【完結】銀鳴鳥の囀る朝に。

弥生

文字の大きさ
上 下
13 / 16
金鳴鳥の囀る朝に。

金鳴鳥の囀る朝に。 最終話

しおりを挟む
 優しい声にいざなわれ、瞼をゆっくりと開ける。
 ぼんやりとした視界の中で、青年が覗き込んでいた。
 二十代中頃の、青年の輪郭が浮かび上がる。
 
「グラディウス」

 その声に、涙が溢れる。
 胸の奥から込み上げてくる懐かしい声。
 瞬きをしたら搔き消えてしまいそうで、グラディウスは溢れた涙が頬を伝うのを感じた。
 
 少しだけ鮮明になった視界の中で、横たわっている自分を覗き込んでいた彼の姿がくっきりと浮かび上がる。

「グラディウス、もう朝だよ」
 優しく、少し困ったように自分の名前を呼ぶのは、ずっと願っていた……彼の愛しい人。
 
「ア……イル……アイル……っ」
 グラディウスは上半身だけ起き上がると、覗き込む彼を両手で抱きしめる。
 彼を抱きしめる両腕も、彼を見る両目も、壮年と呼ばれる年月まで彷徨い続けた男のものではなく、隆盛を誇っていた二十代半ばの姿であった。
「やっと……会えた。俺の……」
「うぐっ……グラ……ディウスっ……どうかしたのか……?」
「願いが……叶った……俺は……」
「あっ……あの……寝ぼけて……」
「俺の……アイル……」
 強く、もう離せないとばかりに彼を掻き抱く。
 まるで半ば夢の中にいるように、永劫の時を経て旅をしてきた記憶はするりと記憶から抜け落ちそうになっている。
 自分の輪郭さえ曖昧な世界で、ただ彼の体温だけを感じる。
 彼だけを腕に抱き締めて、グラディウスは涙を流す。
 じわりと胸に広がる。
 戻ってきたのだと。
 
 ……彼のいる場所に。

 ただそれだけが、例え死後の世界だとしても……グラディウスにとってはこの上ない喜びだった。
 
「まま、待ってくれ、その、グラディウス、君は振られた恋人と何か勘違いをして……」
「温かい……こんな……ヴァルハラでもこんな……ふら……振られた恋人?」
 抱き締められたアイルは耳元まで赤くなり、ささやかな抵抗をしている。
 グラディウスはアイルの肩越しに部屋を見る。

 綺麗に整えられた部屋には本棚があり、幾つもの本が並べられていた。
 騎士服は丁寧にクローゼットに掛けられ、武器や騎士団からの備品は丁寧に手入れされ、あるべき場所に収まっていた。
 机の上には銀色の羽飾りの付いたガラスペンとインク。束になった手紙は整頓されて机の隅に置かれている。
 部屋は綺麗に片付いていたが、人が生活している空間のようだった。
 ……随分と、死後の世界というものは俗世に近い。
 
「グラディウス、あの……君は、その……誰かと勘違いしているんじゃないか?」
「俺がお前を見間違うかよっ。ここは、ヴァルハラだろ?」
「いや、その、すまないが僕の部屋だ。覚えていないのか?」
「覚えて……いや、覚えている。お前が王子の身代わりとなって処刑された後、俺はお前の鳥と一緒に……」
「王子? あの、グラディウス、本当に大丈夫か?」
 抱擁にぽふぽふと優しく抵抗していたアイルが、心配そうな声色になる。
 グラディウスは少しだけ離すと、アイルの顔を見た。
 ──間違いない。俺のアイルだ。
 
