強くてニューサーガ

阿部正行

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7巻

7-2

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 3


 北部地区には、巡礼者のための宿が固まっていた。レイラの指定した『森の湖畔』は大通りから外れた石造りの建物で、数ある宿の中でもこじんまりとしたたたずまいだ。

「いらっしゃいませ」

 中に入ると、静かな声に迎えられる。
 声の主はカウンターに座って帳簿をつけていた二十代半ばくらいの女性で、物静かな印象の美しい人なのだが、どことなくかげも感じさせる。

「おお! はかなげな美人!」

 反射的に歓声を上げたセランが、隣にいたウルザに思い切り足を踏まれる。

「こほん……宿をとりたいのですが」

 実は同じ印象を受けていたカイルは、欲望に素直な悪友を反面教師として、努めて感情を出さずに話しかける。
 その女性はセランの奇声にも動じず、接客用の笑顔のままで申し訳なさそうに言う。

「申し訳ありません、今予約で埋まっていまして……」
「紹介で来たんだ。レイラという人から何か聞いていないかな?」

 カイルがレイラの名前を出した途端、事務的な対応しかしなかった女性の態度が一変する。

「まあ! それではあなたがカイル様ですか! お待ちしておりました!」

 満面の笑みとなり、持っていた羽ペンを投げ捨て、駆け寄ってくる。物静かそうな第一印象からは劇的といってもいい変化だ。

「レイラ様からお話は伺っております。本当に……本当によくおいでくださいました!」

 大げさな表現ではなく、本当に感極かんきわまったかのように、目に涙さえ浮かべていた。
 少しばかり異様な歓迎ぶりに戸惑うカイル達を見て、女性は我に返ったような声を出す。

「し、失礼いたしました! レイラ様にようやく恩を返せるのかと思いまして、つい興奮を……申し遅れました、私はこの宿の主人でダリアと言います」

 慌てて恥じ入ったように深々と頭を下げるダリア。

「長旅でお疲れでしょう、お部屋に案内致します。すぐに食事の用意も致しますので」

 そうしていそいそと、カイル達を二階の部屋へと先導した。


 案内されたのは二階の奥まった部屋で、宿の外観から想像していたよりも広く、寝室も二つあるので、男女を分けて六人全員が一緒に泊まれる。
 室内は入念に掃除され、花瓶には活けたばかりであろう花も飾られており、鼻をくすぐる良い香りがほのかに漂っていた。
 バネの利いたベッドにかけられたシーツも洗い立てのようで、リーゼは部屋に入るなり、緊張から解放されたかのようにそのベッドに腰かける。
 他の面々も同じく気を緩める中、カイルも大きなため息をついて全身を弛緩しかんさせたと思いきや、すぐさま気を取り直した。

「まだ気を抜くのは早いな……」

 レイラとの対決は先延ばしになった形だが、ここで油断するわけにはいかない。
 長年の積み重ねにより、根本的なところではレイラのことを信頼しており、今更罠にめてくるとも思わないし、数日待てと言う以上は大人しくそうするつもりでいる。
 だがメーラ教徒が関わっているとなると話は別だった。狂信とも言える彼らの異常性はこれまでのやりとりでよく解っていた。レイラの意思が及ばないところで、何か問題が起こるかもしれないのだ。
 特にエルフであるウルザの周りには注意が必要になる。来る前には、彼女を安心させるために危険はないと言っておいたが、この都市にいる間は決して一人にさせないようにしなければならない。
 必ず守る――そんな思いを籠めながらカイルはウルザを見るが、当の本人はシルドニアと今日の夕食に期待して談笑している。

「……他に客はいないようね」

 軽く周囲の気配を探ったミナギが、貸切状態にあることを確認する。

「しかし二、三日待てと言われてもなあ……何してろってんだ」

 そうセランがぼやく通り、正直なところ手持ち無沙汰ぶさたの状況だった。
 今日はもう昼も大分過ぎた時間なので、少し休憩すれば夕食になり、その後は早めに休む予定だが、明日以降はどうしたものか。

