強くてニューサーガ

阿部正行

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2巻

2-2

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 その夜、カイルは宮殿内に用意された客室のベッドで寝転びながら考えていた。
 あの後皆で話し合ったが、積極的に受ける理由も断固として断る理由も無いので、最終的な判断はリーダーのカイルに任せる、という結論になった。

「とは言ってもなあ……受けない訳にもいかないか」

 そもそも、ミレーナ王女直々の依頼を断るという選択肢はほぼありえない。
 ミレーナ王女当人は断っても構わないと言ったが、周りの者からは王女の期待と信頼を裏切ったと思われるだろう。
 ジルグスは位置的にも国力的にも『大侵攻』の際に重要な勢力の一つとなる。この国からの信頼をくす訳にはいかない。
 手柄を立てることができるのなら、それに越したことも無い。
 またカランの長に会えるというのは、カイルにとって意味のあることだった。
 カランにはとても腕のいいドワーフの鍛冶職人が多く、その名工達によって作られた武具は前の人生の最後の戦いで大いに役に立った。
 現在のカイル達はミスリルをはじめとする多くの魔法金属を所持しているが、それだけでは意味が無い。
 そうした金属を加工し武具にできるのは、カランのドワーフ達だけなのだ。それを考えれば、今回の依頼はいい機会かもしれない。

「気は乗らないが……悪くはないか」

 問題があるとすれば、ガルガン帝国の動きだろう。
 王女暗殺未遂事件に帝国が関わっていないと、カイルは確信している……というよりそうだと知っている。
 だが帝国がこの機に乗じてカランに何らかの手出しをするというのも、充分考えられることだった。
 カイルには人族最大の国力を持つガルガン帝国と敵対するつもりはない。むしろ今後のことを考えたら、何かしらの繋がりが欲しいくらいだ。

「帝国が乗り出してきたとしたら……対応が難しいな」

 大きくため息をつく。
 そして何より気が引けるのは――カイルが今、ミレーナ王女となるべく距離をおきたいという心情的なものだった。
 仕方のないことだった。ミレーナ王女の命を救う意味もあった。それでも、カイルがミレーナ王女の実の父親を殺したことには変わりない。
 どんな顔をして会話すればいいのか、わからないのだ。

「……最近悩んでばかりだな、俺」

『頭を使うのはよいことじゃぞ』

 カイルが枕に顔をうずめてうなっていると、ベッドの傍らに置いた剣、シルドニアから声がかかる。
 少女の姿の幻影であるシルドニアは、今頃別に用意された部屋で寝ている。あまり離れた距離に幻影を作り出すことはできないが、同じ建物内なら問題ない。

『これは推測じゃが、カランという都市では帝国相手だけでなく、何か他の問題が起こっている可能性があるぞ』

「どういうことだ?」

『妙だとは思わんか? 隣接した本国の王が死んで十日経つというのに、従属都市国家の長が王都を訪ねて来んというのは?』

「それは……確かに不自然だな」

 現在このマラッドには国王の弔問ちょうもんのために、地方領主など普段は王都にいない臣下が、国中から集まってきている。
 従属都市国家の扱いは臣下とほぼ変わらない。その長が来ていないなど、通常ではありえない。

『そのことについて王女が説明しなかったのがいい証拠じゃ、カランで何らかの異常が起こっており、それについて調べるか、もしくは解決すること。恐らくわらわ達には、いやお主にはそこら辺も期待しておるのじゃろう。もしかしたら試験やもしれんな』

 書状を届けるという任務が最低限で、命じられた以上のことができるかどうか試しているのかもしれない。

「俺が今後使えるかどうかを見ているということか……」

『仕方なかろう、一つのことにいくつもの意味合いを持たせるのは、上に立つ者にとって大事な能力じゃ。それだけ期待されていると思えばよい。恐らくあの王女が今もっとも欲しいのは、信頼できる有能な配下、もしくは協力者なのだから』

 カイルの声に多少不満の響きがあったからだろう、シルドニアが少しばかりフォローをいれる。
 魔法生命体のシルドニアの元になったのは、千年前に滅んだ古代魔法王国ザーレスの『魔法王マジックキング』だ。
 カイル達の中で一番ミレーナ王女に近いメンタリティを持つシルドニアには、彼女の気持ちと立場が理解できるのだ。

