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1 あたしの背中の羽のこと
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しおりを挟む「塾? 行けば?」
さっくり言われた。
ここは、ヨウちゃんちの自宅カフェ「つむじ風」の地下にある、お父さんの書斎。
「あ~もう。なんでみんなして、おんなじこと言うの~?」
窓辺に置かれたアンティークなゆりイスを、あたしはギイギイとこぐ。
「そりゃ、おまえがアホだからだろ?」
本だなの前の、社長のディスクみたいな、大きなつくえで。
ノートから顔もあげずに、ヨウちゃんはそっけない。
南から西に大きく開いた格子窓。窓の外は、一面に広がる、青い海。
部屋ののこりの二面の壁は、天井からゆかまで、たながそびえている。
重たい木のたなに、びっしりとつまった本の背表紙は、どれもこれも英語。
本のほかには、なべやすりこぎや、ガラスビンなんかも置いてある。
亡くなったお父さんを引きついで、今は、ヨウちゃんがこの部屋を占領している。
「妖精に、タマゴを産ませるには。好きな花に、別の花の花粉を何種類かあわせて受粉させ、受粉させた花を、一週間、妖精に抱いて寝かせる。運がよければ、一週間後の朝、花はタマゴにかわる。成功する確率は、十パーセント」
ヨウちゃんはさっきから、「妖精のタマゴ」について調べてる。
なんか、むずかしすぎて、よくわかんない。
あたしがひざの上で開いているのは、花の妖精を精密に描写した画集。描いたのは、昔のイギリスの絵本画家なんだって。
放課後、この部屋に来るのが、最近のあたしの日課。
格子窓から入ってくる日差しと、重くて古い本たちが、あたしの心を落ちつかせる。
ヨウちゃんはいつも、お父さんのつくえでノートを読んだり。ハーブを煮詰めて、ヘンな薬をつくったり。
あたしの話に、たまにうなずいたり。たまに笑ったり。たまに毒づいたり。
それだけなんだけど。
あたしは毎日、そんなヨウちゃんを見たくなる。
学校だと、ほとんどあたしに向けられない笑みが、書斎の中では、そばにあって。
学校だと、石膏みたいに硬そうなほっぺたが、書斎の中では、桃みたいにやわらかくて。
ゆったりと流れる、静かな時間。
「でもさ~。ヨウちゃんだって、塾、行ってないじゃん~」
「オレは今んところ、勉強は間に合ってるからな」
うわ~っ!? なに、この人。すっごい、エラそうっ!!
ヨウちゃんが読んでいるのは、英語で書かれたお父さんの本を、ヨウちゃんのお母さんが、日本語に翻訳したノート。
ヨウちゃんのお父さんは、文化人類学者だった。専門は「妖精」。
しかも、妖精をじっさいに見ることができる、学者さん。
見られるだけじゃない。
妖精の傷を治す、妖精から負った人間の傷まで治す、不思議な方法を知っていた。
妖精に関わるお医者さんだから、「妖精のお医者さん」。
お父さんが亡くなってから、八年たって。
今度は、あたしとヨウちゃんが、フェアリー・ドクターになったんだ。
なんて、ファンタジー。
現実とは思えないくらい、ファンタジー。
だけどこれが、あたしたちにとっての、現実。
「てか、週にニ回の塾くらい、ふつうだろ?」
「え~? だけど、塾になんて通ってたら、そのぶん、ここに来る日が減っちゃうよ~」
「ってったって、おまえ、ここに来て、特になにかしてるわけでもないんだし。 ほぼ毎日来てんだから、それが一日とびになったって、別にど~ってことないじゃねぇか」
う~……。
それはそうなんだけど。
ヨウちゃん、なんか冷たくない?
「ちゃんと塾に通って、少しは賢くなって来い。そのままの頭で中学あがったら、しょっぱなから、つまずくぞ」
あ……やわらかい声。
けど、なによ! 大きなお世話っ!!
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