強くてニューサーガ

阿部正行

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6巻

6-1

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  プロローグ


 豪雨降りしきる闇の中の戦場。そこでは三つの死が暴れていた。
 一つは、暴威ぼういらすかのような死だ。
 暗闇の中でほのかに光る【ライト】の魔法が込められた魔道具の下に今、必死の形相をした兵が数十人も固まっている。
 兵士でありながら、彼らは組織だった行動を取れていない。指揮をするはずの上官が既に行方不明――おそらくは死亡――となっていたからだ。
 状況もほとんど理解できておらず、解っているのは今が夜襲を受けている最中で、それも大きな被害が出ているらしい、という不確かな情報だけ。
 訳も解らず死にたくないと、少しでも周りの様子が掴めそうな明かりの下に集まった。ただそれだけだった。
 大体、戦おうにも敵の位置が不明ではどうしようもない。本当なら逃げ出したいところだが、逃亡は死刑と軍規で決まっているため、なんとか恐怖をこらえて剣を構え、槍を握りしめる。
 そして、それぞれがばらばらに周囲を警戒する中、闇の奥から破壊と死が具現化したかのような存在――セランが現れた。

「ひっ!?」

 たまたまそちらを見ていた兵の一人がそれに気付くが、彼が行えたのは意味のない悲鳴を漏らすことだけ。手にした槍での反撃はおろか、周りに警告を与えることさえできない。
 野生の獣をも超える速さで一瞬にして間合いに入ったセランの剛剣により、その兵士は宙を舞った。彼が最後に見た光景は、ひしゃげた己の身体、舞い散る手足、回転する地面、そして自分と同じように飛ばされた仲間の姿であった。
 たったのひと振りでまとめて弾き飛ばされた彼らは、地面に落下するとそれきり動かなくなり、更に次の犠牲者がそのすぐそばに、ばらまかれたちりのように落ちてくる。
 それは戦いなどではなく、巨獣の突進、いや巨大な竜巻に巻き込まれた人がばらばらにされて死んでいく自然災害と同じだった。
 ここは戦場で、兵達は戦いに来ているのだ。殺し殺される覚悟はあったはずである。
 だがこうまで理不尽な死は想像していなかっただろうし、受け入れられものではない。
 その場にいた半数が暴威にさらされて為す術もなく死んだ後、残りの半数は抵抗を諦め、逃亡を図った。軍規による死罪と、この場にいて迎える結末を両天秤にかけ、少しでも可能性のある方に賭けたのだ。
 いくつかに別れて逃亡したのは、示し合わせて少しでも生存率を上げようとした――のではなく、単に一秒でも早くこの場から離れようと逃げ出した結果、たまたま方向が散ったに過ぎない。
 瞬時に状況を理解したセランは、最も人数が多く固まっている十人ほどの集団に向けて、攻撃魔法の込められた魔石を投げつける。
 この魔石に込められていたのは【ライトニング】という雷系の魔法だが、これは今日のような雨の日は拡散してしまい、威力が弱くなる特性を持っている。
 だがその分効果範囲は広まり、一撃必殺とはいかずとも足止めにはうってつけとなる。そのためセランは魔石を投げつけると同時に別方向に向き直り、最も逃走の足が速い者に襲い掛かった。
 敵を全滅させるにはこれが最適解だと、セランは刹那せつなの間に判断したのだ。このような生まれ持った戦いのセンスとでもいうべきものが、彼の強みの一つなのである。
 そのまま目論見もくろみ通り順番に標的を仕留めていき、最後にしびれて逃げ足の鈍い集団に戻って、一人ひとりにとどめを刺した。セランが最初に襲い掛かってからここまで、百秒と経っていない。
 セランは周囲に生き残りがいないと確認した後も、しばらくは警戒を解かずにいた。
 そして近くに敵がいないと解るとほんの少しだけ気を緩めようとしたが、慌てて首を横に振る。

