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第20話 リリース(2)原因不明
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「おかしなところはないですね」
「ありませんね」
一通り確認したあと、原因不明、という結論に達した。
「うちじゃないかもしれないですよ」
奥田が早苗を振り向いて言った。
「対向先の問題ってことですか?」
「可能性としてはあり得ます」
「いやでもそれで連絡して、やっぱりこっちのせいだったってなったら……」
「ですが、繋がらないと他の作業が進みませんよ」
「うーん……」
接続先の方に問題があって繋がらないのだとしたら、それを確認してもらわなければならない。
だが、早苗たちが直接連絡することはできなかった。別のシステムだ。確認してもらうには顧客に間に入ってもらわなければならない。
疑っておいて、やはり早苗たちのシステムのせいだとわかったら、顧客にも相手にも迷惑がかかってしまう。
早苗は迷った後、決めた。
報告連絡相談は早くすべきだ。
あとで平謝りすることになろうとも、リリースに間に合わなくなるよりずっといい。
「奥田さん、影響がない作業をリストアップして、スケジュールを組み直して下さい。他の人は今やっている作業の区切りがついたら、エラーの解析をお願いします。私は課長に報告してきます」
まずは課長に報告だ。
どのみち課長は早苗の判断を支持するだろうが、責任者である課長の承認なしに勝手なことはできない。
リリースという大きなイベントなので、普段は早苗に任せっきりの課長も、さすがに今日は夜勤をしている。
早苗は虹彩認証をして高セキュリティ区画を出、課長の席へと向かった。
「トラブル発生です。対向先との接続にエラーが出ました。原因は不明ですが、今のところこちらに問題は見つかっていません。対向先に原因があるかもしれません」
「確定ではないんだな?」
「はい。可能性、というだけです。ですが、このままだとリリース失敗の恐れがあります。お客様に確認して頂くべきだと思います」
「仕方ないか……。連絡しよう」
「わかりました」
課長の承認を受けて、早苗は自席に戻る。
まずは顧客宛にメールだ。
件名の最初に【トラブル第1報】とつけ、起こったこと、確認した内容、原因と思われることを詳細に記す。
一応、情報共有の意味で、営業部隊も宛先に含めた。
送信した後、担当者の川口へと電話をかける。当然、川口も早苗たち同様に夜勤をしていた。
「お世話になっております。皆瀬です。作業中にトラブルが発生しました。今メールをお送りしましたが――」
早苗は向こうがメールを見ているのを確認してから説明した。
文章を見ながらの方が、内容が頭に入りやすい。
「……わかりました。こちらから対向先に連絡します。オンライン会議の招待メールを送りますので、ご準備をお願いします」
「承知しました」
川口は一度難色を示したが、早苗の説得に応じてくれ、三者でオンライン会議をすることを約束してくれた。
早苗はオフィスの窓際にある会議卓のディスプレイにノートパソコンを繋ぎ、オンライン会議の準備をする。
そこへ、リリースのスケジュールを手書きで直した紙を持って、奥田がやってきた。
「スケジュール組み直しました。確認お願いします」
早苗はそこにさっと目を通す。エラーの出た作業とは関係のない作業を先行するようになっていた。
「確認しました。私はこれからオンライン会議があるので、統制お願いします」
「わかりました」
スケジュール表を返すと、奥田は高セキュリティルームと戻って行った。
本当は社員ではない協力会社の人間に統制させるのは良くないし、できることなら奥田には会議に一緒に参加して欲しい。
だが、他にできる人がいなかった。奥田ならば安心して任せることができる。
と、そこへ、バタバタと走り寄ってくる人物がいた。
「先輩っ」
「桜木くん!? なんでいるの?」
「メール見ました」
「そうじゃなくて、なんでこんな時間にまだ残ってるのって」
「担当してるプロジェクトなので、一応俺も夜勤してたんです。何かあったときのために」
「うっそ」
すごい。普通営業はそこまでしない。役割が違うのだ。
「俺にできることはありませんか」
「できることって言っても……桜木くんはセキュリティルームに入れないでしょ。虹彩登録してないもん」
