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5巻
5-3
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カイル達が通された部屋は広く豪華で、クラウスの富を強く実感させた。
特に目立つのは足元の絨毯。毛並みの見事さで有名な、巨熊の魔獣ヴァイオレットベアの紫の毛皮で出来たそれは、足を下ろすのを躊躇わせる美しさだ。
その他の調度品も見事なもので、根が小市民のリーゼなどは雰囲気に気圧されたのか、身体が半分沈み込むほど柔らかいソファに座ったまま、落ち着きなく周りをきょろきょろと見ている。
ただそんな殊勝とも言える態度なのはリーゼくらいで、シルドニアは席に着くなり用意されていた菓子類に飛びつき、セランもそれに続いた。
ウルザも表情を変えずにお茶を飲むなど、全くいつも通りだった。
カイルはそんな仲間達の図太さを心強く思いながらも、頭を下げてクラウスに非礼を詫びる。
「申し訳ありません、自由な連中でして」
「いやいや、頼もしい方達ではないですか」
クラウスも鷹揚に笑い、お気になさらず、と度量の大きいところを見せる。
アンジェラもその様子を微笑ましそうに見ていたが、すぐに居住まいを正し、用件を切り出した。
「さて、それでは本題に入りましょう……クラウス会長、今回こそいい答えを聞かせていただけるのでしょうね?」
「はて、いったい何のことでしょうか? アンジェラ様の訪問の目的は、我々と帝国との友好を深めるということのはず。それでしたら全面的に協力いたしておりますが」
クラウスはあくまでとぼけるが、アンジェラも構わず続ける。
「あなたには伯爵の地位を用意しています。領地もこのバヨネのままとしますので、いい加減に受け入れてほしいのです」
アンジェラ――ガルガン帝国の要求は単純で、クラウスを帝国の貴族として迎え入れ、このバヨネを帝国の支配下に置くことだ。
「……まず根本的な問題といたしまして、このバヨネは私が支配している訳ではなく、合議制をとっていると御存じのはずですが」
このクラウスの言葉通り、バヨネは商人の都市らしく代表二十名による議会によって運営されている。当のクラウスはその議長を務めていた。
「私は確かに議会の代表ではありますが、あくまで代表でしかありません。もし私が帝国に従うなどと提言すれば、あっという間に解任されます」
自分の力など大したことはないと、クラウスは首を横に振りつつ身振り手振りを交えて謙遜するが、アンジェラには通用しなかった。
「おとぼけにならなくて結構です。バヨネの舵取りをしているのは貴方で、その気になれば他の有象無象を押さえつけるなり排除するなり、そんなことは造作もないでしょう? 現に貴方の方針に反対してバヨネに損害を与えた者は、色々な形でいなくなっているじゃないですか」
「色々」の部分に微妙にアクセントをつけつつ、アンジェラは手で口を隠すように笑うが、その目は笑っていなかった。
「まあガルガンでもよくあることですから、それについてどうこう言うつもりはありませんが」
「確かに。昨年だけで何人もの帝国貴族の方々が、色々な形でいなくなりましたな」
クラウスも「色々」の部分を微妙に強調して笑みを浮かべた。
「ふふふ、ほんの少し分を弁える……こんな簡単なことができない者が多くて困りますわね」
「ははは、まったくですな」
二人の乾いた笑いが室内に響き渡る。
「すっげえな……さっきから二人ともずっと笑顔だが、全力で戦っているときと同じくらいの気迫だ」
「これが人間の会談か、物騒極まりないな……」
室内の空気がまるで音を立てているかのようにギスギスする中、セランとウルザがひそひそと話す。
「その点、貴方は賢明だと信じています。それに私達は全てを明け渡せと言っている訳ではなく、あなたには商会の長として実権を握っていただいたままの上で、全面的に後押しします。勿論帝国の利益になるのが大前提ですが、権限は大きく与えるつもりですので、自由に活動できますよ」
アンジェラはスッと目を細め、声色を変え、流れるように話す。
「これは貴方個人にとっても、商会にとっても利のある話のはずです。ガルガンに従えば他の競合相手を排除して流通を完全に掌握、独占できます……貴方は世界で一番の商人ではなく、世界で唯一の商人になることもできるのですよ?」
蠱惑的ともとれるアンジェラの誘いの言葉。だがクラウスはゆっくりと首を横に振るだけだった。
「アンジェラ様、商売というものは、特定の者が独占していてはいけないのです。相手がいて成立し、競い合う者がいてこそ発展します。国が金と物の流れを完全に牛耳っては、いずれ淀み、腐敗していくでしょう。そうならないように、自由な流れを作らねばならないのです」
クラウスの言葉からは、経済の頂点に立つ者の重みが感じられた。
だがそのクラウスを真っ向から叩き斬るかのようにアンジェラは言い放つ。
「ええ、勿論解っています――ですがそれは帝国の方針とは相いれません。発展よりもまずは統制です。理想としては、かつての魔法王国ザーレスの如く、人族を完全に管理下におくべきなのです」
「いや、そこまで支配しておった訳では……もがっ」
思わず口を挟みそうになったシルドニアの口に、カイルは菓子を突っ込んで黙らせる。
