171 / 385
モスクワ編
氷の守り神
しおりを挟む
やや時を戻し、狂人ネロが現れたのちの最初の一撃。それをメイドが危なげながらも受けた直後のこと。
かの狂人の強力な一撃をなんとか受け切り、さらには幼女を、蹴り飛ばすという荒々しさとはいえ戦線から遠ざけるという心配りまで見せた。このときのメイドの行動は100点満点と言えるだろう。
そして、視点は変わり、かの蹴飛ばされた幼女の行方を追ってみよう。メイドの予想では、幼女はそうそう簡単に、少なくとも即座には、その場から離脱しない。そう考えていた。しかし、実際には幼女は、メイドに蹴飛ばされ、狂人から距離を取った直後、すぐさま行動を開始していた。
すなわち、即時撤退だ。それは、決して薄情な行動ではなく、現実的な一手。いくら強力な極玉の力を持つとはいえ、幼女、ラグナ・ハートスートはまだまだ子どもだ。EBNAでの教育も完全には終えていない。特異な極玉の力を除けば、基礎的な戦闘力は、ともすれば男以下かも知れない。その程度だった。
だから、彼女は即時に逃亡を試みた。いや、普通に安全に、彼女は事実、その場を離れたのだ。
それは、彼女を安全に逃がそうというメイドの気配りもあってのこと。メイドにそこまでの余裕はほとんどなかったと言っていいが、それでも万能なメイドのことである、できうる限りという条件付きではあれど、先述のような意識は持ち、狂人との戦闘に臨んでいたのである。
よって、幼女は容易にその場を離脱した。即時に。即決に。なぜなら、メイドひとりでは到底、かの狂人に及ばないと理解していたから。そのうえ、自分が参戦したところでこの状況下では足手まといにしかなれないと解ってしまったから。
ぐっ……、と、両拳を握りしめる。瞳に涙を溜めて。
「どうして……」
私は、まだ子どもなの。と、理不尽なことを思う。
どうしてEBNAでの教育を最後まで終えていないのか。もう少し早く生まれていれば。もう少し早くEBNAに所属していれば。もう少し早く、ハクたちに出会っていれば。
そう、後悔する。それは、とても、とても――。
とてもとてもとてもとても、わがままな感情だった。
*
クレムリン内に戻り、男と丁年を探す。いや、探すまでもなく、彼らは変わらず、スパスカヤ塔付近のベンチにてまだ、なにかを語り合っていた。ほんのわずかにだが、真剣な――深刻そうな表情で。
それでも、その雰囲気が消えるまで待つ余裕はない。瞬間だけ躊躇ったが、幼女はすぐさま、彼らに事情を伝えた。
「ちっ……思ったよりよほど早かったか。シュウ! 急ぐぞ!」
言うが早いか、男は駆け出そうと腰を上げる。だが、丁年がそれを、腕を掴むことで物理的に、止めた。
「ちょっと待ってくださいッス。ハクさん。バルトロメイさんならすぐにどうこうはならないはずッス」
「馬鹿野郎! 相手はあのネロだ! そんなに余裕はねえよ!」
「だからこそッス。少しだけ、落ち着いてください」
丁年はあえてゆっくりと、低く静かに、言葉を紡いだ。
ふう。と、息を吐き、やや目を細める。
「俺が鏡で見てますから、いざってときは一度くらい、あいつを相手取っても不意を突けるでしょう。だから、慌てて無闇な特攻をするのはやめてくださいッス。相手があのネロだからこそ、それが一番、勝率を下げる」
深く思考を巡らすように、丁年は両手を合わせ前傾し、その人指し指で自らの額を小突いた。何度も、適度なリズムで。時を数えるように。
「ハクさん。あんた、ネロに抗する手段を用意しているんッスよね? 『アニキ』に頼むはずだった役割の、その代替を用意できてると。それを詳しく聞く時間はもうないッスけど、それは、信用していいんッスよね?」
「ああ。確実にうまくいくとは言えねえが、現状では最適解だと、俺は思ってる」
「じゃあ、それはいいッス」
丁年は一度、幼女を見る。そしてその後、なにごともなかったかのように、男へ視線を戻した。
