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一話目
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慇懃にもてなしてくれた使用人に案内され、イザベラ様がお待ちになっているという部屋に向かう。王都でも有力な都市貴族であるイザベラ様のお屋敷は、内装も調度も品が良く、隅々まで手入れが行き届いていた。黄昏の光がぼんやりと射し込む廊下を一歩進むごとに、はじめてお客様を担当させていただいた時の緊張がよみがえってくるようだ。いつも自分を落ち着かせるため持ち手を強く握りしめるカバン––施術用のオイルやお着替えいただく衣装が入っている––は、先導してくれる使用人が丁寧に抱え持ってくれている。けっして粗相のないように! とめずらしく釘をさしてきた店長の言葉を思い返し、意識して深い呼吸を繰り返した。施術者の緊張は素肌に触れさせていただくお客様に伝わり、お体を強張らせてしまう。
こちらでございます、と告げた使用人に礼を言ってカバンを受け取った私は、これから人生を左右する出会いを果たすことになるのだとは想像もしていなかった。
◇
「よく来てくれたわね。寝室はこちらよ。さあ、入って」
「っ……! は、はい、失礼いたします」
入室した私を迎えてくれたイザベラ様は、思わず息を呑んで立ち尽くしてしまうほどの美貌の持ち主だった。宝石のように煌めく紫の瞳も、薄く化粧の施された形の良い眉も、すっと通った高い鼻梁も、ふっくらとして柔らかそうな唇も、これ以上ないのではという絶妙なバランスで、すっきりとした輪郭に収まっている。落ち着いた声音と口調はいかにも円熟した大人の女性らしく、耳に心地よい余韻を残した。背は私よりわずかに高く、腰まで届きそうな長髪はゆるやかな癖があり、濃く深みのある紅色がなんとも艶やかだ。無防備な部屋着から覗く肌は抜けるような白さで、つい豊満な谷間に目が吸い寄せられてしまいそうになってはっと我に返った。
美しいお客様を担当することはめずらしいことではないのに、本能が警鐘を鳴らしている。雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡り、イザベラ様に聞こえてしまうのでないかと危惧するほど鼓動がうるさい。それでもどうにか返事をして歩き出した私は、嫌な汗が背中に流れるのを感じた。
(こんな感覚になるなんて、生まれてはじめてだ……。それに私がお客様をこのような目で見てしまうなんて、どうしたことだろう。……ともかくも、すべきことに集中しなければ)
広々とした寝室のソファに案内された私はカバンを下ろし、あらためて丁重に挨拶をした。テーブルを挟んで向かい合い、腰掛けたイザベラ様に施術の一連の流れを説明し、契約書に目を通していただく。
「へえ……、貴女、魔法が使えるのね」
「難しいものは扱えないのですが、少しばかり心得がございます。施術中は個人的な会話を好まれる方が多く、お客様によりリラックスしていただくことを目的として、防音魔法を使用させていただいております。必須というわけではございませんので、イザベラ様のご希望をお申し付けください」
魔法を使えない施術者は、専用の魔道具を持参することになっている。もしかしたらイザベラ様は、魔力感知に長けているのかもしれない。私を値踏みするような視線を感じて身をすくませていると、「そうなの。それじゃお願いするわ」とあっさりとした答えが返ってきた。自分でも驚いた邪な感情までは悟られなかったようだとひとまず安心した私は契約書のサインと先払いの代金を頂戴し、カバンから取り出した施術着にお着替えをお願いします、と普段と変わらないご案内を行うことができた。……目の前で着替えようとするイザベラ様を慌てて押しとどめ、寝室に連なる洗面所へ向かってもらうまでは生きた心地がしなかったけれど。
