友人の恋が難儀すぎる話

だいきち

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「前はもっと低い木だったから、仕方ないかもしれないよ」
「え?」
「このおじちゃん、前に猫助けてた。木に登ってたもん、その時も」

 ともき君の言葉を前に、え、そうなの?と窺うような目線を向けた。
 警官と俺の目線に晒された永生は、下唇を吸い込むように上目遣いで見つめ返してくる。やめろ今この場で正しい顔面の使い方をするんじゃない。

「ねーおじちゃん?」
「ウン」
(絶対嘘なやつ……!!)

 殊勝な態度で頷く永生の顔面偏差値が仕事をした。どうやら三文芝居に騙されたらしい警察官が、それなら仕方がないのか……?などと自問自答する。町の治安を守ってくれてるんだから、もっと自分の意見に自信を持てよと言ってやりたいが、今は口を挟まないでおく。
 ともき君はにっこりと無垢な笑顔での圧力をかけてくる。生まれ持った顔面ギフテッドは幼いうちから使い所を熟知しているようだ。末恐ろしすぎる。
 
 結局永生は俺と警察官に迷惑をかけて。用具室の脚立を借りて地上へと生還した。十数分程度で生まれたての子鹿のような足腰になるのかと思ったが、ガクガクする永生の目の前にはともき君がいたのをすっかり忘れていた。
 木から降りられなくなった子猫はいなかったけど、情緒を振り乱した不審者なら俺の背後にいた。

「あっあっあっあっ」
「この子が助けを呼ばなかったら降りられなかったんだからね! いい大人なんだから、きちんとお礼を言うんだよ!」
「クぉへてテテスァす」
「え?なんて?」

 ついに言語能力まで消失した永生は厳重注意だけにとどまった。警察官が立ち去った後、ともきくんと永生が俺を挟んで向かい合うという地獄のような状況だけが残った。
 背中にでかいセミにしがみつかれているような悍ましさだ。時折クビ……へててァス…ぁあさすゥス……みたいな謎言語をはあはあしながらか細く喋る。
 ジジジジ、とともき君の手の中のセミが泣いている。きっと俺の気持ちを代弁してくれているに違いない。

「ぁうあ……」
「ともき君ごめん。こいつこんなんだから俺から礼を言わせてくれ。とりあえずそうだな……コンビニで魚肉ソーセージ買ってあげるから……」
「知らない人についてっちゃダメだってママに言われてる」
「しっかりした親御さんで安心だなぁ~~!!」

 打つてなーーし!!と心の中で悲鳴をあげた。ともき君は立ち尽くす俺へと慰めを送ろうとしてくれたのか、セミ、見る?元気になるよ?と幸運の壺を売りつけるような強引さで見せつけてくる。黒くつるりとした目玉が助けを求めている気がする。俺もお前に助けてほしいよ。

「しゅ、俊足の君……」
「だれ」
「ごめん、何も言わずに付き合ってやってくれないか。セミはもういいから」

 永生がなんとか人の形を保つように、俺の陰からぬるりと顔を出した。整った顔面はどんな状況でも映えるらしい。尋常ではない手汗をこすりつけるように俺の背中を摩擦している永生は後で締める。

「なんで、いつもおぉれを、た、助けてくれるの……」

 情けない声色で宣う。同い年にあてての言葉なら、好きをダイレクトに差し出すような具合だ。
 でも相手は小学生、いくら照れても行き着く先は事案にしかならないし、運命がイタズラするのなら十一年後のあるかもわからない奇跡を期待するしかないのだ。
 そんなこと思ってたら、七夕の織姫と彦星よりも可哀想な気がしてきた。

「しんぱいだから」
「おぉお、お心配なのっおぉ俺がっ」
「俺もお前の頭が心配だよ……」

 まさかのともき君の言葉に、永生の声がひっくり返った。しっかりしてくれ。お前も俺も、この子からしてみたらおじさんなんだぞ。モブだぞモブ。
 ともき君は、愛らしい唇をチョンと突き出して、ぅむう、と考え込んでしまった。
 普通の感覚なら、美青年と美少年の背徳的な組み合わせに心躍る者もいるだろう。本当に、ともき君を前にしなければ永生って非の打ち所がないはずなのにな。
 俺は眉間をもみほぐすように項垂れた。