「流石に宿に籠りっきりというわけにもいかないからのう。明日くらいは散策せぬか?」

 シルドニアの提案に、カイルは少し考えてから、その案に頷いた。
 警戒を途切らせるわけにはいかないが、かといって緊張しっぱなしでは精神が持たないので、ある程度は弛緩させた方がいい。
 何より、この都市について色々と知っておきたいということもあり、結局明日は情報収集という名の観光をすることにした。
 カイルは明日どこに行こうかと相談している女性陣から、リーゼだけを廊下に呼び出す。

「明日は俺は別行動を取るつもりだ、だから……」
「……ウルザを一人にしないように、ってことでしょ」

 言わなくても解ってる、と言わんばかりにリーゼは答える。
 カイルとしては勿論自分の力で守りたいが、メーラ教の目的はあくまでカイルであって、一緒にいた方が危険かもしれないのだ。

「その通りだ、面倒かもしれないが頼む」

 この言葉を聞いた瞬間、リーゼはむっとした顔になり、軽くカイルの胸を叩く。

「何が『頼む』よ! そんなのカイルが頼むようなことじゃなくて、当たり前じゃない!」

 リーゼにとってウルザは大切な友人で、その身を案じることは当然であり、頼まれてするようなことではない――そう言っているのだ。

「そ、そうだったな……すまない」

 あまりの剣幕に面食らうカイルだが、リーゼの言うことは正しく、そして嬉しかった。

「だから謝ることでもないって……カイルがそういうところに鈍いのは昔からだから、仕方ないわね。許してあげる」

 呆れたように言うリーゼだが、その声色はどこか優しい。

「じゃあ明日はミナギも一緒に……」
「いや、ミナギには色々と調べてもらいたいから単独行動を……おごっ!?」

 リーゼは無言で、そして今度は本気でカイルの腹に一撃を入れた。
 それは「鎧徹よろいどおし」と呼ばれ、防具の上からでも肉体に衝撃を与えることができる技だった。以前も喰らったことがあったが、技のキレが増していることをその身をもって実感するカイル。
 膝をついたカイルを見下ろすリーゼの目には、先ほどよりもはっきりとした怒りの感情が表れている。

「今……許すって」
「これは別! ミナギはこれから育ての親と戦うかもしれないから、凄い不安になってるんだよ? なのに一人で行動させようなんて、気遣いがないんだから!」
「…………」

 リーゼの言葉にカイルはハッとさせられ、腹を殴られた直後にもかかわらず、頭を殴られたような気分になる。

「セランみたいにレイラさんとの戦いを楽しみにしてるような戦闘狂と違って、ミナギはあたしやウルザと同じ普通の女の子なんだからね!」

 リーゼは、裏稼業の専門家で暗殺さえこなす「シノビ」であるミナギを、自分達とそう変わらない、不安を抱えた一人の女の子として扱っている。ミナギ本人は、そんな扱いを受けているとは夢にも思っていないだろうが。
 カイルは今までミナギをそういった目で見たことはなく、仲間として気を配ることは勿論あるにしても、弱い存在だとはつゆほども思っていなかった。
 出会った直後こそ、『大侵攻』時と違いまだ経験を積んでいない彼女に戸惑いを覚えたにせよ、変わらぬ実力を知った後はそれも消え失せた。
 だが帝国の内戦で、師にして育ての親であるソウガと敵対する関係として再会して以来、確かにミナギは精彩を欠いていた。そしてカイルはそのことに気付いてはいても、あまり意識してはいなかった。
 他に色々と問題が多すぎて、そこまで気が回らなかったという理由もあるが、ただの言い訳に過ぎない。

「解った、まったくその通りだ……ミナギと一緒に行動して気にかけ……いや、これもわざわざ俺が言うことじゃなかったな。二人を任せた」

 カイルは自分の幼馴染おさななじみを心から信頼し、二人を任せることにする。
 ――『竜殺し』の英雄であるカイルを一撃で悶絶させることのできるリーゼが、自分を普通の女の子と言っている点には、あえて触れないでおいた。