外套の下にすでに制服を着用している私は、施術の準備に取り掛かる。大きなベッドに厚手のタオルを敷いて、施術用のオイルと最後に体を拭き取る濡れタオルを専用の魔導ヒーターに入れた。気兼ねなく会話していただけるように、防音魔法も発動しておく。施術の邪魔にならないよう、肩まで伸びた黒髪を後ろで一つに結び、自分の手を清潔なタオルで拭って温めた。
(上の制服は体のラインがわかるけど下はゆったりしたデザインだから、……万が一の事態に陥っても誤魔化せる、はずだ……)
私は性欲の強いふたなりだが、お客様に体が反応したことはない。不純な動機でエステティシャンになったものの、素肌に触れさせていただく責任の重大さを理解して仕事に励んできたつもりだ。なにより私はお客様に感謝していただけるこの仕事にやりがいを覚えていたし、信頼を裏切るような真似をするなどもってのほかだと考えていた。かつての自分では想像もできなかった充実した毎日を送るうちに施術者としての自覚が芽生えた私は、そもそも担当するお客様を不埒な目で見たことはない。
––だがイザベラ様を一目見ただけで、私はかつてなく動揺してしまっている。これまで築き上げたものが土台から崩されていくような、恐ろしい予感が拭えない。考えたくはないけれど仮に体が反応してしまったら、人生経験が桁違いであろうイザベラ様の慧眼から隠し通せる自信はなかった。
自身のことにばかり目を向けて気を取られてしまっていては、お客様にご満足いただくことなど不可能だ。頭を振って雑念を追い払った私は、姿勢を正してイザベラ様のお支度が済むのを待った。
「髪も結い上げたのだけど、これでいいかしら?」
「……っ!? っええ、ありがとうございます。……お着替えのサイズはいかがでしょうか?」
「そうね……、問題ないわ」
「かしこまりました。それではベッドに腰掛けていただき、お体の状態を確認させていただきます」
長い髪を一つにまとめて結い上げてくださったイザベラ様は、施術のために着替えていただいた濃紺のマイクロビキニ––見た目は局部だけを覆い隠すビキニそのものだが、柔らかく優しい肌触りの生地を使った特注品だ––の上に羽織っているガウンの腰紐を結んでおらず、魅力的なお体を直視してしまった私は返答が遅れた。視線を慌ててベッドに移し、イザベラ様を促す。
簡単に気持ちが乱れてしまう情けない自分を叱咤しつつ、ガウンの上から肩や背中に優しく触れた。思っていたよりもひどいコリ具合をたしかめているとやっと意識が切り替わり、施術に全力で集中することができそうだった。
「ぅ……、そこ、いつも凝ってしまうのよね」
「ここまで凝り固まっていたら、さぞお辛かったことでしょう……。まずはうつ伏せの体勢になっていただいて、上半身から施術をはじめてまいります」
「ええ、よろしく」
今度はお姿を見ないように注意深く視線を逸らし、イザベラ様にガウンを脱いでいただく。胸の大きなお客様はうつ伏せが辛いと感じる方が多いため、胸の下にあたる部分には余分にタオルを敷いて体勢を取ってもらった。息苦しくないか確認を取り、すぐに施術をしない下半身は冷えないようにタオルをかけておく。「オイルを塗っていきますね」と声をかけて、あらかじめ好みを聞いて調合し温めておいたオイルを、たっぷりと背中に塗り広げた。丁寧に手入れしているのだと思わせる滑らかなお肌をゆったりと揉みほぐすと、イザベラ様が声をかけてくださった。
「ん……っ、加減を伝えていないのに、ちょうどいい強さだわ」
「ありがとうございます。強さはお好みに合わせますので、遠慮なくお申し付けくださいませ」
「わかったわ、……ありがとう」
