神に捧げる贄の祝詞

弥生

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神に捧げる贄の祝詞《うた》

2.愛の言葉を 彷徨えば

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 赤銅しゃくどう色の髪の少年にとって、ラス=ロストと呼ばれる金髪翡翠眼の美しい少年は特別な存在だった。
 隣家で育った幼馴染というだけでなく、両親からも疎まれることの多い少年にとって、一緒に過ごしていて呼吸ができる相手だった。
 

 神々が愛する紫色の瞳の母親と、同じく祝福された赤銅色の髪を持つ父親。
 その二人から生まれた赤子は男女の双子であった。
 髪を供物に強き力を得た父親は当代きっての戦士で、自身の息子も同じように猛々しい戦士として育てようとした。
 けれども、生まれたばかりの占いで『哀れな子』と予言された通りに、同年代の少年たちと比べても体躯は貧相で、山中にある森の中で狩りの練習をしていても、小動物の一匹ですら獲物を取ることができない程であった。

 幼き頃は性別に関わらず山で遊ぶ。
 柳のようなしなやかさで森を駆ける妹と比べても、少年が身体を動かすのが得意ではないことは一目瞭然で、父親に何度も『これで兄妹の性格が反対であればどれだけ良かったか』と落胆されることが多かった。

 しょんぼりとした少年はいつも他の子どもたちに置いてけぼりにされて、森の中で命を奪うことができずに弓を下ろす。


 そんな少年の傍に、いつも素早く獲物を仕留めては戻ってきて、寄り添ってくれるのが金髪の少年だった。

 森の奥には怖い神がいる。だからそこまで奥に向かわずに、浅いところの川で水の流れや魚の鱗のきらめきを見ているのが、二人の日課であった。
『僕と一緒だと皆からのけ者にされるよ』
『それでも問題はないよ』
 何度も繰り返した問い。

 金髪の少年の膨らみ始めた喉仏を横目でちらりと見ながら、彼は自分の隣には勿体ないのではないかと心に問いかける。

 『民を導く戦神』と予言された少年は、その言の葉が真であることを証明するかのように、幼い頃から才能に満ち溢れていた。
 剣技は同年代では及ぶことができず、青年部でさえも打ち負かすこともある。
 魔力も高く、術の精度も威力も大人顔向けと言われるほどだ。
 両親に似て美しい顔立ちに温和な性格。大人だけでなく長老会でも優秀な戦士になるだろうと期待されている。

 だが時折、笑顔の奥で誰にも見せない気持ちをほんの少しだけ少年に零した。
『俺は、一番の戦士にならなきゃいけない。そう、生まれた時から決まっているんだって。皆の期待には応えたい。でも、時折その期待が重くて、投げ出しそうになる』
『ロストが?』
『もちろん』
『意外だ。僕なんかと違ってなんでもできるのに』
『できるのは、敵を倒すことだけだよ。……それよりも、君みたいに小さな命を想って弓を下げる優しさや、何でもない川や自然の中から美しいものを見つけ出す事のほうがずっと価値があることだと思うんだけど』
『……意気地がないだけだよ』
『でも、俺にはただの川のせせらぎだったのに、君に教えてもらった見方で覗き込めば、まるで宝石のように輝いていたよ。……俺は君の何でもないところの美しさを見つける感性のほうが一等大事な事だと思うんだけどな』

 水面に反射する光を浴びて、翡翠色の瞳の中に光が瞬く様子に少年は一瞬言葉を失う。
 大人になる前の、少年から青年になっていく横顔がとても美しく、今までに見た美しいものよりも尊く感じたからだ。
 ふっと目を逸らして言葉を繋げる。

『でも、役には立たないよ』
『君の優しさが不要とされる世界だというのが、酷く悲しいね』



 少年と過ごした時は長かった。

 狭い屋根裏部屋を与えられた少年にとって、屋根を伝って遊びに来てくれる金髪の少年との語らいは掛け替えのないものだった。
 屋根の上に登って星を見上げた夜も。
 森の中で小さな虹を見つけたことも。
 迷子になった妹を探して森の中で泥だらけになったことも。

