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1巻
1-3
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「とは言ったものの、どうしたものかな」
あの夕暮れの丘から翌々日の早朝、カイルは机に向かいながら頭を抱えていた。
世界を救う決意こそすれど、具体的な方法が中々思い浮かばないでいたのだ。
まず真っ先に考えたのは、事実を全て話すということ。
自分は四年後からやって来た、三年後には魔族が総攻撃をかけてくるからそれに備えるんだ。そう声を大にして周りに訴えるというものだ。
「……信じてもらえるわけないな。俺だってこうして体験しなきゃ鼻で笑ったろうな」
常識から考えれば、そんなこと起きるはずがない。
信じてもらえないだけならまだしも、狂人として隔離されたり、最悪の場合、人族を混乱させようとしている魔族側への裏切り者として捕らえられ、処刑されるだろう。
それにたとえ何人かに信じてもらっても、少人数にとどまっては意味が無い。
人族全体が警戒するようにならなければ意味が無いのだ。
何故滅亡寸前まで人族が追い込まれたのか、理由は明白だった。
「……とにかく初めの対応が最悪だった。完全に油断して、協力体制もまるでなってなかった」
人族全体の力を合わせることができていれば、勝てた、とはいかないまでも間違いなく互角までは持っていけた。
もし事前に守りを固め、大侵攻に備えることができたら、あの時ほどの被害もなく退けられるだろう。
だが、現状では到底無理だ。
まず人族の中で最大数を誇る人間が一番まとまっていない。各国間での領土問題、経済格差、宗教問題等々……要因を挙げていけばキリがない。
小競り合いも頻繁に起きており、それこそ魔族という共通の敵がいなければ、とっくに大戦争になっていただろう。
他の人族、一般に亜人と言われるエルフやドワーフ達にも根強い種族間の諍いがある。
これを纏め上げるのは容易ではない。
「……いっそ、頻繁に攻めてきていてほしかったぜ。そうすりゃもうちょっと危機感があったろうに」
人族間で争っている場合じゃないと、無理やりにでもまとまっていただろう。
千年は生きると言われているエルフならともかく、人間なら三百年もたてば何世代も代わってしまう。いくら魔族が何千年にもわたる宿敵だとしても、実際にその脅威にさらされなければ警戒感は薄れる。
次の案として考えたのは、今から魔族領に乗り込んで魔王を、正確には三年後に即位する次期魔王を討つというものだ。
大侵攻はあの魔王の手によって推し進められたものだから、これができればおそらく大侵攻そのものが起こらない。
「問題は、間違いなく不可能だということだな」
まず、魔王のことがほとんどわかってない。
かろうじてわかるのは直接対峙した時に見た容姿だけで、その他は名前すら知らない。これでは、敵地の広大な魔族領の中から見つけ出すのは不可能だ。
そもそも魔族側の情報が人族に伝わることはほとんどなく、魔族領で起きていることに干渉する方法が無い。
それにたとえ幸運に幸運が重なって見つけられたとしても、討ち取れるかどうかはまた別問題になる。
魔王城に突入した時、仲間は総勢で百人以上はいた。誰もが人族の精鋭達だったが、魔王の間までたどり着けたのは十人足らず。そして最後まで立っていたのはカイルだけだ。
本当に運が良かったとしか思えない。もう一度やれと言われても絶対に無理という、ぎりぎりの勝利だった。
カイルは大きくため息をついて机に突っ伏した。
「結局俺一人で大侵攻そのものを事前に防ぐってのは間違いなく不可能だな……となるとどうしたものか」
そこで少し考えを変え、現状で何ができるかを考える。
カイルは机の上に置いてある冊子を手に取った。
「俺に有利な点は……まあこれだよな、記憶力が良いほうでよかった」
一番大きいのは、これから起こることを知っている点だろう。
その冊子には、この先四年間の出来事を書いておいた。
無論詳細に記憶していたわけではないが、思い出せるだけでも結構あるものだ。
それを昨日丸一日かけ、とにかくひたすら書き綴ったのだ。
何が何の役に立つかわからないので、各国の情勢や魔族の攻撃方法から天気、印象に残った料理まで思い出せることはとにかく全部。これを有効に活かせば色々なことができるはずだ。
他に役に立ちそうなのは、自分の強さだ。魔王と戦った時のカイルは人族でも最高レベルの魔法剣士だったのだが……
今の自分の幾分細くなった腕を見る。
「ちゃんと確かめてみないとな。体調のほうも気になるし……」
気分転換にもなるな、と壁に立てかけてある剣に目をやった。
「あ、おはようカイル。自分で起きて来るなんて偉いわね」
空腹を覚え台所に向かうと、今日も食事を作りに来てくれていたリーゼが挨拶をしてくる。
「おふぁひょうふぁいるひゃん」
既に食べ始めていたセライアもカイルに笑顔で言う。
「おはよう二人とも。母さん、食べながら喋るのはやめたほうがいいよ」
あと口の周りにジャムがついているからね、と付け加える。
「ほら、冷めちゃうから早く食べて」
リーゼが椅子を引いてカイルを座らせる。
