強くてニューサーガ

阿部正行

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6巻

6-2

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 2


 カイル達一行は、帝都の目抜き通りにあるマルニコ商会の支店に併設された倉庫へと向かった。
 開け放たれた扉を潜って荷車が倉庫に入ると、周りの目を避けるように急いで扉が閉められる。そして倉庫内に最小限の人員しかいなくなったことを確認すると、クラウスの指示によって細工を施された石材の蓋が外され、隠れていたアンジェラが出てくる。

「ふう、思ったより疲れましたわね」

 それほど長い時間ではなかったとはいえ、石の中でじっとしていて身体が強張こわったのか、アンジェラは思い切り伸びをする。活動的な彼女にとって、じっと大人しくしているのは苦痛だったのだろう。

「ご不便をおかけしました。顔がよく知られておりますアンジェラ様ですと、万一のことがございますので」

 クラウスがいたわりの言葉をかけた。

「ええ、解っています……面倒をかけましたね。このお礼はいずれ必ず」
「いえいえ、これぐらい大したことではありません。それほど危険な橋ではありませんし」

 逆にアンジェラから労われ、クラウスは苦笑する。
 実際、皇女であるアンジェラの身を守るという大義名分があるため、発覚しても言い逃れはいくらでもできた。クラウスからしてみれば、これでアンジェラ皇女に貸しを作れたなら安いものだった。

「私はあくまで帝都に入るお手伝いをしただけですので……」

 クラウスはちらりとカイルを見た。ここからは彼らの仕事だと言わんばかりに。

「皆様にも改めてお礼を言います。護衛を引き受けてくれてどんなにありがたかったか……」

 アンジェラもカイル達の方を向き、感謝の意を示した。
 魔族領の島から戻り、そこで長兄の訃報ふほうを聞いたアンジェラは、迷った末に帝都に戻る決意をした。自分に何ができるか解らなくとも帝国の危機を放っておけなかったからである。そして、カイル達に帝都に戻るまでの道のりと、帝都内での護衛を依頼したのだ。
 それはつまり、これから起こるであろう帝国内の騒動に彼らを巻き込む形になる。それでもカイルが即座に引き受けてくれたことを、アンジェラは長兄を失ったばかりの自分を気遣ったものと受け取っていた。

「……本当に、カイル様も皆さんも英雄と呼ばれるのに相応しい高潔こうけつな精神をお持ちなんですね」

 カイルはアンジェラの高評価に少し困り顔になる。

「いえ私としましても、この件は放っておけませんので……」

 この発言はカイルの紛れもない本心だった。
 アンジェラの護衛は、元々この件に介入するつもりだったカイルからしてみれば渡りに船で、むしろ自分の目的のために利用させてもらったくらいの気持ちだ。

「それに皆も、どんな状況だろうと苦にしませんからね」

 カイルは仲間達の方を見る。

「ふう、変装するというのも中々気を遣うな」

 顔につけていた汚れを拭いながら、ウルザが安堵のため息をついた。

「ウルザなんか目立つから大変よね。それに比べてあたしはこういうのが似合っちゃうのよね、悲しいことに」

 リーゼは自分の変装を見ながら苦笑している。

「俺なんかどんなに隠しても内面から輝きがにじみ出てしまうから……って聞けよ」

 セランのいつもの戯言ざれごとは、やはりいつものように無視される。
 英雄になるというカイルの目的のため、一向はこれまでなるべく目立つように常に行動してきた。なのでこのように人目を忍ぶのは旅が始まって以来のことで、少々戸惑いつつも新鮮な体験であり、皆それなりに楽しんでいたようだ。
 そんな仲間を横目に見ながら、カイルが積み荷の中に隠していた自分の愛剣を取り出すと、鍔元つばもとの宝玉が光り出す。

わらわも変装してみたかったのだが……』

 シルドニアはそうぼやいたが、本体はあくまでこの剣であり、人目を忍ぶには魔力で作り出した分身をひっこめればいいだけなので、変装の必要は勿論ない。

(しかし、これから帝国のお家騒動に首を突っ込もうというのに、皆元気だな)

 どんな状況でも余裕の態度を崩さないいつも通りの仲間達に、カイルは少しだけ呆れる。だがそれは、方針を決める自分に対する信頼を表してもいる。

(何の文句も言わずに付いてきてくれる皆に、俺は何ができるんだろう……このままでいいのだろうか?)

