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幕間(2020-9)
Fall In The “Wonder Land”(????/????/9/2020)
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2020年、九月二十二日、秋分。
日本、奈良。三輪山。その西麗、大神神社。
この神社は、日本神話における国造りで有名な大国主神の窮地を救ったという大物主神を祀る神社。そして、この大神神社は三輪山そのものを神体山として扱っているため、本殿がない。ゆえに、建物としては三輪山を仰ぎ見ることができる拝殿があるのみだ。
その、拝殿の上。不敬にも屋根に登り座り込む、一人の青年。
「さて、どうやら、ちゃんと『試練』は突破し、向こうへ行ったようですね」
やれやれだ。呟き、首を振る。遠くから分身に見張らせていたが、やはり、あの若者だけ帰ってこない。十中八九、地下世界へ行ってしまったのだろう。……見落としさえしていなければ。
地下世界へ降りるのは面倒だ。だが、逆に考えれば、地下世界などという異空間は、この世界の治外法権である。すべてをぶっ壊そうが、罪にはならない。
なれば、むしろやりやすいとも言える。
「ともあれ、ポジティブにいきましょう。ポジティブに」
もちろん、リスクもある。現状、地下世界に降り立ったとして、戻ってこられる保証がない。地下世界にいかなる危険があるのかも。
だが、宝を目前に手をこまねくなど、青年の性格には合わなかった。
「せっかく用意もしたんですし、まあ、行きましょうかね」
青年は言い、未知の世界に挑むには簡単すぎる気軽さで、その本を握り締めた。
「『鍵本』、発動」
*
同日。
アイルランド、ボイン渓谷。ブルー・ナ・ボーニャ古代遺跡群。その最大の羨道墳、ノウス。
ここを訪れるには一般的に、ミース県の案内センターから出発するツアーに参加するしかない。
そのツアーに正直に参加し、ガイドの説明を受ける。どうやらその縁石の多くが、春分・秋分の日に、日没地点を向くらしい。そんなことは知っている。知っているからここに来た。そう学者は思った。
それから、東の羨道へ。どうやらその先にあるという石室には入れないと言われたところで、その若い学者は、立ち止まった。
「こっそり忍び込むわけにもいかないし……この位置で大丈夫だろうか?」
しごく真剣に考え込んだ学者は、もちろん声など出したつもりではなかった。
「おいこらクソ観光客、普通に忍び込むとか言ってんじゃねえよ」
口の悪いガイドが突っ込む。
だが、そんな言葉など学者の耳には届かなかった。この学者、人間的な欠陥は多いが、学者としてはすこぶる優秀だ。とある組織のとある役職に、最年少に近い年齢で就くことになるだろうと、組織内では有名だった。そして、そのための最後の指令が、今回の仕事なのである。
「まあ、『鍵本』は正常に発動するみたいだし、問題はないはずだが……」
またも心の声が漏れる。
『異本』。あるいは、それに準ずる『鍵本』も、触れ、軽く念じれば、それがどういう種類の性能を持つのか、現状発動可能なのか理解できる。それが、彼の就くことになる役職に必要な素養。『異本』への、特異なまでの親和性。それでもって、己が手に持つ『鍵本』の調子を確かめた。
「おいこら、とっとと次行くぞ、クソ観光客」
ツアーは先に進む。だがやはり、その声は学者には届かない。
それでも、『行く』という単語だけが彼の鼓膜を刺激した。
(そうだ。どうせこれ以上は内部に入れない。なればやってみるしかないだろう)
そう意気込んで声を上げる。……いや、上げたつもりだった。
(『鍵本』、発動)
そして、消える。
このセリフは言う必要がない。だから、誰の鼓膜を揺らさなくとも、十全に学者は、旅立つことができた。
*
さらに同日。
インド、グジャラート州。
インド全域に数百単位で残る『階段井戸』はグジャラート州に特に多い。そして、ここは、同州現存最古で、規模も最大級とされる、ラーニー・キ・ヴァーヴ。
『階段井戸』とはいっても、日本人がイメージする『井戸』とは少々乖離している。もちろん生活用水供給のための施設ではあるのだが、その実態はそれだけでなく、神殿としての側面も持っている。そのため壮大で、地下深く規模も大きい。ゆえに、権力者たちの避暑地や、民衆の憩いの場としても機能していた。