「ありがとう……ってリーゼ、何か昨日から妙に優しくないか?」
カイルは昨日一日部屋にいたのだが、喉は渇いてないか、何か用事はないか、と色々と理由をつけては声をかけてくるのだ。
それだけならいいのだが、普通の優しさではなく労わるというか気遣うというか、まるでお年寄りや子供、病人に対するような優しさだったのが気になった。
「そんなことないわよ。あ、そのパン少し硬いし大きいから切るわね」
喉に詰まらせたら大変だわ、と切り分けるリーゼの姿が、まるで介護する人のように見えたのは気のせいだろうか。
やはりあの決意の後、急にカイルが意識を失ったのを気にしているのかもしれない。
目を覚ますと、心配そうな顔をしたリーゼに急いで大地母神の教会に連れて行かれ、癒しの魔法をかけてもらったのだ。
「ところでカイルちゃん、今日も部屋に閉じ篭るの? 健康に悪いわよ?」
「いやこの後出かける、ちょっと剣の練習をしたい」
母さんにそう言われたらお終いな気がする、とはさすがに口に出さなかった。
「あら、カイルちゃんが剣を振るなんて久しぶりじゃない」
「そうね、自分からなんて珍しいわね。何かあったの?」
二人は不思議そうな顔でカイルを見る。
「ちょっとした気分転換ってやつだよ」
カイルはパンをかじりながら、そういやこの時期剣の練習さぼっていたな、と思い出していた。
街の外れにある遺跡の丘で、カイルは一心不乱に剣を振るっていた。
ただ闇雲に剣を振るのではなく時折フェイントも交ぜ、本気の殺意を込めた一撃を放つ。
かと思えば攻撃を避け、剣で受けるかのような動きをする。
カイルの周りには誰もいない。しかしカイルの目には確かに、明確な殺意を持つ敵が見えていた。
これはカイルが師匠に教えてもらった訓練方法で、幻闘法と言う。
自分に幻影と催眠の魔法をかけ、幻の敵を作り出すというものだ。幻とはいえ敵も黙って斬られるわけではなく、避けるし反撃もしてくる。
慣れた者だと限りなく本物に近い敵を出すことができるので、一人でできる訓練としては効果的と、魔力を持つ者の多くが学んでいる。
大抵の場合はよく知る相手でないと上手くイメージできないが、カイルほどになると一度対峙しただけの相手でもかなり正確に再現できる。
そして今カイルがイメージしている相手は、知る限り最強の敵、魔王だ。
「だめだ、十秒に一回は殺されるな」
しばらく戦った後にカイルは荒い息でそう言うと動きを止めた。同時に幻影の魔王もかき消える。
あの時は曲がりなりにも戦いになっていたが、今の状態だと完全に勝ち目は無い。既に何回殺されたかわからない状態だ。
これは、魔王が強くなったわけではなく、カイルが弱くなったのだ。
(カイルの感覚で言うところの)つい三日前なら、この程度では息切れどころか呼吸一つ乱さなかったのだが、今は剣を振るう速さも身体の動きも、自分のイメージにまるでついていかない。
完全な基礎体力不足。経験と技術自体はそのままなのだが肉体が衰えており、明日には筋肉痛が待っているだろう。
思えば、この頃は無気力な日々を何となく過ごしていて、剣の練習も魔法の勉強もろくにしていなかった。ずいぶん無駄な時間だったものだとカイルは後悔した。
「ならば……【ストレンクス】【ヘイスト】!」
カイルは筋力強化と加速の魔法を自分にかける。
魔法剣士のもっとも基礎となる自己強化の魔法で、身体中を魔力が駆け巡り、飛躍的に身体能力が上がる。
がしかし、
「どういうことだ? 効力が上がっているな」
以前より身体に流れる魔力量が多く感じられ、軽く動いてみても予想以上の効果が見られた。
こうした古代語魔法を使用する際に大事なのは、魔力と魔法制御力の二つだ。
魔力は多ければ多いほど魔法の威力や効力が底上げされ、使用回数も増やせる。
魔法制御力は、魔法の理論を理解し、イメージする力だ。これが高いと、複数の魔法を同時に使う多重魔法や、詠唱や動作などを省略できる無詠唱魔法が使えるようになる。
また攻撃魔法の場合、効果範囲の調整をして広範囲に魔法を放ったり、逆に絞り込んだりもできる。更に消費の効率を上げることもできるため、魔法制御力を上げることでも魔法の使用回数を増やせる。
付け加えると、他の神聖魔法と精霊魔法も魔力についてはほぼ同じ扱いであり、魔法制御力はそれぞれ信仰の力、精霊との親和の力と言い換えられている。
これらは魔法を使う上での基礎でもあり、この値が一定のランクに達すると、上の級の魔法が使えるようになる。要するに魔力が足りない場合はその魔法を『使えない』、魔法制御力が足りない場合は『使いこなせない』のだ。
『使えない』時は発動しないのでまだいいが、『使いこなせない』場合の失敗は暴走となり、炎の魔法なら全身火ダルマ、氷の魔法なら冷凍人間になってしまうこともある。
魔力も魔法制御力も訓練等で多少は伸ばせはするが、特に魔力のほうは先天的な要素が大きいため中々伸ばしづらい。
実際前の世界のカイルにも、精々上級魔法を使えるぐらいの魔力しかなかったのだ。
「けど今なら最上級魔法も使えそうだな」
これまでの戦いでは魔法は補助でしかなく、使っても能力強化や相手の弱体化くらい。あくまでメインは剣だった。