「相手の不意を突きましょう。俺がこいつで、ネロの隙まで飛ばすッス」
言って、丁年はそばに置いていた銀色の装丁の『異本』、『神々の銀翼と青銅の光』に触れた。
「俺は、ネロから十二分に距離を取って、基本的に姿は見せないッス。いつも通り、心は繋げておくんで、念じれば心の声は互いに伝わります。……いまは、バルトロメイさんとは繋げてないッスけど、タイミングを見て繋げておきます」
これで、互いに心で考えるだけで、次の作戦などを常に共有できる。
「で、俺からの援護については、……その手法については時間がないんで、おいおい情報共有するとして。……すいません。あと十五秒で準備してくださいッス」
変わらぬトーンで、丁年は言った。だから、男は指定の時間の、約一割を無駄にする。
それでも、即座に準備を――特に、心の準備を済ませた。
「ラグナは俺がホテルまで送るッス」
当然と、それは鏡での瞬間移動。それを用いて、安全に、という意味なのだろう。時間がないからか、他の理由があるのか、丁年はその件についてはそれ以上、深く語らなかったが、おそらく。
「ネロの隙は突くッスけど、それで敵の動揺を誘えるのはせいぜい0.5秒。その間に一撃入れてください。じゃないと、普通に死にますから。場所は赤の広場南方。周囲にはさほど障害物はないッス。ハクさんはネロの背後へ。バルトロメイさんの助力は数秒、得られないものと思ってください」
やはり時間がないのだろう。あまり具体的には語らず、早口で丁年は説明した。
だから、男はその言葉を理解するのにややの時間を要したが、なんとかひとつずつ理解していく。赤の広場。周囲に障害物はなし。ネロの背後から。0.5秒で一撃を。メイドの助力は数秒得られない――。
「そろそろ危ないッスね。……ハクさん。五秒後に転移するッス」
丁年は言い、カウントダウンを始める。
五。四。三。二。一。――零。
最後の数字は聞こえなかったが、男はとうとう、戦場へ参戦した。
――――――――
男を転移させ、丁年はひとつ、息を吐いた。そして、残った幼女を見る。
男たちへ事情を伝え、緊急事態ゆえになにも声を上げず、ただ悲しそうな、寂しそうな目をしていた、幼女を。
「じゃあ、俺も行くッスけど。……おまえはどうすんだ? ラグナ」
「え……?」
当然、自分はもうホテルへ送られるだけだと思っていた幼女は、突然の問いに頓狂な声を上げた。
「ノラは……いっつも勝手になんでも首を突っ込んでた。その結果、いま、こうなってることに違いはないけど……。あいつはいつも、好き放題やって。でも、それは、全部ハクさんのためで。そのくせ周りを――家族をも巻き込んでくるんだから、ほんと、嫌になるよな」
いつも顰めたような丁年が、そのまま、眉根を寄せたまま、苦しそうに笑った。愛想笑いの不得手な丁年だが、幼女を気遣ったのかもしれない。
あるいは、笑うしか、しようがなかったのか。
「あいつは――ノラは、ほんとはなにがしたいんだ? ハクさんのためじゃなく、『異本』集めじゃなく、ほんとはなにがしたいんだろう? 『アニキ』と――ああ、白雷夜冬のことだけど、あいつと結婚したときは、まあ、理由ありきの、契約結婚みたいなもんだったけど、それでも幸せになるもんだと――やっと自分のためになにかをしたんだって、そう、俺は思ってた」
そこまで話して、丁年は気付いたように眉を上げた。そうして、「ごめん。ラグナに言っても、解らないよな」、と、申し訳ないような顔を向ける。
「とにかく言いたいのは、気にすることはない、ってことだ。子どもだから、危険だから。他にハクさんにどう言われたか知らないけど、そんなの、気にすることはない。ただ、現状は理解すべきだけどな。……おまえは子どもで、今回のことは、とてつもない危険度だ。それでも、ラグナがなにかしたいなら、それを前提とした策も練れる」