その中でも、もっとも美しいとまで評されるラーニー・キ・ヴァーヴ。11世紀に建造されたものだが、当時の彫刻が良好な状態で数多く残っており、世界遺産として登録されている。
そんな歴史的価値のある建物内を、彫刻などには目もくれず歩く影が、二つ。
「いやぁ、助かったよぉ。ありがとねん☆」
「べつに助け舟を出したつもりもありませんけれど。私は本気で、あなたが裏切る可能性があると進言したのみ」
「まったまたぁ☆ 素直じゃないんだからぁ、ゼノりんは」
「うっぜえ」
「おぅい、先輩に言っていいセリフじゃないぞぉ。そ・れ・は☆」
大人と子どもみたいな身長差の男女だが、どうやら小さい方の女性が先輩であるらしい。話し方もまだ幼い、ギャルのようだというのに。
「まあ意図はともかく、あたしにとって有益だったのは違いないからねぇ。組織の目を、レンちゃんとフウちゃんの方へ向けられた」
「やっぱり欺く気満々じゃないですか、組織を」
「にゃはは~☆ でも、敵を欺くにはまず、味方からでしょぉ?」
「敵を欺く気だというなら構いませんけどね。そもそも、私にとってはどちらでもいいこと」
朗らかな声音と、ため息交じりの呆れを応酬し、歩を進める。そうこうしているうちに、到着する。その最奥に。
春分・秋分に差し込む陽光に照らし出される、ヴィシュヌの彫刻。それを見据え、先輩であるらしいギャルが、一冊の本を取り出す。
「んじゃぁ、約束通り、『試練』を先にクリアした方が、地下に行くってことで。オッケィ? ゼノりん」
「ええ、挑戦順はジャンケンですよね? それで構いませんよ、アリス」
最終確認をし、ギャルはにやりと無邪気に含み笑んで、優男を見上げる。
「『鍵本』、発動」
小さく、その声は響いた。
*
そして、やはりまたもや同日。
とある国の、とある古城。
「愚民どもは、いまごろ地を這うネズミのごとく、『試練』だかなんだかに奮闘しているのかしら?」
「はっ……頃合いと致しましては、おそらくほとんどの参加者が、すでに地下へ降り立ったことと存じます」
十全というべきか、十二分というべきか、……いや、それ以上のあり余る広さに、無為に乱立する蝋燭。それにうっすらと照らし出される、中央のレッドカーペット。その上の、豪奢な玉座。
「なあんにも知らないで、ご苦労なことね。この世に存在する伝説は、すべて本当に存在するって、知りもしないで」
その玉座の上、座る令嬢は、一冊の本を繰り、逆の手で、傅く若い執事を、撫でた。
「この世には、知るべきお方にしか知れない事実が存在するのです。地を這うネズミ風情が、お嬢様と同じ知識を得るなど、それこそ理に反しております」
傅く執事は、令嬢の指先を受け、恍惚の表情を浮かべながら、そう言った。
「そうね。……でもだとしたら、あなたはいったい、どういう身分でここにいるというの? あのネズミどもと、なにが違うのかしら?」
「私はお嬢様の忠実なる犬にございます。多幸にもお嬢様と同じ世界を歩ませていただいておりますが、なにぶんただのペットです。同じ情報を同じ精度で理解する権利は与えられておりません」
「ふうん」
素っ気なく、令嬢は唸る。そしてなにかしらが気に入らなかったのか、執事の顎に、伸びていた指先で、その喉元をわずかに、突き刺した。
「たかだか犬畜生なら、主人の気まぐれで殺されても、文句も出ないわよね」
しかして、令嬢にそれほどの力はない。いくらかの『異本』は扱えれど、その鋭く磨かれた爪先で、肉体を貫くような力はないのだ。
「もちろんでございます。この卑しい犬めは、お嬢様のためなら、どこの誰にも敗北は致しませんが、その主人の命であるなら、いついかなるときでも、どのようにでも死んで御覧に入れましょう」
執事はノータイムで返答すると、主人の手を取り、力を入れた。そのまま、自身の首を、掻き切れるように。
ふと、すっと、力が抜けた。
「まあいいわ。どうせ死ぬにも、とことんまで使い尽くして、殺してあげる」
どうせこれから、少しばかり地下世界――いや、異世界に行かねばならない。使えるものは使って、楽をしたい。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
そう言って、令嬢は立ち上がる。一冊の本を撫で、その使用を念じる。
ある種の『異本』には、それに関連する『鍵本』が存在する。そしてその内の一冊は、他の『鍵本』と違って、あらゆる面倒なしきたりをすっ飛ばして、目的を果たすことができる性能を持つ。