「おっといかんいかん、調子に乗らないようにしなきゃな。また痛い目を見かねない……剣よし、魔石よし、体力よし」

 いついかなるときでも不敵であることを信条とするセランだが、今回ばかりは気を引き締めて己の状態をつぶさに確認した。
 今日だけで軽く百人以上、しかも攻撃を受け止めようとした剣や槍、鎧ごと断ち切っている。ここまで斬れば普通はどんな名剣でも使い物にならなくなるものの、セランが持つのは三百年前の魔族との大戦で魔王をも討ち取った伝説の聖剣だ。使い手の腕前と合わさった結果、未だに刃こぼれ一つない。
 魔石の残数、自身に残された体力から、セランはあとどれくらい戦えるかを逆算する。

「……まだまだ問題なくいけるな。ほんと数だけは多いからな」

 この戦の中で、セランの役目はとにかく敵兵を減らすことにあった。まだまだいるであろう敵兵を想像したセランは、そのまま新たな獲物を探しに闇の中へと消えていった。


 もう一つの死は、忍び寄る死だ。
 別の場所に、セランが狙ったのと同じように魔道具の明かりに集まる兵が二十人ほどいた。

「全員固まれ、周囲をくまなく見張るんだ!」

 違ったのは、兵達に対して隊長が必死に号令を出していることで、彼らはまだ組織だった行動を取れている。

「静まれ、とにかく落ち着くんだ!」

 隊長は騒ぐ部下に張り裂けんばかりの大声を出して統率を試みるが、それは自分を落ち着かせるためでもあった。
 周りで戦闘が起こっているのは確かである。しかし上官とは全く連絡が取れず、事態が把握できない。その上、闇と豪雨という状況だ。情報が遮断しゃだんされた中での移動は危険と判断し、頼りない光にすがるように、こうしてここにとどまることを選択していた。
 どれぐらいの時が経ったのだろうか、突如ふわりと白い何かが飛んできた。
 それは雨に濡れて重くなった天幕の一部のようであったが、正確に魔道具の照明部分へと巻き付いた。
 すると固定されていなかった魔導具が、その重さにより倒れ込み、しかも布に明かりがさえぎられて、辺りは闇に包まれた。

「は、早く立て直すんだ!」

 絶叫にも似た命令の声に従って、部下達は慌てて手探りで布を取り払い、何とか魔導具を元通り立たせることに成功する。
 思ったよりも早く視界が回復し、皆がほっとひと息つくが、同時に疑問も湧いた。
 豪雨ではあるが風はあまりないため、このような布が飛んでくるはずはないのだ。一体何故、と隊長は周りを見渡し、ある違和感に気付く。
 そしてその違和感の正体が解ると、腰を抜かさんばかりに驚いた。

「ど、どこに行った!?」

 寄せ集め故に正確な数を把握していたわけではないが、さっきまでは兵が二十人以上いたはずだ。だが今はどんなに数えても十一人。半分しかいない。
 隊長の言った意味に兵達も気付き、徐々に混乱が広がっていく。
 ついさっきまで、お互いの息がかかるほど離れずにいた同僚がどこかに消えたのだ。恐怖以外の何物でもない。
 それでも何とか場をしずめようと、隊長が大声を出そうとしたとき――

「た、隊長!」

 震える声で部下の一人が指差した方向、明かりがぎりぎり届くか届かないかの境目となる場所に、兵が一人倒れているのが見えた。
 見えるのはこちらに足が向いた半身だけだが、先ほどまでは絶対にそこにいなかったのは断言できる。
 普通に考えればそれは消えた部下なのだろうが、近づかなければ生きているか死んでいるかさえ解らない。
 隊長は判断に迷った。確認に行かせるべきか、否か。
 可能性は低いが、倒れている兵士が生きているのならば助けねばならない。しかし確認をしてしまえば更に絶望が広がるかもしれない。

「おい、誰か……!?」

 迷った末、確認に行けと命令しようと振り返った隊長は、今度こそ心の臓が止まるかのようなショックを受けた。
 後ろにいた兵が五人に減っている。
 あの半身に気を取られた間に減った、いや減らされたのだ。

