箱庭物語

晴羽照尊

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『シャンバラ・ダルマ』編 本章

40th Memory Vol.44(地下世界/シャンバラ/??/????)

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 さきほどまでと、同じ位置だ。同じ位置で滞空する。

 怒り。殺意。それら圧倒的な破壊の感情。それを纏い、見下ろす。しかし、どこか、戸惑いのような雰囲気も引き連れて。

「……一部は逃げたか。それで、おまえたちが、俺を足止めする――できると?」

 戸惑いは一瞬。執事はその、曖昧な感情を拭い去り、純粋に殺意をもって、二人を見下ろした。女と、並び立つ青年を。

「傲慢な方だ。どうやらそう見えるらしいですよ? ホムラ」

 なにやら親しげに話しかける青年に、女は露骨な嫌悪を、その幼い表情に張り付けた。それでも、その嫌悪を、向ける相手を切り替えて、とりあえずは乗っかることにする。

「そうじゃの、傲慢じゃ。……なれの相手など、わらわ一人で十分……そういうことじゃ」

 切っ先を掲げ、空に向かって啖呵を切る。言葉通り、たった一人で立ち向かうつもりで。その方が、確かに実力を発揮できる。そして、それを実現できる人間しか、隣にはいなかった。

 傷付けても心が痛まず、そして、気を遣わなくても傷付く心配のない、青年しかいない。だから、女は一人きりのときと変わらない。同じように、本気が出せる。

「つれないですねえ、ホムラ。まあ、もちろん身共みども一人でも、十二分ですが」

 黄金の杖を向けて、青年も続いた。

 こうして、期せずして、いつかの姉弟が並び立つ。

        *

 変わらずの投擲の構え。それは、繰り返し同じ技を繰り出す愚直な行動だったが、しかし、いまだそれが攻略されていない現状、空中からのその攻撃は安全に、一定の成果を挙げるだろう。

 むしろ、自分たちは執事に、それだけの危機感しか与えられていないということ。他の手の内を明かすまでもないと判断されているということ。

「ときに、ホムラ」

「……なんじゃ、言っておくが協力はせんぞ。汝を許したわけではないことを忘れるな」

 必中の槍に狙われている。その最中でも、青年はニタニタと余裕と気色悪さを醸し出して、女の言葉を聞いていた。

「それで構いませんよ。ただ、あなたには一人で、あの執事に対抗する手段があるのかと……気になったものですから。……身共の知っている限り、あなたの実力では対抗するにはやや、力が足りない」

 青年の言葉に顔をしかめる女だったが、その言について異論を唱えられるほどの自信は、今回なかった。

「それはお互い様じゃと思うが? それに、妾にも、汝に見せておらん奥の手くらいある」

「なるほど。それは確かに、お互い様ですね」

 青年はあっけらかんと言うと、やはりニタニタと笑った。そして、刀のように腰に差した黄金の杖に手をかけ、先んじて一歩、前に出る。

「手の内を明かしていないのは、お互い様だ」

 瞬間、女にはその杖が、ように見えた。だが、すぐに理解する。

 金属の擦れる音だ。普段、『百貨店』から抜身のまま取り出す女には、聞き慣れぬ音。

 つまり、青年は、その杖を、二つに分けたのだ。刀と鞘。その、二つの姿に。

        *

 その形状に、女は素直に驚愕した。

「汝……そんなものを持っておるなら、『焃淼語かくびょうがたり』を欲する必要などないように思うが?」

 自らの刀を持ち上げ、示す。呆れたように。

「これが『ブレステルメク』の本来の姿です。が、扱うには身共にとって、デメリットがある」

 青年は言うと、それをしかと構えた。貫かれた左手は使えない。だから、右手で、片手で。それでも、彼の筋力をもってすれば、扱うに不自由はなさそうな安定した構えだった。

 血の滴る腕を見て、女は理解が追い付いた。そうだ。もし式神を作り出したのなら、。あえて本体と誤認させるために、本体の怪我を再現する、という戦略は考えられなくもないが、執事は、本体かどうかを見分けられるらしい能力を持っている。とすれば、わざわざ式神に怪我を負わせる必要性はないだろう。

 つまり、隣にいる青年は、本体……!?

