箱庭物語

晴羽照尊

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パーマストンノース編

日常の断裁者

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『虎天使R』。ただのクレヨンによって画用紙に描かれた落書きだ。黄色を基調に、黒い縞模様を持つ姿。背に生えた白い翼。そして、着ているTシャツのような服に描かれた『R』の一文字。それらから、後世、発見したWBOの執行官がそう、名付けた、れっきとした『異本』である。

 性能のランク付けとしてA~Eの五段階がある『異本』であるが、この一冊――一枚は、最低ランクのEに位置付けられている。なぜならその性能は、勝手に動きだし、勝手にしゃべり、特段に使用者の意思に従うことなく勝手に好き勝手をするだけ、であるからだ。

 特異な力を行使するでもなく、人間以上のパワーを持つでもなく、戦闘においても、日常生活においても、特段に利用価値のない、ただの『しゃべり動き回る絵』、なのである。

        *

「これは珍しいものを見た。その奔放さから、WBOですら所在を掴んでいなかった一冊が、こんなところにいたとはね」

 若者は言った。言って、じゃ、と、女の子の手を引き、その場をあとにする。

『うおいおいおい! じゃ。じゃねえよ! 珍しい、とか言っておいて、すげえ淡白だな、おい!』

 忙しなく落書きが叫んだ。ひらひらとした紙であるという要因も含んで、だいぶ動きもくねくねと、大袈裟に。

「これはあくまで忠告だが、あんな道端に落ちている汚い紙屑なんぞに、素手で触れるな」

「あい~」

 若者の忠告に、女の子は頭を落として反省した。少なくとも反省したような様子を見せた。おそらく本気で反省などしていないし、なんなら若者の言葉など難しくて、理解も完全にはしていないだろう。

『マジか! 無視か! どんだけ俺に興味ないんだよ! 見~て~! 世にも珍しい絵画のダンシング!』

 落書きは喚きながらも、意外とキレッキレなダンスを披露する。紙だから当然なのだけれど、驚くほどの身軽な動きだ!

「それと、そんな汚い紙屑を触った指を、消毒もせずに咥えるのは推奨しない。精神の安定のためなのだろうけれど、その癖も直した方がいいね。やはり、親の教育が疑われる」

「あ~い、あい」

 口うるさい祖父に、女の子は適当な返答をした。言われたばかりの指しゃぶりは止めずに。

『ちょ、ちょちょちょ! 待とうぜ、兄さん! 頼んから話を聞いておくんなまし~~~~!!』

 なにか用事があるらしい落書きが、若者たちの後を追い、その進行方向へ立ちはだかった。

        *

 落書きに体力という概念があるのだろうか? それは解らないが、その落書きは若者たちの進行方向を塞いだのち、俯き、その曲面を揺らして荒い息をした。

『あ、あんた、俺を『異本』だと知ってんだろ? ある程度『異本』に通じてるってだけじゃあ、俺の姿を見てもとは解らねえ。つまり、あんたは『異本』について、かなり詳しいやつとみた!』

 息を整えながらも、落書きはそのように推論を披露した。それに対し、若者はようやく興味を持ったように「ほう」と、呟く。

「噂に聞くよりはだいぶ思考力がある。面白い。話くらいは聞いてやろう」

「あいっ!」

 若者の言葉に、女の子も追随する。彼らの会話をすべて理解したわけではないのだろうが、雰囲気を読み取ったようだ。とりあえず、まだ少しの間はここに留まると受けて、落書きの紙、その一片を掴み、きゃっきゃと遊び始めた。