「しかしそれでは、長い目で見れば帝国そのものの発展を妨げることになります。そこについてはいかがお考えなのですか?」
そのような真似をしては、たとえ人族を統一しても、先は長くない。だがそれが解らないはずもないでしょう、と苦言を呈するようにクラウスが言う。
「あら、何か勘違いしていません? ガルガン帝国の国是は人族の統一ですが、それは過程でもあります。最終的には――大陸の西の統一も含まれているということです」
大陸の西、それはすなわち、魔族領のことを示していた。
「まさか……まさか魔族に戦争を仕掛けるおつもりなのですか?」
流石にクラウスが顔色を変える。
魔族に対して戦争を仕掛ける。これが他の人物が言った言葉ならば荒唐無稽なほら話と笑うこともできるが、ガルガン帝国の皇女の言葉となれば話は別だ。
真実なら、それこそ世界を巻き込むどころか、歴史に永遠に残る大戦争になる。
「しかし、魔族はここ何百年と人族に対して無干渉です。なのにこちらから手を出して刺激するのは無益では……?」
藪をつついて蛇を出すことはない、クラウスはそう言っているのだ。
「あら、人族を滅ぼす可能性のある魔族を放置しておくことの方が問題では?」
アンジェラの物言いに唖然とする者は多かったが、カイルだけはうんうんと頷いていた。
「まあ、それはあくまで最終目的でして、魔族をどうこうというのは最低でも人族を完全統一してからになります。そのためにも経済を完全に掌握する必要があり、だからこそ貴方の力が必要なのです、クラウス会長?」
お願いしますね、とアンジェラは余裕の笑顔でお茶を飲みながら言った。
これですっかり怯んでしまったクラウスから会話の主導権を握ったとばかりに、この後もアンジェラはぐいぐいと迫り続け、クラウスを翻弄していった。ガルガン帝国皇女として、幼い頃からこういった交渉の場での話術を学んできた成果だろう。
だがクラウスもクラウスで、やや押されつつあったのは確かながら、経験してきた場数の差からか何とか踏みとどまり、話は結局平行線のままとなった。
しばらくして、時間切れとばかりに残念そうにアンジェラは言う。
「……仕方ありませんね、今日のところはこれで終わりです」
アンジェラにはこの後の予定がある。クラウス以外のバヨネの有力者にも会わねばならないのだ。
「正直クラウス以外は十把一絡げの価値しかないのですが、無視する訳にも参りませんので……」
アンジェラは本当に面倒そうに言った。
流石にそこまでカイル達を付き合わせるつもりはないらしく、元々クラウス会長との面会の約束を取り付けていたカイル達を置いて去ることになった。
名残惜しそうにしながら、今晩食事でも、とカイル達との約束を取り付け、アンジェラは席を立つ。
「ただクラウス会長、譲歩もそろそろ終わりです。私個人としましては貴方を嫌いではありませんが、帝国としては時間切れがあることもお忘れなく」
最後にしっかりと釘を刺し、アンジェラはそれでは失礼と手を振りながら部屋を出ていった。
室内に満ちていた張りつめた空気が弛緩すると、クラウスだけでなくカイル達も大きくため息をついた。
「やれやれ、帝国にも困ったものですな」
クラウスは苦笑いを浮かべたが、もう余裕の態度を回復している。
だが実際、最終通告ではないにしろ、それに近い状態なのだろう。だからこそアンジェラもかなり深いところにまで踏み込んで、帝国の思惑を聞かせ、本気度を見せたのだ。
これから先の帝国とバヨネの関係を考え、カイルはどう返答したものかと考えていた。だが今の話はもう終わりとばかりに、クラウスが笑顔で話しかけてくる。
「さて、お待たせしましたな。いやいや、会えるのを楽しみにしていたよ」
クラウスは先ほどまでの舌戦での雰囲気は微塵も感じさせず、くだけた口調で好々爺の笑みを浮かべている。
「想像していたより若いな。いや、だからこそと言うべきか……いや、若さというものは素晴らしい。この年になるとそれをつくづく実感するよ」
「ありがとうございます。名高いクラウス会長にそこまで言っていただけるとは、嬉しい限りです」
社交辞令だろう賛辞に、カイルも当たり障りのない返事をして頭を下げる。
今回の目的はあくまで顔繋ぎで、この後は適当な談笑でもして、それで終わり――そう思っていた。
だが、次のクラウスの言葉に首を捻ることになる。
「……君には何としてでも会わなければいけなかったからなあ」
何やら含みを持たせた表情と物言いのクラウスに、カイルは疑問を抱く。
「あの、何故そんなに私に会いたかったのでしょうか?」
カイルにとっては好都合なのだが、ここまで自分に会いたい理由が解らず、問うてみる。
今のカイルにとりあえず会いたいという人物は多いが、クラウスの場合、どうも明確な目的があるように思えた。
「儂は商人だよ。無論商売が、儲けが絡んでいるさ」
クラウスは歯を見せて笑う。
その笑みに、カイルの背中に嫌な予感が走った。今までの経験からか、それは当たっていると何故か確信できた。
「……と言っても、直接君と商売をしたいというのではなく、あるお得意様からの依頼でね、仲介を頼まれた」
「仲介?」
「ああ、君に会いたいので、場を用意してほしいとのことだった。色々と事情のある方でね。あまり目立たず内密に会いたいそうなのだよ」
「それはいったい誰の……」
「直接会ってもらった方が早いだろう。実はもう来ているのだよ」