「別に不快には思わないよ、むしろカランとガルガン帝国との関係を説明した上、受諾するか否かの選択権まで与えてくれたんだ、ありがたいぐらいだ」

 そう言うとカイルは立ち上がり、ドアへと向かう。

『どこへ行く?』
「トイレ、お前も早く寝ろよ」


 宮殿の客ということで、部屋の外では世話係の侍女が不寝番ふしんばんをしており、トイレまで案内してもらう。
 既に時刻は深夜に近い時間帯。しかし宮殿内の通路は常に明るく保たれていた。中庭側の大きな窓ガラスは、恐らく昼間なら庭の見事な造りを映し、通る者の目を楽しませただろう。
 何とはなしにそちらを見ながら部屋へ戻る途中、正面から複数の人が歩いてきた。それが侍女と護衛の騎士を連れたミレーナ王女だとわかると、カイルはすぐに通路の端により、頭を下げて道を空けた。
 こんな遅くに時間をとらせる訳にもいかないと、簡単な挨拶だけですぐに立ち去ろうとしたカイルだったが、その背にミレーナ王女の声がかかる。

「あの、このような時間に非常識とはわかっておりますが、ほんの少しだけ……気晴らしに付き合ってはいただけませんでしょうか?」

 その声にはどこか、寂しいような悲しいような響きが微かに混じっていた。





 3


 次期女王のお誘いを断る訳にも行かず、ミレーナ王女に連れられたカイルが着いた先は、宮殿の中庭だった。
 中庭といっても大宮殿の中庭だ。ちょっとした公園並みの広さがある。

「ここは私のお気に入りの場所です」

 その中庭の奥まった場所で、ミレーナ王女が辺りを見回しながら言う。
 そこは周囲より小高い場所になっており、宮殿付きの庭師の手で整備された草花に囲まれていた。日中なら、緑の芸術といっていいほどの見事な庭園が見渡せただろう。
 だが【ライト】の魔法が込められた魔道具マジックアイテムによって、闇の中に色とりどりの花が浮かび上がるその光景も、昼の庭園にはない独特の美しさがある。
 季節は七の月。まさに本格的な夏に入ったところだが、この時間帯は涼しくて過ごしやすい。時折吹く心地よい風が、ミレーナ王女の長い髪を軽く揺らす。

「ただ、このところは、そんなゆっくりとした時間はとれませんでしたけど」

 軽くため息をつくミレーナ王女の横顔には、昼間と同じように陰りが見えた。
 実際疲れているのだろう。この短期間に血の繋がった父と兄を失い、その肩にはこれからジルグスという国そのものがのしかかってくる。
 いくら才気溢れる若い王女でも、精神的な重圧には耐えがたいこともあるのだろう。
 傍らに立ったカイルは、そんなミレーナ王女に声をかけることができなかった。
 彼女を慰める資格など無い。彼女を今の立場にしたのは、間違いなくカイル自身だからだ。
 もちろんカイルがいなければ、彼女は今生きてすらいなかったのだが、カイルがその状況を自分のために利用している以上、言い訳にはならない。
 その無言をどうとったのか、ミレーナ王女は少しだけ自嘲を含んだ笑みを浮かべる。

「情の薄い女とお思いですか? 親族を失ったばかりだというのに、嘆きもしないことを」
「それは……」
「もちろん悲しみはあります。ただどこか他人事のように感じてしまっているのです。何より悲しんでいる時間がありませんので……今の私を見たら、お父様はどれほど嘆かれるでしょうか……」
「……陛下はこの国のことを誰よりも想うご立派な方でした。自分の死に必要以上にとらわれず、ジルグスのためにひたすら働く今のミレーナ様をご覧になれば、必ずや喜ばれたでしょう」

 そう言いながら口がどうにかなりそうな気分のカイルだったが、それを一切顔に出さず、あくまで真剣な顔を貫く。
 これぐらいの腹芸なら、カイルにもできるのだ。
 そんなカイルの内心に気付かないミレーナ王女が礼を言う。

「ありがとうございます……ごめんなさい、貴方ならそう言って下さると思っていました。いえ、誰かにそう言ってほしかったのかもしれませんね」

 気が楽になりましたと、ミレーナ王女は少しだけ声を明るくする。

「今の立場に不満があるのですか?」

 分をわきまえない問いであり、もし肯定されたとしてもどうしようもないことは、カイルにもわかっていた。
 だが暗殺騒動の最中でも失われることのなかった、彼女だけが持つあの輝きに陰りが見えたことで、そう言わずにはいられなかったのだ。