「アイル?」
「あ、ああ。僕はそうだけど、君も昨夜は沢山飲み過ぎて、酔いつぶれて眠ってしまったから、僕のベッドに運び込んだんだけど」
「飲み……? おい、鳥は?」
「……鳥?」
 グラディウスは部屋を見渡す。隅に置かれた道具などはあるが、鳥籠らしきものはない。
「王子は? だってお前、王子の身代わりに」
 混乱したグラディウスは王子の名前を呼ぼうとする。
「あの……確かに、僕は七年前まで第三王子の身代わりを命じられていたけれど、その、覚えていないかい? 王子は、七年前の品評会で……」
「品評会……?」
「あの……銀鳴鳥の品評会で、その……第三王子の飼っていた銀鳴鳥が、王子のあまり良くない言葉を覚えていたみたいで、障りある言葉を吐いてしまい……怒った王子が……」
「王子が、銀鳴鳥を傷つけた……?」
 アイルは当時の事を思いだしたのか、哀しげに続ける。
「王子が銀鳴鳥を斬りつけてしまって、羽が見る間に赤茶色に錆びていき……銅鳴鳥に転じて王子に災いを。……当時、護衛として近くにいた僕たちも間に合わなかった。……すぐに王子を助けるために回復や呪い返しを行ったけれど、銅鳴鳥の災いには効果が無くて……喉を掻きむしってご逝去されてしまったんだ……」
「銀鳴鳥が……銅鳴鳥に……?」

 ──金鳴鳥は人の願いを叶え、銀鳴鳥は人に希望を授け、銅鳴鳥は人に絶望を与える。

 ──なれど忘れてはならぬ。人の欲によって翼を銅に染める鳥は、災いを波紋させるだろう。

 グラディウスの脳裏に、御伽話のような銀鳴鳥の伝承が蘇る。
 
「そんな……まさか……」
「もちろん……王子を守る事が出来なかった護衛の僕たちも、責任を取って首を刎ねられるところだったけれど、団長が『銅鳴鳥へと転じた魔鳥は人へ災いをもたらす。銀鳴鳥を銅鳴鳥に堕とした王子に向けられた呪いであれば、それを他者が防ぐことは不可能に近い』って取り成してくれて……準騎士への降格と怨嗟の残った銅鳴鳥の亡骸の処理をすることで手打ちにしてくれたんだ……大分大きな出来事だったけれど、君は……覚えていないのか?」
「そんな……まさか……」
 ふと、グラディウスの記憶に……その当時降格したアイルを慰める為に酒場を連れ回した覚えが蘇る。
 結局先に酔いつぶれたグラディウスを彼が近くの宿に苦労して寝かせたことも。
 記憶が二重にぶれる。
 何度も繰り返した世界の記憶が、とろりと溶けていく。
 
「金鳴鳥が……願いを叶えた……」

 彼に会いたいと願った亡霊の願いを。
 銀鳴鳥に働きかけて、その先に起きる運命を変える為に。

 自ら災いをもたらす銅鳴鳥へと転じる事で。
 アイル相棒グラディウスの未来を変えた。
 
 ──命をかけて。
 
「お前……そんな……」
 
 ぼたぼたと零れ落ちる涙を拭う事すらできないグラディウスを、アイルは心配そうに見つめる。
「グラディウス、その……大丈夫か?」
「あ……あぁ……悪い……」
 この部屋も、見慣れたアイルの自室のはずだ。
 身代わりの騎士の任を解かれた彼は、従騎士から五年の歳月を経て正騎士へと戻っている。
 彼は休日には本を読んで、友と剣術の訓練をし、一緒に街で飯を食べて、酒を飲み愚痴を聞いてもらい……。
 昨夜も、給金前で酒とつまみを持って彼の部屋に飲みに来たのだった。
 記憶が曖昧になる。
 あの永劫の時が記憶の彼方に溶けそうになる。
 
 ふと、自分の中から“ ”の魔法が消えていることに気が付いた。
 もう固有魔法で“ ”を越える事はない。だから、俺の中から失われたのだろうか。
 グラディウスは涙を拭う。
 
 あの美しくて煩くて、共にただ一人を愛した鳥が……救われる事のない自分達最初の二人を救ってくれた。
 
 美しく囀るあの鳥は、もういない。
 けれども、グラディウスは一番大切な事だけは覚えていた。
 全ての記憶が霞の向うに消えていっても。
 
「……なぁ、アイル」
「なんだい? グラディウス。その、水でも飲んで落ち着くかい?」
「お前、俺の事どう思っている?」
「なっ……その……君、気づいて……っ」
 心配そうな顔が、赤らんだり青ざめたり、表情豊かに変わる。
 その表情だけで……十分だった。

「アイル、伝えたいことがある。俺は……お前の事が……」
 


 今度こそ、君に伝えよう。

 あの朝に伝える事が出来なかった、君への想いを。

 
 