それは、『異本』蒐集家たちの間では、噂でしか存在しないもの。『異本』などという都市伝説の、さらに深奥の、都市伝説。
「『真鍵本』、発動」
こうして、最後の二人が、その世界から消えた。
日本、奈良。三輪山。その西麗、大神神社。
この神社は、日本神話における国造りで有名な大国主神の窮地を救ったという大物主神を祀る神社。そして、この大神神社は三輪山そのものを神体山として扱っているため、本殿がない。ゆえに、建物としては三輪山を仰ぎ見ることができる拝殿があるのみだ。
その、拝殿の上。不敬にも屋根に登り座り込む、一人の青年。
「さて、どうやら、ちゃんと『試練』は突破し、向こうへ行ったようですね」
やれやれだ。呟き、首を振る。遠くから分身に見張らせていたが、やはり、あの若者だけ帰ってこない。十中八九、地下世界へ行ってしまったのだろう。……見落としさえしていなければ。
地下世界へ降りるのは面倒だ。だが、逆に考えれば、地下世界などという異空間は、この世界の治外法権である。すべてをぶっ壊そうが、罪にはならない。
なれば、むしろやりやすいとも言える。
「ともあれ、ポジティブにいきましょう。ポジティブに」
もちろん、リスクもある。現状、地下世界に降り立ったとして、戻ってこられる保証がない。地下世界にいかなる危険があるのかも。
だが、宝を目前に手をこまねくなど、青年の性格には合わなかった。
「せっかく用意もしたんですし、まあ、行きましょうかね」
青年は言い、未知の世界に挑むには簡単すぎる気軽さで、その本を握り締めた。
「『鍵本』、発動」
*
同日。
アイルランド、ボイン渓谷。ブルー・ナ・ボーニャ古代遺跡群。その最大の羨道墳、ノウス。
ここを訪れるには一般的に、ミース県の案内センターから出発するツアーに参加するしかない。
そのツアーに正直に参加し、ガイドの説明を受ける。どうやらその縁石の多くが、春分・秋分の日に、日没地点を向くらしい。そんなことは知っている。知っているからここに来た。そう学者は思った。
それから、東の羨道へ。どうやらその先にあるという石室には入れないと言われたところで、その若い学者は、立ち止まった。
「こっそり忍び込むわけにもいかないし……この位置で大丈夫だろうか?」
しごく真剣に考え込んだ学者は、もちろん声など出したつもりではなかった。
「おいこらクソ観光客、普通に忍び込むとか言ってんじゃねえよ」
口の悪いガイドが突っ込む。
だが、そんな言葉など学者の耳には届かなかった。この学者、人間的な欠陥は多いが、学者としてはすこぶる優秀だ。とある組織のとある役職に、最年少に近い年齢で就くことになるだろうと、組織内では有名だった。そして、そのための最後の指令が、今回の仕事なのである。
「まあ、『鍵本』は正常に発動するみたいだし、問題はないはずだが……」
またも心の声が漏れる。
『異本』。あるいは、それに準ずる『鍵本』も、触れ、軽く念じれば、それがどういう種類の性能を持つのか、現状発動可能なのか理解できる。それが、彼の就くことになる役職に必要な素養。『異本』への、特異なまでの親和性。それでもって、己が手に持つ『鍵本』の調子を確かめた。
「おいこら、とっとと次行くぞ、クソ観光客」
ツアーは先に進む。だがやはり、その声は学者には届かない。
それでも、『行く』という単語だけが彼の鼓膜を刺激した。
(そうだ。どうせこれ以上は内部に入れない。なればやってみるしかないだろう)
そう意気込んで声を上げる。……いや、上げたつもりだった。
(『鍵本』、発動)
そして、消える。
このセリフは言う必要がない。だから、誰の鼓膜を揺らさなくとも、十全に学者は、旅立つことができた。
*
さらに同日。
インド、グジャラート州。
インド全域に数百単位で残る『階段井戸』はグジャラート州に特に多い。そして、ここは、同州現存最古で、規模も最大級とされる、ラーニー・キ・ヴァーヴ。
『階段井戸』とはいっても、日本人がイメージする『井戸』とは少々乖離している。もちろん生活用水供給のための施設ではあるのだが、その実態はそれだけでなく、神殿としての側面も持っている。そのため壮大で、地下深く規模も大きい。ゆえに、権力者たちの避暑地や、民衆の憩いの場としても機能していた。
その中でも、もっとも美しいとまで評されるラーニー・キ・ヴァーヴ。11世紀に建造されたものだが、当時の彫刻が良好な状態で数多く残っており、世界遺産として登録されている。
そんな歴史的価値のある建物内を、彫刻などには目もくれず歩く影が、二つ。