「きますよ」

 青年は言う。女の前に、先んじて。まるで立ち塞がるように。

 目を離していたはずもない。だが、言われて改めて、女も警戒した。もはや執事の腕から、槍は放たれようとしている……!

「グワオオォォ――!!」

 渾身の咆哮とともに放たれる、槍。その勢いゆえにか、遠近感の問題だろうか、それを受ける者たちにとってそれは、どうにも距離感を掴みにくいブレを生み出していた。

 片手で刀を構え、青年は息を吐く。やはり先に狙われているのは青年のようだ。ほぼ同位置にいるとはいえ、やや青年の方に槍は寄っている。

「ああ、たまには悪くない……」

 感嘆の声。ぼそりと呟かれたそれを、女は聞き逃さなかった。背を向けられてはいるが、その表情は容易に思い起こせる。幼少の頃と、そして、成人してからの戦いの日々。その、なんとも濃い関わりの中で目にしてきた、恍惚の表情。

 青年を相手取るにして、もっとも厄介なときの顔つきだ。

「式神五体以上に匹敵する、素晴らしい経験だ――!!」

 空を切り裂く高速の槍を、真っ向から叩き斬る! 両断だ。決して脆い造りには見えない鋼の槍を、その矛先から柄を通して、綺麗に一刀で、両断する。だが――

「なるほど……」

 冷や汗を、背に感じた。『パラスの槍』と言っていた。青年にとってそれは、聞いたこともない名前だったが、しかし、そもそも興味のないことなど記憶しない性格であるゆえに覚えていないだけかもしれない。

 しかし、それが青年の持つ武器と同じ、『宝創ほうそう』と呼ばれるアイテムであろうことは想像に難くない。だとしたら、人知を超越しているくらいのこと、予想しておくべきだった。

 思って、青年はその、二つに両断された槍が、、自身に向き直るさまを、やけにスローモーションに感じていた。その必中の能力は、刀とぶつかり勢いが殺されても、いまだ健在であるらしい。

 努力。努力。努力だ。青年は思う。この世の困難はすべて、努力で解決できる。だから、いつまでだって、どれだけだって、自らを磨き上げ続けられる。それが、青年の生きる糧だ。だから、その絶体絶命の状況を前にしても、彼は、ニタニタと、気味悪く笑った。

「この程度で――!!」

 言葉は、続かない。だが、咆哮に近いその叫びで、意識も力も高まった。青年は無理矢理、怪我した左腕に掴んでいた鞘で、左右に分かれた左側の槍を払い除ける。

 そんなことをしても一瞬の時間稼ぎにしかならないだろう。そんなことは解っている。そのうえ、右側はどうするというのか? そんなことは解っている。意識できる時間はないが、そんなことは理解していた。

 それでも、一瞬でも多くの時間を――

「『インドラの少女』。『開闢かいびゃくの夢』。連結発動コネクト限界突破フルブースト。十分」

 それは、がむしゃらに槍を払い除ける青年の、意識の外から、聞こえた。

        *

 掴む。

 高速の移動を可能にする身体強化系の『異本』、『インドラの少女』。それは、自身の体力を必要以上に削る代わりに、人体が発揮できる速度を越えることすら可能とする。だが、そのような速度、本来ならば手にしたところで、扱いきれるはずがない。
 なぜなら、その速度に耐えうる処理能力が、人間には備わっていないから。特に、視覚。『インドラの少女』による加速は、その最速に至れば、人体の視覚処理能力を越える。それはつまり、使用者本人も自身が現在どこを移動しているのか、認識できないということである。

