰き止めるように、ティティアの腕を握りしめた。ネメスの外れた姿はいつもの見慣れた姿に戻っている。普段は読めぬ表情のカエレスが、明確な焦りを滲ませていた。
「ティティア‼︎」
「お前が調子乗るからこうなるんだよバーカ!! っ、ぐァ、っ」
「っ、ウメノ‼︎ ウメノ早く来い走れぇ‼︎」
弾かれるように、ハニはヴィヌスの体を押さえ込んだ。鋭い聴覚は、確かにこちらへと向かうロクの足音に気がついていた。怒声を浴びせるように、声を張り上げる。狭い室内は、先ほどとは違う緊張感に包まれた。
開け放たれた外へと繋がる扉から、砂漠の夜独特の冷たい風が流れ込んでいた。しかし、カエレスを庇って蛇に噛まれたティティアの体は、夜風に冷やされることなく体温を高めていた。
(なんで……こんな……)
耳の奥でカエレスの叫ぶ声が聞こえる。その声に応えてやりたいのに、ティティアの口からは熱を吐き出すような短い呼吸が繰り返されるだけであった。
熱が体を支配する。己ではどうにもできない異常に怯えるように、薄い手のひらはカエレスの指先をキツく握りしめていた。
「っ、ぃぎ……‼︎」
鋭いハニの声とともに、ティティアの上に乗っていたヴィヌスの体は勢いよく吹き飛ばされた。
澄んだ金属の音が聞こえて、それは床を滑るようにして手から離れる。
重い鉄の扉は、開け放たれていた。震える呼吸を堪えようと口を引き結ぶと、ティティアの鼻腔をくすぐったのは慣れ親しんだ安心する香りだった。
(きたんだ……ここまで、きてくれた……!!)
確かな存在を感じた時、ティティアは悲鳴混じりにその名を叫んだ。
「ぇれ、す……っ、カエ、レス……‼︎」
「いるよ、私はここにいる!」
「カエレ、ス、ぅあ、あーーっ……‼︎」
狼のネメスをつけた、黒髪の美丈夫がティティアへ駆け寄った。姿は変わっても、それが誰であるかなんて分かりきったことだった。
カエレスによって自由を与えられた手は、足の拘束が外されるのを待たずして縋り付いた。
大きな手のひらは、足を繋ぐ錠を後回しにするように薄い背中を温める。輪郭を確かめるようにキツく抱きしめられて、少しばかし息が苦しい。
それでも、今はこの高い体温がひたすらに恋しかったのだ。
「なんだよそれ……マルカはしくじったってのか!!」
カエレスの腕の中で、わあわあと声をあげて泣くティティアを見つめていたのはヴィヌスだった。その瞳は暗く、奥底に嫉妬にも似た炎を燃やしているかのような、そんな視線であった。
「っ……、いいよな、ぁ……お前は、好きな方を選べる……」
「お前、自分が何したか分かってんのかよ!」
「黙れ‼︎ お前達に俺たちの苦しみがわかってたまるか‼︎」
「てんめ、っ」
「ハニ」
名を呼んだカエレスに反応を示すように、ハニは振り上げた拳をキツく握ったまま降ろす。
その薄い背中の背後では、カエレスが鈍い音を立てて地べたから鎖を引き抜いていた。両足に繋がる鎖を握りしめるその拳は、いつもの獣の手ではない。ティティアと同じ人間の手だ。
腕に浮かび上がる血管が、カエレスの静かな苛立ちを如実に表している。
その無骨な手で労わるように触れたのは、枷によって擦り切れたティティアの細い足首だ。
獣頭の時よりもわかりやすい表情で顔を上げると、カエレスは金糸水晶の瞳にヴィヌスを写した。
見たこともない若い男だ。もしかしたら、ティティアと同じ年嵩くらいかもしれない。
あと少し遅れて到着していれば、腕に抱く温もりは奪われていただろう。押し殺した怒気が、僅かに口端に滲む。
「お前たちが何を望んで、こんなことをしたのかは大体にわかる」
「ああそうかい、なら話は早いじゃないか」
「ああ、だからお前には一緒にきてもらう。私の考えとお前たちの思考が同じかどうか、確かめなければいけないからね」
「やってみな畜生王」
カエレスの温度のない言葉を前に、ヴィヌスは馬鹿ににするように宣った。ハニによって、後ろ手に拘束されるように立たされる。それでもなお、ヴィヌスの鋭い視線はティティアへと向けられたままだった。
「ヴィ、ヌス」
掠れたティティアの声が、ポツリと溢れた。
泣き腫らした目元には、いつもの強さが戻っていた。覚束ないまま、カエレスに支えられるように立ち上がる。
