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episode.21
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そう仕向けたのは自分なのだが、リディオは後悔した。
自分の膝の上でスヤスヤと寝息を立てるこの痩せた薬師はリディオが惚れている女だ。
乾いた半開きの唇に動きやすい絹の洋服、簡単にまとめられた髪に塗らずとも白い肌。
それがソフィアの多忙さをなによりも物語り、せめて自分だけは甘やかしてやりたくなる。
「寝込みは無いよな。万に一つもあり得ない」
だがリディオよ、こんなに無防備に男の前で寝る方が悪いとは思わないか?してしまっても合法だろう。
いやいや、この娘は疲れているんだ。休めと言ったのはお前だぞリディオ。ここで手を出すのは騎士としての信条に反する。
おかしな事を言うな。騎士である以前にお前は男だ。そして見ろ、己が好きな娘の無抵抗な姿!これはお前を受け入れていると言って良いと思わないか?
それこそ馬鹿な話だ!この娘はただ眠っているだけ。しかもそう仕向けたのはリディオ、お前だぞ!今はその時ではない、私が正しいと本当は分かっているんだろう?
などと先刻から脳内議会を繰り広げることとなっている。議題は言わずもがな、キスをするかしないか。
チラリとソフィアに目を向ければ何かを感じとったのか僅かに顔を歪ませ、そしてまたスースーと寝息が立つ。
議会の結果、しない2票、する1票でまたしても我慢を強いられる事となった。
では起きたらかましてやれと悪魔の囁きに深いため息が溢れる。
ああ、ほんとうにかましてしまいそうだ。
例えば夜会でこれでもかと着飾った御令嬢に、「ねぇ騎士様?」と猫撫で声でホテルの一室にでも誘われたとして、リディオがする事といえば部屋の前まで送り届けて冷めた顔のまま「私はこれで」と御令嬢を部屋に仕舞い込むのみだ。
この腕に絡まりつかれようが、計算高く上目遣いで見つめられようがそれに何かを感じた事はない。
だがソフィアといえば、外で見かければ「おーい」と大手を振って駆け寄ってくるところ、食べた物を飲み込む事も待てずに「美味しい!」と目を輝かせるところ、血を恐れないどころかまじまじと観察するところ、そんな淑女らしからぬところ程彼女の魅力でまんまとハマった。
これが彼女の計算だと言うのなら、リディオは良心の呵責に苦しむ事なく布団に縛りつけ、思うままに触れる事さえ躊躇わずに出来ただろう。
計算であったなら………。
「まさかな」
ソフィアはそんなに器用じゃ無い。人を見る目には自信があるほうだ。
不器用ゆえに努力を惜しまず頑張りすぎる、そういう人だ。
原因不明の病は生活水に溶け込んだ毒物が原因で、何をしたって人から人への感染はないとはっきり証明された。
であればやはりあの時に済ませてしまうべきだった。いや、でもあの時点では感染条件がはっきりしていなかったのだからやはり判断は誤っていない。
手にばかり症状が出ていたのは、リディオが何かに触れるたびに良かれと思って手を洗っていたのが仇となったからだ。
誰を責めるわけにも行かないのだが、やはりやるせない。
今触れたところで、ソフィアにその記憶は残らないわけで、バレなければセーフ、などとそれこそ犯罪者のような思考にリディオは己の頭を抱えた。
とにかく何でも良いから思考を切り替えようとしているところに、カランカランと店のベルが鳴り、「いるかい?」と老婦のような声が届く。
ソフィアを起こさなければと視線を向けた時には、既にソフィアは「はーい」と体を起こそうとしていた。
長年の習慣、と言うわけらしい。眠っていてもこの音にだけは反応できる体になっている事に、薬師としての責任と覚悟を感じる。
ひょろひょろとした体格に似合わず、その芯の強さは見習いたいと同時にやはり惚れ惚れする。
何かな?と独り言を言いながら暖簾の向こうに姿を消したソフィアだったが、5分と経たずに戻ってきた。
「大丈夫だったか?」
「はい。包丁で手を切ったみたいなんですけど、薬を切らしていたのを忘れていたようで」
「そうか。大事じゃなくて良かったな」
「はい」と微笑むソフィアは僅かな仮眠で幾分かスッキリしたように見える。
30分程度、なんて事はないのだが、「すみません寝ちゃって」と恥ずかしそうにしているソフィアは、愛しい以外の何者でもない。
「お前は、すごい奴だな」
「え?」
「よく頑張っているよ、お前は」
素直にそう言葉にすると、ソフィアは一段と照れ臭そうに頬を緩めた。
「ありがとうございます。…あの、一つお願いをして良いですか?」
「なんだ?」
「リディオさんが、そう思った時……時々で良いので…今みたいに褒めて貰えたらなって…。リディオさんに認められていると、どんな時でも私の心が荒すさむ事は無いと思うので…」
頑張った褒美に、もしくは惚れた男に、自分の欲しい物を強請るのは良くある話だ。
が、その願いはあまりにも健気で、やはりリディオのツボだった。
悪き心が囁く。本能のままに貪れと。
善き心が訴える。い、一応確認せよと。
ソフィアの頬に手を伸ばす。
「その願い、聞き受ける代わりに、俺からも頼みがある」
「……はい?」
「口付けてもいいか」
ピクッと全身に力がこもるのが伝わってくる。だがこれは恐らく拒否では無く、緊張。
無理矢理はだめだ!返事を待て!きっと良い返事が返ってくるはずだ!