「ひっ……ひいっ!?」

 隊長と同じように新たな怪奇現象に気付いた残りの兵達が絶叫を上げる。それから唯一縋れる明かりの魔道具を囲むように、残った兵は身を寄せ合った。
 がちがちとうるさいまでに歯が鳴り、剣を握る手は力の入れ過ぎで白くなっていて、このままではまともな戦闘などできないだろうほどに全身が強張っている。
 このまま時が過ぎて朝になってくれれば……皆がそんな思いでいたが、それも長くは続かない。また白い布が飛んできたのだ。

「だ、だめだっ!」

 また闇に覆われれば、そのときに消えるのは誰か……想像したくもなかった。
 隊長は必死に手を伸ばし、魔導具が倒れないように、闇が訪れないように布を掴もうとする。だが無情にも指先が触れただけで、辺りは再び闇に包まれた。
 そして直後に――全員の意識もまた闇に包まれたのだった。

「ふう……ようやく片付いた。手間がかかったけど、これで邪魔はいなくなったわね」

 闇に紛れて動き、ひと仕事終えたミナギが声を漏らした。
 ミナギの目的は、ここから少し離れたところにある医薬品を、爆発魔法【エクスプロージョン】が込められた魔石で吹き飛ばすことにあった。これがなくなれば相手が軍を維持するのは難しくなる。しかしそれに取りかかるには丁度この隊が邪魔だったのだ。
 彼女の得意とする戦い方は、背後からからを狙う奇襲だ。正面から戦っても決して負けなかっただろうが、長丁場故に少しでも消耗を減らしたかった。

「さて次は……兵糧ひょうろうね。今度は近くに兵がいなければいいのだけど」

 首尾よく目的を遂げた後も、ミナギの破壊活動は続く。


 最後の一つは凄惨せいさんな死だった。
 無残で残酷な死をもたらすのはカイルだ。
 カイルもまた戦場を駆けながら戦い続けていたが、仲間の二人とは殺し方が違った。間違いなく死に至るがすぐには死なない傷を与える、取りようによってはなぶり殺しとも言える攻撃をあえて行っていた。
 ある者は腕を斬り落とした上で眼を潰して彷徨さまよい歩くように仕向けたり、ある者は腹を斬り裂き漏れた内臓を必死に掻き集めるようにさせたりと、わざともがき苦しませる。
 使用する魔石もまた凶悪なものを選んでいる。
 毒煙を放つ【ポイズン・クラウド】や、酸の煙で攻撃する【アシッド・クラウド】などにより、兵士達は身体どころか呼吸器をはじめ内臓までただれさせ、苦悶の中で死んでいく。
【クラウド】系の魔法は雨の中では効力が弱まるので、本来今日という日には向いてないのだが、それでも使う理由は唯一つ。死ぬに死ねないダメージで長く苦しませ、怨嗟えんさの声を響き渡らせるため、恐怖を撒き散らすためだ。
 カイルは闇と雨により隊からはぐれたのであろう兵三名を新たに見つけ、襲い掛かる。
 まず一人目の首を半ばまで断ち、返す剣で隣にいた二人目のあごを斬り飛ばした後、三人目は剣の柄で胸板部分を強打する。吹き飛ばされたその兵は砕かれた肋骨が肺にでも刺さったのか、大量に吐血したっきり動かない。
 一瞬にして三人に致命傷を与え、次に行こうとしたカイルだったが、倒れて首を押さえている兵と目が合ってしまった。
 血と共に命そのものが流れ出ていってしまっているかのようなその男は、死にたくないと必死に訴えてカイルを見る。だが、三者三様に苦しむさまを見下ろしながらも、カイルは助けることは勿論、とどめを刺すこともしない。
 放置していく――他の兵に見つけられるように、少しでも彼らの凄惨な死が広まるように。
 これらの目的は、全て敵軍の戦意をくじくことにある。
 より無残な殺し方こそが恐怖をあおり、厭戦えんせん感情を高め、戦争を終わらせるためには効率がいい。そう信じるからこそ、カイルはこのような殺し方を選んでいた。