 どれひとつとってもかけがえのない思い出だった。






「――の事なんだけど」
「え?」

 洞で成人の証を渡された帰り道、金髪の少年が話しかけてくれた言葉を赤銅色の髪の少年は聞き漏らしてしまい聞き返す。

「ごめん、ロスト。今なんて言って……」
「おーい! ロスト! 明日はどの神に何を捧げるんだ!?」

 数歩下がって金髪の少年の後ろを歩いていた赤銅色の髪の少年を追い抜かして、金髪の少年に体当たりをするように問いかけたのは、ルスト=ディディと呼ばれた元気な少年だった。

「痛いよ、ルスト=ディディ」
「なぁなぁ何を捧げるんだー? 目か? それとも腕か?」
「まだ、確定じゃないけど……いたた」
「ディディ、ちょっと落ち着きなよ」
「ええー? すっげー気になるだろう? だって最強の戦士に近いロストだぜぇ?」

 他の少年たちも明日の事が気になっていたのか、二人を追いかけてきたらしい。
 洞窟からの帰り道、皆で話をしながら帰ることになった。

「しかしロストも大変だな。成人の儀の前日までこの出来損ないの世話を焼くなんて」
「ほんとほんと。価値があるのは髪と目だけ。あとはぜーんぶ胎の中で妹に取られたんじゃないかってほどに不細工な」
 少年はへにょりと眉を下げる。いくら本当の事だからって正直に言い過ぎだ……。
 ……確かに鼻はぺちゃりとしていて低いけれど。
 一番気にしている低めの鼻にそっと触れる。
 鼻筋が通っていて美人な妹と比べて自分の容姿が劣っていることは自覚している。
 けれど、もう少し優しい言い方というものはないだろうか。

 一瞬言い返そうと思ったけれど、喉の奥がざらついた。
 他の少年たちよりも2年ほど遅れてやってきた変声期。
 最近では喉が痛すぎて、小声でしか話していない。
 ……それもロストや家族の前でほんの少しだけ。
 
「まぁ、それも仕方がないよな! それでどの神に何を捧げるんだ?」
「……そういう皆はどうなんだ?」

 金髪の少年の問いに少年たちはきょとりとしてから、めいめい目を合わせる。
「俺は鍛冶の神かな」
 イル=イディルと呼ばれた灰青色の髪の少年が答えた。
 興味をもった他の少年が彼に問いかける。
「親父さんと同じ神の祝福を継承するのか?」
「ああ。うちは代々鍛冶師の血統だからね。火の神と迷ったけれど……せっかくだから鍛冶の神の祝福を受けようかなって」
「供物はもう決めてあるのか?」
「うーん、片耳と片目かなぁ。鋼を打った時の音の変化も焼き入れの時の色味も完璧に見えなくなるのは困るけれど、片方だけならいいかなって」
「えー親父さんの炎息がかっこよかったのに。肺を捧げて祝福貰えばいいだろう?」
「いや、父は吐く吐息すべてが灼熱を帯びているから、ずっと封じの仮面付けているし。妹産まれた時だって、ほっぺに接吻ができないって嘆いていたからなぁ。寝苦しくて辛いとも言っていたから肺はないかな……。炎の能力と鉱石の能力を上げるような力を授けてもらうよ」
 封じの仮面は鉄製だから妹の顔にすりすりしようとしても冷たくてイヤーって避けられるんだよねぇ。父もしょげちゃって……とちょっとした弊害について少年は語る。

「ラガロは? お前弓が得意だからやっぱりはやぶさの神?」
 ディス=ラガロと呼ばれた少年はこくりと頷く。
「ああ。隼の神に両目を捧げて千里眼の祝福を得ようと思っている」
 両目ー!? と周りの少年たちがざわつく。
「親父は片目を捧げて百里の敵を感知できる能力を得た。けれども、見張り台に立っていた時、もっと遠くから奇襲をかけてきた軍勢に気づくことができなくて、少なくない被害を出してしまったんだ。だから俺は両目でもってして、千里先の敵の心臓を打ち抜くよ」