ここまで来たならいってしまえ。2度のお預けなど馬鹿馬鹿しい。
リディオの格闘など知る由もないだろうが、ソフィアはコクコクコクと首を細かく縦に振ったのだった。
自分の膝の上でスヤスヤと寝息を立てるこの痩せた薬師はリディオが惚れている女だ。
乾いた半開きの唇に動きやすい絹の洋服、簡単にまとめられた髪に塗らずとも白い肌。
それがソフィアの多忙さをなによりも物語り、せめて自分だけは甘やかしてやりたくなる。
「寝込みは無いよな。万に一つもあり得ない」
だがリディオよ、こんなに無防備に男の前で寝る方が悪いとは思わないか?してしまっても合法だろう。
いやいや、この娘は疲れているんだ。休めと言ったのはお前だぞリディオ。ここで手を出すのは騎士としての信条に反する。
おかしな事を言うな。騎士である以前にお前は男だ。そして見ろ、己が好きな娘の無抵抗な姿!これはお前を受け入れていると言って良いと思わないか?
それこそ馬鹿な話だ!この娘はただ眠っているだけ。しかもそう仕向けたのはリディオ、お前だぞ!今はその時ではない、私が正しいと本当は分かっているんだろう?
などと先刻から脳内議会を繰り広げることとなっている。議題は言わずもがな、キスをするかしないか。
チラリとソフィアに目を向ければ何かを感じとったのか僅かに顔を歪ませ、そしてまたスースーと寝息が立つ。
議会の結果、しない2票、する1票でまたしても我慢を強いられる事となった。
では起きたらかましてやれと悪魔の囁きに深いため息が溢れる。
ああ、ほんとうにかましてしまいそうだ。
例えば夜会でこれでもかと着飾った御令嬢に、「ねぇ騎士様?」と猫撫で声でホテルの一室にでも誘われたとして、リディオがする事といえば部屋の前まで送り届けて冷めた顔のまま「私はこれで」と御令嬢を部屋に仕舞い込むのみだ。
この腕に絡まりつかれようが、計算高く上目遣いで見つめられようがそれに何かを感じた事はない。
だがソフィアといえば、外で見かければ「おーい」と大手を振って駆け寄ってくるところ、食べた物を飲み込む事も待てずに「美味しい!」と目を輝かせるところ、血を恐れないどころかまじまじと観察するところ、そんな淑女らしからぬところ程彼女の魅力でまんまとハマった。
これが彼女の計算だと言うのなら、リディオは良心の呵責に苦しむ事なく布団に縛りつけ、思うままに触れる事さえ躊躇わずに出来ただろう。
計算であったなら………。
「まさかな」
ソフィアはそんなに器用じゃ無い。人を見る目には自信があるほうだ。
不器用ゆえに努力を惜しまず頑張りすぎる、そういう人だ。
原因不明の病は生活水に溶け込んだ毒物が原因で、何をしたって人から人への感染はないとはっきり証明された。
であればやはりあの時に済ませてしまうべきだった。いや、でもあの時点では感染条件がはっきりしていなかったのだからやはり判断は誤っていない。
手にばかり症状が出ていたのは、リディオが何かに触れるたびに良かれと思って手を洗っていたのが仇となったからだ。
誰を責めるわけにも行かないのだが、やはりやるせない。
今触れたところで、ソフィアにその記憶は残らないわけで、バレなければセーフ、などとそれこそ犯罪者のような思考にリディオは己の頭を抱えた。
とにかく何でも良いから思考を切り替えようとしているところに、カランカランと店のベルが鳴り、「いるかい?」と老婦のような声が届く。
ソフィアを起こさなければと視線を向けた時には、既にソフィアは「はーい」と体を起こそうとしていた。
長年の習慣、と言うわけらしい。眠っていてもこの音にだけは反応できる体になっている事に、薬師としての責任と覚悟を感じる。
ひょろひょろとした体格に似合わず、その芯の強さは見習いたいと同時にやはり惚れ惚れする。
何かな?と独り言を言いながら暖簾の向こうに姿を消したソフィアだったが、5分と経たずに戻ってきた。
「大丈夫だったか?」
「はい。包丁で手を切ったみたいなんですけど、薬を切らしていたのを忘れていたようで」
「そうか。大事じゃなくて良かったな」
「はい」と微笑むソフィアは僅かな仮眠で幾分かスッキリしたように見える。
30分程度、なんて事はないのだが、「すみません寝ちゃって」と恥ずかしそうにしているソフィアは、愛しい以外の何者でもない。
「お前は、すごい奴だな」
「え?」
「よく頑張っているよ、お前は」
素直にそう言葉にすると、ソフィアは一段と照れ臭そうに頬を緩めた。
「ありがとうございます。…あの、一つお願いをして良いですか?」
「なんだ?」
「リディオさんが、そう思った時……時々で良いので…今みたいに褒めて貰えたらなって…。リディオさんに認められていると、どんな時でも私の心が荒すさむ事は無いと思うので…」
頑張った褒美に、もしくは惚れた男に、自分の欲しい物を強請るのは良くある話だ。
が、その願いはあまりにも健気で、やはりリディオのツボだった。
悪き心が囁く。本能のままに貪れと。
善き心が訴える。い、一応確認せよと。
ソフィアの頬に手を伸ばす。
「その願い、聞き受ける代わりに、俺からも頼みがある」
「……はい?」
「口付けてもいいか」
ピクッと全身に力がこもるのが伝わってくる。だがこれは恐らく拒否では無く、緊張。
無理矢理はだめだ!返事を待て!きっと良い返事が返ってくるはずだ!
ここまで来たならいってしまえ。2度のお預けなど馬鹿馬鹿しい。
リディオの格闘など知る由もないだろうが、ソフィアはコクコクコクと首を細かく縦に振ったのだった。
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