口を挟もうとするカイルを遮ってそう言うと、了承すらとる前に、クラウスは控えていた使用人に客を連れてくるよう命令を出す。
ここら辺の強引さはやはり百戦錬磨の商人の手腕と言うべきか、すっかりクラウスのペースになっていた。
「なに、既に顔見知りということだから、話も早いと思う」
「はあ……」
顔見知りというのならば直接会いに来ればいいのにと、カイルは訝しげな顔になる。が、クラウスはただ笑うばかりだった。
少し待った後、扉が開く。そして入ってきた人物を見て、カイル達は思わず絶句した。
肉感的な美女で目立つ容貌だが、何より目立つのはその額から生えている魔族の証の角だった。
「……確かに顔見知りだな」
セランが何とも言えない顔で、魔族の女――ユーリガを見た。
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「どういうことだ!?」
反射的に剣の柄に手を伸ばしかけたカイルに対し、ユーリガは平然としたままだ。
カイルはいつでも動ける準備を整えて周りを警戒しつつ、クラウスとユーリガを更に問い詰めようとする。
「ユーリガじゃない! 元気にしてた?」
だが緊張が走ったのはカイルのみのようだ。リーゼに到っては、思いがけず旧友に会ったかのような反応だった。
無警戒に近寄ろうとするリーゼを、カイルは慌てて止める。
「不用意に近づくな、罠だったらどうする!」
「そんなはずないでしょ。もしユーリガに戦う気があるなら、こんな堂々と現れないで不意打ちとかするに決まってるじゃない」
リーゼの至極当然の突っ込みに、カイルは返事に詰まる。
セランやウルザも油断はしていないが、特に警戒をしている訳でもない。
出会いこそ敵対的だったものの、その後は曲がりなりにも共闘すらしている以上、仕方のない反応かもしれないが、カイルにとってはやはり不満だった。
「久しぶり、と言うほどでもないか。お前達とはよくよく縁があるな」
ユーリガは相変わらず怜悧な美貌に何の感情も表さないままで言う。
「……何故ここにいる?」
とりあえず斬りかかるという選択がなくなって苦々しく問いかけるカイルに、ユーリガは直接は答えなかった。
「……不思議に思わなかったのか? 我ら魔族が、人族領にて不自由なく活動できていた理由が」
そう言われれば、とカイルも思い当たる。
初めてユーリガに会ったのは、鉱山都市カラン。次に会ったのはエッドス国。共に人族領内部で、特にエッドス国は人族領のほぼ中心にある。魔族領から大きく離れているのに、そこまでの移動はいったいどうしたのか。
魔族だからといって透明になれるはずもなく、外見の目立つ魔族が人の目に触れずに移動するには、当然それを手伝う者の存在が必要になる。
「人族に、魔族の協力者がいたということか……!」
カイルは、クラウスを睨み付ける。
「正確には魔族の協力者ではなく、お得意様が魔王だったというところなのだがな」
「同じことだ」
微妙に訂正するクラウスに、カイルは吐き捨てるように言う。
カイルからしてみれば、魔族に力を貸すことなど、人族に対する重大な裏切りにほかならない。
「ああ、言いたいことは解るが、とりあえず落ち着いて話を聞いてもらいたい。いや、どうやって会おうかと考えていたところへそちらから手紙が来たときは、マラナイ様のお導きと喜んだものだ」
商売の神マラナイの名を出し、機嫌よさそうに笑うクラウス。
「……魔族と繋がっている分際で神の名を語るな」
カイルの辛辣な嫌味も、クラウスは飄々と受け流す。
「う~む、そこら辺は見解の違いだな。儂は魔族全体ではなく、魔王個人を気に入っているだけだ。だから協力している」
「それが人族に対する裏切りだと解っているのか!」
カイルの怒りの声にも、クラウスは心外と言わんばかりだった。
「いや違う。むしろこれは人族のためという大義名分があるからこそ、儂は汚名を被ってでも協力している」
少々白々しくありつつも、クラウスは本気で言っていた。
「……どういう意味だ?」
「知っているのだろう? 今の魔王が人族に友好的だと。そうすることが将来の人族のためになると確信しているから、協力している……まあその過程で色々役得ももらってはいるがね」
上機嫌に笑うクラウス。
「いや、人族領では中々手に入らない物が、魔族領には豊富にあるからな。まさに独占貿易、実に儲けさせてもらっているよ」
「結局金のためじゃないか」
「そこは商人だからな、否定はせんよ……だがそれだけではないのも間違いない」
クラウスはあくまで真面目に言っているようだが、魔族に協力しているという一点だけで、カイルにとって彼は敵も同然だった。
「本題に入るぞ」
険悪になりかけた雰囲気を遮るように、ユーリガが割り込んでくる。
「魔王様がお前達に会いたいとのことだ。一緒に魔族領へ来てほしい」
「……は? なんだって?」
一瞬何を言っているのか解らなかったカイルが思わず聞き返す。
「言葉通りだ、魔王様がお前達に会いたがっておられるので、私と魔族領に来てほしい」
ユーリガは自分の感情は出さず、淡々と要件を伝える。
「何故だ? 会って何をしたい?」
カイルは理由を問うが、ユーリガは首を横に振る。
「魔王様の御心は、私などには計り知れない。だが会いたいと仰られた以上、私は望まれる通りに動くだけだ」
「こっちには会う義務も義理もないぞ」
即座に断るカイルだが、これはユーリガも予想していたことだった。