「女王になるということに不満はありません……私はジルグスの女王になるために生まれ、女王として生き、女王のまま死にます。それ以外の生き方はできません」
「それは、不自由かもしれませんね」
「他の人から見ればそうかもしれません。でも私自身はその人生に不満はありません。ただ、本当に私でいいのか、と不安になることはあります」

 カイルの目から見ればこれほど女王に相応ふさわしい人物もいないのだが、当人は急な王位の継承に少なからず迷いを感じているようだった。
 継承の重圧など、カイルには到底理解できない。それ故、ある人物の言葉を借りることにする。

「……百の人間の利益を守るために十の人に不利益をいる。千人の町を飢餓きがから救うために百人の村を見捨てる。万の軍を勝利に導くために千の兵に死ねと命じる。王にはこれらを躊躇ためらいなく決断する覚悟が必要になる」

 カイルの言葉に目を丸くするミレーナ王女。

「……それはカイル様のお考えですか?」
「いえ、私の知る限り、最も人々の上に立つに相応しい人物が言っていた言葉を借りました。上に立つ者が迷ってはいけないとのことだそうです」

 あの『大侵攻』の中、王族や貴族といった様々な支配階級にカイルは出会った。そして混乱の最中とはいえ、そのほとんどがろくでもない連中だった。
 これはその中で、唯一尊敬できた人物の言葉だ。
 カイル自身も戦いの中で助けられる者と助けられない者を、時に非情に選んだ。
 全ての人を救うなど、夢物語でしかない。カイルにはそれがよくわかっていた。

「確かに仰る通りですね、迷う訳にはいきません。私の迷いは国そのものの迷いとなりますからね」
「ただミレーナ様には、切り捨てられていく者を忘れず、一方でそういった者を一人でも減らすよう努めていただきたく願います……申し訳ありません、出すぎたことを言いました」

 カイルは大きく頭を下げる。明らかに分不相応な発言だからだ。
 だがミレーナ王女は嬉しそうに言った。

「そのようなことはありません。そのお言葉、ありがたく思います」

 いたわりどころか更に期待と重圧をかけてしまったかな、と考えていたカイルだったが、彼女の嬉しそうな顔に少し気が楽になった。


 その後は王女も調子をとり戻したのか、明るい調子で二、三雑談をした後、昼の依頼の話になった。

「婚姻はいずれ誰かと結ばなければなりませんが、今のところするつもりはありません。マイザー殿下には申し訳ありませんが、今帝国と繋がりを持つ必要はありませんので」

 他のことならともかく、婚姻には慎重にならざるをえませんとミレーナ王女。

「確かに大事な問題でしょうからね」
「ええ、女王に離婚は許されません。例外があるとすれば死別くらい。つまり一回しか結婚できないのですから、慎重に相手を選ばなければなりません。結婚という切り札を、こんなことで使いたくありませんから」
「随分と他人事のように言うのですね、一生の問題だと思うのですが」
「あら、私からすれば、結婚に憧れや期待を持つことのほうが理解できません……いえ、考えたことが無いと言うべきでしょうか」

 彼女は、完全に自分の婚姻を、政治上の手段の一つとしているようだ。

「もし恋愛というものがしたくなりましたら、愛人でも作りますので問題ありません」
「いやそれもどうかと」
「相手は、そうですね……たとえば私の命が危険な時に颯爽さっそうと現れてくれて、それでいて何か秘密を持っている謎めいた方……そんな人には少し興味がありますね」

 そう言ったミレーナ王女は身体ごと振り返り、これまで決して自分の前に出なかったカイルに、軽く詰め寄る。
 互いの息がかかるのではないかという、人の目があったなら絶対にここまで近づけないほどの距離。だがここは深夜の中庭で、側付そばつきも全て下がっている。
 近隣諸国にまで知れわたる美姫の顔を間近に見て、カイルの心音が跳ね上がる。
 全身を硬くするカイルだったが、その反応を見たミレーナ王女は軽く笑う。