下手に攻撃魔法を使うより、身体強化して斬ったほうが遥かに効率的だったためだが、魔力が上がったなら魔法を主体とした戦いもできるかもしれない。
「原因はわからないが……とりあえず戦いの幅が広がったと思おう」
ひとまず、前向きに考えることにした。
◇◇◇
「いつつ……これだけでもダメか」
試しに軽く動いただけだったのだが、そのくらいの強化にも身体が耐えられないらしい。少し筋を痛めたようで、カイルは足を押さえながら大の字に寝転び、呻く。
「魔力は上がったが、今の身体じゃ耐えられないか……少しずつでも慣らしていくしかないな」
肉体が弱まったのはやはり大きなマイナスで、イメージする剣さばきについていけていない。
とにかく肉体も技術も魔法もアンバランスなのだ。
だが魔力が上がった分、逆に伸びしろは増えた。
このまま鍛えればかならず全盛期、つまり三日前よりも遥かに強くなれると確信できた。
「あの時より強くか……」
全てを失ったあの大侵攻からの一年は、まさに死に物狂いだった。
戦わねば、勝たねば死ぬという状況の中、ただひたすら生き延びるために、あらゆる手段で強くなり続け、気づけば人族で最強の魔法戦士と言われるようになっていたのだ。
だがその代償は大きかった。禁じられた強化魔法や秘薬を使い、無茶な強化を繰り返した結果、身体はボロボロに。おそらくどんなに安静にしても、あと十年ともたなかっただろう。
「強くなりつつ健康で……幸せな老後を送ってやる!」
カイルの人生の最終目標が決まった。
「ささやかなのか大きいのかわからん目標だな?」
突然近くから聞こえた声に、寝転んでいたカイルが跳ね起きる。
気配もなく近づいてきたのは、健康的な日焼けをした三十歳ぐらいの大柄な女性。使い込んだ軽鎧を装備して、背中に両手剣を背負っている。
整った顔立ちだが、下手に手を出せば噛み砕かれるような、猫科の大型肉食獣を思わせる野性的な美しさだ。カイルの母セライアと同年代のはずだが、別の意味で若々しい。
「し、師匠!? いつの間に……」
彼女の名はレイラと言い、カイルの剣の師匠で元剣闘士、そしてセランの養母でもあった。
剣闘士とは人間同士や他の人族、あるいは魔法生物や、魔獣と言われる人に害を成す凶暴な獣を相手に、闘技場で観客に見られながら戦う、いわば見世物の闘いをする者達のことを言う。
危険だがその分見返りも大きく、莫大な富と名声が手に入る。
レイラはこの大陸で最大の闘技場があるガルガン帝国の首都ルオスで、他の剣闘士が怪我や死によって次々と脱落していく中、五年間無敗の王者として君臨した伝説を持つ。
十年前に引退した後は、人間関係がわずらわしくなったとかで旧知のセライアを頼ってこのリマーゼに来たのだ。その際恩人の遺児であったセランを引き取ったと、カイルは聞いている。
彼女には放浪癖があり、時々ふらっといなくなる。今も汚れた旅装束のままで、放浪から帰ったばかりというのが見て取れる。
「い、いつから見てたんだよ」
「お前が六回は殺されるのを見たかな? それより相手はどんなバケモンだよ。実戦ならお前じゃ五秒でバラバラにされちまうだろ」
「……なんとか平均十秒はもたせたよ」
どうやらレイラには、カイルの戦っていた相手がおぼろげながら見えたようだ。
「強い敵に挑むのはいいが、実力差がありすぎると意味がないよ……っていうか今の相手はどこかで会ったのか? かなり詳細に再現してたようだけど」
「……想像だよ、思いつく限り一番強い敵をイメージしたんだ。それよりちょっと聞きたいのだけど、師匠なら今の敵にどう挑む?」
「あたしかい? そうだね……捨て身で踏み込んで、腕か足の一本を犠牲にして間合いに入る。そこで渾身の一撃を打ち込んで……それで倒せなきゃこっちの負けだね」
「そっか……そうなるか、やっぱり」
それはまさにカイルが魔王を倒した時の方法だ。師匠と弟子で似るのかな、と苦笑する。
「それにしても、あたしがいなくても練習しているなんて感心じゃないか。お前はこのあたしが唯一教えてもいいと思ったぐらいに才能があるんだ、もったいないからね」
カイルは、おそらくは世界でも有数の剣の使い手であるレイラから『百年に一人の天才』と言われるほど剣の才能があった。
事実レイラから剣を教えてもらってから、急激に腕が上がったものだ。
だが当時のカイルからはやる気が見られなかったので、出来のいい弟子ではないとも言われていた。
「セランにも教えているじゃないか」
「あれは一応息子だから仕方なく、嫌々でだ。さもなきゃあんなバカ、関わりたくもないね」
レイラはよく言っていた。カイルは駄目な弟子、セランは最悪な弟子と。
「それにしてもカイル、ほんとに腕上げたね」
身体能力はレイラが旅に出る前に見た時とほとんど変わってないが、まるで何年も実戦を重ねたように技術が跳ね上がっていることにレイラは驚いていた。
そして何より違うのは心構えだ。
野原でのんきに腹を出して寝ている子犬のようだったのが、ちょっと目を放した隙に狼どころか獅子といってもいいくらいに成長している。
「魔法のほうも上達しているようだし、何より身にまとっている雰囲気が段違いだ……何かあったのかい?」
カンのするどいこの人相手に誤魔化すのはまずい、と判断したカイルは事実を少しはぐらかしながら言う。