「私にも……なにかできる? ハクを――みんなを助けることが、できるかな?」
「知らねえ。ただ、なにもしないで万が一、ハクさんになにかあったら、その後悔は計り知れない。それだけだよ。俺が言いたいのは」
幼女の絞り出した言葉に、素っ気なく丁年は返した。そろそろもう時間もないのだろう。彼もようやっと立ち上がり、目立つスーツの襟を、少し正す。その内側を覗き見るように俯き、一度、嘆息。
そして覗き込んだ懐から、一丁の拳銃を取り出す。右手に拳銃、左手に銀色の装丁の『異本』。その戦闘態勢で、もういかほども残っていない時間を、幼女の返答を待つことに費消した。
「私は――」
幼女は、決意に視線を持ち上げて、どちらかを答えた。
――――――――
男が転移した先では、いままさに、狂人ネロの、すべてを破壊しうるほどの一撃が、メイドに襲いかかっている場面だった。
0.5秒。それは、男が狂人の隙を突けるか、ということ以前に、狂人の拳がメイドを仕留めきるまでの時間に等しい。だから男は、当初予想していたよりもよほど反射的に、危機に激高した。
「ネロおおおおぉぉ!!」
瞬間、狂人は、あまりに強引で、あまりに柔軟な身のこなしで、標的を瞬時に男へ移行させた。それでも確実な隙は突けたようだ。しかしだからこそ、かの狂人も反射的に、もっとも加減のない攻勢で対応する。
「潰せ! 『凝葬』!!」
まだメイドへの攻撃すら緩められない。ゆえに、ただの肉体攻撃では即座には、手が足りない。
ゆえに、とっさの『異本』による範囲攻撃。また、彼が扱うもう一冊、『噴炎』よりも即効性の高い『凝葬』で、仕留めきれずとも動きは止める。そういう、反射的だったにしては完璧な、攻撃を。
「頼むぞっ!!」
ただ、ここまで準備してきた、男が――男たちが、この場では優勢を得た。
男は、転移前から常に懐へ手を差し入れ、気構えてきた準備を、発動させる。
コートの内ポケット、彼の左胸、心臓を守るようにそこに収められるは、白地に金糸にて装飾された、華美に過ぎる一冊、『箱庭図書館』。それを取り出し、開き、内に――そのページの隙間に、片腕を差し入れる。
その中から、彼女を呼び出すために。
「クレオパトラ!!」
ページの隙間から引き出される男の腕に、繋がれた、もう一本。艶めかしい黒色人種の、細腕。
「やれやれ、人――いや、王遣いが荒い、のう」
はたして数十世紀ぶりに本物の空の下に繰り出しても、かの女流は、ただ永い眠りから目覚めただけのような気軽さで、眠そうな目を少しだけ、凄絶に輝かせた。
「氷など、吹雪き飛ばしてくれよう」
言葉に呼応し、彼女の、男に掴まれたのとは逆の腕に握られた黒い装丁が、ゆらりと、燃えるように輝く。
『白鬼夜行 雪女之書』。
猛暑と乾燥の土地を治めた王には対照的な一冊に適応して、女流は、それでも力の――思いの限りに冷気を広げる。侵食してくる敵の冷気を、押し留めるように。
「おおおおぉぉぉぉ――――!!」
だから男の動きは、微塵も揺らがず、まっすぐと、狂人の顔面を力いっぱいに、射抜いた。
かの狂人の強力な一撃をなんとか受け切り、さらには幼女を、蹴り飛ばすという荒々しさとはいえ戦線から遠ざけるという心配りまで見せた。このときのメイドの行動は100点満点と言えるだろう。
そして、視点は変わり、かの蹴飛ばされた幼女の行方を追ってみよう。メイドの予想では、幼女はそうそう簡単に、少なくとも即座には、その場から離脱しない。そう考えていた。しかし、実際には幼女は、メイドに蹴飛ばされ、狂人から距離を取った直後、すぐさま行動を開始していた。
すなわち、即時撤退だ。それは、決して薄情な行動ではなく、現実的な一手。いくら強力な極玉の力を持つとはいえ、幼女、ラグナ・ハートスートはまだまだ子どもだ。EBNAでの教育も完全には終えていない。特異な極玉の力を除けば、基礎的な戦闘力は、ともすれば男以下かも知れない。その程度だった。