「まあ当然の反応だな」
「当たり前だ。ついた途端に魔族に囲まれてそこで終わり、なんてことにはなりたくないからな」
「安全は保障するし、ただ来てくれと言うつもりはない。お前達の利になるようないくつかの条件を用意してある。まず、この間手に入れた『竜王』の皮だが、どうなった?」
「それは……」
ユーリガの問いに、カイルは言葉に詰まった。
ユーリガの言う皮とは、メーラ教徒に利用されたドラゴン、グルードを助けた報酬がわりに手に入れた『竜王』ゼウルスの脱皮した抜け殻のことだ。
素材としては伝説や神話に登場してもおかしくない逸品だったが、それ故に扱いに困った。
カイルは鎧に仕立てるべく色々と当たってみたのだが、現在の人族では加工すらできないことが解っただけで、宝の持ち腐れとなっていた。
カイルが返事をできないのを見て、確信したようにユーリガが続ける。
「どうやら今の人族の手では加工もできなかったようだな……だが魔族には可能だ」
「ふむ、では魔族領に行けば加工してくれるという訳か?」
シルドニアが興味深げに聞く。
かつての魔法王国ザーレスでならば加工できたはずだが、その技術も今では失われている。それを魔族ならばどうするのかと気になるところなのだろう。
「そうだ。人数分はあっただろう? 全員の装備が更新できるぞ」
「…………」
この提案はカイルにとって非常に魅力的であり、思いがけず考え込んでしまう。
カイル達の装備や道具は、現在金で入る中では最高のもので、これ以上となるとそう簡単には手に入らない。
究極の目的のためには、これからも戦闘は避けられないだろう。絶対に死なない、また死なせないために、強力な防具は是が非でも必要だった。
「それと、この間の魔族、ターグのことだが……」
迷い始めたカイルに、ユーリガは更に追い打ちをかけるようにもう一つの条件を出す。
「何か解ったのか!」
思わず反応してしまったカイルを見て、ユーリガは少し満足気な顔になる。
ターグとはドラゴンの巣で戦った相手であり、『大侵攻』を起こす次の魔王と関係している可能性が高く、カイルがもっとも詳細を知りたい魔族でもあった。なにせ次の魔王については、ユーリガも今の魔王も把握していないのだ。
「やはり気になっていたようだな。しかし私は、この場でそれに答える権限を魔王様から与えてもらってはいない」
「……その言い方は、ある程度は掴んでいるということだな?」
「好きに解釈してくれて構わない……詳しく知りたければ直接魔王様に尋ねてくれ」
「これも交渉材料の一つか」
知りたければ魔族領に来い、そう言っているのだ。
いっそ無理矢理にも聞き出すか、と剣呑な雰囲気を漂わせ始めたカイルの手が、ほんの僅かに剣の柄にかかり、それを察知したユーリガも身体を硬くする。
(……とはいえ力ずくで聞き出すのは無理だろうな)
ユーリガの忠義に揺るぎようがないのはよく解っていた。何をしようが、魔王の許しがない限り死んでも吐かないだろう。
カイルが力を抜くと、ユーリガも警戒を解いた。
魔族は絶対に倒さなければならない敵だが、現状の人族では攻め滅ぼすことは不可能だ。
敵の敵は味方だという訳ではないが、もし現魔王と会うことができるのならばそれはそれで選択肢の一つになる。
(情報を手に入れられれば……理想的なのは現魔王と次期魔王が相討ちの共倒れになることだがな)
だが会うには当然魔族領に侵入せねばならず、成功の見込みはほとんどないのだが、それを向こうから招待すると言うのだ、ある意味またとない好機だろう。
だが実際に行くとなると二の足を踏んでしまう。魔族の本拠地へ行くのは、ドラゴン達の巣である世界樹へ侵入したことすら比べ物にならない危険が伴う。
これまでの経験から、少なくともユーリガ本人にはこちらを罠にはめようというつもりがないのは解る。だが魔王からの命令が出たならば、次の瞬間に襲いかかってくるだろう。
「ああ、魔族領には儂も一緒に行く。商売のついでではあるが、少しは安全の保証になるだろう」
悩むカイルを少しでも安心させるためか、クラウスが同行を申し出る。
「何度か行っておるが、それほど危険ではないぞ……余計なことをせんかぎりは。その他にも儂にできる範囲でなら何でも言ってくれ」
クラウスは自信たっぷりに言うが、それでも踏ん切りのつかないカイルは、仲間達に目をやった。
「……ターグって、あの突然消えたり現れたりする魔族だろ? あいつのことはむしろ俺のほうが知りたいくらいだな」
ターグと直接戦ったセランは、右手で左腕の肘あたりをさすりながら言う。彼はターグに一撃を加えるために、自らの腕を犠牲にしたのだった。
「次は確実に斬るさ」
セランの、凄みすら感じさせる不敵な笑み。
前回は身体を張った奇策で撃退したが、次は実力で斬ると言っているのだ。
「……妾もその魔王には会ってみたいな。ゼウルスも認めておった相手のようじゃから」
腕を組んで話を聞いていたシルドニアが呟くように言う。かつての盟友とも言うべき『竜王』が認めている魔王となると、がぜん興味が湧いたのだろう。
リーゼとウルザは、決断はカイルに任せるというスタンスで、特に反対はしていない。
カイルは目を瞑り、深く考える。
何が目的か解らないものの魔王に目をつけられたのは間違いなく厄介だが、ユーリガは魔王の命である以上、諦めるつもりはなさそうだ。
