156 / 159
第6章 憤怒の憧憬
38話 憤怒を消し去る傲慢
しおりを挟む「⎯⎯こんばんは、昼間ぶりですねスタッガルド侯爵夫人?」
教会へと足を踏み入れた俺は、1人嗤う女に声をかけた。
昼間見た少し神経質そうな様子とは、正反対の様子。
左目で見るアーシャ・スタッガルドは、ユーリの時と違って人間を逸脱してはいない。
本人の意志だからか、長年積りに積もったものだからか、それとも悪魔ごとに別種の能力を持っているのか、黒い靄みたいなのは顕現していなかった。
ゲームではどうだったのだろうか?
完全に契約を交わした時点でシナリオが発生するのか、それともその後何年も擬態した上で発生しているのか。
「…………貴方」
声に反応して、アーシャ・スタッガルドが俺の方へと振り返った。
「僕は⎯⎯」
「知ってる、私、貴方の事を知ってるわ。貴方、リュート・ウェルザックでしょう? 有名だもの、勿論知っているわ。ウェルザック、そうよ。そう言えば、あの女は今ウェルザックの所にいるのだっけ? いるのよね、私知ってるから隠さなくていいのよ。確か、貴方は強力な空間魔法を使えるのでしょう? 丁度いいわ、私を貴方の家へと連れて行ってくれないかしら?」
昼間は挨拶も出来なかった事を思い出し、名を名乗ろうとしたが、アーシャ・スタッガルドは知っていると矢継ぎ早に話を続けた。
「……何の為に?」
答えは分かっている。
けれど、あまりに楽しそうな笑顔で頼んでくるので、聞き返さずにはいられなかった。
「そんなの、決まっているわ。あの女とアレを殺す為よ。殺して殺して殺すの。当然でしょう? だって、あの女は私にそうしたもの。だから、私も同じだけの苦しみをあの女に与えるの。まぁ最も、あの女はアレを殺したところで、別に何とも思わないかも知れないけれどね。でも、絶対に殺すわ。安心して。今の私には力があるもの。その次は、シュトロベルン公爵ね。あの穢れた血を引くものは、全て殺さないと……ねぇ、私早くあの女とアレ|《・・》を殺したいの。早く連れて行ってくれないかしら?」
「……アシュレイは兄様、レイアスと仲良くしたいと思ってますよ」
アーシャ・スタッガルドは、最早それしか頭にないのだろう。
瞳を狂気的に爛々と輝かせるだけで、アシュレイや将軍の事は完全に頭から消えている。
「アレを、アレをその名で呼ぶなっっ!!! レイアスは、あの子のモノだっ!!」
アーシャ・スタッガルドは、いきなり怒鳴り散らした。
先程まで俺に笑みを浮かべていたのに、今は憤怒と憎悪を向けている。
……あの子?
アシュレイの話をしようとしたのに、アーシャ・スタッガルドは兄様の、レイアスの名に反応を示した。
「あの子が誰かは存じ上げませんが……僕は兄様達の方が大切なので、そのお願いは聞けませんね」
交渉は決裂。
向こうが引かないのなら、戦うしかない。
「そう……邪魔するなら貴方も死んでっ!!」
アーシャ・スタッガルドの腕から、激しい炎を纏った何本もの剣が俺を指し貫こうと飛来してくる。
「っ、“シールド”」
予想していなかった攻撃に、俺は咄嗟に無属性の防御壁を張った。
防御壁によって阻まれた剣が、カランカランと尾とをたてて床に落ちる。
ユーリの時みたいな、黒い靄じゃないのか……っ!?
ユーリの時と同じなら、靄に対し光属性の魔法は有効であったが、アーシャ・スタッガルドの腕を突き破って現れたあの剣は実態がある。
光属性のホワイト・サンクチュアリも効果はあるだろうが、実態を持っている以上完全に防ぎきれない。
完全に結び付いている悪魔は、思った以上に厄介であった。
「あら、固いのね……でも、私の、私達の怒りは、憎悪は、もっともっと強いのよっ!」
詠唱なしの攻撃が、続けざまに放たれる。
どうやら先程の攻撃は、全力ではなかったらしい。
先程よりもずっと、炎の勢いが激しい。
「“シールド”っ!?“テレポート”」
俺の出した防御壁に亀裂が入り破られようとしたのを、寸前で転移魔法を発動させて何とか回避した。
「危なっ!」
俺が居た場所には何本もの剣が突き刺さり、火柱が上がっている。
「避けるなっ!」
いや、避けるから。
避けなければ、間違いなく致命傷だ。
休む暇なく、放たれ続ける攻撃をテレポートを発動して避けた。
教会の中は、最早ボロボロだ。
いつ倒壊してもおかしくない程に壊されている。
……将軍に気付かれないように、大きい魔法は使わないようにしてたけど。
これだけバカスカ暴れられればそれも無意味だ。
もう既に気付かれていても、不思議ではない。
邪魔をされる前に……一気に片をつける!