だから、彼女は即時に逃亡を試みた。いや、普通に安全に、彼女は事実、その場を離れたのだ。
それは、彼女を安全に逃がそうというメイドの気配りもあってのこと。メイドにそこまでの余裕はほとんどなかったと言っていいが、それでも万能なメイドのことである、できうる限りという条件付きではあれど、先述のような意識は持ち、狂人との戦闘に臨んでいたのである。
よって、幼女は容易にその場を離脱した。即時に。即決に。なぜなら、メイドひとりでは到底、かの狂人に及ばないと理解していたから。そのうえ、自分が参戦したところでこの状況下では足手まといにしかなれないと解ってしまったから。
ぐっ……、と、両拳を握りしめる。瞳に涙を溜めて。
「どうして……」
私は、まだ子どもなの。と、理不尽なことを思う。
どうしてEBNAでの教育を最後まで終えていないのか。もう少し早く生まれていれば。もう少し早くEBNAに所属していれば。もう少し早く、ハクたちに出会っていれば。
そう、後悔する。それは、とても、とても――。
とてもとてもとてもとても、わがままな感情だった。
*
クレムリン内に戻り、男と丁年を探す。いや、探すまでもなく、彼らは変わらず、スパスカヤ塔付近のベンチにてまだ、なにかを語り合っていた。ほんのわずかにだが、真剣な――深刻そうな表情で。
それでも、その雰囲気が消えるまで待つ余裕はない。瞬間だけ躊躇ったが、幼女はすぐさま、彼らに事情を伝えた。
「ちっ……思ったよりよほど早かったか。シュウ! 急ぐぞ!」
言うが早いか、男は駆け出そうと腰を上げる。だが、丁年がそれを、腕を掴むことで物理的に、止めた。
「ちょっと待ってくださいッス。ハクさん。バルトロメイさんならすぐにどうこうはならないはずッス」
「馬鹿野郎! 相手はあのネロだ! そんなに余裕はねえよ!」
「だからこそッス。少しだけ、落ち着いてください」
丁年はあえてゆっくりと、低く静かに、言葉を紡いだ。
ふう。と、息を吐き、やや目を細める。
「俺が鏡で見てますから、いざってときは一度くらい、あいつを相手取っても不意を突けるでしょう。だから、慌てて無闇な特攻をするのはやめてくださいッス。相手があのネロだからこそ、それが一番、勝率を下げる」
深く思考を巡らすように、丁年は両手を合わせ前傾し、その人指し指で自らの額を小突いた。何度も、適度なリズムで。時を数えるように。
「ハクさん。あんた、ネロに抗する手段を用意しているんッスよね? 『アニキ』に頼むはずだった役割の、その代替を用意できてると。それを詳しく聞く時間はもうないッスけど、それは、信用していいんッスよね?」
「ああ。確実にうまくいくとは言えねえが、現状では最適解だと、俺は思ってる」
「じゃあ、それはいいッス」
丁年は一度、幼女を見る。そしてその後、なにごともなかったかのように、男へ視線を戻した。
「相手の不意を突きましょう。俺がこいつで、ネロの隙まで飛ばすッス」
言って、丁年はそばに置いていた銀色の装丁の『異本』、『神々の銀翼と青銅の光』に触れた。
「俺は、ネロから十二分に距離を取って、基本的に姿は見せないッス。いつも通り、心は繋げておくんで、念じれば心の声は互いに伝わります。……いまは、バルトロメイさんとは繋げてないッスけど、タイミングを見て繋げておきます」
これで、互いに心で考えるだけで、次の作戦などを常に共有できる。
「で、俺からの援護については、……その手法については時間がないんで、おいおい情報共有するとして。……すいません。あと十五秒で準備してくださいッス」
変わらぬトーンで、丁年は言った。だから、男は指定の時間の、約一割を無駄にする。
それでも、即座に準備を――特に、心の準備を済ませた。
「ラグナは俺がホテルまで送るッス」
当然と、それは鏡での瞬間移動。それを用いて、安全に、という意味なのだろう。時間がないからか、他の理由があるのか、丁年はその件についてはそれ以上、深く語らなかったが、おそらく。
