【完結】銀鳴鳥の囀る朝に。

弥生

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銀鳴鳥の囀る朝に。

銀鳴鳥の囀る朝に。 第一話

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銀鳴鳥の囀る朝に。


「明日の朝、ヴィリアム王子の代わりに断頭台に登れ」

 夕方、宮廷の一室に呼び出された青年は、宰相と騎士団長、そして不貞腐れたような顔をしたヴィリアム王子を見た時に半ば覚悟を決めていた。

「御意」
 十代半ばからヴィリアム王子の身代りを勤めていた青年には、その命令を断る選択肢もなく、その理由を尋ねることすら許されていなかった。
 ただ一つだけ思ったのは、部屋で帰りを待つ鳥の面倒を、友人に頼まなければいけないという心配だけだった。
 ヴィリアム王子の身代わりは常に複数名用意されている。青年が知る限りでは一人目は視察中に毒に倒れ、二人目は馬車が襲われ戦って死んだ。
 次は自分の番かと思っていたので、その言葉に心揺らぐことはない。
 逆に事前に知らされて、死を覚悟する時間が与えられたことは、他の身代わりに比べれば幸いだったのかもしれない。とさえ思っていた。

「なんで私がこんなことで田舎に引っ込まなければならないんだ!!」
 不貞腐れた王子が不服そうに用意されていたワインを飲む。
 宰相が困った顔で王子を窘めた。

「王子、今回の事は隣国との信用問題になります。ガランド帝国は王子の処刑を希望しています。金銭や土地で手打ちにしてもらえないかと打診しましたが、それでは気が済まないと……何故あのような事をなされたのか……」
「私に犬をけしかけたのだぞ。この私に!犬ごと飼い主を斬って何が悪い」
「子犬が王子の手を少々噛んだだけではありませんか。それに斬った相手が悪かった。ガランド先帝の隠し子。先帝が目に入れても痛くないと可愛がっていた少年だそうではありませんか。……帝国はお怒りです。我が国との力関係を考えても第三王子であるあなたの首を刎ねなければ収拾がつきません」
「だからといって、これからずっと田舎で暮らせと?」
「王子……頃合いを見計らって王都にお戻し致しますので、何卒、御身のために一度地方にお渡りください……」

 そうか。王子が断頭台に登る理由。
 これが、自分が断頭台に登る理由。

 青年は自身が死ぬ理由を聞いても、表情一つ変えることはなかった。
 何も、感情が思い浮かばなかった。普段から感情を抑えるように訓練されていたので、尚の事、自分の心を殺す事には慣れていた。

「アイル・ラスター。明日の朝までは時間がある。身辺整理をしろ。貴殿の死後には家族に報奨金を出そう」
「御意」
 黙って王子と宰相の話を聞いていた騎士団長は、痛みを堪える表情で部下に最期の猶予を与える。
 アイルと呼ばれた青年は深くこうべを垂れて、短く応答した。
「お前が王子の身代わりとなって断頭台に登るのは秘匿事項だ。長年身代わりを務めたお前に万が一の事はないと思うが、許せ。これも念のためだ」
 魔法の腕も一流である騎士団長が短く呪文を唱えると、舌に黒い呪いが鎖となって絡みつく。
 禁言呪縛プロヒビション・ワーズ。特級魔法の一つで、指定された言葉を話すことができなくなる魔法だ。
 最初に身代わりの任務を拝命した際に、拷問などを受けても情報を吐き出さないために禁言呪縛は掛けられていたが、今回はそれに『処刑・断頭台』などの言葉が追加されたのだろう。

 明日の朝までは限られた時間しか残されていない。
 アイルと呼ばれた青年は深く一礼をすると部屋から退出した。


 宮廷の一角にある騎士宿舎に戻ると、併設されている厩舎に向かう。
 まず初めに普段良く乗っている馬を丁寧にブラッシングすることにした。
 この牝馬は大人しい割に度胸があり、何度も過酷な任務において助けてもらった。
 これが最期か。そう思うとますます丁寧にブラシを掛ける。
 アイルが良く乗っていた馬だが、気性は穏やかで、他の騎士にもすぐに慣れるだろう。
「さぁ、リンゴをお食べ。いつもありがとう」
 馬は何かを悟ったように寂しそうにいななくと、つぶらな瞳で青年に甘えた。
 アイルは表情の乏しい青年だが、その時ばかりは困った形に眉を下げ、優しく優しく馬の首を撫でた。
 ありがとう。ありがとう。いつも乗せてくれて。いつも共に駆けてくれて。
 星明かりの少ない夜を。王子の代わりに刺客を引き連れて本陣から離れる際も。
 いつだって恐れることなくアイルに付き従ってくれた愛馬。
 言葉なく、ただただその撫でる掌に感謝を込めて、静かにそっと別れを告げた。


 部屋に戻ってランプを灯すと、大きな鳥籠の中にいた銀色の長い尾を持つ鳥がピィと小さく鳴いた。
「ただいま、シリル」
「タダイマ……タダイマ……」
 綺麗に反復する鳴き声にふっとアイルの表情が緩んだ。 
 銀鳴鳥は魔石を食べる大型の鳥で、肩に乗せると長い尾は腰下まで垂れ下がる。上手く調教すれば言葉を覚える魔鳥の一種で、主を選ぶとも呼ばれている。
 魔石は宝石よりも価値が高い。それゆえに、王族や貴族などが好んで飼育する財宝喰いの鳥と呼ばれていた。
 シリルは覚えさせたい言葉は覚えないのに、覚えて欲しくない言葉ばかりを覚える。
 それゆえに最初は王子に献上されたのに、王子が零した悪口ばかりを覚えたものだから、王子が怒って切り捨てようとしたところをアイルが引き取った。
 何度かアイルも言葉を選んで覚えさせようとしたが、シリルが覚えたのは寝台に倒れ伏して零した、消し去りたい弱音や吐露ばかり。
「シリル……カワイイ……シリル……エサヲアゲヨウ……ピィ!」
 その言葉も覚えさせたいわけではなかったが……覚えるほどにシリルに対して話しかけていたのだろう。
 鳥籠の隣のチェストの三段目に入れてあった屑魔石を取り出してシリルに差し出す。
 細く螺鈿のような文様の入った美しい銀の嘴が器用に魔石をつつく。
 いくら王宮勤めの騎士とはいえ、アイルの給金はそれほど多くはない。
 この屑魔石も宮廷に勤める魔術師から生成に失敗した人工魔石を安く買ったものだ。安いと言えど、それだけでアイルの給金の半分以上が飛ぶ。
 役割柄外出することも少なく、騎士たちと酒を飲み交わすこともない。
 アイルは淡々と任務を遂行し、生きながらえた生をあまし、銀鳴鳥に覚えぬ言葉を囁く。その毎日の繰り返しだった。
 ただ唯一の例外は、同期の中で一人だけ、稀に酒を飲み交わす相手がいるぐらいだろうか。

「お前を貰ってくれる人を探さないといけないね」
「マダタベル? ……マダタベタイ? シリル」
「それをいつも聞いているのは僕だけど、お前は本当に言葉を覚えるのが下手だね」
「シリルカワイイ……シリルサイコウ……セカイデイチバンキレイ!」
「……はは、そうだね。シリル。君はとても綺麗で……可愛いよ」
 甘えたように手にすりすりとしてきてくれるので、アイルはとっておきの魔石を与えることにした。

 銀鳴鳥の飼育には、定期的に魔石がいる。
 譲渡するにも養えるほどの人物でなければ相手が困るだろう。
 そう考えればますます譲渡先が難しく……アイルの脳裏に思い浮かぶのは一人しかいない。
 稀に酒を飲み交わし、麗美な美しさを持つ美丈夫で、自分とは性格も性質も全く正反対なのに、なぜか騎士学校の頃より馬が合う……魔法も使える騎士の同期だ。
 彼ならば、従騎士時代に金の足しにと石に魔力を込めて売っていたこともあり、シリルの餌となる魔石も生み出せるだろう。
 それに……彼にならば、大切なシリルを託せそうだ。

 お腹がいっぱいになったのか、胸の羽をふくふくとさせて、シリルが止まり木の上でうとうとし始めた。
 鳥籠にシーツを被せると、本格的に眠り始めたようだ。
 銀鳴鳥は繊細なはずなのだが、シリルときたら一度寝始めると朝が来るまで起きることはない。
 この間にアイルは自身の荷物の整理をすることにした。

 本棚の幾つかの本と隊から貸与されていた騎士服に装飾具。もう少し片付けに時間が掛かるかと思っていたが、小一時間で荷造りは済んでしまった。
 ……家族に手紙の一つも残せない。
 王子の影となることが決まった際に、縁はほとんど切れてしまった。給料の一部を仕送りしていたが、騎士団長から報奨金が出るということで、そこを頼りにするほかない。
 読んでいた本は読書好きの後輩の騎士へ。
 長年使っていた剣と短剣は、同期の騎士へ。
 隊へ返す装備を丁寧に包み、形見分けをするものを除くと、騎士になってからずっと住んでいたはずの宿舎の部屋は、がらんとしてしまっていた。

「何も、残らなかったな……」
 私服も地味な服ばかり。いつその時が来ても良いようにと準備していたが、その時はあっけなく来てしまった。
 十代の半ばからは王子の身代わりとしての任務についていたので、城外にもほとんど行った事が無く、対人関係も酷く希薄。
 アイルはこの明日の朝までの猶予が、自分にとって最期に与えられた余暇だということはわかっていたが、それまでにしたいことも、残したい物も、上手く見つけることができなかった。

 シリルを譲渡したら、悔いなんて……いや、一つだけ。
 空っぽの部屋の中、腕を組んで考え込んでいたアイルはふと、一つだけやり残したことに思い当たる。
 心の奥の奥。小さな箱に何重にも鍵を掛けて封じ込めていた小さな願い。

「そうだ。死ぬ前に一度だけ、好きな人に抱いてもらおう」

 二十半ばまで年を数えても、終ぞ恋愛などしたことがなかった。
 ならば、一つだけ。

 ――最期に叶えたい願いがあるとするならば。

 そう思った瞬間に、今まで関係を崩すことすら恐ろしく、ただただそっと胸の奥にしまい込んでいた願いを表に出すことを自分に許した。

 夜明けまではまだ時間がある。 
 彼は女性でも男性でも、好みに合うならば抱く男だ。
 彼の好みではないからか、友人だからかはわからないが、アイルは一度もそういう目で見られたことはない。
 いつだって彼の隣で酒に付き合い、別れただの付き合っただの、具合がいいだの悪いだの、そんな赤裸々な情事を聞くばかりであった。
 昔に彼が酒に酔って事細かに言っていた、男の抱き方というものを思い出す。
 方法はわかる。どうすれば良いかも。後は彼が願いを叶えてくれるかどうかだが。 
 ……清浄魔法が使えたらよかったのに。魔法が使えないアイルは一瞬そう思ったが、自分にはそれも一つの想い出かもしれないとくすりと小さく笑い、丁寧に身体の中まで綺麗にするために湯場に籠った。



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