人間に棲む狼

平倉義忠

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Ⅱ.古本

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 ガサッ、ガサッ。自転車のかごに入った二重の紙袋が、蜜柑色の堤防に敷かれたアスファルトの割れ目に合わせて上下する。さらにそれに合わせて、わたしの気も高揚していく。
 天にも昇る気分って、まさにこのことだよね。
 太宰、鷗外、芥川、志賀、谷崎、漱石・・・わたしが好きな作家の、厚さ4センチもある作品集が13冊。ざっと1万円は軽く超えそうなものである。もしそんな値段だとしたら、こんな膝丈スカートの、アルバイトができない高校生にはなかなか手が出せないはずだ。たぶん。
 わたしは先月、この地に引っ越してきた。転校したわけではないし、学校までさらに遠くなったから、学校へは自転車と電車とバスを使い、片道2時間かけて通っている。
 そして今日、下校途中に自宅と駅の間にある「古本 砂糖書房」の看板をたまたま見つけ、衝動に駆られて生まれて初めて古本屋というものに入った。古本屋に入ったのも初めてなら古本を手に取ったのも初めてだったし、古本の相場も知らなかったから、原価の何分の1で売られる光景に未曽有の感動を覚えた。しかも、わたしが好きな近現代文学作品のコーナーは充実していてすぐに見つかったし、好きな作家の作品集は全員のがあった。その中から、読んでみたかったものや紙媒体で欲しかったものを13冊、手持ちをほとんど使ったけれど百均で買うより安い、1冊105円で購入した。
 いつもは鉄球を引きずるかのように重たい家路のペダルは、まるでモーターがついたかのように軽い。このまま離陸して、空にも届きそうだ。だが、アパートの前まで来て、その足には途端に鉄球がつながれた。
 そっと玄関のドアを開け、息を殺して忍び込む。音をたてずに戸を閉め、猫のように足音を盗んで、玄関からすぐの自分の部屋へ滑り込んだ。
 ふう・・・
 やっと自室のドアを閉めたとき、殺した息をよみがえらせた。
 今日は一冊読んで、もう寝ちゃおう。
 わたしは、購入した13冊のなかから1冊、芥川龍之介のを選んだ。本を開いた瞬間、ふわっと薫ったカビ臭い匂い。
 これが古本かあ・・・
 古本の匂いに酔いしれながら、なににも邪魔されずに小一時間ほど読み進めていたとき、
ダダダダダッ、バンッ
 トラックの急ブレーキのような悲鳴が聞こえ、物凄い勢いで廊下を走る音がして、この部屋のドアが取れるような勢いで開き、何かが転がり込んできた。母だ。
 ハァ、ハァと肩で呼吸している。全身血だらけで髪は乱れ、衣服はずたずたに裂かれている。凄まじい傷口と透き通るような白い肌も恥部もあらわになって、ほとんど裸体だった。わたしは椅子から立ち上がって、母に近づきまじまじとその身体を眺めた。
 綺麗だ。
 一瞬、そんな母の姿に見とれてしまっていた。それもつかの間、
ダンッ
血まみれの鎌を持った大柄の男が、ドア枠に手をついていた。背筋が凍る。この大男は、わたしの父だった。父だった、、、人だ。思考が停止する。
 なんで、ここに・・・?
 鎌男がじりじりと迫ってくる。息が酒臭い。母はわたしの後ろへ後ずさってく。声も出せない。ふと、芥川龍之介以外の12冊が、真紅に染まって床に散らばっているのが見えた。
 あーあ、せっかく買えたのに・・・
 途端に、身体の中で何かが沸騰するような感覚を覚えた。
 「どきな。おめえも母ちゃんのことが嫌いだろうが」
 動けない。母のことが嫌いなのは確かだけど、そういう問題ではなくて、本当に、金縛りにあったように動けないのだ。
 「どけよ!おめえも死にてえのか!」
 鎌を振り上げ、そのままあたしの腹をかっ裂いた。
 鮮血が、桜のように舞う。痛みはない。ただ、裂かれた腹から異常なほどに血が噴き出てゆく。それが一ヶ所に吸い込まれるように集まり、徐々に何かの形に形成されてゆく。
 大きな狼だ。赤く光沢のあるたてがみに、深く黒っぽく赤い瞳。すうっとしっぽまで形成されたとたん、あたしは立っていられなくなった。あたしが倒れてゆくのと同時に、目の前の鎌男と、背後にいた母の身体が真っ二つに分かれ、大量の桜が散った。
 わたしの手には、最後まで芥川龍之介が握られていた。
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