「ネロの隙は突くッスけど、それで敵の動揺を誘えるのはせいぜい0.5秒。その間に一撃入れてください。じゃないと、普通に死にますから。場所は赤の広場南方。周囲にはさほど障害物はないッス。ハクさんはネロの背後へ。バルトロメイさんの助力は数秒、得られないものと思ってください」
やはり時間がないのだろう。あまり具体的には語らず、早口で丁年は説明した。
だから、男はその言葉を理解するのにややの時間を要したが、なんとかひとつずつ理解していく。赤の広場。周囲に障害物はなし。ネロの背後から。0.5秒で一撃を。メイドの助力は数秒得られない――。
「そろそろ危ないッスね。……ハクさん。五秒後に転移するッス」
丁年は言い、カウントダウンを始める。
五。四。三。二。一。――零。
最後の数字は聞こえなかったが、男はとうとう、戦場へ参戦した。
――――――――
男を転移させ、丁年はひとつ、息を吐いた。そして、残った幼女を見る。
男たちへ事情を伝え、緊急事態ゆえになにも声を上げず、ただ悲しそうな、寂しそうな目をしていた、幼女を。
「じゃあ、俺も行くッスけど。……おまえはどうすんだ? ラグナ」
「え……?」
当然、自分はもうホテルへ送られるだけだと思っていた幼女は、突然の問いに頓狂な声を上げた。
「ノラは……いっつも勝手になんでも首を突っ込んでた。その結果、いま、こうなってることに違いはないけど……。あいつはいつも、好き放題やって。でも、それは、全部ハクさんのためで。そのくせ周りを――家族をも巻き込んでくるんだから、ほんと、嫌になるよな」
いつも顰めたような丁年が、そのまま、眉根を寄せたまま、苦しそうに笑った。愛想笑いの不得手な丁年だが、幼女を気遣ったのかもしれない。
あるいは、笑うしか、しようがなかったのか。
「あいつは――ノラは、ほんとはなにがしたいんだ? ハクさんのためじゃなく、『異本』集めじゃなく、ほんとはなにがしたいんだろう? 『アニキ』と――ああ、白雷夜冬のことだけど、あいつと結婚したときは、まあ、理由ありきの、契約結婚みたいなもんだったけど、それでも幸せになるもんだと――やっと自分のためになにかをしたんだって、そう、俺は思ってた」
そこまで話して、丁年は気付いたように眉を上げた。そうして、「ごめん。ラグナに言っても、解らないよな」、と、申し訳ないような顔を向ける。
「とにかく言いたいのは、気にすることはない、ってことだ。子どもだから、危険だから。他にハクさんにどう言われたか知らないけど、そんなの、気にすることはない。ただ、現状は理解すべきだけどな。……おまえは子どもで、今回のことは、とてつもない危険度だ。それでも、ラグナがなにかしたいなら、それを前提とした策も練れる」
「私にも……なにかできる? ハクを――みんなを助けることが、できるかな?」
「知らねえ。ただ、なにもしないで万が一、ハクさんになにかあったら、その後悔は計り知れない。それだけだよ。俺が言いたいのは」
幼女の絞り出した言葉に、素っ気なく丁年は返した。そろそろもう時間もないのだろう。彼もようやっと立ち上がり、目立つスーツの襟を、少し正す。その内側を覗き見るように俯き、一度、嘆息。
そして覗き込んだ懐から、一丁の拳銃を取り出す。右手に拳銃、左手に銀色の装丁の『異本』。その戦闘態勢で、もういかほども残っていない時間を、幼女の返答を待つことに費消した。
「私は――」
幼女は、決意に視線を持ち上げて、どちらかを答えた。
――――――――
男が転移した先では、いままさに、狂人ネロの、すべてを破壊しうるほどの一撃が、メイドに襲いかかっている場面だった。
0.5秒。それは、男が狂人の隙を突けるか、ということ以前に、狂人の拳がメイドを仕留めきるまでの時間に等しい。だから男は、当初予想していたよりもよほど反射的に、危機に激高した。