お仕事や日常の出来事など他愛ない話題の会話をぽつりぽつりと交わしながら、リラックスしてくださっている様子のイザベラ様を丹念に施術していく。こうして欲しいなどのご要望も特に言い渡されないまま上半身を終え、タオルをかけ直して下半身の施術に移った。わずかに開かれている脚の付け根を視界に入れないように顔をうつ向かせ、温かなオイルを垂らし、むっちりとして張りのある太ももから足先まで揉みほぐしていく。口数が少なくなったイザベラ様は、うとうとと微睡んでいらっしゃるようだ。
高いヒールを履くことが多いと教えてくださったイザベラ様の脚は上半身同様疲れが溜まっており、冷えも感じられる。ほぐし方に変化をつけ、お体のサインを見逃さないように感覚を研ぎ澄ませて力加減を調整した。うつ伏せの施術を終える頃、イザベラ様は微かな寝息を立ててお休みになっていた。控えめに声をかけて仰向けの体勢になっていただきたいと伝えると、とろりと瞳を潤ませたイザベラ様がゆっくりと体を起こす。長い睫毛の縁から、匂い立つような色香が零れ落ちた。たぷんと揺れる豊かな乳房や美しい曲線を描くくびれにも気を取られないように背を向けて、目元用のタオルを準備する。仰向けのお客様が眩しさを感じないためのタオルだが、今回ばかりは自分にとってもありがたい。お体を見ないように意識している私の視線が不自然に泳いでしまっても、視界を覆っていれば気付かれないだろう。
仰向けの施術を下半身から開始し、上半身に移る。目に毒な胸や腰回りにもタオルをかけて、ほとんど会話を交わさないまま最後まで施術を行った。仕上げに蒸しタオルでお体のオイルを丁寧に拭き取ると、イザベラ様が満足そうに伸びをして、「あぁ……、とても気持ちよかった。体が温まって、今夜はよく眠れそうだわ。ありがとう、マリオン。……また貴女にお願いするわね」と微笑んでくださった。
ありがたいお言葉と多すぎるのではないかというチップを追加でいただいた私は、ガウンを羽織りお着替えに向かうイザベラ様を見送って、ようやくまともな呼吸ができた気がした。ふと気付けば、制服が体に張り付くほどじっとりと湿っている。施術を終えたばかりとはいえ、火照ったように体が熱い。まさか、と思って恐る恐る下半身を覗き込むと……完全にではないものの、私の体は反応を示してしまっていた。
◇
イザベラ様のお屋敷から自宅へ帰る馬車の中で、私は途方もない罪悪感と疲労感で押し潰されそうになっていた。施術を気に入っていただけたことは心から光栄に思うのだが、このまま担当として依頼を受けるには自分に問題がありすぎる。店長に申し出て担当を降ろしてもらおうかと考えたけれど、正直に理由を伝えたらこれまで築いた信用が地に落ちてしまいかねない。適当な理由を創作してでもイザベラ様にお会いしないほうがいいと理性が訴えるのに、次の日の朝、私は「またご依頼をいただけそうです」とだけ店長に報告した。悪い予感を抱いていながら、強烈に惹かれる心を制御できなかった。
週に一度のペースでイザベラ様のお屋敷に呼ばれるようになり、一か月が経過した。お疲れが溜まり無防備なお姿を垣間見せるイザベラ様への反応は大きくなってしまう一方だったが、卑劣な欲望をひたすら抑え、隠し、平静を装って施術を行い続けていた。ただ、イザベラ様に触れた後はほかのお客様のもとへ向かう気力も体力も尽きてしまうため、ご依頼いただく日程は初回と同じく、最後のご予約時間帯をご案内していた。
今夜も通い慣れた道を馬車に揺られ、お屋敷に向かう。イザベラ様にお会いする前はいつも自責の念が膨れ上がり、今後は別の担当者に引き継いでもらわなければと考える。しかしどうにか施術を終えてイザベラ様に微笑みかけていただくと、かつて味わったことのない感情が胸に湧き上がり、なにも今回の訪問が最後である必要はないだろう、などと考えはじめてしまう。もはやイザベラ様の信用を裏切っている状況だが、施術者に徹しきれず、かといって距離を置くことも拒む私はなんとも愚かで、中途半端だった。