『ちょ……ちょいちょい! お嬢ちゃん! 友好の証は嬉しいけども! あったまぶるんぶるんしちゃわわわわわわわわ、わ、わ、わああぁぁ!!』

「あはは~! ぶりゃんぶりゃん!」

『た、助け、兄さん! ぶ、ぶりゃんぶりゃん! しちょわああああぁぁ!!』

 そんなこんなで振り回していると、紙の端が、ちょっと、破れた。

『うんぎゃああああぁぁぁぁ!! なにしてくれとんじゃワレェ! 俺の! 俺の一部がああああぁぁ!!』

 そんな叫びにも女の子はきょとんとし、破れ、自らの手に残った小さな紙片を若者へ押し付けた。

「ちん。えんなのとれた」

『変とはなにごとじゃああああぁぁぁぁ!!』

 落書きはうなだれ、地面をばんばん叩いた。

        *

 閑話休題。

 立ち話もなんなので――というより、若者が疲れるので、そのへんのベンチへ腰かける。

「で、なにか用があるんだろう? 一度言ったことだ、聞くだけは聞いてやる」

 若者はベンチの中央に座り、左右に、女の子と落書きを隔てて、声をかけた。女の子は若者の膝を乗り越えていまだに、落書きを掴もうと奮起している。が、若者は優雅に足を組み、その隆起で、女の子の猛攻を防いでいた。

『あ、ああ……』

 落書きは若者の言葉に応じ、一度、言葉を切った。どうやら少し怯えている。まだ、女の子を警戒しているのだろう。

『……会ったばかりの兄ちゃんにこんな頼みをするのも心苦しいんだが――』

「ふむ、解った。断る」

『実は――って、ええええ!? ボソッといきなり断った!? あんたさっき話を聞くって言ったよね!?』

「ああ、話は聞こう。だが断る」

「あいっ!」

 なぜだか女の子も胸を張って声を上げた。だから落書きはやはり、うなだれる。

『もうやだ……出会うべき相手を間違えた……』

「まあ、せいぜい己の運を嘆くことだ。せっかくきみには、自我があるのだから」

 落書きの嘆きなどどこ吹く風で、若者は気障ったらしく肩をすくめた。

 さて、それではさっそく、話を聞こう。
 改めて若者は、仕切り直した。

        *

『ああ……もう、話す気も失せてきたんだが、いちおう話すわ。……端的に言って、助けてほしいんだよ。変な女に追われてる。女ってかガキんちょだな。いや、ガキんちょってか歳はそこそこいってると思うんだが……。まあ、それはいいか。

 とにかく、そんなガキんちょが唐突に俺の前に現れて、俺を連れ去ろうとしてくるんだ。だからこうして、最近はこの公園に隠れ住んでたんだが、いつ見つかるともしれない状況だ。いつまでもこうして隠れているわけにもいかねえ。俺は、帰らなきゃならねえ家がある。

 だから、追い返すしかねえんだ。それでも、俺には人並みの力もねえ。紙だからな。それに、そのガキんちょは、『異本』を使う。並大抵の人間や、武装じゃ渡り合えない。

 ……兄さんに会ったときはほんとにツイてると思ったぜ。『異本』を扱う相手に、『異本』への造詣が深いであろう、おまえさんを見つけたんだからな』

 事情を話し、落書きは、はあ、と、息を吐いた。ツイてると思ったその自我を、否定されたことを思い起こして。
 話を聞き、ゆったりと若者は、組んでいた足を解いた。両足を地につけ、両膝に、両拳を置く。彼にしては珍しく、やけに姿勢正しく着座した形である。

「……シロ、急ごう、鹿。どうやら、運を嘆くのは、ぼくたちの方らしいからね。やれやれまったく、きみに手など引かせるべきでは――」

 言葉は、乱暴にぶつりと、途切れ――

「あい?」

 女の子がきょとんと、小首を傾げた。
 その視線の先、若者がいたはずの空間は巨大な、そして超重量な物質が遮り、ベンチどころか地面まで断ち割っている。

「あいいぃ!?」

 それを振り降ろした本人、小さなガキんちょとも呼ぶべき体躯の、しかしてしっかと濃いメイクを老けた顔に塗りつけた女性が、六歳児のような声を、上げた。


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