ならばいっそのこと乗ってみるのも手だろう。危険は大きいが、その分得るものもあるはず。
「……解った。行こう、魔族領に」
悩んだ末カイルは決断をし、仲間達も皆頷いた。
特に目立つのは足元の絨毯。毛並みの見事さで有名な、巨熊の魔獣ヴァイオレットベアの紫の毛皮で出来たそれは、足を下ろすのを躊躇わせる美しさだ。
その他の調度品も見事なもので、根が小市民のリーゼなどは雰囲気に気圧されたのか、身体が半分沈み込むほど柔らかいソファに座ったまま、落ち着きなく周りをきょろきょろと見ている。
ただそんな殊勝とも言える態度なのはリーゼくらいで、シルドニアは席に着くなり用意されていた菓子類に飛びつき、セランもそれに続いた。
ウルザも表情を変えずにお茶を飲むなど、全くいつも通りだった。
カイルはそんな仲間達の図太さを心強く思いながらも、頭を下げてクラウスに非礼を詫びる。
「申し訳ありません、自由な連中でして」
「いやいや、頼もしい方達ではないですか」
クラウスも鷹揚に笑い、お気になさらず、と度量の大きいところを見せる。
アンジェラもその様子を微笑ましそうに見ていたが、すぐに居住まいを正し、用件を切り出した。
「さて、それでは本題に入りましょう……クラウス会長、今回こそいい答えを聞かせていただけるのでしょうね?」
「はて、いったい何のことでしょうか? アンジェラ様の訪問の目的は、我々と帝国との友好を深めるということのはず。それでしたら全面的に協力いたしておりますが」
クラウスはあくまでとぼけるが、アンジェラも構わず続ける。
「あなたには伯爵の地位を用意しています。領地もこのバヨネのままとしますので、いい加減に受け入れてほしいのです」
アンジェラ――ガルガン帝国の要求は単純で、クラウスを帝国の貴族として迎え入れ、このバヨネを帝国の支配下に置くことだ。
「……まず根本的な問題といたしまして、このバヨネは私が支配している訳ではなく、合議制をとっていると御存じのはずですが」
このクラウスの言葉通り、バヨネは商人の都市らしく代表二十名による議会によって運営されている。当のクラウスはその議長を務めていた。
「私は確かに議会の代表ではありますが、あくまで代表でしかありません。もし私が帝国に従うなどと提言すれば、あっという間に解任されます」
自分の力など大したことはないと、クラウスは首を横に振りつつ身振り手振りを交えて謙遜するが、アンジェラには通用しなかった。
「おとぼけにならなくて結構です。バヨネの舵取りをしているのは貴方で、その気になれば他の有象無象を押さえつけるなり排除するなり、そんなことは造作もないでしょう? 現に貴方の方針に反対してバヨネに損害を与えた者は、色々な形でいなくなっているじゃないですか」
「色々」の部分に微妙にアクセントをつけつつ、アンジェラは手で口を隠すように笑うが、その目は笑っていなかった。
「まあガルガンでもよくあることですから、それについてどうこう言うつもりはありませんが」
「確かに。昨年だけで何人もの帝国貴族の方々が、色々な形でいなくなりましたな」
クラウスも「色々」の部分を微妙に強調して笑みを浮かべた。
「ふふふ、ほんの少し分を弁える……こんな簡単なことができない者が多くて困りますわね」
「ははは、まったくですな」
二人の乾いた笑いが室内に響き渡る。
「すっげえな……さっきから二人ともずっと笑顔だが、全力で戦っているときと同じくらいの気迫だ」
「これが人間の会談か、物騒極まりないな……」
室内の空気がまるで音を立てているかのようにギスギスする中、セランとウルザがひそひそと話す。
「その点、貴方は賢明だと信じています。それに私達は全てを明け渡せと言っている訳ではなく、あなたには商会の長として実権を握っていただいたままの上で、全面的に後押しします。勿論帝国の利益になるのが大前提ですが、権限は大きく与えるつもりですので、自由に活動できますよ」
アンジェラはスッと目を細め、声色を変え、流れるように話す。
「これは貴方個人にとっても、商会にとっても利のある話のはずです。ガルガンに従えば他の競合相手を排除して流通を完全に掌握、独占できます……貴方は世界で一番の商人ではなく、世界で唯一の商人になることもできるのですよ?」
蠱惑的ともとれるアンジェラの誘いの言葉。だがクラウスはゆっくりと首を横に振るだけだった。
「アンジェラ様、商売というものは、特定の者が独占していてはいけないのです。相手がいて成立し、競い合う者がいてこそ発展します。国が金と物の流れを完全に牛耳っては、いずれ淀み、腐敗していくでしょう。そうならないように、自由な流れを作らねばならないのです」
クラウスの言葉からは、経済の頂点に立つ者の重みが感じられた。
だがそのクラウスを真っ向から叩き斬るかのようにアンジェラは言い放つ。
「ええ、勿論解っています――ですがそれは帝国の方針とは相いれません。発展よりもまずは統制です。理想としては、かつての魔法王国ザーレスの如く、人族を完全に管理下におくべきなのです」
「いや、そこまで支配しておった訳では……もがっ」
思わず口を挟みそうになったシルドニアの口に、カイルは菓子を突っ込んで黙らせる。
「しかしそれでは、長い目で見れば帝国そのものの発展を妨げることになります。そこについてはいかがお考えなのですか?」
