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プロローグ

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それは全ての始まりの話。
いくら年月が経とうと、それがどれだけ痛みを孕んでいようと忘れない、忘れたくないと心に刻んだ記憶。

――それはおれがまだ、無数に存在する中のとある人の世にいた頃の話。





最初に言っておくと、おれ――九護璃くごあきは人間じゃない。

先祖代々『祓い屋』を生業としていた九護家の長男に生まれ、次期当主と言われていた父さん――九護祥嗣くごあきつぐとおれを生んですぐに死んだらしく、写真でしか見たことはないけど雪女の母さん――眞雪まゆきの間に生まれた人と妖の血を引く、謂半妖と呼ばれる存在だ。
ただ半分は雪女だと言っても冬が好きで夏が異様に苦手な事と、飲み物を冷やすくらいの冷たい息なら吐ける事。
そしてこれは半妖故かどれだけ大怪我を負っても瞬時に治ると言う人間とは比べ物にならないくらいの治癒力を持っている事以外は当事の家の近所に住んでいた人の子どもと何ら変わりはなくて、実際に父さんはおれを人の子と同じように育ててくれて、おれは温かくて大きな父さんの手で頭を撫でてもらうのが大好きだった。



そんな父子二人のつつましくも幸せだった生活が終わりを迎えたのは小学校に入って初めての夏休みを半月後に控えた文月のある日。

突然の事故で父さんがいなくなりおれは独りぼっちになった。

そして、父さんのお葬式の日。
突然会場を訪れたのは父さんと母さんの結婚に猛反対したのをきっかけに、父さんとは絶縁してた筈の九護家の人達だった。
父さんがいなくなった後いっぱいいっぱい助けてくれた父さんの友人だと言う人達の顔が歪んだのも構わず、その時に初めて会ったおれの祖母だという老齢の女性はおれを冷たい目で睨み「汚らわしい半妖の子」と言い捨てた。
初めて受けた蔑みと悪意に満ちた言葉に動けなくなったおれの耳朶を打ったのは「妖退治の時の囮が出来た。」「使い捨ての式にするのに丁度いい。」「弓当ての的にしたらどうか。」「肉に飢えた妖たちと戦わせるのも一興だ。」「半分とは言え雪女ならば火炙りにしたら溶けて消えてくれるのではないか。」という洪水のようにうなりわんわん響く残酷な事を嬉々として語る悪意に満ちた声と射抜くような視線達だった。

――殺されると思った。

この人達はおれを殺すためにここに来たんだって、嫌が応でも理解できて体ががくがくと震えて、足から力がふっと抜ける。

だから。

祖母がゆっくりとおれに向けて翳した掌から真っ白な光が放たれるのを尻餅をついて見てるしかできなかったおれに「逃げろ」と焦ったように誰かが叫んで、沢山の怒鳴り声と、誰かが此方に走ってくる足音が聞こえて、それで。

祖母が放ったそれはおれの前に飛び込んだその人に当たる直前で不可視の壁に遮られ、消え去った。

「間に合ったか。……遅くなって悪かったな、祥嗣と眞冬の忘れ形見。雪女の嬢ちゃ、いや坊主だったな。――怪我はないか。」

低くて渋みがあり、それでいて温かい響きの声に咄嗟に瞑っていた目をおそるおそる開けると、黒の喪服に細身だががっしりとした身体を包んだ二重で切れ長の鳶色の瞳が特徴的な精悍な顔立ちのナイスミドル――父さんがいた頃一度だけ会った事がある、父さんが母さんと駆け落ち同然で九護家を出た後、師事した九護とは比べ物にならないくらい程の歴史と力を持つ祓い屋で、父さんが『先生』と慕っていた七辻志紅ななつじしぐれ先生がおれを背に庇い立っていた。

「…………せんせ……。」

「おう、久し振りだな、璃。前に会った時はおまえさんが四つの時だったか。――でかくなったな。」

その背中を見つめたまま半ば呆然として溢れた呟きをしっかり拾ってくれたらしく、肩越しに振り返った先生にそう笑いかけられた瞬間先生が昔テレビで見たヒーローに思えたし、今思っても実際に先生はまさにそれだった。

「っ、せんせ、ッせんせえ……ッ、せんせえええ……!」

どうしようもない安堵感から体から力が抜けると同時に、目尻から大粒の涙がこぼれ落ちる。
完全に腰が抜け立ち上がれないまま必死に先生に手を伸ばせば、近づいてきた先生にふわりと抱き上げられた。

「よしよし、怖かったな。もう大丈夫だから安心しろ。」

ぽんぽんとあやすように背中を撫でるその大きくてごつごつした手の温かさと優しい声に先生の首に腕を回してぎゅうっとすがりつき泣きじゃくっていると先生がそれにしても、と呟くのが聞こえた。