「ちょっとした心境の変化があっただけだよ。これからは真面目に剣と魔法に励もうと思う」
これから何をするにしても、強くなればなるほどできることは増えるはずだ。
「……お前、気持ち悪いくらい変わったね」
本当に気持ち悪そうな顔をするレイラ。
「弟子の成長は素直に喜んでほしいのだが」
「よく一皮剥けるって言うけど、今のあんたは四、五回くらいは剥けた感じだね……でも、本当に心境の変化だけか? 他に何か理由がありそうだけど」
「何もないよ……ただ強くなりたい、そう心から思っただけさ」
剣を握り締め、決意を固めるカイル。
「……何か悪いものでも食べたのかい? 大丈夫か?」
「本気で心配そうな顔はやめてくれ。さすがにちょっと傷つく」
「一体どうしたんだろうな、あいつ」
「ほんと、らしくないのよね」
カイルのいる場所から少し離れた林の茂みに隠れながら、セランとリーゼが二人の様子を見ていた。
リーゼは出かけていったカイルが気になって後をつけ、途中で暇そうにしていたセランも合流して一緒にここまで来たのだ。
そして熱心に剣を振るうカイルに声をかけるのをためらい、こうして覗き見をしている。
「どうやらお袋もカイルの様子が変だって気づいたようだな。しかしあいつ、いつの間にあんなに腕上げたんだ?」
セランがカイルの剣の練習を見たのは久しぶりだが、ここまでの腕前になっているとは夢にも思わなかった。
「短期間であんなに変わるものか? ……けど何かが化けてるとかとり憑いたとかって感じじゃなくて、カイル本人であるのは間違いないんだよな」
長年の付き合いだからこそ、本人であるという確信は持てたが、一方で言葉にできない違和感も覚えていた。
「うん、根本は変わってないのだけど何かこう……まるで何年も会ってなかったような変化を感じるのよね」
初めは自分が殴ったせいかと思ったが、今朝まで様子を見たところではどうもあれが原因ではなさそうだった。
「三日前に俺と一緒にアリの巣に立ちションしながら『洪水だぞ~』と言っていた奴と同一人物とは思えないな」
「本当に碌なことしてないんだな、お前らは」
カイルと別れたレイラが二人の元へとやってきて、呆れた声を出す。
「よう、お袋。やっぱりこっちに気づいてたか」
「お帰りなさいレイラさん」
「はいよ、ただいまリーゼちゃん。あんたぐらいだね、ちゃんと挨拶してくれるのは」
「また死にぞこなって戻ってきたのか」
「あんたこそくたばってなかったようね、バカ息子。ちゃんと言いつけ通り自活してた? リーゼちゃんに迷惑かけなかったろうね?」
「毎日のようにたかりに来てました」
リーゼが素直に報告する。
「てめ、早速ばらすな!」
「まあそこらへんは後でゆっくり聞くけど……それよりカイルの奴どうしたんだい? 様子が変なんだよね」
二人も気になってるからこうして見てたんだろ? とレイラが言うと、リーゼとセランもうなずいて続ける。
「そ、そうなんです! いつも死んだ魚のような目をしていたカイルが、何か目標を持っているような……やる気に満ちてるの! 気持ち悪いぐらいに!」
「将来の夢は親の遺産で遊んで暮らす生活、と堂々と言っていた奴とは思えないぐらい前向きっぽくて気持ち悪いんだ」
「あんた達がカイルをどういう風に見てたかはわかったけど……と言うことは、結局二人もカイルが変わった理由は知らないのか」
二人なら何か知っているかも思っていたレイラだが、当てが外れた。
「ああ、一昨日の朝あたりから急に態度が変わってな。何があったか知らないし、聞いてもはぐらかされちまう。まったく親友の俺にまで話さないなんて」
「う~ん、あれぐらいのガキが、がらっと変わっちまうきっかけと言えば……」
レイラが腕を組みながら考え、何か思いついたかのようにポンと手を叩く。
「さては女ができたかな?」
「なにぃ!?」
「!?」
セランが絶叫し、リーゼは固まる。
「より正確には女を知った、かな。色気づいたか? あのガキがねえ」
レイラからしてみれば、小さい頃から知っている息子同然のカイルだ。何と無くにやけてくる。
だが幼馴染二人はそれどころではなかった。
「くそ! 一人だけいい思いしやがって、俺を差し置いて自分だけ……ぜったい許さん!」
拳を握り締めて怒りに燃えるセラン。
「さっき親友って言ってなかったか?」
「何事にも例外はある! 先に『卒業』した幼馴染なんざ親の仇よりも憎いわ!」
やだね男の嫉妬は、と思いつつレイラは当然の疑問を口にする。
「しかしそうなると相手は誰かな?」
「そう言われれば誰だ? 最有力候補は今のを聞いて完全に固まっているところをみると違うようだし……自慢じゃないが、俺やカイルに好意持ってる女の子なんてこの街にはいないぞ」
セランがいまだに固まったままのリーゼを見ながら言う。
「ほんとに自慢にならないね」
「でもまあ、確かにそれぐらいしかあいつが変わっちまう理由なんて無いよな。ちきしょう、ほんと相手は誰だ……」
すると、それまで黙っていたリーゼがゆらりと動き出した。
声をかけようとしたセランをレイラが止める。
「……命が惜しかったら止めないほうがいいわよ」
「背中からあふれ出る闘志がはんぱねえ……」
