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1.調達人、鬼と遭遇する 起
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そこは宮殿の奥。
愛憎渦巻く後宮の一つ手前の建物の中。
一度後宮に入れば二度と出る事が叶わぬ妃たちのために、遠方より集めた品々を管理者に卸す部屋があった。
「本日の納品はこちらにございます」
調達人の私は、管理者が検品している間、伏して部屋の板の目を数える。
「……朱妃と黄妃へ品、確かに確認した」
とちゃりと貨幣が詰まった袋が床に落とされる。
慰労に手ずから? ないない。顔を上げないようにしゅっと手を伸ばして袋を掴むと引き寄せて懐に入れる。
この管理者は人使いが荒いが金払いは良い方だ。中身を確認したくなるのをぐっと堪えて、床に額が擦れるほど深く頭を下げる。
「ありがとうございます。また五日後に御用を聞きに参ります」
すっと先に管理者が立ち、品を持って部屋を出ていった。
はー、無駄に緊張した。
蹲っていた顔を上げて、ぐぐっと背伸びをしてから立ち上がる。
とてとてと歩いて部屋を出ると、また遠い宮殿の入り口まで行かないといけないのか……とげんなりする。
人の背丈の胸ほどしかない身では、門まで遠く感じてしまう。
成人してもその低身長。子どもに間違われるなんてこともある。
籠かなにかで運ばれたなら、随分と楽なのになぁとトボトボと歩いていく。
広い宮殿の奥に後宮があるので、入り口からそこまで行こうとすると、私の足では半刻は必要となるのだ。
嘆いていても仕方がないと歩きながら、耳を傍立てる。
「ねぇ、聞いたかしら。あの将軍様のお話。そう、そうなのよ。あの寡黙で美貌の御方が行方不明だと聞いて……」
「また人が消えた? 今年に入ってから何人目だ?」
「朱妃様にも困ったものだよ。また女官を首にして。また良家の才女を頼まなければ……」
「むし!? あ、すまない。大きな声を出して……また食事に……緑妃もお可哀想に……嫌がらせなんて……」
「あなた桃妃付きになったの? おめでとう! 桃妃様はそれはそれはお優しい方だそうだから安心ね!」
「白妃はいつもしゃなりと歩いていらっしゃるの。纏足がとてもお可愛らしく……」
「鬼? 何を言っているんだ? そんな話あるわけないだろう!」
「まだ皇太子となられる方は決まっていないのか……」
すれ違い様に色々な話が耳に入ってくる。
小声で話しているのは女官や官吏など。
噂話というのはとても重要な情報を与えることがある。
一つ一つを取ってみれば大した内容に思えないものでも、内容を精査し予測を立てれば重要な武器になる。
小さく侮られる事の多い自分の武器は、相手に警戒されにくい事。
童が迷い込んだのかと見逃される。視界に入っているのに、意識に上がらない。
だから皆ほんの少しだけ油断する。
そうして、耳が良いという事も非常に有利だ。
相手が小声で話していても、その話を拾うことができる。
善く聴く耳を持ち、善く観る目を持ち、善く沈黙する口を持つ。
これが後宮に出入りする調達人としての私の信念だ。
とてとてとて……べちっ。
「へぷっ」
……なお、聴く事に夢中になって、転ぶことや、物にぶつかることはままある。
生き残るための思考力を得た代わりに、運動能力はどこかに置いてきてしまったようだ。
「まだ着かない……遠い……籠が欲しい……」
いや、ただの商人に籠なんて使わせてくれないのはわかっているけど……。辛い。
てちてちと歩いて、やっと大門まで来た。
「おじちゃん、お仕事終わったよ」
「おっ偉いなぁ。よしよし」
門番の兵士とは良好な関係を築いている。顔を覚えてもらうの大事。雑談ができる程度の関係性を築くの大事。