「……次」

 陰鬱いんうつとした顔で、カイルは次の標的へと向かっていく。一秒でも早く、戦争そのものを終わらせるために。


 三つの死がもたらす恐怖。それは毒のようにじわじわと、ガルガン帝国を揺るがす内戦の最前線に広まっていった。




  1


 話は少しだけさかのぼり、舞台はガルガン帝国の帝都ルオス――人族じんぞく最大の都市である。
 実力主義の帝国らしく、人間だけではなく様々な種族がひしめく、雑多で混沌こんとんとしたこの都市の人口は五十万とも言われているが、正確な数は帝国自体も把握はあくしていない。
 いつもはその規模に見合った賑わいがあるのだが、現在は都市全体が異常なまでに静まり返っていた。
 いや、正確には息を潜めていると言うべきか。以前ジルグス王国にてレモナス王が崩御ほうぎょした際の王都と似ているが、あのときにはない、ただならぬ緊張感に包まれていた。
 その理由は、今から五日前に、皇帝に成り代わって政務を取り仕切っていた第一皇子エルドランドが急死し、更に末のアンジェラ皇女も行方不明という非常事態のためだ。
 エルドランドの死は、公式の発表ではあくまで急死となっているが、発表直後から軍が帝都を取り囲み、何人なんぴとの出入りも許されなくなった。このことから、実際は何者かによって暗殺され、犯人を逃がさないように封鎖したのだともっぱらの噂となっている。その噂は、またたく間に人族領全域に広まっていった。


 帝都ルオスは分厚く見上げるような三重の城壁に囲まれており、一番外側にある大門は、普段なら日に何千何万もの人族が出入りしている。その城壁の周りには、今現在街に入ることのできない商人や旅人がたむろしており、さながら野営地のようであった。
 品物を納入できないのは商人にとって死活問題であるが、さりとてどうしようもない。中でもたくましい部類の商人は、同じように閉め出されて帰ることができない住人達相手に商売を始める始末。
 その周囲を、通常時の衛兵姿ではなく、戦争用に武装した帝国軍の兵士が見回る。蟻一匹見逃さないと言わんばかりに厳しいその警備振りが、物々しさと異様さを際立たせている。
 そんな厳戒態勢の中を、新たな商隊らしき荷車の群れが列をなして城門に向かった。巨大な物を大量に運んでいるのか、家畜の中でも高い馬力を誇る四角牛よんかくぎゅう何頭かで引かれ、荷車の車輪は地面にめり込んでいた。
 隊員もかなりの大人数で、冒険者らしき護衛も含めれば軽く百人を超える。

「現在帝都の出入りは禁止されている! 速やかに止まれ」

 兵士が先頭の馬車の前に立ちはだかり、おそらくここ数日で何百回、何千回と繰り返しただろう台詞せりふを大声で叫んだ。
 その警告に素直に従って停止した馬車から、初老の商人が降り立った。

「お勤めご苦労様でございます。私はマルニコ商会のクラウスと申します」

 深々と頭を下げたのは、世の商人の頂点に立つと言っても過言ではない存在だ。

「な……クラウスだと?」

 衛兵もその名は当然知っていたらしく、思わず声を上げてしまった。帝国にとっても重要な人物の登場に、周りからも軽くざわめきが起こる。

「その件は重々承知しておりますが、こちらの品は、遠くオベロス山脈より運んで参りました最高品質の石材です……どうぞご覧ください。これほどの物は滅多に手に入れることができません」

 よく通る声で滔々とうとうと淀みなく、まるで歌劇の一部のようにクラウスが口上を述べると、使用人がすぐさま積み荷を覆っていた布を取る。果たして現れたのは、一点のけがれもない純白で、素人目にも最高級と解るほど美しく巨大な化粧石だった。