 だから、女がこの『異本』を用いる場合、自身の認識限界値すれすれを狙って、できるだけ移動することを心掛けている。それで十二分だから。それでも十全に、人類が到達できる速度を越えられるから。

 だが、この場面では、それだけでは不十分と判断した。だから、、奥の手を使う。適性者レベルでは足りない。扱う。そうすれば、『インドラ』の場合、脳の処理能力すら、その速度に耐えうる強化を得ることができる。

「重っ……!!」

 そうして、青年を右から襲う槍を掴んでみて、その重さ――勢いの強さに一瞬、女の姿は常人にも見える範囲に収まった。

「い……わああぁぁ――!!」

 だが、速さは力だ。掴んでしまって自身と一体化してしまえば、問答無用で高速移動させることができる。その勢いを利用して、その一本を、女は遠くへ投げ飛ばした。これで、また戻ってくるにしても、多少の時間は稼げるだろう。

 もう一本は、自分でなんとかせい。そう言わんばかりに一瞬、女は青年に目配せ、……消える。青年の目には見えなかったが、空気の感覚、音、そして長年戦った経験から、空を蹴り、駆け上がっているのであろうと理解できた。

「まったく……」

 息を吐く時間すらなく、弾いた左側の槍は、青年の目前に再度迫っていた。それでも、苦笑せずにはいられない。甘い。どこまでも甘い。どれだけ憎まれ口を叩こうと、どうやらあの女は、自分のことをまだ、心のどこかでは弟だと思っているのだ。

 そう思うと、まだ足りないのだと理解できる。自分はまだ、成長できる、努力できる。目を開け。集中しろ。振るえ。血を巡らせ。

 そうして、青年は右手の刀で、もう一度槍を払った。

 重い。さきほどより重く感じる。それでもさきほどよりも遠くへ、払い飛ばす。

 そして一歩前へ。そしてまた弾く。負傷した左手では容易くはない。それでも、無理矢理血を流し、払い除ける。一歩前へ進む。繰り返す。

「まだ……身共は……死んで……いない……!!」

 その前進に慣れてきたころ、青年は不敵に、ニタニタと笑い、執事を見上げた。もう少しでだ。槍が防御不能なら、相打ち覚悟でも使用者を切り伏せる。そのつもりでもう一歩、彼は前進した。

 見上げた執事は盾を持ち、身構えている。おそらく、女と空中で交戦しているのだろう。『開闢の夢』は空間に足場――壁を作り出せる。ならば、空を蹴り飛ぶことも可能だ。これで少なくとも、空を飛べるという執事のアドバンテージは削がれたことになる。

 刀の射程まで、あと一歩。刃渡り60センチほどの一般的な刀だ。十メートルも上空の執事を、本来なら切れるはずがない。いくら歩を進めても、青年は空を飛べないのだから。

 だが、ただ切るだけなら可能だ。『ブレステルメク』の杖としての能力――概念拒絶の壁は、基本的に防御系のものである。約十メートル四方の壁を、杖を突き立てた場所に発生させる、という。

 そしてその、刀としての性能は、言うなれば概念断絶の刃。その触れる対象がどのようなものであれ、問答無用で切り伏せる。絶対の切れ味を持つ、攻撃的な刀。

 そしてその攻撃範囲は、杖としての壁と同じく、約十メートル。それに青年の身長や、刀の長さも考慮すれば、執事の真下にさえ到達すれば、ギリギリ、攻撃範囲に収まるだろう。

 そう思い、一歩一歩進んできた。じわじわと、槍を払い除け。そして最後の一歩まで迫った。改めて、槍を払い除け、進むために足を持ち上げる。それは文字通り、あと一歩、及ばなかった。