––イザベラ様を欺き続けられるとは、とても思えない。
都市貴族としてもやり手の商売人としても名高い年上の彼女からすれば、私などどうにでもできる存在だろう。手放せない激情が身を滅ぼす前に、担当を降りるべきだ。何度目かわからない思考のループに囚われながら、私は大きなため息をこぼした。
こちらでございます、と告げた使用人に礼を言ってカバンを受け取った私は、これから人生を左右する出会いを果たすことになるのだとは想像もしていなかった。
◇
「よく来てくれたわね。寝室はこちらよ。さあ、入って」
「っ……! は、はい、失礼いたします」
入室した私を迎えてくれたイザベラ様は、思わず息を呑んで立ち尽くしてしまうほどの美貌の持ち主だった。宝石のように煌めく紫の瞳も、薄く化粧の施された形の良い眉も、すっと通った高い鼻梁も、ふっくらとして柔らかそうな唇も、これ以上ないのではという絶妙なバランスで、すっきりとした輪郭に収まっている。落ち着いた声音と口調はいかにも円熟した大人の女性らしく、耳に心地よい余韻を残した。背は私よりわずかに高く、腰まで届きそうな長髪はゆるやかな癖があり、濃く深みのある紅色がなんとも艶やかだ。無防備な部屋着から覗く肌は抜けるような白さで、つい豊満な谷間に目が吸い寄せられてしまいそうになってはっと我に返った。
美しいお客様を担当することはめずらしいことではないのに、本能が警鐘を鳴らしている。雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡り、イザベラ様に聞こえてしまうのでないかと危惧するほど鼓動がうるさい。それでもどうにか返事をして歩き出した私は、嫌な汗が背中に流れるのを感じた。
(こんな感覚になるなんて、生まれてはじめてだ……。それに私がお客様をこのような目で見てしまうなんて、どうしたことだろう。……ともかくも、すべきことに集中しなければ)
広々とした寝室のソファに案内された私はカバンを下ろし、あらためて丁重に挨拶をした。テーブルを挟んで向かい合い、腰掛けたイザベラ様に施術の一連の流れを説明し、契約書に目を通していただく。
「へえ……、貴女、魔法が使えるのね」
「難しいものは扱えないのですが、少しばかり心得がございます。施術中は個人的な会話を好まれる方が多く、お客様によりリラックスしていただくことを目的として、防音魔法を使用させていただいております。必須というわけではございませんので、イザベラ様のご希望をお申し付けください」
魔法を使えない施術者は、専用の魔道具を持参することになっている。もしかしたらイザベラ様は、魔力感知に長けているのかもしれない。私を値踏みするような視線を感じて身をすくませていると、「そうなの。それじゃお願いするわ」とあっさりとした答えが返ってきた。自分でも驚いた邪な感情までは悟られなかったようだとひとまず安心した私は契約書のサインと先払いの代金を頂戴し、カバンから取り出した施術着にお着替えをお願いします、と普段と変わらないご案内を行うことができた。……目の前で着替えようとするイザベラ様を慌てて押しとどめ、寝室に連なる洗面所へ向かってもらうまでは生きた心地がしなかったけれど。
外套の下にすでに制服を着用している私は、施術の準備に取り掛かる。大きなベッドに厚手のタオルを敷いて、施術用のオイルと最後に体を拭き取る濡れタオルを専用の魔導ヒーターに入れた。気兼ねなく会話していただけるように、防音魔法も発動しておく。施術の邪魔にならないよう、肩まで伸びた黒髪を後ろで一つに結び、自分の手を清潔なタオルで拭って温めた。
