つもるちとせのそのさきに

弥生

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転.なゆたのかなたへ 終

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終.もりもりていとしさあふれ、永久とわ未来みらいぬし



 今宵もまた愛しさに負けてたっぷりと情を交わした後、身体を清める。
坊ちゃんを後ろから抱き締めて眠ろうとするが、とんとんと手で催促するものだから、まだぬくいその中に冷静を取り戻した分身を挿入していく。

「ん……ふ……」

「坊ちゃん、辛くないですか?」

「んー、すごく安心するのだ。お前に抱き締められていると。だから…寝るまでこのまま……」

「はいはい」

 奥まで挿入したものだから、やはり腹は少し俺の形に膨らんでいる。
 坊ちゃんは満足した猫のように目を細めて、腹を擦る。
 昔は拡張するために少しでもって……いや、正直に言おう。

 1年後の目覚めの時まで彼の身体を覚えておくために、最後の最後まで中にいたかったのだ。

「私は好きだぞ。お前にこうやって抱き締められながら、物語を語ってもらうの」

「そうでしたね。昔たくさんお話ししましたね」

「お前の低い声がとても心地よいのだ。どの物語も面白かった」

「どの物語も喜んで聞いてくれましたね」

「うむ。そうしてな、話の折にお前が低く笑うと、中まで振動がきてな。ああ、お前と“一つになっている”って実感がしてとても好きだったのだ」

「そう、でしたか」

 自身の腹を撫でるその手に俺の手を載せて、身体を密着させる。

「また話してくれるか? とっておきの幸せになる物語を」

「はいはい、坊ちゃんの仰せのままに。たくさん、たくさんお話をしましょうね」

「うむ、お前の昔話だっていいぞ? 私はもっとお前が知りたいんだ」

「そうですね、では今度両親のことでも……頑張って思い出してお話ししますか」

「ああ!」

 ふふふっと嬉しそうにジーンが笑う。
 ジーンの笑った振動が、俺にも伝わってくる。

「お前としてみたいことはたくさんあるな」

「例えばどんなことですか?」

「そうだな……解読できなかった文献を紐解き、成功できなかった研究の再検証!」

「うーん、美味しいものが食べたいとか旅行したいとかかと思っていました」

「それも良いな。時間はたっぷりある。なんでもできそうだ !あっ……でも……」

「どうしました?」

「もし、お前が……生に厭きる日が来たら……言っておくれ。きっとお前を旅立たせることはできると思う……」

「へーえ、そのときジーンはどうするんです?」

「………さみしいから、ついていく……」

「では、あなたを殺す方法も、探さないといけませんね」

「止めないでくれるのか?」

「んー。質問に質問を返すようであれですが。もし、俺が自らの意志とは別に……そうですね、例えば管理者がまた何かして俺が死にそうになったらどうします?」

「どんな手を使ってでも生かす方法を探す」

「俺の生を諦めないでくれるんでしょう?」

「当然だ。お前は……私の半身だ。お前が死を望まない限り……どんなことをしてでも生かしてみせる」

「なら一緒だ。俺だって、ジーンは俺の片割れ。愛しいつがいだ。あなたが俺と生きてくれるのならば、ずっと隣で歩んでいきたいし、もし生に厭きたとしても絶対に坊ちゃんを連れていきますよ」

「連れていってくれる?」

「もちろん。坊ちゃんを一人にはしません。ですが、もし生まれ変って道が分かたれるくらいなら、このままずっと坊ちゃんと生きたいですけどね」

「そっか。そうか……ふふ……そうか、そうだな。……私も、新しい私になっていろんな可能性が生まれるとしても、お前と分かたれるぐらいなら、このままでいいかな」

「そうそう、もう不死の生を世界に繋がれているんじゃないんです。俺たちの意志で、この世界に繋がっているんですよ」

 絶望しかなかった……この世界の守り手として。

「ふふふ、私なんて世界を救ってしまったしな! お前のついでに!」

「はははっ。そう、俺のついでに」

 途方もないことを成し遂げたのに、それを“ついで”と言ってしまえる坊ちゃんが愛惜いとおしい。

「だがどうしよう。旧世代の奥様たちの日記に、どんなに好いた相手でも長年一緒にいると喧嘩することもあるって書いてあったぞ。けんたいき、だったか? 相手が嫌になることも! 最悪、下着も一緒に洗いたくなくなるそうだ」

