狼王の贄神子様

だいきち

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帰路

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「ちょ、ちょっとあなた! 不躾ですよ!」

 鋭いマルカの声色に、ようやくティティアは現実に引き戻された。甘い香りは何かを付けているからだろうか、しっかりとしたフリヤの体つきから、想像もしない感触が頬に残る。
 マルカに肩を掴まれるように腕の中から脱出したティティアは、ぽかんとした顔でフリヤを見上げた。

「あ、そ、そうかごめん! えーと、ごめんなさい俺鬼族だからつい」
「鬼族全員が大袈裟に捉えられるようなことを言うのはやめろ馬鹿者」
「な、なんか柔らかかった……すごく」
「ああ、もしかしたら筋肉かも。俺前にカエレス様んとこで兵士してたんで」
「へええ⁉︎」

 マルカとロクの窘めもあまり意味をなさなかった。フリヤは快活に笑うと、力瘤を見せつけるように袖をまくる。
 ロクと同じ鬼族だからというのもあるだろうが、エプロン越しからでもわかる男らしい体つきが何よりの証拠だった。

 水と共に案内されたのは、調理場が見える席であった。ロクとヘルグが両端を守るように腰掛けるだけで満席の飯屋は、兵士が主なお客さんらしい。
 にかりと笑ったフリヤは、材料を取り出しながら宣った。

「兵士ってパッと飯食ってすぐ出てけるような場所がいいんだよ。後、普通の飯屋じゃ仕事の話もできないし」
「それで、兵士を辞めてこのお店を始めたの?」
「あー、……まあそれもあるんだけど」
「素直に番ったからだと言えば良い。もう項の傷は治ったのか」
「おいエッチな話はだめだって!」

 ヘルグの言葉に顔を赤らめて抗議する。どうやらフリヤはそういった話が得意ではないらしい。
 ニルとまったく正反対の性格に、どんな出会い方をしたのかと興味をそそられる。

 フリヤが他愛もない会話をしながら、手早く作ってくれた噂のコシャリ。召し上がれとティティアの眼の前に出された一皿は、そっとマルカに攫われた。

「既知のものでも、決まりは決まりですから」
「俺目の前で作ったし、毒なんか入れてねえけど」
「マルカ、フリヤが妙な動きをすれば俺がわかる。そこまで気をはらなくても」
「決まり、ですから」

 しっかりと言い切るマルカの強い瞳に、ヘルグが苦笑いを浮かべる。
 少しだけ悪くなってしまった空気を感じ取ったのか、萎縮するティティアの様子を汲み取ったのか。フリヤはにかりと笑うと、マルカへと宣った。

「なら、一番最初に食うんだ。俺の入れた隠し味も勿論あててくれるよな?」
「な、それ関係あります!?」
「あるよー! だって俺お嫁さんに最初に食ってほしかったもん!」
「あはは、ご、ごめんフリヤ」
「いいよ、今度マルカがいないときにな! ロクんときにきな、約束」
「こら、唆さないでくださいまし! あと敬語!」
「あ、ほら俺鬼族だから学がねえってんで、ごめんって」

 おいフリヤ。二度目のロクの注意も舌を出すことで茶目っ気たっぷりにやり過ごす。
 快活な兄貴肌とでも言うのだろうか。あっという間に沈んだ気持ちを忘れさせるフリヤの話術に、ティティアは救われたような心地になった。
 それから暫く続いたマルカとフリヤの、隠し味はあれだ、いやそれは違う。などのやり取りを笑って聞いているのは楽しかった。
 味覚異常がなければ、素直な感想を言えただろうに。
 食感だけを残した料理を口に運んでいれば、入り口から飛んできたのは不機嫌な声であった。