(上の制服は体のラインがわかるけど下はゆったりしたデザインだから、……万が一の事態に陥っても誤魔化せる、はずだ……)
私は性欲の強いふたなりだが、お客様に体が反応したことはない。不純な動機でエステティシャンになったものの、素肌に触れさせていただく責任の重大さを理解して仕事に励んできたつもりだ。なにより私はお客様に感謝していただけるこの仕事にやりがいを覚えていたし、信頼を裏切るような真似をするなどもってのほかだと考えていた。かつての自分では想像もできなかった充実した毎日を送るうちに施術者としての自覚が芽生えた私は、そもそも担当するお客様を不埒な目で見たことはない。
––だがイザベラ様を一目見ただけで、私はかつてなく動揺してしまっている。これまで築き上げたものが土台から崩されていくような、恐ろしい予感が拭えない。考えたくはないけれど仮に体が反応してしまったら、人生経験が桁違いであろうイザベラ様の慧眼から隠し通せる自信はなかった。
自身のことにばかり目を向けて気を取られてしまっていては、お客様にご満足いただくことなど不可能だ。頭を振って雑念を追い払った私は、姿勢を正してイザベラ様のお支度が済むのを待った。
「髪も結い上げたのだけど、これでいいかしら?」
「……っ!? っええ、ありがとうございます。……お着替えのサイズはいかがでしょうか?」
「そうね……、問題ないわ」
「かしこまりました。それではベッドに腰掛けていただき、お体の状態を確認させていただきます」
長い髪を一つにまとめて結い上げてくださったイザベラ様は、施術のために着替えていただいた濃紺のマイクロビキニ––見た目は局部だけを覆い隠すビキニそのものだが、柔らかく優しい肌触りの生地を使った特注品だ––の上に羽織っているガウンの腰紐を結んでおらず、魅力的なお体を直視してしまった私は返答が遅れた。視線を慌ててベッドに移し、イザベラ様を促す。
簡単に気持ちが乱れてしまう情けない自分を叱咤しつつ、ガウンの上から肩や背中に優しく触れた。思っていたよりもひどいコリ具合をたしかめているとやっと意識が切り替わり、施術に全力で集中することができそうだった。
「ぅ……、そこ、いつも凝ってしまうのよね」
「ここまで凝り固まっていたら、さぞお辛かったことでしょう……。まずはうつ伏せの体勢になっていただいて、上半身から施術をはじめてまいります」
「ええ、よろしく」
今度はお姿を見ないように注意深く視線を逸らし、イザベラ様にガウンを脱いでいただく。胸の大きなお客様はうつ伏せが辛いと感じる方が多いため、胸の下にあたる部分には余分にタオルを敷いて体勢を取ってもらった。息苦しくないか確認を取り、すぐに施術をしない下半身は冷えないようにタオルをかけておく。「オイルを塗っていきますね」と声をかけて、あらかじめ好みを聞いて調合し温めておいたオイルを、たっぷりと背中に塗り広げた。丁寧に手入れしているのだと思わせる滑らかなお肌をゆったりと揉みほぐすと、イザベラ様が声をかけてくださった。
「ん……っ、加減を伝えていないのに、ちょうどいい強さだわ」
「ありがとうございます。強さはお好みに合わせますので、遠慮なくお申し付けくださいませ」
「わかったわ、……ありがとう」
お仕事や日常の出来事など他愛ない話題の会話をぽつりぽつりと交わしながら、リラックスしてくださっている様子のイザベラ様を丹念に施術していく。こうして欲しいなどのご要望も特に言い渡されないまま上半身を終え、タオルをかけ直して下半身の施術に移った。わずかに開かれている脚の付け根を視界に入れないように顔をうつ向かせ、温かなオイルを垂らし、むっちりとして張りのある太ももから足先まで揉みほぐしていく。口数が少なくなったイザベラ様は、うとうとと微睡んでいらっしゃるようだ。