「俺は坊ちゃんに対しては無量大数むりょうたいすうまでは我慢できますけどね」

「むむ……喧嘩したらちょっと距離を置くことも視野に入れないといけないな……長く付き合う秘訣だそうだ」

「へぇ、どのぐらいの時間?」

「25年までは耐えられるな!」

「俺が3日しかもたないので、そのぐらいの時間で勘弁してください」

 というか、俺が3時間でも離れると寂しくなって探しに来る生物が何を言うんだか。

「も~! しょーがないなぁ! お前は私がいないと駄目だからな! 喧嘩しても3日で勘弁してやろう!」

「ありがとうございます、坊ちゃん。ついでに仲直りの合言葉も作っておきましょう」

「仲直り?」

「そ。どれだけ喧嘩していても、この言葉を聞いたら一時休戦ってことで喧嘩をやめる合言葉」

「ふーん、いいぞ?」

「三千世界の、烏を殺し」

「主と朝寝がしてみたい、か?」

「そうですそうです。この都々逸を合言葉に、仲直りしましょう」

「ふふ、いいぞ。お前との想い出の唄だからな。その言葉で折れてやろう」

 ジーンは眠くなってきたのか、大きなあくびをする。

「あふ……三千世界の烏を殺し!」
「……まだ喧嘩すらしていませんよ?」

「主ともっと仲良くしていたいのだ」

「もっと仲良くしていたら、俺の息子も起きてしまいますよ。さぁさ、もう寝ましょう。明日も明後日も、時間はたっぷりありますからね」

らい……」

「何です?坊っちゃん」

「なんだかとっても……幸せだ」

「……俺もです」

「ずっと、ずっと二人で……」

千代ちよに、八千代やちよに」

 すぅすぅと寝言が聞こえてくる。
 身体をずるりと離すと、大切な俺の坊ちゃんを抱えなおす。


「お休み、ジーン」





**************************





 枯れた大木が見守る森には、神様がいるのだという。


 いったいどれほど昔の話なのか、僕の曽祖父のそのまた曽祖父以前から語り継がれているというのだから、その伝承が正しいのかどうかもわからない。

 ただ、その昔。大病を患った幼子を救っただとか、日照り続きの田畑に雨を降らせて村を救っただとか。そんな古い伝承が細々と残っていた。

 みんなそんな“おとぎ話”を信じているのかと嘲笑ったけれど、藁にも縋る思いで弟を背負い森の奥まで分け入っていく。


「に……ちゃ……ごめ……」
「喋るな。にいちゃんがどうにかしてやる。だから、もう少しだけ頑張れっ」

随分と軽くなってしまった弟を背負い、鬱蒼うっそうとした森をただただ進む。

 心臓がもたないと、村の医者からも匙を投げられた。
 昔から発作があると寝込むような脆弱さだったけれど、今度の発作は今までと違った。
 顔がどす黒い色となり、口に入れた物ですら飲み込めなくなった。

 医者からは、もう数日しかもたないと…そういわれた。

 親は泣きながら葬儀の準備をし始めた。
 兄は、最期に旨いものを食べさせてやろうと狩りに行った。
 僕は……僕は……。

 ――弟の死を受け入れることができなかった。

 子どもの足でどれだけ歩いても風景が変わることはない。

 ひゅうひゅうと、か弱い呼吸が背中からする。
 命が滑り落ちる音がした。

 泣いちゃだめだ。
 もしかしたら弟は、僕が連れてこなければ、今頃暖かい布団の中で、みんなに惜しまれて眠ることができたかもしれない。

 泣いちゃだめだ。お前が泣いてどうする。

 僕が、僕が君を……。

「に……ちゃ……も……り……きれい……だね……ぼく、おもく……ない……?」
「すごく空気が澄んでいるな。お前は重くない。もっと重くてもいいぐらいだ」
「に……ちゃ……ごめん……ね……ぼく……」
「謝るな! 何も、お前が謝る必要なんてない!」

 あぁ、神様。神様どうか、お願いします。

 僕の弟は昔から身体が弱くて……寝込むことが多くて……。
 面倒を見るのを面倒くさがった兄にだって、ずっと変わらずにいちゃんにいちゃんって懐いてくれて。
 本当にいい子なんです。本当に。
 だからどうか、どうか。