「おい、店の外にも声が漏れて……ゲッ」
「おー、おかえり!」
「なんでいるんだぁ!?」

 扉につけられたカウベルが音を立てる。
 大きな桃色の耳を引き伸ばすようにして驚いた。店の入口に立っていたのは、買い物を終えたニルだった。

「ハニに教えてもらった!」
「あんのちび……!!」
「俺もいるぞニル」
「ぐええヘルグまでいやがる……」

 茶色の紙袋から、野菜やら果実が見えている。お使いに出ていたのは本当だったらしい。似合わない生活感を背負ったまま、ニルが調理場へと入る。
 フリヤの背後を通り過ぎる姿は、大きな狐の耳を抜いても、少しばかしニルの方が背は高い。

「ありがと、芋だけ使いたいから置いといてくんね」
「俺も手伝う」
「お、じゃあ皮剥きお願いするわー」

 ティティアの瞳が丸くなる。まさかニルから手伝うという言葉を耳にする日がくるとは思わなかったのだ。
 やはり番いだから素直になるのだろうか。二人が肩を並べる姿を前に、己とカエレスが調理場に立つ想像を重ねる。
 そわりとしたティティアが頬を染めれば、ロクがそっと耳打ちをした。

「フリヤが嫁の方ですよ」
「ほえぇ……」
「何見てんですかねえお嫁様は」

 ティティアの反応を前に、ニルが威嚇をするように意地の悪い笑みを浮かべる。
 慌てて顔を逸らす様子に勝ち誇った笑みを向けるも、すかさずフリヤに後頭部を叩かれていた。
 
 昼飯で随分と時間を潰してしまった。不機嫌そうなニルを背後に背負ったフリヤには、次はマルカ抜きで来るんだよと念押しをされながら店を後にした。
 昼飯の代金は、フリヤが笑顔でニルに払わせると言ったので、ありがたくご馳走になった。どうやら日頃旦那がすみませんという詫びも含めているらしい。
 ニルはとんだとばっちりだったろうが、ティティアはそのやりとりが楽しくて笑ってしまった。

「ロクは最後に行ったお店、行きつけなの?」
「こっちに戻ってきてからは、そうですね」

 ヘルグに道案内をされるように、もと来た道を戻る。ロクの手には、道中立ち寄った裁縫屋。木の実の山という店で買った生地や糸が入った紙袋を抱いていた。
 行きつけの店のリス獣人とは既知らしく、ロクがきた途端心得たとばかりに取り置いていた商品を抱いて駆け寄ってきたのが、随分と可愛らしかった。
 滞在時間は短かったが、ティティアもそこで飾りボタンを一つ購入した。
 店主であるミツから、紐を通せば髪飾りになると聞いたのだ。長くなった髪をまとめるのに重宝しそうだと手に取れば、ミツから渡された紐を使ってロクがあっという間に髪紐を作ってくれたのだ。
 
「手芸が趣味とは驚きね。鬼族は不器用なものだと思っていたわ」
「あまり己の物差しで人を測るのはやめた方がいい」
「ま、まあまあまあ……」

 マルカとロクの不穏なやり取りをとりなすのも慣れてきた。店を出て空を見上げれば、間も無く夕暮れに変わる頃合いだ。
 久しぶりの外出で、あちらこちらに行きすぎた。暑さに滲む汗を袖で拭えば、ヘルグが気を利かせてくれた。

「飲み物でも買ってきましょうか」
「え、兵隊長にそんなことさせるのは……」
「何をいうんですか。あなたはカエレス様の番いなんですから、遠慮する立場ではないんです」
「……なら俺がいく。ヘルグはそこにいてくれ」

 不機嫌さを滲ませたロクが、その場を離れる。水はいらないと言えば、マルカもあんなことは言わなかったのかもしれない。ティティアが少しだけ落ち込めば、その肩にマルカの手が添えられた。

「ティティア様、ちょっと宜しいでしょうか」
「うん?」
「ヘルグさん、そこにいてくださいな。あなたが見える範囲におりますから」
「構いませんが、話が聞こえたらすみません。何せ狼なもので」
「聞かれて困ることではありませんもの。お好きにどうぞ」

 さあこちらへ。マルカの手がティティアの背に添えられるままに、壁際へと連れていかれる。ロクがいない時に話さなくてはいけないことなのだろうか。表情に滲む不安が伝わったのか、マルカはそっとティティアの手を取った。


 
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