高いヒールを履くことが多いと教えてくださったイザベラ様の脚は上半身同様疲れが溜まっており、冷えも感じられる。ほぐし方に変化をつけ、お体のサインを見逃さないように感覚を研ぎ澄ませて力加減を調整した。うつ伏せの施術を終える頃、イザベラ様は微かな寝息を立ててお休みになっていた。控えめに声をかけて仰向けの体勢になっていただきたいと伝えると、とろりと瞳を潤ませたイザベラ様がゆっくりと体を起こす。長い睫毛の縁から、匂い立つような色香が零れ落ちた。たぷんと揺れる豊かな乳房や美しい曲線を描くくびれにも気を取られないように背を向けて、目元用のタオルを準備する。仰向けのお客様が眩しさを感じないためのタオルだが、今回ばかりは自分にとってもありがたい。お体を見ないように意識している私の視線が不自然に泳いでしまっても、視界を覆っていれば気付かれないだろう。
仰向けの施術を下半身から開始し、上半身に移る。目に毒な胸や腰回りにもタオルをかけて、ほとんど会話を交わさないまま最後まで施術を行った。仕上げに蒸しタオルでお体のオイルを丁寧に拭き取ると、イザベラ様が満足そうに伸びをして、「あぁ……、とても気持ちよかった。体が温まって、今夜はよく眠れそうだわ。ありがとう、マリオン。……また貴女にお願いするわね」と微笑んでくださった。
ありがたいお言葉と多すぎるのではないかというチップを追加でいただいた私は、ガウンを羽織りお着替えに向かうイザベラ様を見送って、ようやくまともな呼吸ができた気がした。ふと気付けば、制服が体に張り付くほどじっとりと湿っている。施術を終えたばかりとはいえ、火照ったように体が熱い。まさか、と思って恐る恐る下半身を覗き込むと……完全にではないものの、私の体は反応を示してしまっていた。
◇
イザベラ様のお屋敷から自宅へ帰る馬車の中で、私は途方もない罪悪感と疲労感で押し潰されそうになっていた。施術を気に入っていただけたことは心から光栄に思うのだが、このまま担当として依頼を受けるには自分に問題がありすぎる。店長に申し出て担当を降ろしてもらおうかと考えたけれど、正直に理由を伝えたらこれまで築いた信用が地に落ちてしまいかねない。適当な理由を創作してでもイザベラ様にお会いしないほうがいいと理性が訴えるのに、次の日の朝、私は「またご依頼をいただけそうです」とだけ店長に報告した。悪い予感を抱いていながら、強烈に惹かれる心を制御できなかった。
週に一度のペースでイザベラ様のお屋敷に呼ばれるようになり、一か月が経過した。お疲れが溜まり無防備なお姿を垣間見せるイザベラ様への反応は大きくなってしまう一方だったが、卑劣な欲望をひたすら抑え、隠し、平静を装って施術を行い続けていた。ただ、イザベラ様に触れた後はほかのお客様のもとへ向かう気力も体力も尽きてしまうため、ご依頼いただく日程は初回と同じく、最後のご予約時間帯をご案内していた。
今夜も通い慣れた道を馬車に揺られ、お屋敷に向かう。イザベラ様にお会いする前はいつも自責の念が膨れ上がり、今後は別の担当者に引き継いでもらわなければと考える。しかしどうにか施術を終えてイザベラ様に微笑みかけていただくと、かつて味わったことのない感情が胸に湧き上がり、なにも今回の訪問が最後である必要はないだろう、などと考えはじめてしまう。もはやイザベラ様の信用を裏切っている状況だが、施術者に徹しきれず、かといって距離を置くことも拒む私はなんとも愚かで、中途半端だった。
––イザベラ様を欺き続けられるとは、とても思えない。
都市貴族としてもやり手の商売人としても名高い年上の彼女からすれば、私などどうにでもできる存在だろう。手放せない激情が身を滅ぼす前に、担当を降りるべきだ。何度目かわからない思考のループに囚われながら、私は大きなため息をこぼした。
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