たとえ入れたとしても、指紋を登録していないからパソコンも触れないし、三年以上も開発のブランクがある桜木に、いきなり本番環境を触らせるわけにはいかない。
「ですけど、何か他に」
「他にって言われても……」
早苗は今繋いだノートパソコンを見る。
オンライン会議に出てもらっても、技術的な内容になるだろうから、営業の出る幕はない。
「会議するなら、議事録書きましょうか」
「あ、そうだね。うん。それは助かる」
早苗は桜木に議事録作成を任せることにした。
話についてくることはできるはずだ。わからなかった所は後で早苗が補完すればいい。
オンライン会議のツールには、音声解析で自動で発言を記録する機能もあるにはあるが、まだまだ実用できるほどではなく、議事録を取ってくれるのはありがたい。
ピロン――。
ノートパソコンの右下に、メールを受信した知らせが表示された。川口からのオンライン会議の招待状だった。
顧客の意向で打ち合わせがある時は直接訪問することが多いが、緊急時にはこうやってオンラインの会議が開かれるし、リモートワークをしている時や、社内の他の拠点との会議の時もよく使っている。オンライン会議ツールは今や必需品だ。
早苗は手慣れた手つきで顧客の開いた会議室にアクセスした。
「お世話になっております。皆瀬入りました」
早苗は自分の名前だけを告げた。発言をしない桜木は、カメラに映らない席に座っている。
「お世話になっております。川口です」
すぐに対向先のシステムも入ってきて、カメラとマイク・スピーカーが接続されていることを確認し、三者での会議は始まった。
資料を準備する時間がなかったので、早苗は送ったメールの文面と、会議ツール上のホワイトボード機能を利用して説明した。「繋ごうとしたらエラーが出て繋がらなかった。確認したけど原因が見当たらない」が言いたいことの全てだ。
しばらく互いに技術的な見解のやり取りが行われた。
言いたいことはほとんど全て川口が言ってくれて、早苗の出る幕はなかった。
早苗が口を挟んで補足しなければならないような、複雑な箇所ではない。
なのに、それだと思える原因が出てこない。
「本当にうちなんですかね? そちらのシステムの問題じゃないですか?」
相手に懐疑的に言われて、聞き役に徹していた早苗は言葉に詰まった。
システム間のやり取りがあるから、相手方とはまったくの初対面ではない。だが、やはり面識の少ない人との会話は緊張する。
不安になってふと桜木の方を見ると、目が合った。
桜木が小さくうなずく。
それが何だというわけでもないのに、なぜだか心が落ち着いた。
「そう、かもしれません。ですが、テスト環境では起きなかった、事象です。……お手数ですが、ご確認、頂けないでしょうか」
「こちらからもよろしくお願いします」
「……まあ、そうですね。詳細な調査は社内の作業承認手続きを 経てからになりますが、ひとまず監視の確認はしてみます」
「ありがとうござい……ます」
川口の援護射撃もあって、なんとか相手の了解を得ることができた。
エラー監視をしているログの確認なら、すぐに監視センターで見てもらえるだろう。それで原因がわかるとも限らないが、リクエストが飛んでいっているのかいないのか、その情報だけでも欲しい。
接続した時間などの詳細は別途メールで送ることになり、先方の調査が終わり次第また開催することにして、会議は終了した。
「議事録できました。確認お願いします」
桜木が自分のパソコンを早苗に向けた。
「ありがとう。助かる」
さっと目を通すと、ところどころ専門用語に誤りがあったが、内容的にはほぼ完璧だった。間違っていた用語をその場で修正し、桜木にパソコンを戻す。
「それそのまま、お客様に送ってもらえる? あと、私の落書き、ちゃんとした資料に起こしてもらっていい? お客様に正式な報告求められると思うから」
「わかりました」
桜木は、心得た、とばかりにしっかりとうなずいた。
「ホワイトボードの図は――今メールした。システム構成図とかの場所は知ってるよね?」
「はい。わかります」
早苗は高セキュリティルームに戻ろうと立ち上がる。
「あ、それと、作業ログから接続時間と――」
「時間と接続コマンド抜いてお客様に送っておきますね」
「ありがと!」
話が早くて助かった。
■■■■■ 第21話 リリース(3)原因 ■■■■■
