アンデッド、異世界を往く

Eine

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魔族達の事情

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ベルフェは赤い海の底で蹲っている。
海というには語弊があるかも知れない。
深い赤色で、奇怪な魚の泳いでいる、呼吸のできる液体の中で蹲っていた。
俺はそれを、見下ろしている。

「どうして……?わたしが負けるなんて、有り得ない……」

俺がやった事は言葉にすると簡単だ。
魔法を使って、この場所を――ベルフェの心の中の世界を、自分のものに書き換えたのだ。
これでいつでもここから出れるし、彼女を殺す事だってできる――そう直感的に分かっていた。
俺は彼女に歩み寄って、しゃがみこんだ。

「なあ」
「ひ……っ」

ベルフェは俺に気付くと青ざめてそそくさと逃げていこうとする。
俺はそれを手を掴んで引き止めた。

「逃げる事ないだろ」
「……今の吸血鬼に魔王を凌ぐ実力者なんていない筈なの。ただでさえ吸血鬼は鬼人系の種族で脳筋が多いわ。他者の世界を乗っ取るなんてできる筈がないの。なのに、アナタはやってのけた。……化物め」

瞳には恐怖の色が見えるが、俺を罵るその声は堂々としていた。
顔色も悪いし、体も震えているけど、それでも彼女はその涙を溜めた瞳でじっと俺を睨みつけている。

「……ああそう」

俺は毒気を抜かれて、そう口にするしかなかった。
今まであった怒りや恐怖がすとんと抜けていって、今はただ愉快に思えた。

「……何で笑ってるの?」
「いや、うん――怖いなら怖いって言えば良いのにと思って」
「――――――」

ベルフェが怒鳴った。
恥ずかしいのか怒っているのか、顔を赤くして怒鳴った。
いや本当にごめんってと笑うと、ベルフェは不満気に俺を睨んだ。

「でさ、悪い事したら言わなくちゃならない言葉があるでしょ?」

ちょっとだけ和んだ空気の中で、俺は彼女にそう言った。
ベルフェはバツの悪そうな顔をした。

「……わたし悪くないもん」
「十分悪いだろ」

何度あの光弾に体を吹き飛ばされた事か。
途中から痛みを感じなくなってはいたが、それでも痛いものは痛かった。
俺がそう指摘すると、ベルフェはぐっと押し黙る。

「………………ごめんなさい」

しばらく沈黙を保ったままだったベルフェは、絞り出すようにそう謝罪を口にした。
俺は申し訳なさそうなベルフェの頭を撫でてやる。

「よくできました」
「……っ、わたし、わたし……っ」

ベルフェは小さな子供のように大きな声をあげて泣いた。
なだめるように優しく頭を撫でてやる。
落ち着くのにどれくらいかかるだろう。
何だかよく分からないが、あんな暗い所で一人なのは、寂しかったのかも知れない。
そう考えると、しばらくはこのまま頭を撫で続けてやろうと思ったのだった。

・・・

ベルフェは落ち着くと、どういう経緯でこの中に閉じ込められたのかを語り出した。

「わたしには妹がいるの。わたしと違って魔力は並、素手だと鉄を曲げられるくらいの力しかなくて、おまけにノロマで空を飛べるようになったのも五歳になってようやくだったわ」

俺からすれば十分すごいとは思うが、魔王はそうでないといけない――あるいは、もっと強くなければならないのだろう。

「わたし、可哀想だと思っていっぱい遊んであげたの!沢山褒めて、可愛がってあげたわ!魔王の座だって、言ってくれれば……なのに、どうして……」
「ベルフェ?」

泣きそうに顔を歪めたベルフェに、大丈夫かと声をかけた。
ベルフェは頷いて、話を続けた。

「わたしたちが大きくなると、わたしとあの子のどちらが優れていて、どちらがより魔王に相応しいのかという話で持ち切りになったわ。当然だけど、スペック面で劣るあの子は魔王に相応しくないって考えの魔族が多くて、もうわたしが魔王になる事は確定していたも同然だった。そんなある日、あの子を魔王に推していた魔女とあの子が、一緒になってわたしを……」

本に封じ込めたんだと、苦しげに絞り出すような声でベルフェは言った。
悲しみと怒りと憎しみが混ざりあったような複雑な声だった。

「……よし、取り敢えずここから出てアリーシャと話してみよう」
「え?」

本に閉じ込めたベルフェを殺すのは容易だった筈だ。
それなのに今もベルフェは生きている。
そもそも閉じ込めるより殺す方が簡単なのに、どうして閉じ込める方を選んだのか――それはきっと、アリーシャがベルフェを殺したくなかったからに違いない。

「やだよ。だって魔女はわたしが嫌いなのよ。また封じられて終わりだわ。今度は殺されるかも……」
「大丈夫だよ。きっと君が逃げる時間くらいは稼いでやる」
「そもそもここを出る手段がないし」
「出る手段はある」

俺はベルフェをじっと見つめた。
彼女は不安げな表情で、瞳を揺らしている。

「どうして、わたしを助けてくれようとするの?」
「……何でだろ」

そういえば、どうしてだろう。
ここでちゃんとした理由があればかっこよかったのになと思いながら、何故自分が彼女を助けようとしているのかを考える。

「ああうん、君が気に入ったから、じゃないかな」
「え?」

純粋に、そんな理由だった。
自分が不利だと分かっているのにじっと俺を睨みつけて罵倒するその胆力だとか、謝罪できる素直さだとか、子供っぽくはあるけどかっこよくて、堂々としている。
嫌いだとは言ったけど、あれにも事情があるわけだし、子供の癇癪のようなものだと思えば可愛いものだ。