 僕の弟を、助けてください。


 戻ることも難しいほどの森の奥深く。
 僕の背で弟を一人寂しく死なせてしまうのか。
 僕がこんなところに来なければ、弟は家族に見守られて逝けたのに。

 ……いや。だれもがみんな弟を諦めた。
 僕だけは……僕だけは諦めるなんてできはしない。

 でももし弟を……こんな森の奥深くに連れてきてしまったせいで、死期を早めてしまったら。
 …………罪悪感と恐怖で吐きそうになる。

 ずっと早歩きで森を歩き続けて、どれぐらいたっただろうか。
 まるでぱくりと異界に飲まれるように、見ていた景色がぐるりと変わる。

 すっと森がひらけると、そこには大きな……枯れた大樹が目の前に広がっていた。

「枯れた大樹……あったんだ……本当に……」
 ぜぇぜぇと辛そうに呼吸する弟をそっと大樹の根元に横たわらせると、持っていた竹筒から水を飲ませる。
「に……ちゃ……おさん……ぽ……たのしいね……」
「ごめんな……もう少し……もう少しだけ頑張ってくれ……」
「に……ちゃ……ありがとう……ぼく……ぼくね……こんな……ごほっごほごほっ……っ」
「もう、しゃべるな! わか、わかったから、ごめんな、ごめんな……」
「ひゅーっ……ひゅー……ううん……ありがと…にちゃ……ぼくね……うれしいよ。ほんと……嬉しいんだ……ずっと……おそと……いけなかったから……」
「お願いします! お願いします!!! 神様、神様……どうか……いらっしゃったら、弟を……弟を助けてください!!! 僕のすべてを捧げます!! どうか、どうか弟を……連れて行かないでください!!!!」
「あのね……にちゃ……ごほっ……ぼくね、おそと……うれしいよ……なか……ないで……にぃちゃ……」
「う……うあぁ……あああ」

 願っても願っても、弟の命は掌から零れ落ちていくようで。

 現実は残酷で……。

「ごめんな……もう、真っ暗になっちゃったな……」
 僕たちの住む村は森のすぐ近くだとはいえ、ここまでくるのに半日以上がかかったんだ。

 弟は眠る様に呼吸を弱めていて、僕は最期の最期。家族に看取ってもらうこともなく、弟を寂しく旅立たせてしまうのだろう。

「ごめんな、僕が……伝承なんて……信じなければ……」
 うっすらと、虚ろな瞳を開けて、弟はにこりと笑顔を作る。
「にいちゃん……かみさまは……いるよ……だって……ほら……」

 弟の言葉に緩やかに顔を上げると、森の奥から明かりがぽつりと灯る。


 徐々に明かりが近づいてくると、どうやら人が歩いてきているようだった。

 黒い大剣を背負った体格の良い男の人と、その男の人に抱かれて運ばれている、白と赤が鮮やかなそれはそれは美しい人だった。


「ふむ、子どものようだな。こんなところで迷子か?」
 鈴を鳴らしたような、とても凛とした響きのある声が白と赤を纏う美しい人から聞こえてきた。
「いえ、どうやら怪我をしているようですよ。坊ちゃん。大樹の警告鈴ブザーに野生の猪でも引っかかったかと思っていましたが、どうやらこの少年たちだったようですね」

 重さを感じさせない軽やかなステップで、美しい人はすとんと男の人から離れる。
 その一歩一歩の動作すら神々しくて、神様とは本当に美しいものなんだなと思わず惚けてしまう。

「あ……あの……」
「少年は疲労と困憊こんぱいか。……その寝かせられている子どもはどうやら体調が悪いようだな」
「……か……み様……神様、どうかお願いします! 弟を助けてください!!!」
「神ではないが、良いぞ? えーとどこだったか。おい、緊急救助セットはもってきているか?」
「はいはい、どうぞ。何かあったら困ると思って、持ってきていますよ」
「うむ! えーと確かこの中に……あったあった。よし、これを飲ませるのだ」
「ありがとう……ございます……」

 見惚れるぐらいに美しい手から渡された小さな薬を弟の口に含ませて、僕の分の竹筒の水をゆっくりと飲ませる。

「けほっ……」
「大丈夫か……?」

 弟のどす黒く、苦しそうだった顔が少しだけ和らぐ。


「見たところ、心臓と血液の合併症状が出ていたようだな。その薬であれば中から治療してくれるだろう」
「にいちゃ……おむね……少し……いきが……吸えるよう……」
「ああ、本当に……本当に……よかった……良かった……」
 にこっと弱々しく笑った弟を思わず抱きしめる。