早苗は高セキュリティルームに戻り、奥田の椅子の後ろに立った。
「進捗はどうですか?」
「作業は順調です。ですが、トラブルの原因がわからないと、そこから先の作業ができません。僕もエラーの解析をしていますが、やはりこちらには原因はないかと思います」
「対向先に調査して頂けることになりました」
「さすがですね」
「私じゃないですよ。川口さんのお陰です」
奥田の感心した声に、顧客が頑張ってくれたのだと告げる。
相手も渋って見せてはきたものの、状況が状況なだけに、あそこで調査を断られることはなかっただろうとは思うが。
「でも、対向先でも見つからないかもしれないので、引き続き解析お願いします。統制はいったん私が引き取ります」
「わかりました」
開発チームは作業を続けていった。
早苗もホワイトボードを前に、ああでもない、こうでもない、と考えていく。
「だめだ……何もわからない……」
がっくりと肩を落とした時、高セキュリティルームのガラスの窓を、ドンドン、と叩く音がした。
桜木がパクパクと口を動かしている。
早苗は急いで部屋を出た。
「何かあった?」
「今メールがあって、あっちの接続口が変更になってたそうです」
「え!?」
「変更したのに、こっちが古い方のインターフェース情報で繋いで来てるって」
「接続情報が間違ってるってこと!?」
早苗の顔から、さぁぁっと血の気が引いた。
接続の情報が間違っているなら、エラーが出るのは必然だ。
「メール見せてっ」
桜木からパソコンを受け取り、食い入るようにメールを読んでいく。
「ほんとだ……。インターフェース変えたって書いてある……。私たちは古い方に繋いでるんだ……」
「オンライン会議、もう始まります。準備はできてます」
「桜木くん、奥田さん呼んできて! リリース作業はいったん中断!」
「わかりました!」
早苗は会議卓へと移動した。
ちょうど相手先のシステムも入ってきて、会議が始まる。
高セキュリティルームから出てきた奥田が走ってきた。
その後から、他のメンバーもついてきていた。作業ログを監視していてる一人を残して全員だ。
ぞろぞろと人が集まっているのを見て、課長も様子を見に来る。
カメラに顔が映っているのは早苗だけだが、その後ろには立ち見のメンバーの体がずらりと並んでいた。
最初に口を開いたのは、接続先のシステム側だった。
「メールでもご連絡した通り、そちらの接続情報が間違っています。新しいインターフェースにリクエストを投げて下さい」
「テスト環境でのリハーサルの時点では、正常に接続できていました」
「その後変更になりました」
何だそれは。
早苗は絶句した。
何のためのリハーサルだと思っているのだろうか。こういうミスを防ぐのも目的の一つなのに。
「……連絡は頂いていないと思いますが」
「したはずです」
早苗は振り返って奥田を見た。
奥田は首を横に振る。
少なくとも奥田は知らない。他のメンバーにも思い当たる節はないようだった。
「接続情報の変更はできませんか」
聞いてきたのは川口だ。
接続情報の変更? 今から?
あと四時間で切り戻しのデッドラインだ。その時間までに終わらなければ、リリースは失敗とみなし、今日やった作業を全て巻き戻して、元の状態に戻さなければならない。
設定ファイルの変更、セキュリティシステムの変更、こちらのインターフェースの変更……。
やることが多すぎる。
しかも、ファイルのレビューも設定情報のレビューも手順書もテストもなく、いきなり本番環境での作業。
リスクが高い。
「インターフェースを戻して頂くことはできませんか」
「すでに別のシステムが接続してきているので無理です」
ダメ元で言ってみたものの、無情にも接続先にあっさりと却下された。
「そちらのミスですから、そちらでなんとかして下さい」
ぐぅの音も出ない。
川口も同じ目で早苗を見ている。
「少し、検討のお時間を下さい」
「わかりました。決まりましたらすぐ連絡を下さい。こちらは上に連絡しておきます」
会議が終わったあと、早苗は頭を抱えた。
リハーサルの後の変更とはいえ、その連絡を見逃したのなら、早苗たちのミスだ。
それによってリリースに失敗すれば、顧客に多大な迷惑がかかる。
サービスが予定通りに開始できないことで機会損失が生じる。賠償金を払えとまでは言われないにしても、早苗たちは顧客からの信頼を失う。社内でも大きな問題に発展してしまうだろう。
全部ちゃんと準備してきたのに……!