セランは自然と流れ出た汗を拭いながら、カイルの元へ向かうリーゼの背中を見送った。
あの夕暮れの丘から翌々日の早朝、カイルは机に向かいながら頭を抱えていた。
世界を救う決意こそすれど、具体的な方法が中々思い浮かばないでいたのだ。
まず真っ先に考えたのは、事実を全て話すということ。
自分は四年後からやって来た、三年後には魔族が総攻撃をかけてくるからそれに備えるんだ。そう声を大にして周りに訴えるというものだ。
「……信じてもらえるわけないな。俺だってこうして体験しなきゃ鼻で笑ったろうな」
常識から考えれば、そんなこと起きるはずがない。
信じてもらえないだけならまだしも、狂人として隔離されたり、最悪の場合、人族を混乱させようとしている魔族側への裏切り者として捕らえられ、処刑されるだろう。
それにたとえ何人かに信じてもらっても、少人数にとどまっては意味が無い。
人族全体が警戒するようにならなければ意味が無いのだ。
何故滅亡寸前まで人族が追い込まれたのか、理由は明白だった。
「……とにかく初めの対応が最悪だった。完全に油断して、協力体制もまるでなってなかった」
人族全体の力を合わせることができていれば、勝てた、とはいかないまでも間違いなく互角までは持っていけた。
もし事前に守りを固め、大侵攻に備えることができたら、あの時ほどの被害もなく退けられるだろう。
だが、現状では到底無理だ。
まず人族の中で最大数を誇る人間が一番まとまっていない。各国間での領土問題、経済格差、宗教問題等々……要因を挙げていけばキリがない。
小競り合いも頻繁に起きており、それこそ魔族という共通の敵がいなければ、とっくに大戦争になっていただろう。
他の人族、一般に亜人と言われるエルフやドワーフ達にも根強い種族間の諍いがある。
これを纏め上げるのは容易ではない。
「……いっそ、頻繁に攻めてきていてほしかったぜ。そうすりゃもうちょっと危機感があったろうに」
人族間で争っている場合じゃないと、無理やりにでもまとまっていただろう。
千年は生きると言われているエルフならともかく、人間なら三百年もたてば何世代も代わってしまう。いくら魔族が何千年にもわたる宿敵だとしても、実際にその脅威にさらされなければ警戒感は薄れる。
次の案として考えたのは、今から魔族領に乗り込んで魔王を、正確には三年後に即位する次期魔王を討つというものだ。
大侵攻はあの魔王の手によって推し進められたものだから、これができればおそらく大侵攻そのものが起こらない。
「問題は、間違いなく不可能だということだな」
まず、魔王のことがほとんどわかってない。
かろうじてわかるのは直接対峙した時に見た容姿だけで、その他は名前すら知らない。これでは、敵地の広大な魔族領の中から見つけ出すのは不可能だ。
そもそも魔族側の情報が人族に伝わることはほとんどなく、魔族領で起きていることに干渉する方法が無い。
それにたとえ幸運に幸運が重なって見つけられたとしても、討ち取れるかどうかはまた別問題になる。
魔王城に突入した時、仲間は総勢で百人以上はいた。誰もが人族の精鋭達だったが、魔王の間までたどり着けたのは十人足らず。そして最後まで立っていたのはカイルだけだ。
本当に運が良かったとしか思えない。もう一度やれと言われても絶対に無理という、ぎりぎりの勝利だった。
カイルは大きくため息をついて机に突っ伏した。
「結局俺一人で大侵攻そのものを事前に防ぐってのは間違いなく不可能だな……となるとどうしたものか」
そこで少し考えを変え、現状で何ができるかを考える。
カイルは机の上に置いてある冊子を手に取った。
「俺に有利な点は……まあこれだよな、記憶力が良いほうでよかった」
一番大きいのは、これから起こることを知っている点だろう。
その冊子には、この先四年間の出来事を書いておいた。
無論詳細に記憶していたわけではないが、思い出せるだけでも結構あるものだ。
それを昨日丸一日かけ、とにかくひたすら書き綴ったのだ。
何が何の役に立つかわからないので、各国の情勢や魔族の攻撃方法から天気、印象に残った料理まで思い出せることはとにかく全部。これを有効に活かせば色々なことができるはずだ。
他に役に立ちそうなのは、自分の強さだ。魔王と戦った時のカイルは人族でも最高レベルの魔法剣士だったのだが……
今の自分の幾分細くなった腕を見る。
「ちゃんと確かめてみないとな。体調のほうも気になるし……」
気分転換にもなるな、と壁に立てかけてある剣に目をやった。
「あ、おはようカイル。自分で起きて来るなんて偉いわね」
空腹を覚え台所に向かうと、今日も食事を作りに来てくれていたリーゼが挨拶をしてくる。
「おふぁひょうふぁいるひゃん」
既に食べ始めていたセライアもカイルに笑顔で言う。
「おはよう二人とも。母さん、食べながら喋るのはやめたほうがいいよ」
あと口の周りにジャムがついているからね、と付け加える。
「ほら、冷めちゃうから早く食べて」
リーゼが椅子を引いてカイルを座らせる。
「ありがとう……ってリーゼ、何か昨日から妙に優しくないか?」
カイルは昨日一日部屋にいたのだが、喉は渇いてないか、何か用事はないか、と色々と理由をつけては声をかけてくるのだ。