「ん、任せなさい」

 とん、と自分の胸を叩くリーゼに、カイルは頼もしさと感謝を感じる。

「いつも、ありがとうな」
「お礼を言うことでもないでしょ」

 リーゼはそれ以上は何も言わずただ笑って部屋へと戻り、明日の予定を決めるべく、気乗りしない様子のミナギに積極的に話しかけた。
 そんなリーゼを相手にしながら、ミナギはいつもと同じように困った表情を浮かべているが、以前と違うのは僅かながらも笑顔を見せる点だ。
 カイルの知る、かつて『大侵攻』で共に戦ったミナギは、周囲に対する威嚇や不敵さを見せつけるための作り笑顔ならしていた。しかし今のような自然な笑顔を見せたことはない。
 これは急に変わったわけではなく、徐々に起こっていた変化であった。ようやくそれを理解し、側にいながら今まで気付かないでいた自分を、カイルは恥じた。
 そしてミナギのうれいを含んだ笑顔を見て、僅かに心がざわめくのを感じる。
 カイルはこのとき初めて、ミナギを頼れる仲間としてではなく、一人の女性として意識した。


 夕食の時間、一階の食堂はやはり貸切状態で、宿の者もダリアの他には従業員らしき少女が一人いるだけ。しかし、テーブルの上には手の込んだ料理ばかりが、まるで敷き詰められるようにして並べられている。

「このシチューの肉の柔らかさだけど、一昼夜は煮込んでるわ。準備していてくれたのね」

 感心しきりなのはリーゼ。シチューの他にはすり潰した芋や鶏肉を油で揚げたもの、生野菜のサラダやデザートの果物が食卓にいろどりを添えている。
 揚げ物が多めなのは、旅をしている間は油を多く使った料理ができないからという気遣いからであり、きょうそうという真摯しんしな想いが伝わってくる。

「皆さんにお気に入りいただけたようで何よりです」

 丸々と太った山鳥の丸焼きを切り分けているダリアは、本当に嬉しそうだ。

「こういう細やかな気配りができる年上の女性っていいよなあ」

 うんうんと感動したかのように頷くセラン。

「あ、それとちょっと聞きたいんだけど、何でそんなにおふくろに恩を感じてるの?」

 デリカシーというものが欠如しているセランが、続けて直球で訊ねた。
 だがカイル達も気にはなっていたので、口は挟まずに耳を傾ける。

「私は以前レイラ様に命を……いえ、人生そのものを助けていただいた御恩があります」

 そこには心からの感謝があった。
 詳しい話を聞くと、ダリアはかつて大陸東部にあるフォラオンという国の国境沿いで暮らしていたという。しかし五年前に民族間抗争が起こり、住んでいた町が襲われた上に兵士だった夫が重傷を負い、自分も命が危うくなったところを、レイラに助けてもらったとのことだった。
 夫の療養を兼ねて安全なこの地で再出発したが、夫の方は二年前に病で亡くなり、それ以来一人でこの宿屋を切り盛りしているそうだ。

「ここで宿を始めるときにもお力添えを頂きました……そのレイラ様からの初めての頼まれ事です、やっと僅かでも恩を返せると思いまして、つい気がはやってしまいました」

 ダリアは当時のことを思い出したのか、少し涙ぐんでいる。

「おふくろがねえ?」

 驚きの声を上げたのはセランだ。レイラがそんなことをしていたとは全く知らなかったのだ。
 確かにレイラはリマーゼに居を構えてはいてもあまり寄りつかず、年の四分の三は放浪していた。その間に各地で人助けをする流浪の聖人のような真似をしていたとは、義息のセランでさえ思いもよらなかった一面だった。
 ダリアは、自分と同じように助けてもらった者は数多くいると言う。

「どこで何やってんだかよく解らんおふくろだな」
「でも、レイラさんらしいと言えばらしいよ」

 リーゼも、子供の頃からの付き合いであるレイラの善行を嬉しく思うらしい。

「それで明日のご予定はお決まりですか?」

 ダリアが何気ない様子で訊いてくるので、カイルが代表して答える。

「少しこの都市を見て回ろうと思う」
「そうですか、では聖都の地図を用意しておきますね……食後のデザートもありますので、皆さんどんどん食べてくださいね」

 こうして和気藹々わきあいあいと食事は進んでいった。




 4


「で、こうなるのか……どうしてこうなった?」
「知るか、こっちが訊きてえよ」

 翌朝、宿の前でカイルがぼやき、セランが嘆いていた。

「それじゃあたし達も色々見て回って来るからね」

 リーゼが遠くから二人に向けて大きく手を振っており、その後ろにはウルザとミナギ、シルドニアがいる。
 色々と思惑があった末、結局男女で別れて行動することになったのだ。
 こちらも笑顔で軽く手を振り応えた後、カイルとセランは顔を見合わせ、二人揃って大きなため息をついた。