「奥田さん、設計連絡票は来てないですよね?」
「今確認してますが、ファイルサーバ上には置いてないですね。来てないか、メールを見逃したか、です。メールを確認してみます」
正式な連絡ではなく、打ち合わせで口頭で伝えられただけなのかもしれない。後で送っておきます、と言われて送られてこない事はたまにある。
そんな覚えはない。が、取りこぼしていないとも言い切れない。
どうしよう、どうしよう、と頭の中がぐるぐると渦巻く。
「犯人捜しは後だ。できるのか? できないのか?」
言ったのは課長だった。
そうだ。誰が悪いかは後でいい。まずはこれからどうするかを考えなければ。
「みんな、それぞれ自分の担当の所の変更箇所を洗い出して下さい。奥田さんは私と構成図から別視点で確認お願いします。短いですが、十五分後に一度ミーティングを開きます。その時点では漏れがあってもいいので、なるべく挙げて下さい。それで判断します」
わかりました、とメンバーからパラパラと返事が返ってくる。
「俺、資料印刷します」
「お願い」
早苗は奥田と共に、桜木が印刷してくれた構成図を前に、変更が必要な場所にペンで印をつけていった。
「ウェブサーバーとファイアウォールの穴開けは必要ですよね」
早苗がぐるぐると丸を書き込む。
「環境変数とアプリの設定ファイルもいります」
「データベースサーバはどうですか」
「設定は入ってないはずです」
「あの」
割り込んできたのは桜木だった。
「これって、電文の変更まではされてないですよね……?」
「えっ」
「まさか、さすがに、それは」
桜木の言葉に、早苗と奥田がぎくりと体を強ばらせた。
もしも宛先情報だけでなく、やりとりするデータの中身まで変えなければならないとしたら、一巻の終わりだ。プログラム自体を書き換えなければいけない。さすがにそこまでは試験なしではできなかった。
「ありませんね」
一通り確認したあと、原因不明、という結論に達した。
「うちじゃないかもしれないですよ」
奥田が早苗を振り向いて言った。
「対向先の問題ってことですか?」
「可能性としてはあり得ます」
「いやでもそれで連絡して、やっぱりこっちのせいだったってなったら……」
「ですが、繋がらないと他の作業が進みませんよ」
「うーん……」
接続先の方に問題があって繋がらないのだとしたら、それを確認してもらわなければならない。
だが、早苗たちが直接連絡することはできなかった。別のシステムだ。確認してもらうには顧客に間に入ってもらわなければならない。
疑っておいて、やはり早苗たちのシステムのせいだとわかったら、顧客にも相手にも迷惑がかかってしまう。
早苗は迷った後、決めた。
報告連絡相談は早くすべきだ。
あとで平謝りすることになろうとも、リリースに間に合わなくなるよりずっといい。
「奥田さん、影響がない作業をリストアップして、スケジュールを組み直して下さい。他の人は今やっている作業の区切りがついたら、エラーの解析をお願いします。私は課長に報告してきます」
まずは課長に報告だ。
どのみち課長は早苗の判断を支持するだろうが、責任者である課長の承認なしに勝手なことはできない。
リリースという大きなイベントなので、普段は早苗に任せっきりの課長も、さすがに今日は夜勤をしている。
早苗は虹彩認証をして高セキュリティ区画を出、課長の席へと向かった。
「トラブル発生です。対向先との接続にエラーが出ました。原因は不明ですが、今のところこちらに問題は見つかっていません。対向先に原因があるかもしれません」
「確定ではないんだな?」
「はい。可能性、というだけです。ですが、このままだとリリース失敗の恐れがあります。お客様に確認して頂くべきだと思います」
「仕方ないか……。連絡しよう」
「わかりました」
課長の承認を受けて、早苗は自席に戻る。
まずは顧客宛にメールだ。
件名の最初に【トラブル第1報】とつけ、起こったこと、確認した内容、原因と思われることを詳細に記す。
一応、情報共有の意味で、営業部隊も宛先に含めた。
送信した後、担当者の川口へと電話をかける。当然、川口も早苗たち同様に夜勤をしていた。
「お世話になっております。皆瀬です。作業中にトラブルが発生しました。今メールをお送りしましたが――」
早苗は向こうがメールを見ているのを確認してから説明した。
文章を見ながらの方が、内容が頭に入りやすい。
「……わかりました。こちらから対向先に連絡します。オンライン会議の招待メールを送りますので、ご準備をお願いします」