「まだ七才にもならない子どもにそれだけの殺意と悪意をぶつけた挙げ句、あっさり殺そうとするとは。さすが九護だな。商売方法同様、その性根も下衆の極みか。」

びりびりとした強大過ぎる霊力を放ちながら言い放った先生の声には明らかな怒りが滲んでいて。その迫力に戦いたのか黙り込んだ九護の中ではぁ、と息を付き祖母が口を開く。

「七辻、貴方と争う気はありません。その半妖を此方に渡しなさい。今此処で処分します。」

「―――――!!! や、やああああ!!」

祖母の言葉に何一つ嘘はなくて、死への恐怖からぶんぶんと首を振り叫ぶとおれを抱える手に力を込めた先生がフハッと笑い声をあげた。

「――おい、口の聞き方に気を付けろ。お前さん達がいくら束になってかかってきたところで、俺に掠り傷一つつける事が出来ねえってのは分かってんだろ? あと今日からこいつはで、俺の息子で弟子だ。――お前などに指一本触れさせるわけないだろうが。勿論、お前らが隙を見て奪おうと画策してる璃嗣の棺にも、手出しはさせねぇよ。」

瞬間、九護の方から何人かの息を飲んだ音が微かに聞こえると共に一気にその場がざわつき出した。
葬儀会社の人と父さんの友人の人達の何人かが先生に「会場の警備を強めてきます」と声をかけながらその場を離れ、残った人達も先生の側に来て九護の人達を睨み付けたり、遠巻きにひそひそと話し出す。

そんな中、おれは先程先生の言ってくれた言葉がまだ信じられなくて少しだけ体を離して先生の顔を見た。

「……せんせ、おれ、今日から先生の子でお弟子さんなの? ……先生の子にしてくれるのっ?」

本当?とおずおずと尋ねると瞳を優しく細めた先生にそうだ、と頷かれる。

「言っただろう、今日からお前さんは俺の息子だ。……こんなジジイが祥嗣の代わりなんて嫌かもしれねえがそこはまあ諦めて七辻璃になってくれや。」

「――やじゃないっ、やじゃないもん!! おれ、なる! 先生の子でお弟子さんに、七辻璃になるっ!! …………あ。」

慌てて首をぶんぶんと振りながら先生に答え、その名前を言った瞬間何でか体がふわふわの真綿で包まれたみたいに凄く温かくなった。
心地良い感覚にふにゃりと力が抜けて先生の肩にこてんと頭を置く。

何でだろ、こんな時なのに温かくて、眠くて仕方ない。

「七辻、貴方その半妖に『加護の契約』を……! 何て勝手な真似――!!」

「言っただろう、指一本触れさせねえってな。それにこれ以上祥嗣の最期の晴れ舞台の場を汚す事は許さねえよ、九護の古狐。って事で何か言いたい事があるならそこの弁護士に言ってくれ。色々教えてくれると思うぜ? お前らが血眼になって探し回ってた祥嗣の遺言書や、大衆が見ている前で璃を殺そうとした事についてもな。」

先生の声に答えるように少し離れた場所にいた二人の男性が前に歩み出る。
それを見た祖母や九護の人達が思い切り顔を歪めるのを肩越しに見ながらおれはすぅっと意識が遠ざかった。

意識を失う最後の瞬間、大きくてやっぱり温かい手とそれよりも小さくてでもとても安心する手に頭を撫でられた気がした。



次に目が覚めた時には、九護の人達の姿はその痕跡さえもどこにもなくなっていた。

ちなみにおれが数分とはいえ気を失ったのは『七辻』の名を先生から直々に貰った事で、先生を守っている神様的な存在が光の速さでおれを受け入れ、一気に加護を与えたのが原因だと目が覚めた時におれを抱えてくれていた、どこかのモデルか何かかと思うくらいすらりとした均整の取れた身体を喪服で包んだミルクティー色の髪と瞳の、物語に出てくる王子様がそのまま抜け出したかのように端正な顔立ちのお兄さん――先生の式神兼秘書で玉兎という月に住むとされる兎の妖のあまねさんが説明してくれた。

「通常『加護の契約』と言うのは段階を踏んで行うものなんだが、あの守り神的なアレが君を一瞬で気に入ったみたいで。その、すまない。」

そう申し訳なさそうに謝る周さんに慌てて首を振っていると、葬儀を待ってくれていた葬儀会社の人に声をかけられて、そこからは滞りなく全てが進んで、終わっていった。




そして。
葬儀の時少しだけ遅れて会場に入ってくるなりおれの頭を撫でて「万事解決だ。もう何も心配するな。」と口元に笑みを浮かべた先生の言う通り、後日先生の養子として名実共に「七辻璃」になったおれは、父さんの喪が明けた翌日。
人の世に別れを告げ、先生と周さんが住む人の世のどこかであってどこでもない、人の身では決して辿り着けない島。
首都『久穹くぞら』と東西南北に据えられた四つの市から構成された和洋折衷の全てが入り混じり共存する、数多ある人の世にいられなくなった人ならざる者達の隠れ里――周囲を海に囲まれた孤島、夜辻島やつじしまで暮らす事になったのだった。
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