「……今から、俺の固有魔法で貴方のその力を消し去ります」
こうして態々宣言する必要は本来ない。
けれど、ユーリの時とは違い、アーシャ・スタッガルドには恐らく代償が必要となる。
「けす? 消すですって、やっと、やっと、復讐出来るだけの力を持ったのに、屈辱に耐えなくてもよくなったのに!? それを、消す? あなたに、貴方にそんな資格なんてないわ!!!」
俺の言葉が更に火に油を注いだのか、全方位へとアーシャ・スタッガルドは攻撃を放った。
「っ、貴方は自ら望んで、その力を手にしました。故に──」
なんとなく、予感はあった。
アーシャ・スタッガルドを見た時から。
「五月蝿いっ、死ねっ!!」
滅茶苦茶に放たれた剣をテレポートでも交わしきれずに、左腕をかする。
ジュワッと肉の焼ける音がして、腕に激痛が走った。
ほんの少しかすっただけで、この威力なのだ。
直撃したら、ただでは済まない。
「────貴方は、その悪魔と結び付いた感情、記憶を全て失なう」
そして予感は今、確信に変わった。
自分の魔法だから分かる。
悪魔と深い所で結び付いたアーシャ・スタッガルドは、その記憶と感情まで失なう。
つまり、アーシャ・スタッガルドの最愛の人の記憶も消えてしまうと言うことだ。
「貴方は、お前は、お前も私から大切なものを奪うというのっ!? 何も、何も知らない癖に、何不自由なく育ったお前が私から奪うと言うのかっっ!!?」
アーシャ・スタッガルドが、血反吐を吐くような叫びを上げる。
その姿は実に憐れだ。
「えぇ……貴方のその怒りは最もだと思います。逆の立場なら、俺もそうするでしょうから」
「ならっ!」
「でも、俺は貴方ではないし、絶対に譲れない……守りたいものだってある」
だから、俺は固有魔法を使う。
俺の行動は間違ってはいないが、実に非道で傲慢だ。
既にボロボロのアーシャ・スタッガルドに、更なる追い打ちをかけ止めを刺すようなものだ。
それでも、それでも俺はこの選択が最善だと信じているから──
「“我は清廉にして潔白、白き魂を持つ者”
“我は公正にして純白、邪悪を祓う者”
“今ここに星の導きのもと、邪悪を焼き払わん”
“アストラル・ファイア”」
教会内が、白い焔で包まれる。
アーシャ・スタッガルドは何とか防御しようとして、それが出来ないと悟るとその顔を絶望で染めた。
この魔法を使うのは、2度目だ。
悪魔に対して、この魔法は非常に有効であった。
「いや、いや、止めてっ! 止めてよっ!!? 消えてしまう、あの人が、あの子がっ! やめて、奪わないでっ、スレイ、スレイヤっ!!」
アーシャ・スタッガルドは焔に包まれながら、必死に懇願した。
けれど、俺が魔法を止める事はない。
「……恨んで、憎んで、赦さなくていいですよ。僕は貴方にそれだけの事をしたのだから」
俺は自分の望み、兄様やアシュレイの為にアーシャ・スタッガルドを犠牲にした。
それは間違いなく咎められるべき事であるし、赦されない事だ。
「やめ、やめて……スレイヤ、奪わないで、……レイアス……」
アーシャ・スタッガルドに根付いた悪魔を燃やし尽くしたのか、糸が切れたかのようにパタリと床に倒れた。
俺はアーシャ・スタッガルドを運ぶ為に、彼女にそっと近付く。
「⎯⎯彼女に触るな」
伸ばした腕を、男の声で俺は止めた。
「スタッガルド将軍……早いですね」
将軍は祭壇の奥、裏口からその姿を見せた。
既に就寝していたのだろう、寝着にガウンを纏っただけの姿であった。
そして何より、以前は身に付けていた眼帯をつけてはいなかった。
俺の背中に、冷たい汗が流れる。
次は将軍との闘いになるのかな……話を聞いてくれるといいんだけど。
「……別に貴殿と事を構える気はない。悪魔に取り憑かれる人間には、破滅しかない。アーシャは……彼女は命があるだけましだろう」
将軍はアーシャ・スタッガルドの頬を伝う涙を拭うと、そのまま彼女を抱き上げた。
此方から将軍の表情は見えない。
本心からそう思っているのかは、判断しがたかった。
「……ずっと見ていたんですか?」
将軍の口振りからすると、今来たばかりではないようだ。
「アレだけ派手に暴れればな……私は彼女の気持ちが、痛い程によく分かる。私も同じ思いを抱いているのだから……だが、アシュレイの気持ちも分かるからな……スレイヤは私にとってもかけ換えのない友であった────だから、決して感謝などしない」
「……当然です。貴方達にはその権利があります」
将軍の言葉に俺は頷いた。
当然だ。
俺は、アーシャ・スタッガルドの大切なものを奪った。
「……もう夜中だ。貴殿の親も心配するだろう。早く外に居る者と共に帰るといい」
「……外?」
俺は首を傾げて、入ってきた扉を見る。
誰か外に居るのか?