「冗談です。ただ本当にカイル様に興味を持っていますし、気に入っているのは間違いありません。カイル様には、私が今までに会った人には無い何かを感じますので」

 これでも人を見る目はあるつもりです、とミレーナ王女は笑いながらカイルから離れる。

「お付き合いありがとうございました、それではお休みなさいませ」

 ミレーナ王女は軽く頭を下げた後、カイルに背を向けて宮殿内へと歩き出す。

「……も、もてあそばれた?」

 もしかして自分をからかって気分転換をしたかっただけなのではと、ミレーナ王女の後ろ姿を見送りながら、カイルは引きつった笑いを浮かべた。


 ミレーナ王女が宮殿内に戻ると、待たせていた侍女達が迎えた。その中で一番年少の侍女、ニノスが話しかける。

「お疲れ様でした。手応えはいかがでしたか?」

 ニノスは側仕えの侍女達の中でも、特にミレーナ王女のお気に入りだ。
 年はまだ十一だが頭の回転が速く、非常に深い知識を持っており、更には上級魔法をも扱える『魔道士メイジ』でもある、いわば天才児だった。
 物静かでいつも冷静な判断を下し、様々な面でミレーナ王女を上手く補佐していた。

「あら、何のことかしら?」
「男心を手玉に取る練習台にするおつもりだったのでしょう?」
「そこだけ聞くと、私がとてつもない悪女に聞こえるわね」

 ミレーナ王女は軽く笑うが、否定はしない。
 カイルにも言った通り、結婚はいずれしなければならない。女王として、子供を生むのは仕事であり義務だからだ。
 もちろん気に入る相手を迎えられればそれに越したことは無いのだが、あまり期待しないほうがいい。
 そして王配といえど、自分のやることに口出しさせるつもりは一切無かった。
 だが、だからと言ってわざわざ不幸な家庭を築きたいと思っている訳でもない。どんな相手であれ、自分の望むようにコントロールできれば問題ないのだ。
 お茶会や晩餐会ばんさんかいで、豊かな貴族のご婦人方から、さりげなくそのための情報収集はしていたのだが、聞きかじった技術はやはり実際に試してみないことには話にならない。
 今までは国王の手前、特定の男に近づくことができなかった。それにもし王宮の関係者で試したりすれば、後々面倒なことになる。
 だが国内の最高権力者となった今なら、多少のことは揉み消せる。とりあえず手始めに、政治的なしがらみが絡んでいないカイルに目をつけたのだ。

「弱みを見せるというのは有効だと聞いていたのですが、確かに効果がありましたわね。まあこれはカイル様の根が優しい方だからでしょうが、その後の反応も悪くないと見えましたけど……」

 そう言うミレーナ王女の顔に、今日カイル達に見せていた陰りは無い。肉体的な疲れはともかく、精神的疲労はすっかり消え去っていた。

「ただ心理的な壁を感じましたわね、どこか一歩引いているような感じだったわ」
「それは当然では? ミレーナ様に気安く接することができる者など、このジルグスにはいないかと」
「身分差だけではなく、もっと別なもののような気もしましたけど……まあ男心うんぬんぬんはあくまでついでです。それよりも収穫だったのは、彼の人柄の部分に踏み入ることができたこと。今回の依頼がいい試金石になってくれるでしょう……やはり完全に手元に引き込みたい方ですね」
「私は反対です。あの男は得体えたいが知れません」

 ニノスははっきりと反対の意思を示した。
 確かに彼らの実力は飛び抜けている。たった五名で近衛騎士一隊に匹敵するほどなのだから。
 だが権力に対する執着は見受けられず、大貴族でも敵わないほどの財力を持っていて、しかも出所は不明のままだ。
 その一方で名誉には執着し、自らの名声を高めることに貪欲なようでもある。
 とにかく行動原理がちぐはぐで、何が本当の目的かわからない。ニノスにとってカイルは、理解できない存在だった。
 理解できないとはつまり行動が読めないということで、そんな不安要素を王女に近寄らせたくないのだ。
 もっとも王女も反対されるのはある程度予想しており、ニノスの態度に不満は無かった。
 国の運営には一切の疑問を挟まず、自分を捨てて主命に従う者も必要だが、ニノスのように主君にはっきりと反対の意思を言える者も大事なのだ。
 その点はカイルも同じで、真正面から助言を与えられるという、今までにあまり経験の無いことをされ、かえって好感を抱いていた。

「何かを隠しているというのはわかっています。でもそれを差し引いたとしても価値はあると思います」
「随分と気に入っておられるようですが、なぜそこまで確信できるのです?」
「そうね、強いて言えば……勘かしら?」

 ミレーナ王女の言葉に、ニノスは目を丸くする。
 勘などという言葉を、今までミレーナ王女の口から聞いたことが無かったからだ。
 いつも無表情の侍女のそんな顔に満足したように笑うと、ミレーナ王女は今度こそ本当に休むべく、寝室へと歩き始めた。


