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5.調達人、鬼と遭遇する 結 後編
しおりを挟む「なあに。単純な事だよ」
むしろ、この月という男は気づかなかったのだろうか。
……疑問に思うことはなかったのだろうか。
いや、無理はない。
「恐らくだけど、禁軍の上官との会話ってこんなものじゃなかったかしら」
すっと息を吸って、月と上官の会話を真似る。
『爺さんが死んだ。俺は命令が無ければ動けない。次は何をすればいい』
『ひっお前は、軍医の、なぜ部屋に入ってくる! 何故隅に立つ!?』
『爺さんは上官はあんただと言った。あんたの命令に従う』
『何をわめいているんだ! 失せろ! こちらに来るな!』
『それは、仕事がないという事か? 俺をクビにするのか?』
『どっかにいけ! お前のような気持ちの悪い者など知らぬ!!』
そうして不要だと言われた月は、とぼとぼと軍医と暮らした部屋に戻り、鎧を軍に返し、熊皮とずた袋を被った恐ろしい鬼と見間違えられた。
「みたいな感じかな」
「おお、すごいな。大体あっている。ほとんど同じ事を言われた」
「次は、その時、上官には“どう聞こえていたか”というのを再現するね」
『ああぁぁああ、ああおおおおぉおお。おおおおおぉお』
『ひっお前は、軍医の、なぜ部屋に入ってくる! 何故隅に立つ!?』
『ああおおおおぉおおあああぁあ。あおあおおあおお』
『何をわめいているんだ! 失せろ! こちらに来るな!』
『おおお、おおおおぉおおあああ? おおぉおおおぉ?』
『どっかにいけ! お前のような気持ちの悪い者など知らぬ!!』
軍医が使っていた大男。それが部屋の隅で意味をなさない唸り声をあげている。
目的を聞いても唸り声ばかりを上げており、恐ろしくなって部屋から追い出した。
「……? いきなり唸り声を混ぜてどうしたんだ?」
「あなたの話す言葉は、他の人からは音の強弱でしか差がわからないのでしょう」
「そうなのか? 確かに俺の言葉は聞き取りにくいのか、爺さん以外と会話になったことがないが……なら、あんたはなんで会話ができるんだ?」
「耳が良くてね。あなたの言葉の中にある微細な違いを聞き取って、推測して文章を組み立てているだけよ」
「…………なるほど? だとしたら爺さんはどうだ。爺さんはどちらかといえば耳は遠い方だったぞ」
「あなた、爺さんとは兜を被ったままお話した?」
「……いいや。話すときは夜寝る前がほとんどで、兜を脱いだ後だな。それ以外では話すなと言われているからな」
「軍医の爺さんは、あなたの唇の動きで、あなたの言葉を“見て”いたのかもしれないわね。言われたのでしょう? 『相手の反応を良く見て話せ。ちゃんと会話しろ』あまりにも早く唇を動かしすぎると、読み取れなかったかもしれないわね」
彼は圧倒的に人との対話が少ない。
おそらく、他者との会話はすべて軍医が行っていたのだろう。
唯一会話できたのは、彼を育てた軍医のみ。
上司と会話が通じなかったのも、鬼が襲いかかってきたと言われたのも、彼らにはこの男の言葉が聞き取れなかったのだ。
彼は、爺さんが聞き取れていたのだから、自分の言葉がまさか他人に伝わっていないとは気づいてもいなかったのだろう。
人は、他者から指摘されたときに、己というものを認識することがある。
きっと、この男は軍医が亡くなるまで、そうだと言うことに気付かなかったのだろう。
「そうか、俺の言葉は誰にも伝わっていなかったのか……」
しょんぼりとしている姿が、少しばかり不憫に思えた。
「あなた、耳がそこまで良いということは、話せない原因は口の中に有るという事ね。小さい頃に口の中を怪我をしたのでしょう。その傷が原因で上手く話せないことが稀にあるの。でも、あなたの口の動きはとても読みやすく、何を言っているのか推測しやすい。きっと軍医の爺さんはあなたを熱心に教育してくれたという事ね」
人から恐れられる体躯の彼が、これから生きていくのに困らないように、武芸と知識と愛情を注いだのだろう。
「……ああ。厳しかったが、大切な事はすべて教えてくれた」
「それに、声で会話できなくても、知らない相手と意志の疎通はできるわ。手を使ったり、行動で示したり。相手に自分の気持ちを伝える方法は、いくらでもあるもの」
「手……そんな方法もあるのか……」
「ま、これも外の国から取り寄せた資料に載っていた事だけどね」
「なるほどなぁ……」
「ある程度できるまでは、私が教えてあげるわ」
月の歩いていた足が止まる。
「どうしたの?」
「いや、本当に良かったなと思ってな。俺は話すのが好きなんだが、爺さんが死んで、このままでは誰とも話せないところだった。だけど、あんたの耳なら音が違いを聞き取れる。……俺の話を聞いてもらえる。会話を交わす事ができるのは、なんて幸運なんだろうなってな。……俺は、あんたの少し高い声が心地よく聞こえる。あんたの話はとても面白くて、ずっと聞いていたいぐらいだ」
いきなり全面的に褒め始めてどうしたのだろう。
まぁ、賃金は上げてやらないが、たまに昼寝ぐらいは許してやろうか。
「私は運動がてんで駄目なのよ。あなたが私の盾になり、戦う剣となり、足となってくれるのなら、いくらでも会話をしてあげるわ」
月はからからと笑って……きっと嬉しそうに呟いた。
「そいつは最高だね。末長くよろしく使ってくれよ、紅」
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