「そういやな、最近文官の出入りする東門の辺りが危ないそうだからな。近寄るんじゃないぞ」
「東門? 何かあったの?」
宮殿は正面にある大門、文官の勤め処が近い東門、武官の詰め所が近い西門と三つある。
……いや、後宮にも小さな門が一つだけあるが、あそこの利用する条件が厳しく、普段は使われていない。
「それがな、鬼が出るんだそうだ」
「…………鬼?」
「あぁ。身の丈が大槍ほどあり、恐ろしい顔をしていて、近寄る者たちにうおおおああああって叫んで襲い掛かるんだ」
「っ!?」
いきなりの大声はやめて欲しい。ぴょんと飛び跳ねてしまった。
門番の兵士は怖がらせることに成功したと思ったのか、ぐしぐしと頭を撫でてくる。
「今のところ被害にあっているのは退勤した文官がほとんどで、待ち伏せにあって…って話ばかりだがな」
「待ち伏せ……」
「あぁ、東門を出てすぐのところに橋があるだろう? あそこを渡ろうとすると出るらしいんだ」
「それって追い払わないの?」
「武官と文官があまり仲が良くないのは知っているだろう? 武官も戯言だと相手にしてくれないんだ」
ふーん……。噂話で耳に入った鬼の話は、それの事か。
「ねぇ、もしも……その鬼をどうにかすることができたら、宮殿で籠を使用する許可を推薦してもらえないかな」
「嬢ちゃんが鬼を? 危険すぎるだろう?」
「大丈夫だからさ!」
「まぁ、いいけど……」
「やった! あれって宮殿に勤めている人の推薦が必要なんだよね。四枚までは集められたけれど、あと一枚が集まらなくて!」
籠を使う許可とは、籠を引く人間も一緒に宮殿に入れる許可とも言える物だ。
出入りの者が籠の中に危険物を忍ばせたり、籠引きを使って要人を害しないようにと、宮殿に勤める五人の推薦人の書面が必要となる。
なんとか管理者からの面倒な調達依頼を達成したり、妃の何人かから推薦を頂いていたけれど、あと一枚だけ推薦状が足りなかったのだ。
これでやっと移動に籠が使えそう。
「ご依頼承りました」
にこっと笑みを作る。
「東門の平和を、お届けいたします」
愛憎渦巻く後宮の一つ手前の建物の中。
一度後宮に入れば二度と出る事が叶わぬ妃たちのために、遠方より集めた品々を管理者に卸す部屋があった。
「本日の納品はこちらにございます」
調達人の私は、管理者が検品している間、伏して部屋の板の目を数える。
「……朱妃と黄妃へ品、確かに確認した」
とちゃりと貨幣が詰まった袋が床に落とされる。
慰労に手ずから? ないない。顔を上げないようにしゅっと手を伸ばして袋を掴むと引き寄せて懐に入れる。
この管理者は人使いが荒いが金払いは良い方だ。中身を確認したくなるのをぐっと堪えて、床に額が擦れるほど深く頭を下げる。
「ありがとうございます。また五日後に御用を聞きに参ります」
すっと先に管理者が立ち、品を持って部屋を出ていった。
はー、無駄に緊張した。
蹲っていた顔を上げて、ぐぐっと背伸びをしてから立ち上がる。
とてとてと歩いて部屋を出ると、また遠い宮殿の入り口まで行かないといけないのか……とげんなりする。
人の背丈の胸ほどしかない身では、門まで遠く感じてしまう。
成人してもその低身長。子どもに間違われるなんてこともある。
籠かなにかで運ばれたなら、随分と楽なのになぁとトボトボと歩いていく。
広い宮殿の奥に後宮があるので、入り口からそこまで行こうとすると、私の足では半刻は必要となるのだ。
嘆いていても仕方がないと歩きながら、耳を傍立てる。
「ねぇ、聞いたかしら。あの将軍様のお話。そう、そうなのよ。あの寡黙で美貌の御方が行方不明だと聞いて……」
「また人が消えた? 今年に入ってから何人目だ?」
「朱妃様にも困ったものだよ。また女官を首にして。また良家の才女を頼まなければ……」
「むし!? あ、すまない。大きな声を出して……また食事に……緑妃もお可哀想に……嫌がらせなんて……」