 ああ、本当に本当に……。

「神……様……ありがとうございます。奇跡を……奇跡を……起こしてくれて……ありがとうございます……」
 泣きながら感謝をしていると、長い白髪の神様はふっと美しく笑った。

「奇跡? 奇跡などあるものか」

「……え?」
「少年、一つだけ教えておこう。この世界には奇跡などありはしない」
 諦めかけていた弟を一瞬にして救ってくれた美しい神様は、強い瞳で断言する。

「もしあるとするならば、願いのために積み重ねた、諦めぬ心だろうか」
「積み重ねた……心……?」
「その子どもを救った薬とて、私が数万回以上もの試行を重ねたものだ」
「数万……」
 あの小さな薬の中に、どれほどの時間が…掛けられていたのだろうか。

「少年、奇跡などない。だが、願いを叶えるために積み重ねることはできる。今は叶わなくとも、お前の代では無理だったとしても、その願いを繋いでいくことはできる」
「願いを……繋ぐ……」
「ふっ……ほら、少年。おそらくその子どもは村の誰からも諦められたのだろう? その首に下げているお守りは、親が夭折する子に持たせる魔除けだ。それでもお前は諦めきれず、ここまで歩いてきた。そうだろう?」
「う……そうです……」
「足の裏の豆は潰れ、血が滲んでいる。それでもお前は諦めなかった」
「はい……僕は……弟を……諦めきれませんでした……」
 抱き締めた弟の額から、汗で張り付いた髪を横に梳く。

「ふふん、悪くない。少年よ、私はそういうのは嫌いではないぞ」
「はぁ、坊ちゃん。素直に助けたくなったって言えばいいのに」
「うるさいうるさい!」
 ちょいとごめんよ、と大柄な男の人はしゃがみ込むと慣れた手つきで僕の足に薬を塗ってくれた。

「ちょうど試しで作動させていた転移装置を踏んだみたいだな。子どもの足ではここまでは5日は掛かるだろうに。本当に運がよかったとしか言えないが」
 てんいそうち……なんのことだろう?

「よし、これでいいぞ。帰りは村の近くまで送ってやるから安心しろ」
「ありがとうございます!」

 ぐ~ぎゅるるるぅ。
「うっ」
 ……安心したら、お腹が鳴ってしまった。
 神様もパチパチと瞬きしてこちらを見ている。少し、恥ずかしい。

「おい、何か持っていないか?」
「はいはい、ついでに坊ちゃんと外で食べようと、簡易的な食料をもってきていますよ」
 男の人がパンに野菜や厚切りのベーコンを挟んだものを分けてくれた。
 美味しそう……。ゴクリと喉が鳴る。
 弟にも分けるために半分に千切る。
 ベーコンを小さくちぎって弟の口にいれると、もぐもぐと小さな口を動かした。

 かぶりつくと新鮮な野菜の食感と塩味がとても効いたベーコン旨味がじゅわっと口の中に広がる。

 男の人は神様のためにパンを小さく切って、食べさせていた。
 そして自分も食べるのかと思ったら、立ち上がって樹の根元の近くにあった黒っぽい岩に水をかけていた。

「何をしているんだ?」
「せっかくだから月見でもしようかと神酒を持ってきたんですが、少年たちを村まで送り届けないといけないのでね。飲む替わりに昔の相棒に供えようかと」
「ふーん」
 神様はぺたぺたと男の人にじゃれついている。

「にいちゃ……おにく……おいし……」
「ん、まだ食べられないと思うから、もぐもぐして、味だけでも吸うんだぞ?」
「うん……ねえ、にいちゃん。神様、とっても綺麗だね」
 神様は貸してみろと神酒を男の人から受け取って、黒い石にかけていた。

「神様たち、とっても仲良しだね」

 男の人は穏やかだけど、最初は少しぴりっとした空気だった。
 きっと、神様を守るために、気を配っていたんだろう。

 二人は互いがいることが当たり前のようで……ああ、そうだ。

「きっと、つがいの神様なんだね」
「番?」
「そう、いつも仲良く一緒にいる、父さんと母さんみたいなものだよ」
「にいちゃん……とても……綺麗だね……」
 パンを持ったままコトリと頭が揺れる。
 どうやら、弟は眠ってしまったみたいだ。