そのような真似をしては、たとえ人族を統一しても、先は長くない。だがそれが解らないはずもないでしょう、と苦言を呈するようにクラウスが言う。
「あら、何か勘違いしていません? ガルガン帝国の国是は人族の統一ですが、それは過程でもあります。最終的には――大陸の西の統一も含まれているということです」
大陸の西、それはすなわち、魔族領のことを示していた。
「まさか……まさか魔族に戦争を仕掛けるおつもりなのですか?」
流石にクラウスが顔色を変える。
魔族に対して戦争を仕掛ける。これが他の人物が言った言葉ならば荒唐無稽なほら話と笑うこともできるが、ガルガン帝国の皇女の言葉となれば話は別だ。
真実なら、それこそ世界を巻き込むどころか、歴史に永遠に残る大戦争になる。
「しかし、魔族はここ何百年と人族に対して無干渉です。なのにこちらから手を出して刺激するのは無益では……?」
藪をつついて蛇を出すことはない、クラウスはそう言っているのだ。
「あら、人族を滅ぼす可能性のある魔族を放置しておくことの方が問題では?」
アンジェラの物言いに唖然とする者は多かったが、カイルだけはうんうんと頷いていた。
「まあ、それはあくまで最終目的でして、魔族をどうこうというのは最低でも人族を完全統一してからになります。そのためにも経済を完全に掌握する必要があり、だからこそ貴方の力が必要なのです、クラウス会長?」
お願いしますね、とアンジェラは余裕の笑顔でお茶を飲みながら言った。
これですっかり怯んでしまったクラウスから会話の主導権を握ったとばかりに、この後もアンジェラはぐいぐいと迫り続け、クラウスを翻弄していった。ガルガン帝国皇女として、幼い頃からこういった交渉の場での話術を学んできた成果だろう。
だがクラウスもクラウスで、やや押されつつあったのは確かながら、経験してきた場数の差からか何とか踏みとどまり、話は結局平行線のままとなった。
しばらくして、時間切れとばかりに残念そうにアンジェラは言う。
「……仕方ありませんね、今日のところはこれで終わりです」
アンジェラにはこの後の予定がある。クラウス以外のバヨネの有力者にも会わねばならないのだ。
「正直クラウス以外は十把一絡げの価値しかないのですが、無視する訳にも参りませんので……」
アンジェラは本当に面倒そうに言った。
流石にそこまでカイル達を付き合わせるつもりはないらしく、元々クラウス会長との面会の約束を取り付けていたカイル達を置いて去ることになった。
名残惜しそうにしながら、今晩食事でも、とカイル達との約束を取り付け、アンジェラは席を立つ。
「ただクラウス会長、譲歩もそろそろ終わりです。私個人としましては貴方を嫌いではありませんが、帝国としては時間切れがあることもお忘れなく」
最後にしっかりと釘を刺し、アンジェラはそれでは失礼と手を振りながら部屋を出ていった。
室内に満ちていた張りつめた空気が弛緩すると、クラウスだけでなくカイル達も大きくため息をついた。
「やれやれ、帝国にも困ったものですな」
クラウスは苦笑いを浮かべたが、もう余裕の態度を回復している。
だが実際、最終通告ではないにしろ、それに近い状態なのだろう。だからこそアンジェラもかなり深いところにまで踏み込んで、帝国の思惑を聞かせ、本気度を見せたのだ。
これから先の帝国とバヨネの関係を考え、カイルはどう返答したものかと考えていた。だが今の話はもう終わりとばかりに、クラウスが笑顔で話しかけてくる。
「さて、お待たせしましたな。いやいや、会えるのを楽しみにしていたよ」
クラウスは先ほどまでの舌戦での雰囲気は微塵も感じさせず、くだけた口調で好々爺の笑みを浮かべている。
「想像していたより若いな。いや、だからこそと言うべきか……いや、若さというものは素晴らしい。この年になるとそれをつくづく実感するよ」
「ありがとうございます。名高いクラウス会長にそこまで言っていただけるとは、嬉しい限りです」
社交辞令だろう賛辞に、カイルも当たり障りのない返事をして頭を下げる。
今回の目的はあくまで顔繋ぎで、この後は適当な談笑でもして、それで終わり――そう思っていた。
だが、次のクラウスの言葉に首を捻ることになる。
「……君には何としてでも会わなければいけなかったからなあ」
何やら含みを持たせた表情と物言いのクラウスに、カイルは疑問を抱く。
「あの、何故そんなに私に会いたかったのでしょうか?」
カイルにとっては好都合なのだが、ここまで自分に会いたい理由が解らず、問うてみる。
今のカイルにとりあえず会いたいという人物は多いが、クラウスの場合、どうも明確な目的があるように思えた。
「儂は商人だよ。無論商売が、儲けが絡んでいるさ」
クラウスは歯を見せて笑う。
その笑みに、カイルの背中に嫌な予感が走った。今までの経験からか、それは当たっていると何故か確信できた。
「……と言っても、直接君と商売をしたいというのではなく、あるお得意様からの依頼でね、仲介を頼まれた」
「仲介?」
「ああ、君に会いたいので、場を用意してほしいとのことだった。色々と事情のある方でね。あまり目立たず内密に会いたいそうなのだよ」
「それはいったい誰の……」
「直接会ってもらった方が早いだろう。実はもう来ているのだよ」
口を挟もうとするカイルを遮ってそう言うと、了承すらとる前に、クラウスは控えていた使用人に客を連れてくるよう命令を出す。
ここら辺の強引さはやはり百戦錬磨の商人の手腕と言うべきか、すっかりクラウスのペースになっていた。