 このところよく浮かんでくる結論の出ない自問自答を、カイルはまた繰り返しそうになる。

「無事に入れたようね」

 そこへ、迎えのマルニコ商会の店員の中に紛れていたミナギが話しかけてきた。一人だけ先行し、一日早く帝都に潜入していたのだ。

「……そっちこそ何も問題はなかったのか?」
「ええちょっと面倒だったけど、私一人なら何とかなるって言ったでしょ」

 何でもないことのようにミナギは言うが、その声にはどこか誇らしげな響きがあった。
 ミナギの役目は情報収集にあるのだが、今回は警戒厳重な封鎖された帝都に入れるかどうかが不安で、出発前、カイルは彼女の単独行動に難色を示した。
 そんな心配をミナギは笑い飛ばしていたのだが、どうやら本当に杞憂きゆうだったらしい。

「いや、腕の方は信頼しているんだが、ミナギは時々妙な不運に見舞われるからな」

 カイルの指摘に少し自覚のあるミナギは、整った眉をぴくりと動かした。

「う、うるさいわね……とりあえずざっとだけど、情報収集してきたわ」

 ミナギは丁度半年前まで帝都に長期潜入していたので、この地に慣れていた。そのため僅か一日の間にも、ある程度精査された情報を手に入れることができたのだ。

「解った、じゃあ早速で悪いが報告を頼む」

 カイルの言葉に、ミナギは軽く頷いた。


 クラウスに用意してもらった会議などを行うための部屋で、全員が長いテーブルに着いた。いつものカイルとその仲間達の他、今回はアンジェラ皇女とクラウスも同席している。

「さて、これからどうするかを決めるためにも、詳しい情報を聞きたい……頼む」

 カイルがそう言うと、ミナギは皆を見回した後、ゆっくりと口を開く。

「はっきり言えば、帝国はこのまま内戦になってもおかしくない状況ね」
「既にそこまでいっているか……」

 予想以上に悪い報告に、カイルは額に手をやりながらなげき、アンジェラも表情を硬くする。

「まず、公式にはエルドランド皇子はあくまで急死で、暗殺されたというのは噂に過ぎない。だけど、その発表直後から軍が帝都への出入りを完全に封鎖している。それは犯人を逃さないためであって暗殺はほぼ確定事項だ、とされているわ」
「あの警戒ではそれも当然の流れだな……」

 ウルザが門の警備を思い出しながら言った。

「それで……ずっと行方不明だったアンジェラ皇女に関しても、ほぼ死亡したものとして伝わっているわね」
「私に関してはその方がいいでしょう。生きていると知られれば、また命を狙われますから」

 ちらりと自分を見たミナギに、アンジェラはそう答えた。

「で、誰が殺したのか、というのと同じくらい話題に上っているのが、皇帝の後継者がどうなるか、という問題ね」

 それを聞いてカイルの顔が険しくなる。彼が何よりも恐れているのは、この後継者争いから発展する内戦だからだ。

「候補になっているのは三人ね、第二皇子コンラート、第三皇子マイザー、そして第一皇子の遺児である皇太孫ノルド……そして、この三人のうちの誰かが、エルドランド暗殺犯の黒幕の可能性が高いと言われているわ」

 共に連携して戦った仲である。裏世界の住人である彼女も多少なりと気遣ったのか、アンジェラの顔を見て少し言いにくそうにしながらも、ミナギは自分の調べた情報を伝えた。

「当然そうなりますね」

 だがアンジェラもこの流れは解っていたようで、すんなりと頷く。
 暗殺の動機として一番考えられるのが、帝位に関する理由である。エルドランドが死んで最も得をする者、つまり次期皇帝になり得る人物が疑われるのは自然な話だ。もしかしたら自分の兄弟達が長兄を殺したかもしれないという事態を、アンジェラはしっかりと受け入れていた。

「ですが、私を襲った者とエルドランドお兄様の暗殺犯が同じだとしたら、三人のうちの誰かが黒幕の可能性は低いです。帝位が目的ならば、私を襲う意味はありませんから」

 アンジェラに帝位の継承権はない。ガルガン帝国には女性の皇帝、女帝は存在しないのだ。
 もっともこれは、帝国の前身であるガルガン王国に女王を立てる風習がなかったために過ぎない。現皇帝ベネディクスが建国した現在のガルガン帝国は実力主義であり、女性でも高い地位に就けるので、将来的には女帝が生まれるだろうと言われている。

