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大きな一歩
しおりを挟む雷のような音がした。それが、閉じ込められる時の音だというのをティティアは知っている。
乾いた黄土色の地べたを彩るかのように、粘度の高い赤い血がポタポタと垂れる。投げ飛ばされるように入れられた牢屋には慣れたもので、周りの神官からは学習しない白痴だと思われているのは明白だった。
「……くそ、またダメだった」
深爪気味の薄い手のひらが、地べたの表面から乾いた砂を集めるように握り込まれる。褐色の肌はところどころ傷つき、菜食のみしか許されない体は成人男性にしては随分と薄かった。
背中を丸めるようにして蹲る。薄い背から浮き出る骨が、痩せ細った獣を思わせた。きっと、頭につけられた狼の耳飾りがそう印象付けるのだろう。
虐げられている割に、ティティアの体を飾る装飾は上等なものばかりだ。それが余計に歪さを醸し出している。
「またロクに怒られちゃうな……、もういいか。最後まで迷惑かけっぱなしで嫌になる」
そんなに、普通でありたいと思うことがダメなことなのだろうか。
乾いた地べたの上に横たわる。体に纏う薄布を汚すことを、気遣うことも無くなった。自殺防止の意味合いもある装飾具の見栄えだけはいい。もしかしたら身につけているものの価値は、ティティアの命よりも重いかもしれないと思うと、なんだか笑えてきてしまった。
筋張った手のひらが、下腹部へと伸びる。ここに、男にはあるはずのない子宮が存在するという。
「ティティア様」
不貞寝を決め込もうというところで、名前を呼ばれた。こんな埃っぽいところへと足繁く通ってくれる唯一の友人、とティティアが一方的に思っている相手は、己と同じ人ではない。
「ロク」
牢屋の小さな窓から床を照らしていた太陽も沈んでしまった。細い体を冷やす夜が来たというのに、ティティアはむくりと体を起こした。夜を吸収したような黒髪は素直に流れ、夕焼け色の瞳を声のする方へとゆっくりと向けた。
「ティティア様。迎えにあがりました。早くここから出て、明日の準備をなさらないと」
「好んで死ぬ準備をする奴っている?」
「いないでしょうね」
入り口を塞ぐ冷たい鉄の一本を、大きな手のひらが握り締めた。朝焼けにもにたコランダムの瞳を向ける大柄な美丈夫の名前は、ロクと言った。
ロクは、ティティアの侍従でもあり、ティティアの暮らすアテルニクス国では珍しい鬼族の青年だった。
不貞腐れるようにのろのろと動くティティアをまっすぐに見つめたまま、ロクはしばらく黙りこくっていた。青暗い室内を映し取ったかのような濃紺の髪を、時折外気が擽る。外へと続く扉は、ロクが壊すようにして開けていた。
「だから、夜の散歩に誘いにきたんです」
「……それって、逃げようって言ってる?」
「そう聞こえるのなら、そうなのでしょうね」
寡黙なロクが、珍しく会話を続けたことも驚いた。肩口までに切り揃えられた美しい黒髪を揺らすようにして、ティティアが立ち上がる。
明日はティティアの命日になる日。この体がアテルニクス神に供物として捧げられる大切な日のはずだ。神官でもあるロクがそんなことをすれば、きっと殺されてしまう。
それほどまでに、ティティアを逃すことは大罪なのだ。だからこそ、ロクの言葉の真意がわからなかった。
「考えてみたのですが……」
警戒をするように己を見つめるティティアを前に、ロクはゆっくりと口を開いた。
あまり表情の動かない男だ。鬼族は感情が抜け落ちているのだろうかと思うほど、言葉の抑揚は見当たらない。
「どうせ獣神アテルニクスに御身を捧げるのなら、自ら供物として神のもとに伺えばいいかと」
「死ねって言ってんの」
「いいえ。獣人の国へ参りましょう」
獣人の国。ロクの言葉に、ティティアの細い喉はゆっくりと上下した。
人を神の供物にするという馬鹿げたしきたりを律儀に守るアテルニクス国。その国名は、獣頭を持つ男神からきているという。
獣人族は神の血を引くもの達が営む社会だ。鬼族のような特殊な血を持つわけでもないティティアが逃げ込んだとして、一体どうなるのか見当もつかない。
「……」
何もしなければ、死を待つのみだ。明日までの命の期限を、少しでも延ばすことができるのなら。もし、この目でもう一度外の世界を見ることがかなうのなら。
これは、俺が生きるための選択をしろということか。
静かに答えを待つロクの瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。
「どうせ生贄になるのなら、生きている神様の生贄になりたい」
「あなたらしい選択だ。行きましょう、時間はあまりありません」
もし、次の輪廻があるのだとしたら。今度は神子なんかではなく、普通の人として生きてみたい。擦り切れてしまうくらい何度も重ねた祈りは、本当に神様に届いたのだろうか。
ティティアの目の前で、新たな道はロクによって物理的に押し開かれた。
人一人が通れるほどの湾曲した鉄の隔たりが、門出を祝うかのように口を開けている。しきたりに初めて背いて一歩踏み出した牢の外、見慣れたはずの汚い小部屋がいつもと違うものに感じた。
「あはは、そんなことできるんなら、最初から助けてよ」
「あなたが嫌だと言ったら、なんて言い訳をしようかと思っていました」
おかげで、上に叱られることはなさそうです。そう言って、口元に笑みを浮かべたロクを見上げる。そんな顔もできるのだなと思った。
ロクによって、土壁でできた牢の外壁は破壊されていた。小窓から眺めていた景色が、確かに目の前に広がっていたのだ。
明日はきっと、ティティアがいないことに気がついて、神殿は大きな騒ぎになるだろう。少しだけ、そんな様子を見てみたい気もする。
湿り気のある土を素足で踏んだティティアは、ロクに手を引かれるようにして神殿の外へと駆けた。
ティティアにとっての人生を変える大きな一歩が、今踏み出されたのだ。
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