それだけならいいのだが、普通の優しさではなく労わるというか気遣うというか、まるでお年寄りや子供、病人に対するような優しさだったのが気になった。
「そんなことないわよ。あ、そのパン少し硬いし大きいから切るわね」
喉に詰まらせたら大変だわ、と切り分けるリーゼの姿が、まるで介護する人のように見えたのは気のせいだろうか。
やはりあの決意の後、急にカイルが意識を失ったのを気にしているのかもしれない。
目を覚ますと、心配そうな顔をしたリーゼに急いで大地母神の教会に連れて行かれ、癒しの魔法をかけてもらったのだ。
「ところでカイルちゃん、今日も部屋に閉じ篭るの? 健康に悪いわよ?」
「いやこの後出かける、ちょっと剣の練習をしたい」
母さんにそう言われたらお終いな気がする、とはさすがに口に出さなかった。
「あら、カイルちゃんが剣を振るなんて久しぶりじゃない」
「そうね、自分からなんて珍しいわね。何かあったの?」
二人は不思議そうな顔でカイルを見る。
「ちょっとした気分転換ってやつだよ」
カイルはパンをかじりながら、そういやこの時期剣の練習さぼっていたな、と思い出していた。
街の外れにある遺跡の丘で、カイルは一心不乱に剣を振るっていた。
ただ闇雲に剣を振るのではなく時折フェイントも交ぜ、本気の殺意を込めた一撃を放つ。
かと思えば攻撃を避け、剣で受けるかのような動きをする。
カイルの周りには誰もいない。しかしカイルの目には確かに、明確な殺意を持つ敵が見えていた。
これはカイルが師匠に教えてもらった訓練方法で、幻闘法と言う。
自分に幻影と催眠の魔法をかけ、幻の敵を作り出すというものだ。幻とはいえ敵も黙って斬られるわけではなく、避けるし反撃もしてくる。
慣れた者だと限りなく本物に近い敵を出すことができるので、一人でできる訓練としては効果的と、魔力を持つ者の多くが学んでいる。
大抵の場合はよく知る相手でないと上手くイメージできないが、カイルほどになると一度対峙しただけの相手でもかなり正確に再現できる。
そして今カイルがイメージしている相手は、知る限り最強の敵、魔王だ。
「だめだ、十秒に一回は殺されるな」
しばらく戦った後にカイルは荒い息でそう言うと動きを止めた。同時に幻影の魔王もかき消える。
あの時は曲がりなりにも戦いになっていたが、今の状態だと完全に勝ち目は無い。既に何回殺されたかわからない状態だ。
これは、魔王が強くなったわけではなく、カイルが弱くなったのだ。
(カイルの感覚で言うところの)つい三日前なら、この程度では息切れどころか呼吸一つ乱さなかったのだが、今は剣を振るう速さも身体の動きも、自分のイメージにまるでついていかない。
完全な基礎体力不足。経験と技術自体はそのままなのだが肉体が衰えており、明日には筋肉痛が待っているだろう。
思えば、この頃は無気力な日々を何となく過ごしていて、剣の練習も魔法の勉強もろくにしていなかった。ずいぶん無駄な時間だったものだとカイルは後悔した。
「ならば……【ストレンクス】【ヘイスト】!」
カイルは筋力強化と加速の魔法を自分にかける。
魔法剣士のもっとも基礎となる自己強化の魔法で、身体中を魔力が駆け巡り、飛躍的に身体能力が上がる。
がしかし、
「どういうことだ? 効力が上がっているな」
以前より身体に流れる魔力量が多く感じられ、軽く動いてみても予想以上の効果が見られた。
こうした古代語魔法を使用する際に大事なのは、魔力と魔法制御力の二つだ。
魔力は多ければ多いほど魔法の威力や効力が底上げされ、使用回数も増やせる。
魔法制御力は、魔法の理論を理解し、イメージする力だ。これが高いと、複数の魔法を同時に使う多重魔法や、詠唱や動作などを省略できる無詠唱魔法が使えるようになる。
また攻撃魔法の場合、効果範囲の調整をして広範囲に魔法を放ったり、逆に絞り込んだりもできる。更に消費の効率を上げることもできるため、魔法制御力を上げることでも魔法の使用回数を増やせる。
付け加えると、他の神聖魔法と精霊魔法も魔力についてはほぼ同じ扱いであり、魔法制御力はそれぞれ信仰の力、精霊との親和の力と言い換えられている。
これらは魔法を使う上での基礎でもあり、この値が一定のランクに達すると、上の級の魔法が使えるようになる。要するに魔力が足りない場合はその魔法を『使えない』、魔法制御力が足りない場合は『使いこなせない』のだ。
『使えない』時は発動しないのでまだいいが、『使いこなせない』場合の失敗は暴走となり、炎の魔法なら全身火ダルマ、氷の魔法なら冷凍人間になってしまうこともある。
魔力も魔法制御力も訓練等で多少は伸ばせはするが、特に魔力のほうは先天的な要素が大きいため中々伸ばしづらい。
実際前の世界のカイルにも、精々上級魔法を使えるぐらいの魔力しかなかったのだ。
「けど今なら最上級魔法も使えそうだな」
これまでの戦いでは魔法は補助でしかなく、使っても能力強化や相手の弱体化くらい。あくまでメインは剣だった。
下手に攻撃魔法を使うより、身体強化して斬ったほうが遥かに効率的だったためだが、魔力が上がったなら魔法を主体とした戦いもできるかもしれない。
「原因はわからないが……とりあえず戦いの幅が広がったと思おう」