「承知しました」
川口は一度難色を示したが、早苗の説得に応じてくれ、三者でオンライン会議をすることを約束してくれた。
早苗はオフィスの窓際にある会議卓のディスプレイにノートパソコンを繋ぎ、オンライン会議の準備をする。
そこへ、リリースのスケジュールを手書きで直した紙を持って、奥田がやってきた。
「スケジュール組み直しました。確認お願いします」
早苗はそこにさっと目を通す。エラーの出た作業とは関係のない作業を先行するようになっていた。
「確認しました。私はこれからオンライン会議があるので、統制お願いします」
「わかりました」
スケジュール表を返すと、奥田は高セキュリティルームと戻って行った。
本当は社員ではない協力会社の人間に統制させるのは良くないし、できることなら奥田には会議に一緒に参加して欲しい。
だが、他にできる人がいなかった。奥田ならば安心して任せることができる。
と、そこへ、バタバタと走り寄ってくる人物がいた。
「先輩っ」
「桜木くん!? なんでいるの?」
「メール見ました」
「そうじゃなくて、なんでこんな時間にまだ残ってるのって」
「担当してるプロジェクトなので、一応俺も夜勤してたんです。何かあったときのために」
「うっそ」
すごい。普通営業はそこまでしない。役割が違うのだ。
「俺にできることはありませんか」
「できることって言っても……桜木くんはセキュリティルームに入れないでしょ。虹彩登録してないもん」
たとえ入れたとしても、指紋を登録していないからパソコンも触れないし、三年以上も開発のブランクがある桜木に、いきなり本番環境を触らせるわけにはいかない。
「ですけど、何か他に」
「他にって言われても……」
早苗は今繋いだノートパソコンを見る。
オンライン会議に出てもらっても、技術的な内容になるだろうから、営業の出る幕はない。
「会議するなら、議事録書きましょうか」
「あ、そうだね。うん。それは助かる」
早苗は桜木に議事録作成を任せることにした。
話についてくることはできるはずだ。わからなかった所は後で早苗が補完すればいい。
オンライン会議のツールには、音声解析で自動で発言を記録する機能もあるにはあるが、まだまだ実用できるほどではなく、議事録を取ってくれるのはありがたい。
ピロン――。
ノートパソコンの右下に、メールを受信した知らせが表示された。川口からのオンライン会議の招待状だった。
顧客の意向で打ち合わせがある時は直接訪問することが多いが、緊急時にはこうやってオンラインの会議が開かれるし、リモートワークをしている時や、社内の他の拠点との会議の時もよく使っている。オンライン会議ツールは今や必需品だ。
早苗は手慣れた手つきで顧客の開いた会議室にアクセスした。
「お世話になっております。皆瀬入りました」
早苗は自分の名前だけを告げた。発言をしない桜木は、カメラに映らない席に座っている。
「お世話になっております。川口です」
すぐに対向先のシステムも入ってきて、カメラとマイク・スピーカーが接続されていることを確認し、三者での会議は始まった。
資料を準備する時間がなかったので、早苗は送ったメールの文面と、会議ツール上のホワイトボード機能を利用して説明した。「繋ごうとしたらエラーが出て繋がらなかった。確認したけど原因が見当たらない」が言いたいことの全てだ。
しばらく互いに技術的な見解のやり取りが行われた。
言いたいことはほとんど全て川口が言ってくれて、早苗の出る幕はなかった。
早苗が口を挟んで補足しなければならないような、複雑な箇所ではない。
なのに、それだと思える原因が出てこない。
「本当にうちなんですかね? そちらのシステムの問題じゃないですか?」
相手に懐疑的に言われて、聞き役に徹していた早苗は言葉に詰まった。
システム間のやり取りがあるから、相手方とはまったくの初対面ではない。だが、やはり面識の少ない人との会話は緊張する。
不安になってふと桜木の方を見ると、目が合った。
桜木が小さくうなずく。
それが何だというわけでもないのに、なぜだか心が落ち着いた。
「そう、かもしれません。ですが、テスト環境では起きなかった、事象です。……お手数ですが、ご確認、頂けないでしょうか」
「こちらからもよろしくお願いします」
「……まあ、そうですね。詳細な調査は社内の作業承認手続きを 経てからになりますが、ひとまず監視の確認はしてみます」
「ありがとうござい……ます」