「継承権のない私を暗殺したところで意味はありません。それもエルドランドお兄様より先に私を狙えば、こちらの警戒を強めるだけです。それに、本来なら帝位を継ぐのは嫡子筋にあたるノルドが妥当でしょうが、帝国を背負うにはまだ幼すぎます……犯人であることはまずありえません」

 アンジェラにとってのおい、皇帝にとって孫に当たるノルドはまだ四歳だった。帝位を狙って自らの父親を暗殺するとは、どう考えても無理がある。

「……で、この混乱に拍車をかけているのが、未だに皇帝からの正式な発表がないことなのよ」

 ミナギは理解できないという風に頭を振った。
 皇帝ベネディクスが三人のうちの誰かを後継者として正式に指名すれば、少なくとも表向きの混乱は収まるはず。早期収拾を図るためには当然すべきことであるのに、実際はエルドランドの葬儀の日程すら決まっていない。

「それが解らない、何故なんだ?」

 カイルも納得できない顔になる。
 カイルの知る歴史では、ベネディクスは後継者にマイザーを指名した。だがそれは本当に死の間際のことで、正式な手順を踏んでいなかった。そのため、指名が捏造ねつぞうだと訴える者、ベネディクスは正常な判断ができなかったので無効だと言い張る者が出てきた。それを踏まえ、カイルとしても混乱が起きないうちに早く指名をしてもらいたいところであった。
 その疑問に答えたのはアンジェラだ。

「発表しない理由はあります、おそらくお父様はまだこのことを知らないのでしょう」
「知らないとはどういうことです?」

 カイルは思わず聞き返してしまう。帝国の存亡にさえかかわる事態だというのに、皇帝が暗殺の件を知らないなどありえない。

「……お父様はもはや床から身を起こすことさえ困難で、医者の話では持ってあと二月ふたつき三月みつき。これまでもずっと意識が混濁こんだくすることが多く、数日間意識不明の状態が続くこともあるそうなのです……」

 現在の帝国で秘中の秘とされている事柄を、アンジェラは沈痛な面持ちで語った。




 3


「そ、そこまで具合が悪かったのですか……」

 クラウスもこの話は知らなかったらしく、思わず驚きの声を上げる。
 皇帝ベネディクスの体調が優れず、公務から遠ざかっていることはよく知られた話だったが、詳しい病状は公開されていなかった。

「正確には、本来ならとうに尽きている命を、神聖魔法や希少な魔法薬で何とか引き延ばしている状態で、そのための昏睡でもあります」
「そこまでして時間を稼いでいるのは……やはり跡継ぎ問題のためでしょうか?」

 悲しげなアンジェラの様子を見たカイルが迷った末に質問すると、彼女は小さく頷いた。
 確かに退位がささやかれてはいたが、ベネディクスは一代で大帝国を築き上げた稀代きたいの英雄として、人族全体でも重要な存在である。彼の復帰を願う声は大きかった。
 広大な国土を短期間でまとめ上げられたのは、圧倒的な武威だけではなく、ベネディクスのカリスマ性によるところも大きい。その死に際して起こるであろう帝国内外の混乱を最小限に抑えるには、彼が存命のうちに後継者を指名し、それに相応しいとアピールする時間を稼ぐ必要がある。

(それでここ最近のエルドランドは積極的に表舞台に出てきていたのか……だがそれも無駄になってしまった。どこのどいつが余計な真似を!)

 カイルは内心でため息をついた後、毒づいた。
 元々カイルの理想としてはマイザーに皇帝になってほしかったのだが、一番の目的はこれから迫るであろう魔族の総攻撃『大侵攻だいしんこう』時に、ガルガン帝国が国力を維持していることだ。このままエルドランドが帝位を継いでいれば、それはそれで何も問題はなかったというのに。

「コンラート皇子につくか、マイザー皇子につくか、ノルド皇太孫を後押しするか、それとも様子見するか……帝国内の貴族や有力者は揺れに揺れているみたい。その混乱と動揺を何とか抑えているのがベアドーラ宮廷魔道士とコロデス宰相さいしょうだけど、それで手一杯という感じね」

 話を聞いていたミナギが、帝国建国時から皇帝に付き従う側近中の側近二人の名を出した。
 宮廷魔道士第一位の『偉大なるグレート』ベアドーラは、人族全体で三人しかいない特級魔法の使い手で、彼女が存在するだけで帝国の軍事力が底上げされるとすら言われている。
 一方のコロデス宰相は、ベネディクス皇帝と友人としての付き合いも長い、有能な政治家だ。