ひとまず、前向きに考えることにした。
◇◇◇
「いつつ……これだけでもダメか」
試しに軽く動いただけだったのだが、そのくらいの強化にも身体が耐えられないらしい。少し筋を痛めたようで、カイルは足を押さえながら大の字に寝転び、呻く。
「魔力は上がったが、今の身体じゃ耐えられないか……少しずつでも慣らしていくしかないな」
肉体が弱まったのはやはり大きなマイナスで、イメージする剣さばきについていけていない。
とにかく肉体も技術も魔法もアンバランスなのだ。
だが魔力が上がった分、逆に伸びしろは増えた。
このまま鍛えればかならず全盛期、つまり三日前よりも遥かに強くなれると確信できた。
「あの時より強くか……」
全てを失ったあの大侵攻からの一年は、まさに死に物狂いだった。
戦わねば、勝たねば死ぬという状況の中、ただひたすら生き延びるために、あらゆる手段で強くなり続け、気づけば人族で最強の魔法戦士と言われるようになっていたのだ。
だがその代償は大きかった。禁じられた強化魔法や秘薬を使い、無茶な強化を繰り返した結果、身体はボロボロに。おそらくどんなに安静にしても、あと十年ともたなかっただろう。
「強くなりつつ健康で……幸せな老後を送ってやる!」
カイルの人生の最終目標が決まった。
「ささやかなのか大きいのかわからん目標だな?」
突然近くから聞こえた声に、寝転んでいたカイルが跳ね起きる。
気配もなく近づいてきたのは、健康的な日焼けをした三十歳ぐらいの大柄な女性。使い込んだ軽鎧を装備して、背中に両手剣を背負っている。
整った顔立ちだが、下手に手を出せば噛み砕かれるような、猫科の大型肉食獣を思わせる野性的な美しさだ。カイルの母セライアと同年代のはずだが、別の意味で若々しい。
「し、師匠!? いつの間に……」
彼女の名はレイラと言い、カイルの剣の師匠で元剣闘士、そしてセランの養母でもあった。
剣闘士とは人間同士や他の人族、あるいは魔法生物や、魔獣と言われる人に害を成す凶暴な獣を相手に、闘技場で観客に見られながら戦う、いわば見世物の闘いをする者達のことを言う。
危険だがその分見返りも大きく、莫大な富と名声が手に入る。
レイラはこの大陸で最大の闘技場があるガルガン帝国の首都ルオスで、他の剣闘士が怪我や死によって次々と脱落していく中、五年間無敗の王者として君臨した伝説を持つ。
十年前に引退した後は、人間関係がわずらわしくなったとかで旧知のセライアを頼ってこのリマーゼに来たのだ。その際恩人の遺児であったセランを引き取ったと、カイルは聞いている。
彼女には放浪癖があり、時々ふらっといなくなる。今も汚れた旅装束のままで、放浪から帰ったばかりというのが見て取れる。
「い、いつから見てたんだよ」
「お前が六回は殺されるのを見たかな? それより相手はどんなバケモンだよ。実戦ならお前じゃ五秒でバラバラにされちまうだろ」
「……なんとか平均十秒はもたせたよ」
どうやらレイラには、カイルの戦っていた相手がおぼろげながら見えたようだ。
「強い敵に挑むのはいいが、実力差がありすぎると意味がないよ……っていうか今の相手はどこかで会ったのか? かなり詳細に再現してたようだけど」
「……想像だよ、思いつく限り一番強い敵をイメージしたんだ。それよりちょっと聞きたいのだけど、師匠なら今の敵にどう挑む?」
「あたしかい? そうだね……捨て身で踏み込んで、腕か足の一本を犠牲にして間合いに入る。そこで渾身の一撃を打ち込んで……それで倒せなきゃこっちの負けだね」
「そっか……そうなるか、やっぱり」
それはまさにカイルが魔王を倒した時の方法だ。師匠と弟子で似るのかな、と苦笑する。
「それにしても、あたしがいなくても練習しているなんて感心じゃないか。お前はこのあたしが唯一教えてもいいと思ったぐらいに才能があるんだ、もったいないからね」
カイルは、おそらくは世界でも有数の剣の使い手であるレイラから『百年に一人の天才』と言われるほど剣の才能があった。
事実レイラから剣を教えてもらってから、急激に腕が上がったものだ。
だが当時のカイルからはやる気が見られなかったので、出来のいい弟子ではないとも言われていた。
「セランにも教えているじゃないか」
「あれは一応息子だから仕方なく、嫌々でだ。さもなきゃあんなバカ、関わりたくもないね」
レイラはよく言っていた。カイルは駄目な弟子、セランは最悪な弟子と。
「それにしてもカイル、ほんとに腕上げたね」
身体能力はレイラが旅に出る前に見た時とほとんど変わってないが、まるで何年も実戦を重ねたように技術が跳ね上がっていることにレイラは驚いていた。
そして何より違うのは心構えだ。
野原でのんきに腹を出して寝ている子犬のようだったのが、ちょっと目を放した隙に狼どころか獅子といってもいいくらいに成長している。
「魔法のほうも上達しているようだし、何より身にまとっている雰囲気が段違いだ……何かあったのかい?」
カンのするどいこの人相手に誤魔化すのはまずい、と判断したカイルは事実を少しはぐらかしながら言う。
「ちょっとした心境の変化があっただけだよ。これからは真面目に剣と魔法に励もうと思う」
これから何をするにしても、強くなればなるほどできることは増えるはずだ。