「しんぱいだよ……」
「ともき君……そ、そんなに俺が」
「大人なのにしっかりしてないから……」
「ブッフォ」

 ともき君のカウンターに吹き出したせいで唾が器官に入った。まさかの発言にゲヘゲヘ吐き出すようにむせる俺の背後で地震が起きた。震源地はもちろん永生だ。

「いつも木陰に隠れて、いきづらそうだなあって」
「ストーキングばれてんじゃねえか」
「人間の国に慣れてないおーじさまなの?」
「同種だと認定されてなくて草」

 地縛霊のような姿で口を開けたまま震源地化している永生を前に、ともき君は実に堂々としていた。今にもとどめを刺されそうな永生へと徐に近づくと、小さな手で永生の手を握りしめたのだ。

「お話しするときは、人の目を見てって先生言ってたよ」
「お゛っ……」
「お前そんな声出るんだな……」

 いつもの甘やかな声はついに消え去った。
 ともき君に手を握りしめられた永生は直立のまま少し浮いた後、クワリと見開いた目でともき君を見つめ返した。緊張と動揺がごちゃ混ぜになって、威嚇のようになっている。
 そんな側から見たら面白い永生の様子を、俺は口を開けて震えることで笑いを堪えた。

「おじちゃんおーじちゃんのお友達なら、しっかりしないと」
「まじすいません」
「ともき君将来僕と仲良くしてくれませんカッ」
「だから毎回いうタイミングが妙なんだよお前は」

 永生の後頭部を素早く叩く。
 ともき君は永生の突然の言葉にポカンとしたようだ。あたりまえだ、俺だって脈絡なさすぎて怖いものな。
 永生はというと、しまったと言わんばかりに口を押さえると、目を見開いたまま俺の方へと顔だけで振り向く。怖い、すごく顔面の圧力があって怖い。

「将来的って、何年」
「じゅ、じゅういちねん……」
「おーじちゃん、俺がニジュッサイまでどうするの?」
「い、いい子にしてます」
(俺は一体何を見せられているんだ)

 永生の宣言というか、よくわからない発言を前に、ともき君は再び難しそうな顔をした。
 いや本当にごめんね小学生なのにこんな大人に付き合ってもらっちゃって。俺はともき君の心根の優しさに内心で謝り倒しながら、窘めるように永生を見た。

 そりゃあもう見事に瞳を潤ませて熱視線を送っている。絵面だけは本当にいい。熱視線を向ける相手が犯罪くさいだけで。
 白磁の頬を赤らめて、少しだけ泣きそうな顔をしてともき君を見つめる永生を前に、この恋は茶化せないものなのだなと思うくらいには、緊張感は伝わってきた。
 世の中には本当にいろんな恋の形がある。永生はその中でも特に苦しい恋愛をしそうだと、少しだけあわれんでしまった。
 ともき君の瞳が、再び永生を見た。何と無く居づらくて、気を遣って後ろへ下がろうとしたときだった。

「大人になったら、一緒にご飯食べてあげんね」
「へぁあ」
「俺今は虫取りで忙しいから、じゅういちねん待っててね」
「ーーーー」

 へにゃりと笑ったともき君に言いたい。こいつに限っては安易な約束はしてはダメだと。当然そんなアドバイスをできるわけもなく、俺は歯茎を剥き出しにするかのように虚空を見上げた。
 ともき君は虫取り網の中に慎重な手つきでセミを戻すと、俺クマムシ捕まえなきゃだから!と良くわからないことを言って元気よくかけて行った。

「いやかわいいなともき君。うん、無垢だし、わんぱくだしな」
「十一年待っててね……だって」
「うん、十一年間本気で虫取りするんじゃない。知らんけど」

 人が見たら目に焼き付いてしまうほどの美しい顔立ちを扇情的に染め上げる。
 永生は桃色吐息を漏らすと、恋する乙女のように白い手で両頬を覆った。お前はさっきまでなりたいと悲鳴をあげていたセミに負けたんだぞ。気づいているのか。
 永生の恋心が砕け散ったわけではなく、妙な伸び代を残してしまったという事実に俺だけがビビり散らかしている。もしかして拗れるまで振り回されるのではないかという一抹の不安は拭い切れないが、とりあえず今は考えないことにしておこう。

「そういえばお前、ともき君にお礼言えって言われたとき、なんて言ってたんだよ」
「首を差し出します」
「そっか……」

 心地の良い、夕焼けを運ぶ風が俺たちの間を通り抜ける。
 夕焼けが目に染みたことを理由にして、少しくらいは泣いてもいいだろうか。
 
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