『   の囀る朝に。』

 
 ―終―


 
しおりを挟む
感想 133

あなたにおすすめの小説

【完結】最初で最後の恋をしましょう

関鷹親
BL
家族に搾取され続けたフェリチアーノはある日、搾取される事に疲れはて、ついに家族を捨てる決意をする。 そんな中訪れた夜会で、第四王子であるテオドールに出会い意気投合。 恋愛を知らない二人は、利害の一致から期間限定で恋人同士のふりをすることに。 交流をしていく中で、二人は本当の恋に落ちていく。 《ワンコ系王子×幸薄美人》

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【完結】たとえ彼の身代わりだとしても貴方が僕を見てくれるのならば… 〜初恋のαは双子の弟の婚約者でした〜

葉月
BL
《あらすじ》  カトラレル家の長男であるレオナルドは双子の弟のミカエルがいる。天真爛漫な弟のミカエルはレオナルドとは真逆の性格だ。  カトラレル家は懇意にしているオリバー家のサイモンとミカエルが結婚する予定だったが、ミカエルが流行病で亡くなってしまい、親の言いつけによりレオナルドはミカエルの身代わりとして、サイモンに嫁ぐ。  愛している人を騙し続ける罪悪感と、弟への想いを抱き続ける主人公が幸せを掴み取る、オメガバースストーリー。 《番外編 無垢な身体が貴方色に染まるとき 〜運命の番は濃厚な愛と蜜で僕の身体を溺れさせる〜》 番になったレオとサイモン。 エマの里帰り出産に合わせて、他の使用人達全員にまとまった休暇を与えた。 数日、邸宅にはレオとサイモンとの2人っきり。 ずっとくっついていたい2人は……。 エチで甘々な数日間。 ー登場人物紹介ー ーレオナルド・カトラレル(受け オメガ)18歳ー  長男で一卵性双生児の弟、ミカエルがいる。  カトラレル家の次期城主。  性格:内気で周りを気にしすぎるあまり、自分の気持ちを言えないないだが、頑張り屋で努力家。人の気持ちを考え行動できる。行動や言葉遣いは穏やか。ミカエルのことが好きだが、ミカエルがみんなに可愛がられていることが羨ましい。  外見:白肌に腰まである茶色の髪、エメラルドグリーンの瞳。中世的な外見に少し幼さを残しつつも。行為の時、幼さの中にも妖艶さがある。  体質:健康体   ーサイモン・オリバー(攻め アルファ)25歳ー  オリバー家の長男で次期城主。レオナルドとミカエルの7歳年上。  レオナルドとミカエルとサイモンの父親が仲がよく、レオナルドとミカエルが幼い頃からの付き合い。  性格:優しく穏やか。ほとんど怒らないが、怒ると怖い。好きな人には尽くし甘やかし甘える。時々不器用。  外見:黒髪に黒い瞳。健康的な肌に鍛えられた肉体。高身長。  乗馬、剣術が得意。貴族令嬢からの人気がすごい。 BL大賞参加作品です。

器量なしのオメガの僕は

いちみやりょう
BL
四宮晴臣 × 石崎千秋 多くの美しいオメガを生み出す石崎家の中で、特に美しい容姿もしておらず、その上、フェロモン異常で発情の兆しもなく、そのフェロモンはアルファを引きつけることのない体質らしい千秋は落ちこぼれだった。もはやベータだと言ったほうが妥当な体だったけれど、血液検査ではオメガだと診断された。 石崎家のオメガと縁談を望む名門のアルファ家系は多い。けれど、その中の誰も当然の事のように千秋を選ぶことはなく、20歳になった今日、ついに家を追い出されてしまった千秋は、寒い中、街を目指して歩いていた。 かつてベータに恋をしていたらしいアルファの四宮に拾われ、その屋敷で働くことになる ※話のつながりは特にありませんが、「俺を好きになってよ!」にてこちらのお話に出てくる泉先生の話を書き始めました。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

僕は君になりたかった

15
BL
僕はあの人が好きな君に、なりたかった。 一応完結済み。 根暗な子がもだもだしてるだけです。

処理中です...