「あなた桃妃付きになったの? おめでとう! 桃妃様はそれはそれはお優しい方だそうだから安心ね!」
「白妃はいつもしゃなりと歩いていらっしゃるの。纏足がとてもお可愛らしく……」
「鬼? 何を言っているんだ? そんな話あるわけないだろう!」
「まだ皇太子となられる方は決まっていないのか……」
すれ違い様に色々な話が耳に入ってくる。
小声で話しているのは女官や官吏など。
噂話というのはとても重要な情報を与えることがある。
一つ一つを取ってみれば大した内容に思えないものでも、内容を精査し予測を立てれば重要な武器になる。
小さく侮られる事の多い自分の武器は、相手に警戒されにくい事。
童が迷い込んだのかと見逃される。視界に入っているのに、意識に上がらない。
だから皆ほんの少しだけ油断する。
そうして、耳が良いという事も非常に有利だ。
相手が小声で話していても、その話を拾うことができる。
善く聴く耳を持ち、善く観る目を持ち、善く沈黙する口を持つ。
これが後宮に出入りする調達人としての私の信念だ。
とてとてとて……べちっ。
「へぷっ」
……なお、聴く事に夢中になって、転ぶことや、物にぶつかることはままある。
生き残るための思考力を得た代わりに、運動能力はどこかに置いてきてしまったようだ。
「まだ着かない……遠い……籠が欲しい……」
いや、ただの商人に籠なんて使わせてくれないのはわかっているけど……。辛い。
てちてちと歩いて、やっと大門まで来た。
「おじちゃん、お仕事終わったよ」
「おっ偉いなぁ。よしよし」
門番の兵士とは良好な関係を築いている。顔を覚えてもらうの大事。雑談ができる程度の関係性を築くの大事。
「そういやな、最近文官の出入りする東門の辺りが危ないそうだからな。近寄るんじゃないぞ」
「東門? 何かあったの?」
宮殿は正面にある大門、文官の勤め処が近い東門、武官の詰め所が近い西門と三つある。
……いや、後宮にも小さな門が一つだけあるが、あそこの利用する条件が厳しく、普段は使われていない。
「それがな、鬼が出るんだそうだ」
「…………鬼?」
「あぁ。身の丈が大槍ほどあり、恐ろしい顔をしていて、近寄る者たちにうおおおああああって叫んで襲い掛かるんだ」
「っ!?」
いきなりの大声はやめて欲しい。ぴょんと飛び跳ねてしまった。
門番の兵士は怖がらせることに成功したと思ったのか、ぐしぐしと頭を撫でてくる。
「今のところ被害にあっているのは退勤した文官がほとんどで、待ち伏せにあって…って話ばかりだがな」
「待ち伏せ……」
「あぁ、東門を出てすぐのところに橋があるだろう? あそこを渡ろうとすると出るらしいんだ」
「それって追い払わないの?」
「武官と文官があまり仲が良くないのは知っているだろう? 武官も戯言だと相手にしてくれないんだ」
ふーん……。噂話で耳に入った鬼の話は、それの事か。
「ねぇ、もしも……その鬼をどうにかすることができたら、宮殿で籠を使用する許可を推薦してもらえないかな」
「嬢ちゃんが鬼を? 危険すぎるだろう?」
「大丈夫だからさ!」
「まぁ、いいけど……」
「やった! あれって宮殿に勤めている人の推薦が必要なんだよね。四枚までは集められたけれど、あと一枚が集まらなくて!」
籠を使う許可とは、籠を引く人間も一緒に宮殿に入れる許可とも言える物だ。
出入りの者が籠の中に危険物を忍ばせたり、籠引きを使って要人を害しないようにと、宮殿に勤める五人の推薦人の書面が必要となる。
なんとか管理者からの面倒な調達依頼を達成したり、妃の何人かから推薦を頂いていたけれど、あと一枚だけ推薦状が足りなかったのだ。
これでやっと移動に籠が使えそう。
「ご依頼承りました」
にこっと笑みを作る。
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