「……アシュレイの、あの子の親としては感謝している。私はずっとアーシャにも、あの子にも何もしてやるが出来なかったのだから……」
将軍はそう俺に言い残すと、アーシャ・スタッガルドを抱き抱えたまま裏口から出ていった。
その背中はひどく寂しそうだ。
「……俺も帰ろう」
あの家に。
母様達の所に。
俺は入ってきた扉から外へと出た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
此処に入る直前はポタポタと降る位であったのに、いつの間にかザーザー降りへと変わっていた。
「…………外に居るって、兄様の事だったんですか」
扉の横に立っていたのは兄様だった。
雨に濡れるのも構わずに、教会の壁へと背を預けていた。
「……リューが心配でね。迎えに来たんだ」
「そう……ですか」
「うん」
兄様は俺に何も言わないし、聞かなかった。
そのまま2人の中に、沈黙が流れる。
「……帰りましょうか?」
「そうだね……帰ろう」
俺達はその後言葉を交わす事なく、屋敷へと2人で帰ったのであった。
10
お気に入りに追加
2,428
あなたにおすすめの小説
メインをはれない私は、普通に令嬢やってます
かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール
けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・
だから、この世界での普通の令嬢になります!
↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・
悪役令嬢の独壇場
あくび。
ファンタジー
子爵令嬢のララリーは、学園の卒業パーティーの中心部を遠巻きに見ていた。
彼女は転生者で、この世界が乙女ゲームの舞台だということを知っている。
自分はモブ令嬢という位置づけではあるけれど、入学してからは、ゲームの記憶を掘り起こして各イベントだって散々覗き見してきた。
正直に言えば、登場人物の性格やイベントの内容がゲームと違う気がするけれど、大筋はゲームの通りに進んでいると思う。
ということは、今日はクライマックスの婚約破棄が行われるはずなのだ。
そう思って卒業パーティーの様子を傍から眺めていたのだけど。
あら?これは、何かがおかしいですね。
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
転生者の取り巻き令嬢は無自覚に無双する
山本いとう
ファンタジー
異世界へと転生してきた悪役令嬢の取り巻き令嬢マリアは、辺境にある伯爵領で、世界を支配しているのは武力だと気付き、生き残るためのトレーニングの開発を始める。
やがて人智を超え始めるマリア式トレーニング。
人外の力を手に入れるモールド伯爵領の面々。
当然、武力だけが全てではない貴族世界とはギャップがある訳で…。
脳筋猫かぶり取り巻き令嬢に、王国中が振り回される時は近い。
異世界母さん〜母は最強(つよし)!肝っ玉母さんの異世界で世直し無双する〜
トンコツマンビックボディ
ファンタジー
馬場香澄49歳 専業主婦
ある日、香澄は買い物をしようと町まで出向いたんだが
突然現れた暴走トラック(高齢者ドライバー)から子供を助けようとして
子供の身代わりに車にはねられてしまう
お前じゃないと、追い出されたが最強に成りました。ざまぁ~見ろ(笑)
いくみ
ファンタジー
お前じゃないと、追い出されたので楽しく復讐させて貰いますね。実は転生者で今世紀では貴族出身、前世の記憶が在る、今まで能力を隠して居たがもう我慢しなくて良いな、開き直った男が楽しくパーティーメンバーに復讐していく物語。
---------
掲載は不定期になります。
追記
「ざまぁ」までがかなり時間が掛かります。
お知らせ
カクヨム様でも掲載中です。
美少女に転生して料理して生きてくことになりました。
ゆーぞー
ファンタジー
田中真理子32歳、独身、失業中。
飲めないお酒を飲んでぶったおれた。
気がついたらマリアンヌという12歳の美少女になっていた。
その世界は加護を受けた人間しか料理をすることができない世界だった
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる