【完結】銀鳴鳥の囀る朝に。

弥生

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銀鳴鳥の囀る朝に。

銀鳴鳥の囀る朝に。 第二話

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「夜分に失礼する。グラディウス。いるか?」

 半ばいること断定しながら宿舎の扉をノックすると、アイルの頭一つ分高いところから声が降ってくる。
「……アイルか? 珍しいな。お前から俺の部屋に来るなんて」
 扉を開けた人物は、長身に鍛え上げられた身体を持つ美貌の青年だった。
 部屋で寛いでいたのだろう。騎士服を脱ぎ、上半身は黒い袖なしのインナーを着ていた。
 アイルも昔はその逞しい腕が羨ましかったな、と感慨深そうに眺める。
 王子の身代わりを務めるからというわけではないが、アイルは昔から筋肉が付きにくい体質だったのだ。
「明日は非番だろう? もうそろそろ金銭が尽きて、次の給金が入るまでは部屋で飲んでいると思っていた」
「……お見通しってのが悲しいが。まぁ、当たりだな。入りな。一杯やろう」

 グラディウスの部屋はアイルの部屋と間取りや広さは一緒なはずなのに、室内には物が溢れかえっていて少し窮屈にすら感じられた。
 グラディウスの座っていた場所がぽっかりと空間が空いていたので、その対面と思わしき場所のソファーらしき物体から物をずらして、埃を払って場所を空けた。
 ……座る場所すらない。
 普段はグラディウスが酒瓶と外で買ってきた肉やら野菜やらの総菜を両手に抱えてアイルの部屋に転がり込むので、ひさびさに彼の部屋に入ると異界かと感じてしまう。

「酒……にしてはでかい荷物だな。それはなんだ?」
「ああ、うちで飼っている銀鳴鳥だ」
「あ? 鳥?」
「大概君が来るのは夜だからな。普段は大人しく部屋の隅で眠っていたんだ」
「割とお前の部屋に行っている方だが……気づかなかったな。銀鳴鳥……もしかして7年前の奴か? あの第三王子の暴露事件の時の鳥だろう?」
「……王子が部屋でしていた淫らな行為を、この子が覚えていて銀鳴鳥の品評会で朗々と歌い上げた……」
 その時に、王子は公爵夫人との淫らな遊びを暴露されて、この子を殺そうとしていたんだよな……と沈鬱な顔で俯く。
「ついでに公爵の頭がお寂しいだの教育係が行き遅れのブサイクだのと、王子が言ったであろう悪口をここぞとばかりに響き渡らせた豪の鳥だってな。なんとか取りなしたとは聞いていたが、まだお前が飼っていたんだな」
「もちろんだ。一度飼うと決めたからには責任を持たなければ」
「てことはお前は魔法すら使えないってのに、律儀に餌の魔石を買ってたのか」
「……まぁ、そうだね」
「言ってくれたら分けたのに」
 当たり前のように言ってくれるから、君には言わなかったんだよとアイルは言葉をつぐむ。  
「金鳴鳥は人の願いを叶え、銀鳴鳥は人に希望を授け、銅鳴鳥は人に絶望を与える。伝承にはそうあるが、こいつはお前に希望を授けたか?」
「少なくとも、僕の心の支えではあっただろうね」
ふーん、とせっかく眠っているのに布を開けようとするのだから、その手を弾く。

「グラディウス、君に頼みがある。この子を……シリルを貰ってくれないか」
「……責任を持って飼っていたのに?」
「仕事で長く都を離れる。君にしか頼めない」
 アイルが真剣な眼差しで頼むと、グラディウスは軽薄な笑いを止めて一度だけ大きく頷いた。
「貸にしてやるよ。お前が帰ってくるまで預かっておく」
「あぁ、よかった……。助かるよ。僕が頼れるのは君しかいないから……」
 アイルが心底ほっとしたように息を吐くと、グラディウスは照れたようにぽりぽりと頬を掻いた。

 清貧で凛とした立ち振る舞いのアイル。
 その後ろ姿は身代わりとなった王子以上に美しく、グラディウスにとってアイルは同期の騎士以上の存在だ。
 幼少の頃、まだ各々が進む道を分かつこともなく、訓練に明け暮れていた頃よりずっと一緒にいた友人。
 従騎士の頃は同室にもなっていて、誰よりも馬が合った。
 性格も性質も何もかも異なり、垢ぬけた美貌を持つグラディウスと違ってぼんやりとした印象のアイルは存在感も薄いというのに、なぜかその隣は居心地がよかった。

 そのアイルから頼られるということは、通り過ぎていった何人もの恋人たちに頼られる事以上に胸がむずむずとする。

「まぁ、屑魔石ぐらいなら俺でも作れるから。腹いっぱい食わせてやるよ」
「助かるよ。騎士学校時代に君が小遣いを花街で溶かして、必死に魔石を作っていたのを思い出してね。君にならって思っていたんだ」
「……そこは忘れてもらって構わないんだが?」

 グラディウスはアイルと違って魔法も使える騎士だ。
 魔導師団長も目を見張るほどの魔法の才能と、相手が見えないほどの速さで繰り出す神速の剣技を得手とする魔導騎士。
 それでも固有魔法は秘密と言っているのだから、どれほどの手札がある騎士なのだろうか。
 といっても、アイルの記憶に彼の魔法が印象的に残ったのは、花街の娼婦に貢ぐ金欲しさに吐くほど辛い訓練の後でも魔法を石に込めていた彼の姿だったが。

「これはかき集めた魔石だ。シリルだと半年は持つだろう。あと、これは金貨になってしまうけれど、面倒をかける分貰っておいて欲しい」
「ふーん、まぁ、金貨は一緒に飲む時の酒代として預かるよ」
 気をよくしたグラディウスに酒とつまみを勧められたが、アイルは中まで洗浄した後なので酒だけを飲むことにした。

 酒が進むとグラディウスの口も軽やかになる。きつい任務、隣国との長く続く均衡。休みの少なさに話は三か月前に別れたという恋人の話になった。

「前に聞いたけれど、今は恋人がいないんだっけ?」
「ああ、別れてからは娼館と右手が恋人で……」

 このタイミングでなら、話せるだろうか。
 アイルは少しだけ酒で舌を湿らせると湯場の中でずっと考えていた言葉をぽつりと呟いた。
「グラディウス、頼みがあるのだが」
「ああん? 鳥を引き受けるついでだ。この天才騎士のグラディウス様に何でも言ってみろよ」
「処女を捨てたいのだが、協力してもらえないだろうか」
 げほっとグラディウスがむせた。

「どど、どうした、アイル。性欲からは縁遠いお前が、しょ、処女だって!?」
「ああ」
「おま、お前、男がいけたのか?」
「どうやら、そうらしい」
 目の前の男に十年近く。
 男もいけるかどうかはわからないが、女性にも感じたことのない好意はずっと感じていた。
「……惚れた男がいるのか」
「そのようだ」
「…………ならなぜその男に言わない」
「処女は面倒だと……」
「…………は? クソ野郎か?」
 8年ほど前に君が、酒に潰れて言った事だが。
 アイルは表情を欠片も変えることはなく、心の中で言葉を継ぎ足す。
「お前、そんな奴のどこがいいんだ。アイル、もしかして酔っているのか?」
「酔ってはいない」
 アイルは酒に酔ったことがない。どれほど酩酊して支離滅裂なことをグラディウスが喚き散らしていても、同量以上に飲んでいてもすべてを覚えている。
 『処女は勿体ぶって、面倒くさい。どうせなら慣れた穴のほうが入りやすい』なんて、貴族の令嬢に振られた彼が自棄酒をあおって言っていたことすら覚えていたのだ。

 今ではそんなことを言った事も忘れているほどに、しばしば初めてを捧げられたとデレデレと話すグラディウスだが、この時ばかりはその昔の言葉すら都合が良い。

「やはり、このような面白みも無い顔は抱けないだろうか。……偽装すれば王子に見えなくもないが」
「やめてくれ。あんな顔だけのクソ王子を抱くなんて反吐が出る」
 アイルは仕事時には魔導具を使って王子の表層を貼り付ける。非番の時には解除をしているが、発動中に死んだら変装が解けなくなる呪具の一種だ。
 第三王子は大変顔が良い。だが、その性格は護衛騎士がすぐに音を上げて交代を希望するほどだ。
 
 酒瓶を置いて顔を覆っていたグラディウスは、一つ喉を鳴らすと手を顔からどかしてアイルを見つめる。

「正気か?」
「本気だ。やはり、お前が無理なら他を当たるが……」
「待て待て待て。この隊で両刀なら俺に勝るものはいない。あー、あーー。本気なんだな」
 他を当たるどころか、フラれたら部屋に帰って寝るだけなのだが、きっとこのグラディウスという男は友人の頼みを断らない。
 ……そこを利用しているような気になって、少々心苦しい気持ちがアイルの胸に湧き上がるが、見て見ぬふりをした。
 すまない、グラディウス。後生だ。
 今日この時にしか、自分にはない。

 グラディウスが一番最初に覚えたのは、友人からの願いへの戸惑いではなく、アイルから好意を寄せられたであろう男への強い感情だった。

 “あいつの隣にはいつも俺がいたのに”。

 その強い想いの根底にある感情をその時には悟ることはできず、強い想いが湧き上がる。
「男にとって処女を捨てるってのは、そのちいさいケツにイチモツをぶち込んで犯されるってことだ。それでもいいのか。……その初めての相手が俺で良いのか」
「ああ。グラディウス。君がいい」
 明日の稽古は君がいい。そんな誘いとまったく同じ声色で頷くアイルに、グラディウスは降参とばかりに手を上げる。

――最期に処女を捧げるのなら、君が良いんだ。
 アイルは友人が願いを聞き届けてくれたことにふわりとほほ笑んだ。


 グラディウスは乱雑に机を片付けると、アイルの手を引いて立ち上がらせる。
「洗浄は」
「済ませてある。中も」
「……上等。悪いが途中で止められないぞ」
「ああ。構わない」
 グラディウスは身を少し屈めてアイルの耳元に口を寄せると低く響く声で囁いた。

「堅物のお前が望むんだ。お前が好きだって相手には悪いが、お前の処女を味わわせてもらう」
 軽薄な表情が色に染まる。
 アイルは表情は変わらず――首を真っ赤にしながらコクリと小さく頷いた。



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