 捧げる供物が多い程、得られる祝福は大きくなる。
 少年たちにとって……否。
 この地に住まうものにとって、強き力を求めるのは道理でもあった。

「本当、祝福って不思議だよな。千里眼ってあれだろう? 遠い場所は見通せて敵の急所も見通せるのに、近くのものが見えなくなるもんなぁ」
「そう。だから見えなくなる前に今日は色々と見て回ろうかなって。許嫁と一緒に」
「あ、ロロちゃん?」
「そう、親父がまだ生きていた頃に許嫁になったロロ。明日成人の儀の後に婚姻を結ぶから、目がちゃんと見える間にいっぱい彼女の顔を見ておかないとなって」
「うへぇ、熱々だねぇ」
「遠くない将来、生まれてくる赤子をこの目で見ることができないのはとても残念だけど、いいんだ。家族を守れる力を得ることができるなら。俺は、見えなくたっていい」
 迷った末に決めた事なのだろう。証の大弓を抱えながらディス=ラガロは晴れやかな顔をしていた。

「そういうディディはどうなんだ?」
「えー? 俺は暴風の神に腕と臓器と記憶とー」
「ちょっと供物が多すぎるんじゃないのか? グラ=バルドルの大罪じゃないけれど、捧げすぎてもうろになっちまうぜ?」
「えー? でも俺飛び跳ねるしか能がないしー。だったら供物で滅茶苦茶強くなって見返したいなーなんてー?」
「記憶はさすがにちょっとやめときなよ! 今より馬鹿になる!」
「今も最高に馬鹿だから変わらねーよ!」
 ルスト=ディディは煩く飛び跳ねて落ち着きのない少年だったが、そのからりとした性格は周りから愛されていた。

「それよりもおまえは何を捧げるんだ?」
 ルスト=ディディに名指しされた赤銅色の髪の少年は息を飲む。
 言葉が出てこない。何度も考えて、それしかないと決めていたのに。
 
「暁のような赤銅色の髪も、黄昏時の紫の瞳も神々が愛してやまない色だってのに、勿体ないよなぁ。捧げれば祝福はとても強力だろうに、本人に戦う術がないんだもの。宝の持ち腐れだ」
 悲鳴のような吐息が喉から零れた。
 何か言わないと。でも、焦れば焦るほど喉から零れる音は掠れていった。

「いいじゃないか。守る力は俺が得るよ。俺がきっと、皆を守る力を得てくる」
 ずっと沈黙して少年たちの話を聞いていた金髪の少年が意志の籠った言葉を紡ぐ。

「ロスト、お前この出来損ないを甘やかしすぎだって。なんだってそんな……ああ。そうか。……まぁ仕方がないよな」
 周りの少年たちが可哀想にといった顔で金髪の少年を見る。

「ロストの許嫁、こいつの妹だもんな。出来損ないでも義兄は義兄。だから気にかけてやっているんだろう?」

 赤銅色の髪の少年は下を向いて唇を噛む。
 金髪の少年は何を言っても伝わらないのだろうと目を閉じた。

「集落についた。話は終いだな。明日儀式の後、成人を共に祝おう」 
 ふと気が付くと、木でできた家々が見えてきた。
 どうやら集落についてしまったようだ。

「俺は、必ず強き力を得る。皆で、この霊峰を……家族や村の皆を守ろう」

 金髪の少年の言葉は、少年たちに聞かせているもののようで、自分に言い聞かせているようでもあった。


 少年たちの瞳に、明日失う物への恐れ、そして得る物の期待が混じったなんとも形容しがたい光が灯る。

 赤銅色の髪の少年は、どうしようもない事だというのに、その変化がとても痛くて、胸が軋んだ。
 
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