「えっと……マゾヒストなの?」
「いやそういうわけじゃないけど」

どこが気に入ったのか、という話をすると、ベルフェは照れたように笑った。
嬉しそうに上がる口角を、口に手を当てて隠しながら、ぼそっと呟いた。

「そう。かっこいいのねわたし」

ベルフェは俺の視線に気付いて慌ててキリッとした表情を作る。
かっこいい、を意識しているのかも知れない。
微笑ましくてつい笑顔になった。

「うん、かっこいいわたしがいつまでもぐだぐだ言ってるのは良くないわね。わたし、魔女に――アリーシャに会って話をするわ」
「そうか。じゃあここから出ようか」

俺はベルフェの手を取って、詠唱する。
この本の中から出ていくための、気持ちの切り替えのためでしかない呪文を唱える。
あらゆる魔法が使えるようになる起動術式を口にする。

「起動――……完了、用意……完了。乖離術式ブレイクアップ行使」



ふわりと浮くような感覚があった。
いや、実際に一瞬だけ浮遊していたのかも知れない。
とにかく俺は相変わらずベルフェの手を握っていて、手を握られたままの彼女は、そんな事を忘れるくらい目を丸くして驚いていた。

「一体、どうやって……」
「何となく、直感で」

どうすればここから出る事ができるのか、何となく、直感で理解できた。
イメージとしては悪性腫瘍だとか、体内から異物を取り除く外科的手術を施すようなものだ。
いや、手術なんてした事はないが、ものの例えとして。

「……規格外ね。上手くやればお兄さん単体で人類を滅ぼせるんじゃないかしら」

ベルフェは呆れたように溜息を吐いた。
どうにも中々難しい事を成し遂げたらしかったが、あまりよく分からなかった。

「――これは一体何事だい、ユウキ」
「アリーシャ……」

びくりと肩を震わせて、瞳に怯えたような色をのせて、ベルフェはぽつりと呟いた。
心細そうな彼女の頭を軽く撫でて、俺は一歩前に出た。

「何事も何も、本に閉じ込められたベルフェを外に出しただけだよ」
「なんて事を……!今すぐそれを本に戻せ!」
「それ?」

俺がじっと睨みつけると、アリーシャは青白い顔に悔しげな色を滲ませて、訂正した。
ベルフェは心配そうに、俺の様子をじっと見ている。

「……彼女は、災厄を呼ぶ忌み子だ。異世界から来た君には分からないだろうけど、彼女は死神を消滅させるかも知れない危険分子なんだ」
「それで?」
「それでって……。良いか、死神が消滅すれば一度正常な断りから外れてしまった私達アンデッドは消滅する他ないんだ。それでも彼女を庇うと?」

庇うに決まっていると答えた。
どうして忌み子だと分かるのかとか、本当に死神が消滅すると俺達も消滅するのかとか、そんな理由付けよりも先にそう答えていた。
ベルフェはその話を今初めて知ったようで、驚いたような表情で、悲しげに、嘘でしょうと呟いた。

「そもそも――どうしてベルフェが死神を消滅させない事を信じてやらない?」

アリーシャは俯いて、言い渋った後で口を開けようとした。

「それには、先見の妖精が予知した未来が関わってきます」
「ネア!?」

ネアと呼ばれた角の生えた少女は、無表情で静かにそこに佇んでいた。
ベルフェの尋常じゃない様子に、俺は彼女が魔王だろうと判断を下す。
ネアと呼ばれた彼女は、悲しげに眉尻を下げたが、何も言わず、冷徹な瞳でアリーシャを見た。

「何がありましたか、アリーシャ」
「それが、森で保護した異世界の吸血鬼が、災厄の娘を解放してしまって……」

ベルフェは不安なのか、きゅっと俺の服の裾を掴んだ。
俺は油断しないように、ネアを睨みつけるように見つめる。

「……異世界の、ですか?」
「それがどうしたの?異世界からの来訪者なんて、別にそう珍しくもないでしょ?」
「いいえ、それは人間ならばの話です。私の知る限り、異世界から吸血鬼がやってきた事例なんて一切ありません」

そういえば――アリーシャはそう呟いて、俺を見つめた。
探るような、そんな視線だ。

「ここに来たのは、先見の妖精が一切の未来を見通せなくなったと口にしたからです。これまでに見えなくなったのは、死神様がお眠りになった時と、人類側にいる三柱の神が喧嘩した時のみ。つまり今回も、神絡みの何かが起こると見るべきです」
「何か、ねえ……」

魔法がある世界なんだから、神がいてもおかしくないのは分かっている。
だが実際に目の前で言われたところで、その信憑性を疑ってしまうのは仕方ないだろう。

「えっと……吸血鬼の……」
「ユウキ・ハヤマだ」

ネアは言葉を詰まらせた。
俺の事を指しているようだったので、咄嗟に名を名乗った。

「ではユウキ・ハヤマ、貴方にはお姉ちゃんと一緒に登城していただきます。良いですね?」
「ベルフェに危害を加えないのであれば」

ネアは一瞬不思議そうな表情をしたが、勿論ですと頷いた。
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