「御存知かと思いますが、これはアスメリア様の霊廟れいびょうの建築素材でして、仕上げとなります正面部分に使われるものを、傷一つないよう慎重に運んで参りました」

 三年前に亡くなった、帝国の母として名高いアスメリア皇后の霊廟は、現在帝都中央部にて建築が進んでいる。クラウスはその中で最も目立つ正面部分のための石材を運んでいるというのだ。
 皇后の名を出され、検分しようと近づいた兵士が慌てて後ずさる。

「つ、積み荷は解った。しかし、今帝都は何人も出入りしてはならないときつく……」

 戸惑う兵士の言葉を遮るように、クラウスが畳みかける。

「しかしながら指定の月日までに必ず完成させよとの陛下直々の御命令でして……このように陛下直筆の署名もあります」

 クラウスがうやうやしく、やや芝居がかった動作で取り出したのは、盾に絡みつく黄金の蛇の紋章と、皇帝ベネディクスの署名が入った豪華な書状だ。

「もし納入の遅れが原因で半年後の落成式に間に合わない場合、私の首は飛んでしまいますし……ご迷惑をかけてしまう事態になるかもしれません」

 そちらの責任にもなると暗に言われ、兵士の背筋に冷たいものが走った。彼らは既に周囲の注目のまととなっており、関わりを誤魔化すこともできそうにない。

「し、しばし待て」

 自分では判断しかねたようで慌てて立ち去る兵士の背を見送りながら、クラウスは軽くため息をつく。その背後に、使用人姿の男がそっと近寄ってきた。

「上手くいきそうか?」

 使用人が主人に向ける言葉遣いではない。何を隠そう、それは使用人に扮したカイルだった。

「手応えはあります、あれだけ言えば上の方に確認を取りますからな……ここが地方で平時ならば、袖の下わいろも有効なのですがね」

 流石さすがに帝国の心臓部である帝都でその手は使えない、とクラウスは苦笑する。

「しかし、まさか完全に封鎖しているとは思いませんでした。思い切ったことをしますね」

 このクラウスの感想にカイルも同意する。
 兵士が睨みを利かせていることと、最低限の食料などを配っているおかげもあって、今のところ大門の周りに大きな混乱はないようだ。
 住人が五十万を超える帝都だが、いざ戦争が起きて籠城となったときに備えて物資が大量に備蓄されており、その気になれば年単位で封鎖もできる。
 だがそれはあくまで最低限の消費に抑えた場合の話で、快適な生活には程遠く、都市内の不安は遠からず限界を迎えるだろう。

(それまでに犯人を捕まえるつもりなのか、それとも他に問題でもあるのか……)

 そんなことを考えながらしばらく待っていると、武装した帝国兵が集まり始めたのが見え、少し雲行きが怪しくなってきたかとカイルは警戒を強める。

「何かまずそうか?」

 不穏な気配を感じたのか、護衛の冒険者に扮するセランが聞いてきた。


「解らん……警戒しているのは侵入者じゃなくて主に逃亡者のはずだから、そうそう変なことにはならないと思うが……万一の際も大人しくしててくれよ。好き好んで揉め事は起こしたくない」
「へいへい……まあ最悪、ばれても何とかなるしな」

 そう言うとセランは、ちらりと石材の方を見てから引っ込んだ。
 しばらくすると、多くの兵士を引き連れたいかつい顔の壮年の男が歩いてきた。その華美な鎧から、帝国が誇る五将軍の一人だと解る。

「まずい方がいましたねえ……ダルゴフ将軍ですよ」

 いかにも頑固そうな顔を更に厳しくして向かってくるダルゴフを見て、クラウスが苦笑いの顔になった。その反応から、カイルも企みが失敗したことを悟る。

(ダルゴフ将軍……近隣諸国にも名が知られている猛将だったな、この頃も)

 クラウスの力を借りてでも秘密裏に帝都に入りたかったが、これが無理となると別の手を練り直すか、もしくは最後の手に出るか。そんな風に考えていると、ダルゴフが目の前にやってきた。