 翌早朝、カイル達は依頼を受けることを姫の従僕に告げ、書状や連絡事項、身分を証明する証などを受け取った後、宮殿を出発した。




 4


 カイル達は宮殿を出た足でそのまま、武具店に来ていた。修理を終えた武具の受け取りや消耗品の補充のためである。

「いらっしゃいませ」

 来店したカイル達を、店の外まで出てきた店主のフェスバが、深々と頭を下げて出迎えた。

「それから遅ればせながら、授章おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。あまり話題にはなっていないけどね」

 カイルが首をすくめると、フェスバも多少苦い笑いを見せながら言う。

「それは少々時期が悪かったとしか……しかしカイル様達でしたら、すぐにでも新たなお手柄を立てられるでしょう」

 にこやかに話しかけるフェスバ。社交辞令だろうが、見る者に好感を与える笑顔だ。
 実際、フェスバにとってカイル達は非常に大切な上客だ。
 今回の修理も本来はもう少し時間がかかったのだが、かなり無理をして大急ぎで行っている。
 無理を通すにはそれだけ費用がかかるものだが、その分の手間賃てまちんに加え、更に大量の魔法薬や魔石の注文を受けているのだから、その儲けたるや莫大なものになっている。
 そしてカイルはそれらを全て前金で払っていた。これほど金払いのいい客には愛想がよくなるのも、商人なら当然だろう。
 無論フェスバも、カイルの正体が気にならない訳ではない。
 これまでまったくの無名だったというのに、途方もない資金力を持ち、王女の危機を救い、勲章まで授かっているのだ。
 まるで吟遊詩人の詠う英雄譚サーガの出だしのような活躍ぶりに、好奇心がうずくのも仕方がないと言えよう。

「それでは早速修理やご注文の品をお渡ししますので、こちらへどうぞ」

 だが客の素性をみだりに探る者は、商売人として失格だ。
 今は儲けさせてもらっているだけで充分、この繋がりを大事にすべきと、フェスバは客の中でも特別な相手に対応するときに使う部屋がある二階へと案内する。


 カイルは修理されたレザーアーマーを受け取ると、試着して感触を確かめる。
 ウルザやリーゼも魔法薬や魔石の種類や数を確認している。一方、シルドニアは出されたお菓子を機嫌よく食べていた。

「で、俺の剣はどうかな」

 セランが修理に出していた剣を取り、刀身を確かめる。

「はい、細かな傷がありましたが、修復可能な範囲でした。直した職人は、まるで何年も使い込んだ後のようだと申しておりました」

 使用して一月経っていないと伝えたら目を丸くしたものです、とフェスバが笑う。

「まあちょいと酷使したかもな」

 さすがに重装備の近衛騎士を三十人ほど、しかも鎧ごと斬ったとは言えなかった。

「それでこの剣も悪くないんだけど、もうちょっといい剣ないか?」
「申し訳ありません、当店で扱っております剣としましては、これが最高クラスでして……」

 フェスバが本当に申し訳なさそうにセランに言う。
 もっといい剣はないか――これはフェスバがそれこそ日常的に客から投げかけられる言葉だ。己の腕に似合わない武器を手に入れても、振り回されるだけだというのに。
 商人ゆえそういった客であっても、金さえ出されれば売りはする。が、その度に分不相応という言葉が頭の中でちらつく。
 だが物は、商品は嘘をつかない。
 セランの剣の傷み具合からは、持ち主の力量についていけていないというのがはっきりと伝わってきた。
 とはいえフェスバにこれ以上の剣を用意するのは難しい。フェスバは客が本当に求めているものを用意できない商人としての力不足を、心から詫びたのだ。

「そうか……じゃあ当分はこいつで何とかするか」

 しゃあないかとセランは剣を鞘に収める。
 この店で最高品質ということはつまり、金で手に入る品としてはこれ以上のものは中々ないのだと、セランにもわかっていた。
 並の剣ならあの戦いの途中で折れるなり曲がるなりしていただろうが、ちゃんと最後まで持ったのだ。間違っても悪い剣とは言えない。
 だが仮に、セランがシルドニアと同等の剣を持っていればもっと楽に戦えたのもまた事実だった。

「恐れ入ります……お約束はできませんが、あらゆる伝手つてをたどってセラン様に相応ふさわしい剣を探し、仕入れさせていただきますので」
「期待しないで待ってるよ」

 セランが剣を腰に差しながら言った。
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