「いやぁ、助かったよぉ。ありがとねん☆」
「べつに助け舟を出したつもりもありませんけれど。私は本気で、あなたが裏切る可能性があると進言したのみ」
「まったまたぁ☆ 素直じゃないんだからぁ、ゼノりんは」
「うっぜえ」
「おぅい、先輩に言っていいセリフじゃないぞぉ。そ・れ・は☆」
大人と子どもみたいな身長差の男女だが、どうやら小さい方の女性が先輩であるらしい。話し方もまだ幼い、ギャルのようだというのに。
「まあ意図はともかく、あたしにとって有益だったのは違いないからねぇ。組織の目を、レンちゃんとフウちゃんの方へ向けられた」
「やっぱり欺く気満々じゃないですか、組織を」
「にゃはは~☆ でも、敵を欺くにはまず、味方からでしょぉ?」
「敵を欺く気だというなら構いませんけどね。そもそも、私にとってはどちらでもいいこと」
朗らかな声音と、ため息交じりの呆れを応酬し、歩を進める。そうこうしているうちに、到着する。その最奥に。
春分・秋分に差し込む陽光に照らし出される、ヴィシュヌの彫刻。それを見据え、先輩であるらしいギャルが、一冊の本を取り出す。
「んじゃぁ、約束通り、『試練』を先にクリアした方が、地下に行くってことで。オッケィ? ゼノりん」
「ええ、挑戦順はジャンケンですよね? それで構いませんよ、アリス」
最終確認をし、ギャルはにやりと無邪気に含み笑んで、優男を見上げる。
「『鍵本』、発動」
小さく、その声は響いた。
*
そして、やはりまたもや同日。
とある国の、とある古城。
「愚民どもは、いまごろ地を這うネズミのごとく、『試練』だかなんだかに奮闘しているのかしら?」
「はっ……頃合いと致しましては、おそらくほとんどの参加者が、すでに地下へ降り立ったことと存じます」
十全というべきか、十二分というべきか、……いや、それ以上のあり余る広さに、無為に乱立する蝋燭。それにうっすらと照らし出される、中央のレッドカーペット。その上の、豪奢な玉座。
「なあんにも知らないで、ご苦労なことね。この世に存在する伝説は、すべて本当に存在するって、知りもしないで」
その玉座の上、座る令嬢は、一冊の本を繰り、逆の手で、傅く若い執事を、撫でた。
「この世には、知るべきお方にしか知れない事実が存在するのです。地を這うネズミ風情が、お嬢様と同じ知識を得るなど、それこそ理に反しております」
傅く執事は、令嬢の指先を受け、恍惚の表情を浮かべながら、そう言った。
「そうね。……でもだとしたら、あなたはいったい、どういう身分でここにいるというの? あのネズミどもと、なにが違うのかしら?」
「私はお嬢様の忠実なる犬にございます。多幸にもお嬢様と同じ世界を歩ませていただいておりますが、なにぶんただのペットです。同じ情報を同じ精度で理解する権利は与えられておりません」
「ふうん」
素っ気なく、令嬢は唸る。そしてなにかしらが気に入らなかったのか、執事の顎に、伸びていた指先で、その喉元をわずかに、突き刺した。
「たかだか犬畜生なら、主人の気まぐれで殺されても、文句も出ないわよね」
しかして、令嬢にそれほどの力はない。いくらかの『異本』は扱えれど、その鋭く磨かれた爪先で、肉体を貫くような力はないのだ。
「もちろんでございます。この卑しい犬めは、お嬢様のためなら、どこの誰にも敗北は致しませんが、その主人の命であるなら、いついかなるときでも、どのようにでも死んで御覧に入れましょう」
執事はノータイムで返答すると、主人の手を取り、力を入れた。そのまま、自身の首を、掻き切れるように。
ふと、すっと、力が抜けた。
「まあいいわ。どうせ死ぬにも、とことんまで使い尽くして、殺してあげる」
どうせこれから、少しばかり地下世界――いや、異世界に行かねばならない。使えるものは使って、楽をしたい。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
そう言って、令嬢は立ち上がる。一冊の本を撫で、その使用を念じる。
ある種の『異本』には、それに関連する『鍵本』が存在する。そしてその内の一冊は、他の『鍵本』と違って、あらゆる面倒なしきたりをすっ飛ばして、目的を果たすことができる性能を持つ。
それは、『異本』蒐集家たちの間では、噂でしか存在しないもの。『異本』などという都市伝説の、さらに深奥の、都市伝説。
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