「何で野郎二人でお出かけせにゃならんのだ、どうせなら女の子と行きてえよ」
「俺だってお前と顔を突き合わせながらじゃ息抜きにはならないぞ」

 お互い遠慮抜きで悪態をつきたい放題だが、それでも険悪な雰囲気になることはない。この程度は、故郷のリマーゼにいたころから日常茶飯事なのだ。
 今日はこれと言った目的を定めずぶらつくだけの予定で、セランが必要になることは特にない。
 ただ、単なる暇潰しのようでもあるが、一応意味はある。都市の雰囲気を感じるには、肌で感じ取るのが一番なのだ。
 例えば、店先の商品を見れば物品の流通具合が解るし、道行く人々の表情からは生活に満足しているか不満が溜まっているかが解る。初めて来た都市では、このようにあてもなく散策することがよくあった。
 もっともここは聖都であり、通行人の多くは巡礼者で一時滞在者に過ぎないので、今回はやはり気分転換の意味合いが大きい。

「何なら宿に残っててもいいんだぞ?」

 ぶつぶつと文句を言い続けるセランに、カイルが言う。
 だがセランは急に真顔になり、どこへ向かうでもなく歩き始めた。
 それを怪訝に思いつつカイルも後をついて行く。

「何かあの宿、居心地が悪いんだよなあ……」

 セランがぼそりと呟いた。

「どういう意味だ?」

 ダリアによるそれこそ下にも置かないもてなしに、カイルは自分も含め全員が満足しているものだと考えていたので、思わず訊ね返してしまった。セラン自身も「未亡人……それもまた良し」などとほざいていたくらいだ。

「嫌な気配……と言うほどでもないが、どうも落ち着かねえ」
「そうなのか? むしろあの女将おかみのこと、気に入っていたじゃないか」
「気に入ったというより、気になったという感じだな。おふくろに恩があるのは事実で、嘘は言っていないだろうさ。だがどうもひっかかってな……」

 さらりと、真剣味を感じさせずに言ったセランに、カイルは真面目に取り合う。

「勘か?」
「勘だ。一番ありそうなのは、おふくろのめいで俺らの監視をしていて、それを逐一報告してるってところかな?」

 ここまで言われて、カイルはダリアの言っていたフォラオンという国について思い出したことがあった。
 フォラオンは比較的新しい人間の国だが、山岳地帯には建国前から住む獣人も多くいて、人間と獣人の軋轢あつれきが多いとも言われている。
 ということは、ダリアの住んでいた町を襲った可能性が一番高いのは獣人かもしれない。そして、人間至上主義のメーラ教がすたれない理由の一つに、亜人との抗争がある。

(ダリアもメーラ教徒の可能性があるな)

 確信があったわけではないにせよ、それを念頭において行動した方が良さそうだった。

「それと、あの宿を出てからどうも視線を感じる。付けられてる感じだ」

 そう言われて急に振り返るような真似をするカイルではないが、それとなく周囲の様子を探る。しかし、その気配は感じられない。

「尾行か?」
「いや、どうもはっきりとしない。気にしすぎと言われりゃ否定できないレベルだ」

 セランにも確信はなく、これもあくまで勘でしかないという。
 だがセランは昔から野性的なところがあって直感に優れており、更にここしばらく実戦を重ねて死線を潜り抜けてきたせいか、更に感覚がえわたっている。
 こういったことに関しては、セランの方が優れているという自覚はカイルにもあった。

「息抜きのつもりだったんだがな……こっちに来てくれたのならありがたい」

 セランの言っていることは根拠などないただの勘だ。それだけを理由に自分達に良くしてくれたダリアを疑うのは酷く失礼な話になる。
 だがそれでも、どちらを信じるかとなれば、カイルは迷いなくセランを選ぶ。

「師匠は待てと言ったが……ただ座して待つのに向いていないからな」

 どうせちょっかいをかけられるならば女性陣に向かわれるよりもましだと、カイルは自分をえさにしておびき寄せようと試みることにした。
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