ティティアは泣いたことを恥じるように袖で涙を拭うと、くっと眉を寄せて宣った。
「選べないよ」
「は?」
「ティティア、お前は下がりなさい」
「嫌だ」
ヴィヌスに向けて、一歩踏み出した。これは勇気ではない。己へと刃を向けた相手に恐怖を感じるのは、何も変わらないまである。
それでも、ティティアにはどうしても言わなければいけないことがあった。
「選べないよ、だって。もし選べるのなら、俺は普通に生きたかった」
それは、擦り切れるまで願った有りもしない未来だ。男の体で、子宮がある。中途半端な体の、生贄としてのみ存在が許される価値。
ティティアはこの体のせいで、たくさんのことを諦めてきた。だからこそ、決めつけるようなヴィヌスの言葉には納得できなかった。
「俺、人間の国でも疎まれて、殺される運命だった。だから獣人の国に亡命したの。だって、ふ、普通にいきたかったから」
「お前は神に愛されて生まれてきた。そんな奴が普通を選べるとでも思ってんのかよ」
「でもそれは俺が選んだことじゃない……っ、神様が作ったから、全部言うこと聞かなきゃいけないの……‼︎」
悲鳴混じりのティティアの言葉に、ヴィヌスが黙りこくる。その顔は、飲み込みづらいものを口に含んだかのようであった。
きっと、理解はしあえない。ヴィヌスの刹那的な生き方を、ティティアが理解できないように。
手のひらで口元を塞ぐと、力が抜けたようにヘナヘナと座り込んだ。極度の緊張から解放された上に、気力だけでヴィヌスへと啖呵を切ったのだ。ティティアは忙しない鼓動を落ち着ける為に、浅い呼吸を繰り返した。
薄い背中を温めるように、手を添えられた。
そっと抱き上げられたカエレスの腕の中。獣人の時とは違う人の体温を確かめるように、ティティアの腕がカエレスの首に縋り付いた時だった。
「ああそうだ、一個忘れてた」
ポツリと呟いたヴィヌスの嘲笑気味の言葉に、反応を示す。
ハニに無理やり立たされるように体を起こしたヴィヌスの、愉悦じみた笑みに違和感を感じた。
(まって、蛇……)
夕焼け色の瞳がゆっくりと目を見開く、ティティアの耳が、小さな音を拾った。
「っ、カエレス……‼︎」
「なん、っ」
湾曲した牙が、獲物に狙いを定めるかのように飛びかかってきた。いつの間にかヴィヌスの首から離れていた蛇が、天井から様子を窺うように潜んでいたのだ。
細い腕が、カエレスのネメスを払うように頭を抱き込む。ティティアの急な行動に、二人はもつれあうように床に倒れ込んだ。
「くそ、っ」
長い耳を揺らすように素早く動いたハニが、短剣を投擲した。蛇は刃に弾かれるように赤い血を散らすと、その体を壁に貼り付けた。
ハニの瞳は、腕から血を流すティティアを映していた。カエレスの頭を抱くように、地べたに身を投げ出す。その細い腕はみるみるうちに赤黒い痣を広げていた。
カエレスの大きな手のひらが、それ以上の広がりを堰き止めるように、ティティアの腕を握りしめた。ネメスの外れた姿はいつもの見慣れた姿に戻っている。普段は読めぬ表情のカエレスが、明確な焦りを滲ませていた。
「ティティア‼︎」
「お前が調子乗るからこうなるんだよバーカ!! っ、ぐァ、っ」
「っ、ウメノ‼︎ ウメノ早く来い走れぇ‼︎」
弾かれるように、ハニはヴィヌスの体を押さえ込んだ。鋭い聴覚は、確かにこちらへと向かうロクの足音に気がついていた。怒声を浴びせるように、声を張り上げる。狭い室内は、先ほどとは違う緊張感に包まれた。
開け放たれた外へと繋がる扉から、砂漠の夜独特の冷たい風が流れ込んでいた。しかし、カエレスを庇って蛇に噛まれたティティアの体は、夜風に冷やされることなく体温を高めていた。
(なんで……こんな……)
耳の奥でカエレスの叫ぶ声が聞こえる。その声に応えてやりたいのに、ティティアの口からは熱を吐き出すような短い呼吸が繰り返されるだけであった。
熱が体を支配する。己ではどうにもできない異常に怯えるように、薄い手のひらはカエレスの指先をキツく握りしめていた。
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