「これはこれはダルゴフ将軍、御無沙汰ごぶさたしております」

 知己ちきがあったのか、クラウスがダルゴフに慇懃いんぎんな挨拶をする。

「挨拶などいい、たとえアスメリア様の霊廟のためであろうと今は通すわけには……」

 静かな、だが断固とした態度のダルゴフだったが、丁度そのとき、彼の側近らしき兵士が駆け寄ってきて耳打ちをした。
 するとダルゴフの顔色が一瞬にして変わり、何か反論しようとしたが、結局首を横に振って痛烈な舌打ちを一つするにとどまる。

「……特例だ、通っていい」

 ダルゴフは明らかに不本意そうな表情で、通行の許可を与えた。

「これはこれは……ありがとうございます」

 驚きながらもクラウスが頭を下げて礼を言うと、重々しい音が響き、大門がゆっくりと開かれていった。
 この様子を見ていた者達からの不満の視線を感じつつ、ダルゴフの気が変わらないうちにとクラウスは出立の合図をする。
 そうして苦い顔のダルゴフの視線を背中に受けながら、荷車はゆっくりと進み始めた。

「ふう……文字通り、第一関門突破だな」

 大門を潜り抜けながら、下働きの使用人姿に変装していたウルザが呟いた。頭に日差し避けの布を巻きつけて特徴的な長い耳を隠し、顔も土で汚すなど、その目立つエルフの美貌を隠している。

「でも、いいのかしら? そんな大事な建材にこんなことして」

 同じように下働き姿のリーゼが、先ほどのクラウスの口上を思い出し、荷車に載った巨大な石材を見上げて首をかしげる。

「お母様は細かいことを気にしない人でしたから、これくらいきっと許してくれます」

 その疑問に答えるように、石材の中からくもぐった声が聞こえてきた。

「あまり声を出さないでください」

 慌てて駆け寄ったカイルが周りを警戒しながら小声で注意をする。幸い周囲の帝国兵に気づかれた様子はなく、カイルは安堵のため息をつく。

「ふふ、ごめんなさい。ちょっと退屈で……でも、この私が帝都に忍び込むことになるとは思いませんでした」

 その声の正体は、現在行方不明とされているアンジェラ皇女であった。彼女は石材をくりぬいて作った空間に隠れていたのだ。
 アンジェラの笑い声は、はじめこそいつも通り優雅でつややかなものだったが、後半はどこか物憂ものうげで寂しさを感じさせた。
 カイル達が正体を隠して入国しなければならない理由が、彼女の存在だ。
 帝国の皇女であるアンジェラならば無論、今の帝都にも堂々と入ることはできる。だがそれをするわけにはいかない理由がある。
 ひと月ほど前、アンジェラ皇女は何者かに命を狙われた。
 刺客を放った黒幕の正体は解らず、誰が味方で誰が敵かも解らない状況になったアンジェラは、思い切った手に出た。
 安全を確保するため誰にも告げず失踪し、カイル達に同行したのだ。
 もしアンジェラを狙った者がエルドランドを暗殺した者と同一だった場合、ただそのまま戻ったのでは再び襲われる可能性がある。そのためこうして密かに潜入することになった。

(さて、何とか入れたが……この後をどうするかだな)

 正直カイルにもいい考えはない。
 本来の歴史であるカイルの一度目の人生でも、エルドランドは暗殺されている。そのときの黒幕はジルグス国のレモナス王で、実行犯はミナギだった。確証があったわけではないがそれでほぼ間違いなく、だからこそ、もうエルドランドの暗殺が起こることはないとカイルは思っていた。依頼者であるレモナス王は既に死亡し、何より今世のミナギはカイルと同行しているのだから。

(だが起こってしまった。暗殺そのものの時期も三月みつき近く早い……一体誰が? 何のために?)

 考え込んでも答えが出るはずはなく、カイルは一度頭を振った後、帝都の中央にある巨大な宮殿の方に顔を向けた。
 武をとうとぶガルガン帝国らしく、無骨ではあるが威厳を感じさせる造りで、この距離でも圧迫感さえある。
 これからそこで起こるであろう騒動を予感し、カイルは胸騒ぎを覚えながら宮殿を見つめた。
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