「なに、既に顔見知りということだから、話も早いと思う」
「はあ……」
顔見知りというのならば直接会いに来ればいいのにと、カイルは訝しげな顔になる。が、クラウスはただ笑うばかりだった。
少し待った後、扉が開く。そして入ってきた人物を見て、カイル達は思わず絶句した。
肉感的な美女で目立つ容貌だが、何より目立つのはその額から生えている魔族の証の角だった。
「……確かに顔見知りだな」
セランが何とも言えない顔で、魔族の女――ユーリガを見た。
4
「どういうことだ!?」
反射的に剣の柄に手を伸ばしかけたカイルに対し、ユーリガは平然としたままだ。
カイルはいつでも動ける準備を整えて周りを警戒しつつ、クラウスとユーリガを更に問い詰めようとする。
「ユーリガじゃない! 元気にしてた?」
だが緊張が走ったのはカイルのみのようだ。リーゼに到っては、思いがけず旧友に会ったかのような反応だった。
無警戒に近寄ろうとするリーゼを、カイルは慌てて止める。
「不用意に近づくな、罠だったらどうする!」
「そんなはずないでしょ。もしユーリガに戦う気があるなら、こんな堂々と現れないで不意打ちとかするに決まってるじゃない」
リーゼの至極当然の突っ込みに、カイルは返事に詰まる。
セランやウルザも油断はしていないが、特に警戒をしている訳でもない。
出会いこそ敵対的だったものの、その後は曲がりなりにも共闘すらしている以上、仕方のない反応かもしれないが、カイルにとってはやはり不満だった。
「久しぶり、と言うほどでもないか。お前達とはよくよく縁があるな」
ユーリガは相変わらず怜悧な美貌に何の感情も表さないままで言う。
「……何故ここにいる?」
とりあえず斬りかかるという選択がなくなって苦々しく問いかけるカイルに、ユーリガは直接は答えなかった。
「……不思議に思わなかったのか? 我ら魔族が、人族領にて不自由なく活動できていた理由が」
そう言われれば、とカイルも思い当たる。
初めてユーリガに会ったのは、鉱山都市カラン。次に会ったのはエッドス国。共に人族領内部で、特にエッドス国は人族領のほぼ中心にある。魔族領から大きく離れているのに、そこまでの移動はいったいどうしたのか。
魔族だからといって透明になれるはずもなく、外見の目立つ魔族が人の目に触れずに移動するには、当然それを手伝う者の存在が必要になる。
「人族に、魔族の協力者がいたということか……!」
カイルは、クラウスを睨み付ける。
「正確には魔族の協力者ではなく、お得意様が魔王だったというところなのだがな」
「同じことだ」
微妙に訂正するクラウスに、カイルは吐き捨てるように言う。
カイルからしてみれば、魔族に力を貸すことなど、人族に対する重大な裏切りにほかならない。
「ああ、言いたいことは解るが、とりあえず落ち着いて話を聞いてもらいたい。いや、どうやって会おうかと考えていたところへそちらから手紙が来たときは、マラナイ様のお導きと喜んだものだ」
商売の神マラナイの名を出し、機嫌よさそうに笑うクラウス。
「……魔族と繋がっている分際で神の名を語るな」
カイルの辛辣な嫌味も、クラウスは飄々と受け流す。
「う~む、そこら辺は見解の違いだな。儂は魔族全体ではなく、魔王個人を気に入っているだけだ。だから協力している」
「それが人族に対する裏切りだと解っているのか!」
カイルの怒りの声にも、クラウスは心外と言わんばかりだった。
「いや違う。むしろこれは人族のためという大義名分があるからこそ、儂は汚名を被ってでも協力している」
少々白々しくありつつも、クラウスは本気で言っていた。
「……どういう意味だ?」
「知っているのだろう? 今の魔王が人族に友好的だと。そうすることが将来の人族のためになると確信しているから、協力している……まあその過程で色々役得ももらってはいるがね」
上機嫌に笑うクラウス。
「いや、人族領では中々手に入らない物が、魔族領には豊富にあるからな。まさに独占貿易、実に儲けさせてもらっているよ」
「結局金のためじゃないか」
「そこは商人だからな、否定はせんよ……だがそれだけではないのも間違いない」
クラウスはあくまで真面目に言っているようだが、魔族に協力しているという一点だけで、カイルにとって彼は敵も同然だった。
「本題に入るぞ」
険悪になりかけた雰囲気を遮るように、ユーリガが割り込んでくる。
「魔王様がお前達に会いたいとのことだ。一緒に魔族領へ来てほしい」
「……は? なんだって?」
一瞬何を言っているのか解らなかったカイルが思わず聞き返す。
「言葉通りだ、魔王様がお前達に会いたがっておられるので、私と魔族領に来てほしい」
ユーリガは自分の感情は出さず、淡々と要件を伝える。
「何故だ? 会って何をしたい?」
カイルは理由を問うが、ユーリガは首を横に振る。
「魔王様の御心は、私などには計り知れない。だが会いたいと仰られた以上、私は望まれる通りに動くだけだ」
「こっちには会う義務も義理もないぞ」
即座に断るカイルだが、これはユーリガも予想していたことだった。
「まあ当然の反応だな」
「当たり前だ。ついた途端に魔族に囲まれてそこで終わり、なんてことにはなりたくないからな」
「安全は保障するし、ただ来てくれと言うつもりはない。お前達の利になるようないくつかの条件を用意してある。まず、この間手に入れた『竜王』の皮だが、どうなった?」