「それに加えて、どの勢力がエルドランド皇子を殺したのかと疑心暗鬼も重なっているだろうから……こりゃ確かにこのまま内戦になってもおかしくないな」

 セランはお手上げだと言わんばかりだった。

「私にも早速それらしき誘いがありました。どこの誰からとは申しませんが」

 隠しても仕方ないと、クラウスは苦笑と共に言った。国内のみならず人族領全域の経済に大きな影響力を持つクラウスだ、それも当然だろう。

「へえ……で、どうするつもりだ?」

 そう訊いたセランはいつも通りのにやけた表情だが、その目には鋭い眼光が宿っている。

「無論、一番儲かるように動くつもりです。ただ義理もありますし、秘密を共有している仲間でもある皆さんに不利益をこうむらせるつもりはありませんので、ご安心ください」
「ならいいけどよ」

 肩をすくめるクラウスに対し、セランも口の端を歪めるような物騒な笑みを浮かべた。

「それでコンラート殿下と、マイザー殿下の動向は解るか?」

 カイルが気にしているのが、中心人物であるこの二人だった。その動向次第で全ては決まると言っていい。

「マイザー皇子の方は今まで通り、宮殿に留まっているらしいの。勿論宮殿内だから警備は万全なのだろうけど……コンラート皇子の方は安全なところに身を隠しているとか、既に帝都から離れて自分の領地に行ったとか言われていて、詳しいことは解らないわ」

 今のところ噂以上のことは解らないとミナギは首を横に振った。流石の彼女も、一日ではそこまでしか解らなかったようだ。

「なるほどのう……それではこれらを踏まえて聞きたいのだが、この先、帝国はどうなると思う?」

 黙って聞いていたシルドニアが、アンジェラに訊ねた。
 ガルガン帝国は若く勢いのある国で、それを生かして拡張し、栄えてきたが、だからこそ一度つまずくともろい。国の栄枯盛衰を知るシルドニアの質問には重みがあった。

「……私にも解りません。帝国が僅か数日でここまで一触即発の状況になるなど、誰も夢にも思っていなかったでしょう」

 アンジェラの声は流石に沈んでいる。

「やれやれ……これがコンラートやマイザーの仕業でないと仮定すると、ガルガンに恨みがあるか敵対している奴の仕業か? もしそうなら大成功じゃな」

 シルドニアの発言は皮肉でも何でもなく、あくまで事実である。

「鍵を握るのは軍部の動きでしょう。特に五人の将軍達の動きには気を付けないといけません」

 ガルガン帝国には、他の国がほとんど持たない常備軍があり、兵士の数は十万を超える。
 戦争となればこの数倍を動員できる国もあるが、主力となるのは農民からの徴収兵でしかない。常備軍は機動力や装備、錬度などあらゆる面でそれに勝っている。
 これがガルガン帝国の強さの秘密でもあり、その常備軍は各将軍の下にある。彼らの動きに注目が集まるのは当然だった。



「このまま父上の命令がなく、将軍達の判断で軍部が介入を始めた場合……本当に内戦になります」

 軍部に絶対の命令権を持つのは皇帝のみだが、皇帝が命令できない状態ならば、それに対する解釈次第では将軍の裁量により軍が動く。
 アンジェラ皇女の口から出た「内戦」の二文字。それを聞いた全員の反応は驚きや戸惑いなど様々だが、大体は半信半疑で、流石にそこまではいかないだろう、という希望的観測が大きい。
 だがカイルだけは内戦の勃発に、確信に近いものを感じていた。それも、一年近く続く、人的被害が万を超える泥沼の内戦を。
 重い空気に包まれた室内で、ミナギが言いにくそうに声を出す。

「あともう一つ、帝国が抱えている問題があるの。それも飛び切り厄介なのが」
「……その問題ってのは?」

 まだあるのかと言いたげな顔でカイルが尋ねた。

「私にそんな顔をされても困るわ……ここに、ある人物が滞在しているのよ。帝国にとって重要で厄介な人物がね」

 ミナギは帝都の地図を取り出し、宮殿の近く、上位貴族達が住まう高級住宅街の一区画を指でなぞる。

「……ジルグス国のミレーナ王女がここにいるわ」

 完全に予想外な名前を聞かされ、カイル達の動きが止まった。
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