川口の援護射撃もあって、なんとか相手の了解を得ることができた。
エラー監視をしているログの確認なら、すぐに監視センターで見てもらえるだろう。それで原因がわかるとも限らないが、リクエストが飛んでいっているのかいないのか、その情報だけでも欲しい。
接続した時間などの詳細は別途メールで送ることになり、先方の調査が終わり次第また開催することにして、会議は終了した。
「議事録できました。確認お願いします」
桜木が自分のパソコンを早苗に向けた。
「ありがとう。助かる」
さっと目を通すと、ところどころ専門用語に誤りがあったが、内容的にはほぼ完璧だった。間違っていた用語をその場で修正し、桜木にパソコンを戻す。
「それそのまま、お客様に送ってもらえる? あと、私の落書き、ちゃんとした資料に起こしてもらっていい? お客様に正式な報告求められると思うから」
「わかりました」
桜木は、心得た、とばかりにしっかりとうなずいた。
「ホワイトボードの図は――今メールした。システム構成図とかの場所は知ってるよね?」
「はい。わかります」
早苗は高セキュリティルームに戻ろうと立ち上がる。
「あ、それと、作業ログから接続時間と――」
「時間と接続コマンド抜いてお客様に送っておきますね」
「ありがと!」
話が早くて助かった。
■■■■■ 第21話 リリース(3)原因 ■■■■■
早苗は高セキュリティルームに戻り、奥田の椅子の後ろに立った。
「進捗はどうですか?」
「作業は順調です。ですが、トラブルの原因がわからないと、そこから先の作業ができません。僕もエラーの解析をしていますが、やはりこちらには原因はないかと思います」
「対向先に調査して頂けることになりました」
「さすがですね」
「私じゃないですよ。川口さんのお陰です」
奥田の感心した声に、顧客が頑張ってくれたのだと告げる。
相手も渋って見せてはきたものの、状況が状況なだけに、あそこで調査を断られることはなかっただろうとは思うが。
「でも、対向先でも見つからないかもしれないので、引き続き解析お願いします。統制はいったん私が引き取ります」
「わかりました」
開発チームは作業を続けていった。
早苗もホワイトボードを前に、ああでもない、こうでもない、と考えていく。
「だめだ……何もわからない……」
がっくりと肩を落とした時、高セキュリティルームのガラスの窓を、ドンドン、と叩く音がした。
桜木がパクパクと口を動かしている。
早苗は急いで部屋を出た。
「何かあった?」
「今メールがあって、あっちの接続口が変更になってたそうです」
「え!?」
「変更したのに、こっちが古い方のインターフェース情報で繋いで来てるって」
「接続情報が間違ってるってこと!?」
早苗の顔から、さぁぁっと血の気が引いた。
接続の情報が間違っているなら、エラーが出るのは必然だ。
「メール見せてっ」
桜木からパソコンを受け取り、食い入るようにメールを読んでいく。
「ほんとだ……。インターフェース変えたって書いてある……。私たちは古い方に繋いでるんだ……」
「オンライン会議、もう始まります。準備はできてます」
「桜木くん、奥田さん呼んできて! リリース作業はいったん中断!」
「わかりました!」
早苗は会議卓へと移動した。
ちょうど相手先のシステムも入ってきて、会議が始まる。
高セキュリティルームから出てきた奥田が走ってきた。
その後から、他のメンバーもついてきていた。作業ログを監視していてる一人を残して全員だ。
ぞろぞろと人が集まっているのを見て、課長も様子を見に来る。
カメラに顔が映っているのは早苗だけだが、その後ろには立ち見のメンバーの体がずらりと並んでいた。
最初に口を開いたのは、接続先のシステム側だった。
「メールでもご連絡した通り、そちらの接続情報が間違っています。新しいインターフェースにリクエストを投げて下さい」
「テスト環境でのリハーサルの時点では、正常に接続できていました」
「その後変更になりました」
何だそれは。
早苗は絶句した。
何のためのリハーサルだと思っているのだろうか。こういうミスを防ぐのも目的の一つなのに。
「……連絡は頂いていないと思いますが」
「したはずです」
早苗は振り返って奥田を見た。
奥田は首を横に振る。
少なくとも奥田は知らない。他のメンバーにも思い当たる節はないようだった。
「接続情報の変更はできませんか」
聞いてきたのは川口だ。
接続情報の変更? 今から?