「それは……」
ユーリガの問いに、カイルは言葉に詰まった。
ユーリガの言う皮とは、メーラ教徒に利用されたドラゴン、グルードを助けた報酬がわりに手に入れた『竜王』ゼウルスの脱皮した抜け殻のことだ。
素材としては伝説や神話に登場してもおかしくない逸品だったが、それ故に扱いに困った。
カイルは鎧に仕立てるべく色々と当たってみたのだが、現在の人族では加工すらできないことが解っただけで、宝の持ち腐れとなっていた。
カイルが返事をできないのを見て、確信したようにユーリガが続ける。
「どうやら今の人族の手では加工もできなかったようだな……だが魔族には可能だ」
「ふむ、では魔族領に行けば加工してくれるという訳か?」
シルドニアが興味深げに聞く。
かつての魔法王国ザーレスでならば加工できたはずだが、その技術も今では失われている。それを魔族ならばどうするのかと気になるところなのだろう。
「そうだ。人数分はあっただろう? 全員の装備が更新できるぞ」
「…………」
この提案はカイルにとって非常に魅力的であり、思いがけず考え込んでしまう。
カイル達の装備や道具は、現在金で入る中では最高のもので、これ以上となるとそう簡単には手に入らない。
究極の目的のためには、これからも戦闘は避けられないだろう。絶対に死なない、また死なせないために、強力な防具は是が非でも必要だった。
「それと、この間の魔族、ターグのことだが……」
迷い始めたカイルに、ユーリガは更に追い打ちをかけるようにもう一つの条件を出す。
「何か解ったのか!」
思わず反応してしまったカイルを見て、ユーリガは少し満足気な顔になる。
ターグとはドラゴンの巣で戦った相手であり、『大侵攻』を起こす次の魔王と関係している可能性が高く、カイルがもっとも詳細を知りたい魔族でもあった。なにせ次の魔王については、ユーリガも今の魔王も把握していないのだ。
「やはり気になっていたようだな。しかし私は、この場でそれに答える権限を魔王様から与えてもらってはいない」
「……その言い方は、ある程度は掴んでいるということだな?」
「好きに解釈してくれて構わない……詳しく知りたければ直接魔王様に尋ねてくれ」
「これも交渉材料の一つか」
知りたければ魔族領に来い、そう言っているのだ。
いっそ無理矢理にも聞き出すか、と剣呑な雰囲気を漂わせ始めたカイルの手が、ほんの僅かに剣の柄にかかり、それを察知したユーリガも身体を硬くする。
(……とはいえ力ずくで聞き出すのは無理だろうな)
ユーリガの忠義に揺るぎようがないのはよく解っていた。何をしようが、魔王の許しがない限り死んでも吐かないだろう。
カイルが力を抜くと、ユーリガも警戒を解いた。
魔族は絶対に倒さなければならない敵だが、現状の人族では攻め滅ぼすことは不可能だ。
敵の敵は味方だという訳ではないが、もし現魔王と会うことができるのならばそれはそれで選択肢の一つになる。
(情報を手に入れられれば……理想的なのは現魔王と次期魔王が相討ちの共倒れになることだがな)
だが会うには当然魔族領に侵入せねばならず、成功の見込みはほとんどないのだが、それを向こうから招待すると言うのだ、ある意味またとない好機だろう。
だが実際に行くとなると二の足を踏んでしまう。魔族の本拠地へ行くのは、ドラゴン達の巣である世界樹へ侵入したことすら比べ物にならない危険が伴う。
これまでの経験から、少なくともユーリガ本人にはこちらを罠にはめようというつもりがないのは解る。だが魔王からの命令が出たならば、次の瞬間に襲いかかってくるだろう。
「ああ、魔族領には儂も一緒に行く。商売のついでではあるが、少しは安全の保証になるだろう」
悩むカイルを少しでも安心させるためか、クラウスが同行を申し出る。
「何度か行っておるが、それほど危険ではないぞ……余計なことをせんかぎりは。その他にも儂にできる範囲でなら何でも言ってくれ」
クラウスは自信たっぷりに言うが、それでも踏ん切りのつかないカイルは、仲間達に目をやった。
「……ターグって、あの突然消えたり現れたりする魔族だろ? あいつのことはむしろ俺のほうが知りたいくらいだな」
ターグと直接戦ったセランは、右手で左腕の肘あたりをさすりながら言う。彼はターグに一撃を加えるために、自らの腕を犠牲にしたのだった。
「次は確実に斬るさ」
セランの、凄みすら感じさせる不敵な笑み。
前回は身体を張った奇策で撃退したが、次は実力で斬ると言っているのだ。
「……妾もその魔王には会ってみたいな。ゼウルスも認めておった相手のようじゃから」
腕を組んで話を聞いていたシルドニアが呟くように言う。かつての盟友とも言うべき『竜王』が認めている魔王となると、がぜん興味が湧いたのだろう。
リーゼとウルザは、決断はカイルに任せるというスタンスで、特に反対はしていない。
カイルは目を瞑り、深く考える。
何が目的か解らないものの魔王に目をつけられたのは間違いなく厄介だが、ユーリガは魔王の命である以上、諦めるつもりはなさそうだ。
ならばいっそのこと乗ってみるのも手だろう。危険は大きいが、その分得るものもあるはず。
「……解った。行こう、魔族領に」
悩んだ末カイルは決断をし、仲間達も皆頷いた。
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