 女が投げ飛ばした右側の槍が、戻ってきていたから。

        *

 眼前に捉えると、委縮してしまう。女は思った。これは生物的な本能だろうか? その力の差を、どうしても感じてしまう。

 真っ黒に焦げた全身からは、見た目以上に負のオーラが立ち込め、世界そのものを憎むような怒りが感じられる。それはもはや、人間が許容できる感情の域ではない。それほどまでに深く、いきり立った思い。それを表すように、現実に、わずかに蒸気も放っている。その体はいまだ、実際に燃え続けているのかもしれない。

 焦げた全身はひび割れ、隙間からは常に、赤黒い血が滴っている。それゆえにか、執事は常に、荒く息をし、疲弊しきっているようにも見えた。もしかしたら放っておくだけで、彼は近いうちに息絶えるのではないだろうか? そう思わせるほどの、痛々しい姿。もはや怪物じみている。

 これは、人間が立ち向かえる相手ではない。そう、女は背筋に冷たいものを感じた。まあ、もちろんそれは、人間としての判断。
『異本』などという人知を超越したアイテムを用いるなら、対抗のしようはある。

「うおおおぉぉ――!!」

 すくむ体を奮い立たせ、女は速度を乗せたまま、『焃淼語』を振るう。繰り返すが、速度は力だ。その速度で振るわれた刀は、青年の『ブレステルメク』と同等に、あらゆるものを一刀両断にできるほどの威力を持つだろう。そのうえ、人体では目視すら不可能な速度で、死角から迫れば、なおさらだ。

「舐めるなよ、ネズミ風情が」

 だが、刃が執事を捉える直前、彼は振り向き、盾を構えた。『アイギスの盾』。受けた攻撃を無効化し、さらに倍の威力で跳ね返す――!

「…………!!」

 その効能を思い起こし、女は瞬時に、刀を引いた。だが、即座に転じて、空を蹴り、改めて回り込む。盾での防御は一方向だ。ゆえに、現在の女の速度で回り込めば、もはや防御は不能。

 刀は振るったばかりだ。だから、やや体勢が危うい。ゆえに、今度は左の拳で、女は執事の顔面を狙う。

 ただの拳と侮ってはいけない。いまの彼女の速度なら、その拳の一撃は、砲弾の域にまで達する。

 その拳は見事に、執事の顔面を打った。だが――

「あ、ああああぁぁぁぁ――!!」

 女は叫んだ。痛み――いや、熱。じわじわと浸食するような、身を溶かすような感覚。それが、『インドラ』によって感知速度が大幅に向上した女の、脳を刺激した。

 たった一瞬、拳が触れたその瞬間だけ、触れただけだ。殴りきった自身の拳を確認する。皮膚が爛れ、赤く黒く、変色している。見た目以上の高熱。『インドラ』の効果で素早くその痛みに気付いて、拳を振り切らなければ、左拳自体が失われていたかもしれない。

「せめて刀を使うべきだったな。それなら、刀を失うだけで済んだ」

 それだけのダメージを受けながら振り降ろした拳での攻撃も、効いている様子がない。あの速度での拳なら、人体であれば即死していてもおかしくないというのに。どうやら体の耐久力すら、人間をやめてしまっているらしい。

「近付きさえすれば、御しきれると思ったか? 浅はかだな」

 同じ高さに立っても、圧倒的な力量差に見下し、執事は言う。そして、お返しと言わんばかりに、拳を掲げた。呼応するかのように、体が赤く滾る。

 それを見、女は瞬時に、姿を消した。『インドラ』での高速移動。それを、『開闢の夢』による空中闊歩を用いて、縦横無尽に飛び回る。とにかく、捉えられてはいけない。生身では触れることすら容易ではない高温。仮に拳の威力が矮小でも、その熱に焦がされるだろう。

 だから、見つかってはいけない――!

「『グラウクスの翼』」

 執事は静かに言う。その冷たさは、まるで死の宣告のように。

 拳が振り降ろされた。それは、まるではっきり見えているかのように、女の顔面を狙っている。


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