「……お前、気持ち悪いくらい変わったね」
本当に気持ち悪そうな顔をするレイラ。
「弟子の成長は素直に喜んでほしいのだが」
「よく一皮剥けるって言うけど、今のあんたは四、五回くらいは剥けた感じだね……でも、本当に心境の変化だけか? 他に何か理由がありそうだけど」
「何もないよ……ただ強くなりたい、そう心から思っただけさ」
剣を握り締め、決意を固めるカイル。
「……何か悪いものでも食べたのかい? 大丈夫か?」
「本気で心配そうな顔はやめてくれ。さすがにちょっと傷つく」
「一体どうしたんだろうな、あいつ」
「ほんと、らしくないのよね」
カイルのいる場所から少し離れた林の茂みに隠れながら、セランとリーゼが二人の様子を見ていた。
リーゼは出かけていったカイルが気になって後をつけ、途中で暇そうにしていたセランも合流して一緒にここまで来たのだ。
そして熱心に剣を振るうカイルに声をかけるのをためらい、こうして覗き見をしている。
「どうやらお袋もカイルの様子が変だって気づいたようだな。しかしあいつ、いつの間にあんなに腕上げたんだ?」
セランがカイルの剣の練習を見たのは久しぶりだが、ここまでの腕前になっているとは夢にも思わなかった。
「短期間であんなに変わるものか? ……けど何かが化けてるとかとり憑いたとかって感じじゃなくて、カイル本人であるのは間違いないんだよな」
長年の付き合いだからこそ、本人であるという確信は持てたが、一方で言葉にできない違和感も覚えていた。
「うん、根本は変わってないのだけど何かこう……まるで何年も会ってなかったような変化を感じるのよね」
初めは自分が殴ったせいかと思ったが、今朝まで様子を見たところではどうもあれが原因ではなさそうだった。
「三日前に俺と一緒にアリの巣に立ちションしながら『洪水だぞ~』と言っていた奴と同一人物とは思えないな」
「本当に碌なことしてないんだな、お前らは」
カイルと別れたレイラが二人の元へとやってきて、呆れた声を出す。
「よう、お袋。やっぱりこっちに気づいてたか」
「お帰りなさいレイラさん」
「はいよ、ただいまリーゼちゃん。あんたぐらいだね、ちゃんと挨拶してくれるのは」
「また死にぞこなって戻ってきたのか」
「あんたこそくたばってなかったようね、バカ息子。ちゃんと言いつけ通り自活してた? リーゼちゃんに迷惑かけなかったろうね?」
「毎日のようにたかりに来てました」
リーゼが素直に報告する。
「てめ、早速ばらすな!」
「まあそこらへんは後でゆっくり聞くけど……それよりカイルの奴どうしたんだい? 様子が変なんだよね」
二人も気になってるからこうして見てたんだろ? とレイラが言うと、リーゼとセランもうなずいて続ける。
「そ、そうなんです! いつも死んだ魚のような目をしていたカイルが、何か目標を持っているような……やる気に満ちてるの! 気持ち悪いぐらいに!」
「将来の夢は親の遺産で遊んで暮らす生活、と堂々と言っていた奴とは思えないぐらい前向きっぽくて気持ち悪いんだ」
「あんた達がカイルをどういう風に見てたかはわかったけど……と言うことは、結局二人もカイルが変わった理由は知らないのか」
二人なら何か知っているかも思っていたレイラだが、当てが外れた。
「ああ、一昨日の朝あたりから急に態度が変わってな。何があったか知らないし、聞いてもはぐらかされちまう。まったく親友の俺にまで話さないなんて」
「う~ん、あれぐらいのガキが、がらっと変わっちまうきっかけと言えば……」
レイラが腕を組みながら考え、何か思いついたかのようにポンと手を叩く。
「さては女ができたかな?」
「なにぃ!?」
「!?」
セランが絶叫し、リーゼは固まる。
「より正確には女を知った、かな。色気づいたか? あのガキがねえ」
レイラからしてみれば、小さい頃から知っている息子同然のカイルだ。何と無くにやけてくる。
だが幼馴染二人はそれどころではなかった。
「くそ! 一人だけいい思いしやがって、俺を差し置いて自分だけ……ぜったい許さん!」
拳を握り締めて怒りに燃えるセラン。
「さっき親友って言ってなかったか?」
「何事にも例外はある! 先に『卒業』した幼馴染なんざ親の仇よりも憎いわ!」
やだね男の嫉妬は、と思いつつレイラは当然の疑問を口にする。
「しかしそうなると相手は誰かな?」
「そう言われれば誰だ? 最有力候補は今のを聞いて完全に固まっているところをみると違うようだし……自慢じゃないが、俺やカイルに好意持ってる女の子なんてこの街にはいないぞ」
セランがいまだに固まったままのリーゼを見ながら言う。
「ほんとに自慢にならないね」
「でもまあ、確かにそれぐらいしかあいつが変わっちまう理由なんて無いよな。ちきしょう、ほんと相手は誰だ……」
すると、それまで黙っていたリーゼがゆらりと動き出した。
声をかけようとしたセランをレイラが止める。
「……命が惜しかったら止めないほうがいいわよ」
「背中からあふれ出る闘志がはんぱねえ……」
セランは自然と流れ出た汗を拭いながら、カイルの元へ向かうリーゼの背中を見送った。
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