「ネロおおおおぉぉ!!」
瞬間、狂人は、あまりに強引で、あまりに柔軟な身のこなしで、標的を瞬時に男へ移行させた。それでも確実な隙は突けたようだ。しかしだからこそ、かの狂人も反射的に、もっとも加減のない攻勢で対応する。
「潰せ! 『凝葬』!!」
まだメイドへの攻撃すら緩められない。ゆえに、ただの肉体攻撃では即座には、手が足りない。
ゆえに、とっさの『異本』による範囲攻撃。また、彼が扱うもう一冊、『噴炎』よりも即効性の高い『凝葬』で、仕留めきれずとも動きは止める。そういう、反射的だったにしては完璧な、攻撃を。
「頼むぞっ!!」
ただ、ここまで準備してきた、男が――男たちが、この場では優勢を得た。
男は、転移前から常に懐へ手を差し入れ、気構えてきた準備を、発動させる。
コートの内ポケット、彼の左胸、心臓を守るようにそこに収められるは、白地に金糸にて装飾された、華美に過ぎる一冊、『箱庭図書館』。それを取り出し、開き、内に――そのページの隙間に、片腕を差し入れる。
その中から、彼女を呼び出すために。
「クレオパトラ!!」
ページの隙間から引き出される男の腕に、繋がれた、もう一本。艶めかしい黒色人種の、細腕。
「やれやれ、人――いや、王遣いが荒い、のう」
はたして数十世紀ぶりに本物の空の下に繰り出しても、かの女流は、ただ永い眠りから目覚めただけのような気軽さで、眠そうな目を少しだけ、凄絶に輝かせた。
「氷など、吹雪き飛ばしてくれよう」
言葉に呼応し、彼女の、男に掴まれたのとは逆の腕に握られた黒い装丁が、ゆらりと、燃えるように輝く。
『白鬼夜行 雪女之書』。
猛暑と乾燥の土地を治めた王には対照的な一冊に適応して、女流は、それでも力の――思いの限りに冷気を広げる。侵食してくる敵の冷気を、押し留めるように。
「おおおおぉぉぉぉ――――!!」
だから男の動きは、微塵も揺らがず、まっすぐと、狂人の顔面を力いっぱいに、射抜いた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
異世界二度目のおっさん、どう考えても高校生勇者より強い
八神 凪
ファンタジー
旧題:久しぶりに異世界召喚に巻き込まれたおっさんの俺は、どう考えても一緒に召喚された勇者候補よりも強い
【第二回ファンタジーカップ大賞 編集部賞受賞! 書籍化します!】
高柳 陸はどこにでもいるサラリーマン。
満員電車に揺られて上司にどやされ、取引先には愛想笑い。
彼女も居ないごく普通の男である。
そんな彼が定時で帰宅しているある日、どこかの飲み屋で一杯飲むかと考えていた。
繁華街へ繰り出す陸。
まだ時間が早いので学生が賑わっているなと懐かしさに目を細めている時、それは起きた。
陸の前を歩いていた男女の高校生の足元に紫色の魔法陣が出現した。
まずい、と思ったが少し足が入っていた陸は魔法陣に吸い込まれるように引きずられていく。
魔法陣の中心で困惑する男女の高校生と陸。そして眼鏡をかけた女子高生が中心へ近づいた瞬間、目の前が真っ白に包まれる。
次に目が覚めた時、男女の高校生と眼鏡の女子高生、そして陸の目の前には中世のお姫様のような恰好をした女性が両手を組んで声を上げる。
「異世界の勇者様、どうかこの国を助けてください」と。
困惑する高校生に自分はこの国の姫でここが剣と魔法の世界であること、魔王と呼ばれる存在が世界を闇に包もうとしていて隣国がそれに乗じて我が国に攻めてこようとしていると説明をする。
元の世界に戻る方法は魔王を倒すしかないといい、高校生二人は渋々了承。
なにがなんだか分からない眼鏡の女子高生と陸を見た姫はにこやかに口を開く。
『あなた達はなんですか? 自分が召喚したのは二人だけなのに』
そう言い放つと城から追い出そうとする姫。
そこで男女の高校生は残った女生徒は幼馴染だと言い、自分と一緒に行こうと提案。