 すぅすぅと正常な弟の寝息がしてきて、死の気配が遠ざかったことに……ものすごく安心してしまった。

 よかった。
 本当に、よかった。

 ……安心した途端、疲れがどっと出てくる。
 瞼が……とても重くて……。

「ん? 少年、眠いのか? まぁ眠ってしまえばよい。案ずるな」
「あの……神様……ご恩……返し……」
「いらぬいらぬ。お前のような民草をたまには救ってやるのも、悪くないものだからな」
「でも……お礼を………」


「ゆっくりお休み、民草よ。薬は良く効くが、生を望む心が弱ければ病に負けてしまうこともある。もしも救われて、どうしてもお前が礼がしたいと言うのなら、この花をやろう。この大樹の近くに同じ花が群生しているところがある。そこに挿して、弟と二人で元気な顔をみせておくれ」


 閉じる瞼が最後に映したのは、とても優しく微笑む神様の姿だった。










 その後、真夜中に村のはずれで弟と共に眠っていたのを、誰かが見つけてくれたらしい。
 村の男総出で探してくれていたらしく、僕は大層怒られて、弟は泣きながら両親に抱き締められた。

 匙を投げた医者が、今度は聴診器を投げ飛ばしてしまうほど、弟の回復は驚異的だった。
 村中の人が奇跡だと言っていたけれど、僕たちだけは知っている。
 これが諦めなかった結果なのだと。

 それから数年がたって、弟が走り回れるほど元気になってから、あの森にもう一度行ってみた。

 何日もかけて大樹にたどり着く。
 その周りには古びて朽ち果てそうな遺跡しかなかったけれど、そのほど近い場所に、あの日僕が握りしめていた透明な花と同じものが、敷き詰められている場所を見つけた。

 弟と二人で感謝を込めて、そこに花を挿す。


 それから何度か森に入ってみたけれど、神様にもう一度会うことはできなかった。




「兄さん、また書いているのかい?」
「ん-、やはり同じような伝承はどこの地域でも残っているんだよな」

 あれから病気がちだった弟は、信じられないほどに頑丈に育った。
 少し育ち過ぎて、成人を過ぎるころには僕の背を追い越してしまったのは本当に想定外である。

「それよりもう準備はできたのか? 何年か隣町で研修するんだろう?」
「兄さんは心配性だなぁ。もう準備はできているよ」
「はぁ、あれだけ可愛かった弟がこんなに立派マッチョになって」
「兄さんは机に齧りつきすぎて、背が縮んでしまったかもしれないね」

 ボスリと可愛くない事を言う腹に一撃入れてやる。
しかし運命とは本当にわからない。

「お前が医者になるなんてな……」
「んー。医者でも救えない命はある。けれども、僕は最後の最後まで、命を諦めない。救い上げようと努力する人になりたいなって」
「昔お前を救ってくれた神様みたいにか?」
「ははっ違うよ。兄さんみたいに、だよ」
 医者を示す白い衣を着る弟は、照れたように笑った。

「それよりも、兄さんは絵本は書き終えたの?」
「もう少しだ。みんな神様はいないって言っていたけれど、注意深く物語を集めていくと、断片的にも見つかるんだよ、様々な寓話の中に彼らの姿が」
「僕はもうぼんやりとしか覚えていないけど、でも兄さんはそれを残したいって思っているんだね」
「ああ。世界に奇跡はない。けれども、世界はそこまで残酷ではない。僕があの伝承に縋って救われたように、きっと後世にこの物語によって救われる人がいるかもしれない。……だから、僕は物語を綴るよ。誰かが必要とする……遠い彼方かなたのその日のために」


 枯れた大木が見守る森には、神様がいるのだという。

 とても神々しくて美しい、赤い瞳に長い白髪の神様と、その神様を見守る優しそうなもう一人。


 願いを求める人にそっと手を差し伸べる。

 ――仲睦まじい、つがいの神様だ。







 那由多なゆた彼方かなた



   ―終―







三千世界さんぜんせかいの からすころ
(すべての世界の朝を告げる烏を殺してでも)

      ぬし朝寝あさねが してみたい
    (あなたと朝遅くまで眠ってみたい)
















 がるるつがいは 那由多なゆた彼方かなた
(恋に焦がれるつがいは遥か遠いむこう)

     もる千年ちとせの そのさき
     (降り積もるような千年のその先に)

              





 最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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