あと四時間で切り戻しのデッドラインだ。その時間までに終わらなければ、リリースは失敗とみなし、今日やった作業を全て巻き戻して、元の状態に戻さなければならない。
設定ファイルの変更、セキュリティシステムの変更、こちらのインターフェースの変更……。
やることが多すぎる。
しかも、ファイルのレビューも設定情報のレビューも手順書もテストもなく、いきなり本番環境での作業。
リスクが高い。
「インターフェースを戻して頂くことはできませんか」
「すでに別のシステムが接続してきているので無理です」
ダメ元で言ってみたものの、無情にも接続先にあっさりと却下された。
「そちらのミスですから、そちらでなんとかして下さい」
ぐぅの音も出ない。
川口も同じ目で早苗を見ている。
「少し、検討のお時間を下さい」
「わかりました。決まりましたらすぐ連絡を下さい。こちらは上に連絡しておきます」
会議が終わったあと、早苗は頭を抱えた。
リハーサルの後の変更とはいえ、その連絡を見逃したのなら、早苗たちのミスだ。
それによってリリースに失敗すれば、顧客に多大な迷惑がかかる。
サービスが予定通りに開始できないことで機会損失が生じる。賠償金を払えとまでは言われないにしても、早苗たちは顧客からの信頼を失う。社内でも大きな問題に発展してしまうだろう。
全部ちゃんと準備してきたのに……!
「奥田さん、設計連絡票は来てないですよね?」
「今確認してますが、ファイルサーバ上には置いてないですね。来てないか、メールを見逃したか、です。メールを確認してみます」
正式な連絡ではなく、打ち合わせで口頭で伝えられただけなのかもしれない。後で送っておきます、と言われて送られてこない事はたまにある。
そんな覚えはない。が、取りこぼしていないとも言い切れない。
どうしよう、どうしよう、と頭の中がぐるぐると渦巻く。
「犯人捜しは後だ。できるのか? できないのか?」
言ったのは課長だった。
そうだ。誰が悪いかは後でいい。まずはこれからどうするかを考えなければ。
「みんな、それぞれ自分の担当の所の変更箇所を洗い出して下さい。奥田さんは私と構成図から別視点で確認お願いします。短いですが、十五分後に一度ミーティングを開きます。その時点では漏れがあってもいいので、なるべく挙げて下さい。それで判断します」
わかりました、とメンバーからパラパラと返事が返ってくる。
「俺、資料印刷します」
「お願い」
早苗は奥田と共に、桜木が印刷してくれた構成図を前に、変更が必要な場所にペンで印をつけていった。
「ウェブサーバーとファイアウォールの穴開けは必要ですよね」
早苗がぐるぐると丸を書き込む。
「環境変数とアプリの設定ファイルもいります」
「データベースサーバはどうですか」
「設定は入ってないはずです」
「あの」
割り込んできたのは桜木だった。
「これって、電文の変更まではされてないですよね……?」
「えっ」
「まさか、さすがに、それは」
桜木の言葉に、早苗と奥田がぎくりと体を強ばらせた。
もしも宛先情報だけでなく、やりとりするデータの中身まで変えなければならないとしたら、一巻の終わりだ。プログラム自体を書き換えなければいけない。さすがにそこまでは試験なしではできなかった。
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