残された陸は慣れた感じで城を出て行くことに決めた。
「さて、久しぶりの異世界だが……前と違う世界みたいだな」
陸はしがないただのサラリーマン。
しかしその実態は過去に異世界へ旅立ったことのある経歴を持つ男だった。
今度も魔王がいるのかとため息を吐きながら、陸は以前手に入れた力を駆使し異世界へと足を踏み出す――
転生ですか?面倒なので能力は召喚対応でお願いします。
hiyoi
ファンタジー
※【異世界アルアル】非常識設定が使えず地味に生きていく・・現実世界で俺は死に損ねたらしい?そこから異世界に引っ張られ・・簡単に簡略した内容の説明だが事実だと神に言い聞かされた。(否定は無視)その瞬間が即死でなければこんな事も可能なんだとよ。そんな状況を今一度詳しく聞けば、最近は慣れに任せて会社から帰宅途中に歩きスマホ・・アチャーな気分を我慢のままさらに聞いたら、何かに躓きコケた先には大理石っぽい階段があぁぁぁ・・はい、今はそこで停止中だそうです。いやそれもこれもマヌケな感じだが、回避手段の為に・・・・物語ゲーム世界でここから始まる・・が、俺がPCに積んだ資料(ほぼコミックとアニメに小説)余生20年では見切れない物がぁぁぁ!
妄想男子諸君!異世界ハーレム・・その定番で男子の夢を破壊する出来事がある。それは必ず迎える修羅場からの殺傷事件。刺されるのは主人公のオレ!マジヤバいから。うん、俺も女子の当事者だったら刺すわ。繁殖行動に正義は感じられないもの・・ハーレムはパスや!
※第一章第一部 始めから順調 ※第一章第二部 調子に乗って手を出す ※第二章第一部 気をつけろハーレムルート! ※第二章第二部 メンドセイ侯爵御一行の接待事情 ※第三章第一部 マグサヤ領への用命は王命なのか? ※第三章第二部 マグサヤ領へと駆ける風雲 ※第四章第一部 春は遅く竹の子は芽吹に恐れる ※第四章第二部 落ち零れ領の改善政策進行 現在進行中です。
勇者じゃないと追放された最強職【なんでも屋】は、スキル【DIY】で異世界を無双します
華音 楓
ファンタジー
旧題:re:birth 〜勇者じゃないと追放された最強職【何でも屋】は、異世界でチートスキル【DIY】で無双します~
「役立たずの貴様は、この城から出ていけ!」
国王から殺気を含んだ声で告げられた海人は頷く他なかった。
ある日、異世界に魔王討伐の為に主人公「石立海人」(いしだてかいと)は、勇者として召喚された。
その際に、判明したスキルは、誰にも理解されない【DIY】と【なんでも屋】という隠れ最強職であった。
だが、勇者職を有していなかった主人公は、誰にも理解されることなく勇者ではないという理由で王族を含む全ての城関係者から露骨な侮蔑を受ける事になる。
城に滞在したままでは、命の危険性があった海人は、城から半ば追放される形で王城から追放されることになる。 僅かな金銭で追放された海人は、生活費用を稼ぐ為に冒険者として登録し、生きていくことを余儀なくされた。
この物語は、多くの仲間と出会い、ダンジョンを攻略し、成りあがっていくストーリーである。
100000累計pt突破!アルファポリスの収益 確定スコア 見込みスコアについて
ちゃぼ茶
エッセイ・ノンフィクション
皆様が気になる(ちゃぼ茶も)収益や確定スコア、見込みスコアについてわかる範囲、推測や経験談も含めて記してみました。参考になれればと思います。
裏切られ献身男は図らずも悪役貴族へと~わがまま令息に転生した男はもう他人の喰い物にならない~
こまの ととと
ファンタジー
男はただひたすら病弱な彼女の為に生きて、その全てを賭けて献身の限りを尽くしながらもその人生を不本意な形で終える事となった。
気づいたら見知らぬお坊ちゃまへと成り代わっていた男は、もう他人の為に生きる事をやめて己の道を進むと決める。
果たして彼は孤高の道を突き進めるのか?
それとも、再び誰かを愛せるようになるのか?
夜遊び大好きショタ皇子は転生者。乙女ゲームでの出番はまだまだ先なのでレベル上げに精を出します
ma-no
ファンタジー
【カクヨムだけ何故か九千人もフォロワーがいる作品w】
ブラック企業で働いていた松田圭吾(32)は、プラットホームで意識を失いそのまま線路に落ちて電車に……
気付いたら乙女ゲームの第二皇子に転生していたけど、この第二皇子は乙女ゲームでは、ストーリーの中盤に出て来る新キャラだ。
ただ、ヒロインとゴールインさえすれば皇帝になれるキャラなのだから、主人公はその時に対応できるように力を蓄える。
かのように見えたが、昼は仮病で引きこもり、夜は城を出て遊んでばっかり……
いったい主人公は何がしたいんでしょうか……
☆アルファポリス、小説家になろう、カクヨムで連載中です。
一日置きに更新中です。
ぼくは悪のもふもふ、略して悪もふ!! 〜今日もみんなを怖がらせちゃうぞ!!〜
ありぽん
ファンタジー
恐ろしい魔獣達が住む森の中。
その森に住むブラックタイガー(黒い虎のような魔獣)の家族に、新しい家族が加わった。
名前はノエル。
彼は他のブラックタイガーの子供達よりも小さく、
家族はハラハラしながら子育てをしていたが。
家族の心配をよそに、家族に守られ愛され育ったノエルは、
小さいものの、元気に成長し3歳に。
そんなノエルが今頑張っていることは?
強く恐ろしいと人間達が困らせ怖がらせる、お父さんお母さんそして兄のような、かっこいいブラックタイガーになること。
かっこいいブラックタイガーになるため、今日もノエルは修行に励む?
『どうだ!! こわいだろう!! ぼくはあくなんだぞ!! あくのもふもふ、あくもふなんだぞ!!』
【完結】魔物をテイムしたので忌み子と呼ばれ一族から追放された最弱テイマー~今頃、お前の力が必要だと言われても魔王の息子になったのでもう遅い~
柊彼方
ファンタジー
「一族から出ていけ!」「お前は忌み子だ! 俺たちの子じゃない!」
テイマーのエリート一族に生まれた俺は一族の中で最弱だった。
この一族は十二歳になると獣と契約を交わさないといけない。
誰にも期待されていなかった俺は自分で獣を見つけて契約を交わすことに成功した。
しかし、一族のみんなに見せるとそれは『獣』ではなく『魔物』だった。
その瞬間俺は全ての関係を失い、一族、そして村から追放され、野原に捨てられてしまう。
だが、急な展開過ぎて追いつけなくなった俺は最初は夢だと思って行動することに。
「やっと来たか勇者! …………ん、子供?」
「貴方がマオウさんですね! これからお世話になります!」
これは魔物、魔族、そして魔王と一緒に暮らし、いずれ世界最強のテイマー、冒険者として名をとどろかせる俺の物語
2月28日HOTランキング9位!
3月1日HOTランキング6位!
本当にありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる